YJシェーンコップ×ヤン
* コプヤンさんには「振り返ることはできなかった」で始まり、「君が目覚めるまでは」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以上でお願いします。

Gentle Soul

 振り返ることはできなかった。肉の薄い、少し丸めれば背骨の浮き出る背中が、眺めるには少し痛々しくて、そんな薄い体に無理をさせたのだと湧く自責の念に、勝てるとも思えなかった。
 押し倒されたのはオレの方ですがね。
 言い訳のように、シェーンコップは胸の中でひとりごちる。いつものように、突然やって来て、袖や襟を引っ張られ、気がつけばスカーフをほどかれていた。結び直してもらうと、いつも左右非対称に、ふたつ横の線上に並ぶはずの輪が、縦になる。それをほどいて、無言で結び直す。戦斧を握るぶ厚い手が、やわやわとスカーフを結ぶのを、あの底のない闇色の目がじっと見ている。
 ヤンは、抱き合うと、腕の中で小さくなる。普通にしていても存在感の、あるようなないような、それがいっそう希薄になって、空気でも抱えているような気分になる。汗で滑る皮膚だけが現実感を持ってシェーンコップに触れ、匂いはなく、声も立てず、ただ静かにシェーンコップにしがみついて、逃げずに絡んで来る脚がはっきりとその先を求めているのを指先に確かめながら、躯を繋ぐ先へ進むのを、なぜかいつもふた拍ためらう。
 傷つきやすさをさらけ出して、だから傷つけないかと不安になる。ゆっくりと、呆れるほど時間を掛けて、無茶と承知の上の合意にせよ、何しろ自分の方の立場が悪過ぎる。
 痛いでもいやでも何でも、ヤンの口からこぼれないかと、一瞬一瞬不安が拭えずに、そのくせ馴染んだ躯はとめどもなく重なり合って融け合って、シェーンコップの腕の中でヤンは空気と一体化して、シェーンコップはその嵩のなさに、自分がひとりではないと信じ切れなくなる。
 ていとく、と自分のかすれた声が、確かに自分のそれと聞き分けられずに、呼び掛けてヤンの目が、シェーンコップを見つめて来る。なに、と問い返すような底なしの闇へ目を細めて、ああ自分はそこに吸い込まれているのだと思う。
 滅多と声を上げないヤンが、シェーンコップの背へ両腕を回し、何か小さくつぶやいた。何ですかと、声には出さずにその口元へ耳を寄せて、動きをゆるめたシェーンコップの耳朶へ、ヤンの湿った息が掛かる。
 しぇーんこっぷ。同じように、息の多いかすれた声が、普段聞く時よりもいっそう力を抜いて、それは確かに自分の名だけれど、ヤンの喉を通すと、何か懐かない獣への特別の呼び掛けのような、そんな風に聞こえる。おいでおいで、大丈夫だよ、傷つけないよ、大切にするよ、そんな風に手招かれているように思えて、シェーンコップは、思わず吠えるように大きく口を開けると、そのままヤンの上へ体を伏せた。
 深まる躯の奥へ、獲物を求めてさまよう森の中のように、足音と気配を消して忍び込んでゆく。そっと。できるだけそっと。激しさしか覚えのないような白兵戦のつわものが、まるで目も開かない子猫にでも触れるように、ヤンの中へ忍び寄ってゆく。
 傷つけるのが恐ろしい。痛いと、眉を寄せる顔など見たくもない。快の吐息だけを追って、自分の注ぐ、こすれる熱でヤンに火傷を負わせないように、そんなシェーンコップへ、キミは優しいねと、ヤンは平たい声で言う。まるで、腹の中では正反対のことを思っているのだと言う風に。
 それでも、戦斧を扱うようにヤンに触れる気にはなれず、シェーンコップは精一杯の優しさだけを手指にこめる。ヤンを傷つけないために。壊れもののような──けれど実のところ、その中身と来たらきっと装甲服の何十倍も丈夫だろう。
 顔色ひとつ変えずに、声の根をひと震わせもさせずに、虐殺を行い、それを背負い、屍の山のてっぺんにひとり坐るその背を、シェーンコップは見上げ、見つめ続けている。
 人殺し同士、せいぜい仲良くしましょうや。そんな軽口を、叩こうと思えば叩けなくもない、けれど叩きたくはない。
 ヤンにほどかれたスカーフを床から取り上げ、手の中に握る。柔らかない生地は、けれど同盟軍から与えられた首枷だ。今はヤンに巻かれるそれは、ヤンに所有されていると言うしるしだ。
 シェーンコップは、掌の中のそれへ、そっと口づけた。ヤンに口づけると同じ静けさと恭しさで、ふわふわと頼りない生地へ唇を押し当てる。なめらかさだけは、ヤンの膚とよく似ている。シェーンコップは、ひとり目を細めた。
 振り向かずにいようと思う。その眠りを妨げないために。胸と腹の底にたまった澱を吐き出した後の、安らかな眠りを、シェーンコップは背を向けて護る。丸めた背の無防備さが、そのまま永遠に続くようにと祈りながら、手の中に、ヤンを抱くようにスカーフを握りしめる。
 その背に触れる代わりに、スカーフに触れている。今は汗の冷えた、ヤンのすべらかな膚の手触りを思い出しながら。
 貴方が目覚めるまでは──。
 振り向かないまま、シェーンコップは手の中のスカーフを、いとおしげにそっと撫でた。

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