* コプヤンさんには「届きそうで届かない何かがあった」で始まり、「おやすみなさい」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば8ツイート(1120字程度)でお願いします。
Good Times, Bad Times
届きそうで届かない何かがあった。もしかすると首筋か背中の辺りにある、小さなスイッチ。あの黒髪をかき分けて探して、そっと押す。そしてヤンは機嫌を直して、シェーンコップを振り返りながら、紅茶が飲みたいなといつものように言う、そんなスイッチ。いまだシェーンコップは、ヤンの機嫌を直す術を知らない。手っ取り早いのは、紅茶に見せ掛けたブランデーだけれど、まさか仕事中にそんなものを差し出すわけには行かないし、ヤンがそれで機嫌を直すにせよ、根本的な問題は何ひとつ解決せず、ヤンの酒癖をますます悪くするだけだ。
見た目によらず、それほど酒は好きではないシェーンコップは、ヤンが何やかやと言い訳して飲みたがるのを、ユリアンほどではなくても諌める方だし、それがまた気に入らずに、ヤンはむすっと唇を尖らせる。
自分と向き合う時、ヤンは妙におしゃべりだったり無口だったり、あるいは不機嫌を隠しもせずにただシェーンコップの傍にいて、突然肩をどやしつけて来たりする。
小官が何か、と訊いても無駄だ。別にと素っ気なく返って来るだけで、ヤンの不機嫌は変わらず、シェーンコップは年下の上官に文句を言うわけにも行かずに、それではどうぞひとりで静かな時間をと、思って立ち去ろうとすれば、素早く上着の袖を掴まれる。
言葉を費やす価値がないと、そう思っているわけではないのは、そうして自分の肩に乗せて来る彼の頭の重みで分かる。
逆だ。言葉でなく通じる相手と思われている、だからヤンは、普段は感情の読み取りにくい、その宇宙の闇色の瞳の中に隠したあれこれを剥き出しにして、シェーンコップへ向かって来る。
光栄ですなと返すには、ヤンとの付き合いがあまりにも短過ぎて、シェーンコップはどこか見えるところに、ヤンのご機嫌スイッチがないかと、いつもこっそり首筋の辺りを探すのだった。
あまり日に当たらないせいらしい、日焼けのない膚。つるりと少年のような、薄い胸に繋がってゆく首と肩の、これに同盟の命運すべてがのし掛かっているのだと、いまだ信じ切れない、何とも頼りなく貧相な、我らが艦隊司令官どの。
けれどその薄っぺらい肩の上に乗る頭脳の明晰さと来たら、シェーンコップの戦斧の切れ味も勝ち目はない。
シェーンコップの肩へ寄り掛かって来るのは、その脳みその重さのせいか、30にもならずに艦隊ひとつを任された、その責任の重さのせいか。
シェーンコップの肩に頭を乗せて、それでもじっとしてはいずに、ヤンはいらいらとスカーフの結び目を指先でいじっている。固く結び過ぎてゆるまないのが業腹なのか、唇の先がいっそう尖って見えた。
「結び直しましょう。」
シェーンコップはヤンのスカーフへ両手を伸ばし、彼の首筋には決して触れないように、そっとスカーフの結び目をほどきに掛かる。思ったより固くはなく、けれど左右の余りが不均等で不格好で、この人は身支度に鏡を使わないのだろうかと、よれた生地を親指の腹で伸ばしながら、すっかりほどいてしまったスカーフを改めてヤンの首にゆったりと巻いて、自分自身がそうする時のように、結び目の左右はきっちり同じ長さにする。
ふわりと作った結び目を、ヤンが下目に見た。左右の長さがきちんと均等なのを見て、ちらりとシェーンコップを見上げ、ふうんと、気に入ったのか気に入らないのか、どちらとも分からない素振りを見せた。
それでも、指先でそっと結び目を撫でる仕草が、小さな生きものに触れる時のそれに似て、ああ大丈夫だったのだと、シェーンコップは思う。
それきりスカーフには触れず、ヤンの唇は真っ直ぐになり、今日のご機嫌スイッチはスカーフの結び目だったのか、明日もそうとは限らないにせよ、今日のところは何とかなったと、シェーンコップはほっと胸を撫で下ろす。
今日の終わりに、軍服を脱ぎ、このスカーフをほどくヤンの手指の動きを、シェーンコップは想像した。きっとそのまま、何もかも脱ぎ散らかしておくのだろう。拾って歩くのは、あのユリアンに違いない。あの少年は、ヤンのスカーフの結び目が、いつもと少し違うのに気づくだろうかと考えて、そうわざわざ考える自分を、シェーンコップはうっそりと嗤う。
不機嫌をなすりつけて、シェーンコップに自分の存在を刻み込んで来るヤンと、ヤンのスカーフに、自分のしるしをこっそり刻みつけるシェーンコップと、我々は、案外似た者同士かもしれませんな、司令官閣下、シェーンコップはこっそりひとりごちる。
もうしばらく、シェーンコップのご機嫌スイッチは入ったままだ。
あごが外れるかと思うような大きなあくびをして、ヤンはシェーンコップの肩に頭を乗せたまま、何も言わずに目を閉じてしまった。
肩に散るヤンの黒髪の照りへ、ふた呼吸分目を凝らし、そのうたた寝の寝顔を見守るつもりで、シェーンコップはそっと胸の前で腕を組む。
おやすみなさいと小さくつぶやいた自分の声の穏やかさに自分で驚いて、シェーンコップの機嫌の良さがそのまま、大きく上がった唇の端にくっきりと刷かれていた。