Happy Halloween
浮かれた人々が、薄暗くなる前からもう外へ繰り出して、子どもたちの小さな群れは、連れの保護者など放って走り回り、すでに菓子でいっぱいの、小さな紙袋やらピローケースやらかぼちゃの形のバケツやらを漏れなく抱えている。お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!と言う可愛らしい台詞があちこちから聞こえ、子どもたちがはしゃぐのを、ぶつからないように気をつけながら、大人たちも思い思いの仮装で歩き回っていた。
昨日から奇妙にあたたかく、先週には引っ込めた外用の椅子やテーブルを改めて出して、今日は店の外でこの騒ぎを眺めることができるようになっていた。
どの時間もそこそこ混んでいるカフェの店内も、店員たちも含めて仮装の人だらけだ。
店の隅の丸いテーブルに、ひっそりといるのは、見掛けのずいぶんと違うふたり組、ひとりは通りすがりが必ず振り向いてゆく、迫力のある美男子、もうひとりは冴えない、けれど黒髪の艶にだけは思わず目を引かれる東洋系、テーブルの片側に肩を並べて坐っている。騒がしい店内で、互いの耳元へ顔を寄せておしゃべりしていた。
面白い仮装の人々を、けれど彼らは滅多と見ることもなく、視線はほとんどお互いにだけ据えられて、テーブルに置かれた食器には手探りの指が時々伸びる。
美丈夫はコーヒー、黒髪は紅茶、脳が溶けるほど甘いチョコレートケーキを頼んだのは美丈夫の方だ。チョコレートを練り込んだ生地に、チョコレートの粒を混ぜ、それをさらにチョコレートのアイシングで包み込んでいると言う、よほどのチョコレート好きでなければ頼むのに躊躇するそれを、彼は楽しそうに注文した。
現物が皿に乗ってやって来ると、さらに嬉しそうにフォークを取り上げ、最初に切り取ったひと口を、彼はまず黒髪の連れに差し出した。
いらないよ、と黒髪が顔をしかめて首を振る。どうやら甘い物──甘過ぎるのか──は苦手らしい。
そうですか、と妙に丁寧な口調で、別に気を悪くした風もなく、美男はそれをぱくりと食べた。
こちらから見て、美男子は左側、黒髪は右側、美男子は右手でフォークを使い、黒髪は左手で紅茶のカップを取り上げる。空いた方の、それぞれの左手と右手はテーブルの下へ隠れ、本人たちはばれていないつもりだったろうけれど、そこで、少なくとも指先が触れ合っているらしいのは明らかだった。
店の迷惑にならない限り、客の動向には知らん振りをしろ、好奇心を出すなと店長に常に言われているから、出すものを出したらさっさとカウンターへ戻ったけれど、用はないかとちらちらと送る視線の先で、彼らは地味に目立った。
誰もがうきうきと、普段は絶対にできない姿で楽しげに振る舞っている中で、変わり映えのしない普段着と言うのが逆に目を引く。もしかしてあれは、普段着と言う仮装なのだろうか。
黒髪の方が、チョコレートケーキをゆっくりと、いかにも美味そうに食べる美丈夫に何か言い、美丈夫が反応する前に、ティーカップから離した手を、彼のこめかみへ伸ばした。柔らかそうな灰褐色の髪を人差し指の先で軽く梳いてさらに何か言ったのに、美丈夫は、チョコレートケーキよりも甘い微笑みを浮かべた。
これはもしかすると、同性の恋人同士と言う仮装なんだろうか。それにしては板につき過ぎている。やれやれと、独り者はこんな日はため息をこぼして世界を眺めているしかない。
この際、ハムスターでもいいから、淋しい夜を一緒に過ごす相手が欲しいと思った。もうクリスマスもクリスマスイブも、君入れるよねと、店長から打診されている。きっとバレンタインデーも同じことを訊かれるだろう。ええ、とあっさりうなずく自分の姿が目に見えるようだった。
あのふたりは、恋人ぶりが本物として、どの日もあんな風に一緒に過ごすのだろうか。
チョコレートケーキが三分の一くらいになったらしいところで、美丈夫がこちらに向かって手を挙げる。何かと思って足早にテーブルに向かうと、黒髪のカップを指差してお代わりをと言われた。深みと奥行きのある、美々しい造作にちょっとユーモアを足したような良い声だ。
黒髪の方は、そう言われて初めて自分がもっと紅茶を欲しいと思っていると気づいたと言う風に、ちょっと慌てた感じにこちらに空のカップを滑らせて来る。
その間もずっと、彼らの間のそれぞれの腕は、テーブルの下から微塵も動かない。
ポットでもお出しできますが、と言ったら、黒髪の方は手を振って、
「眠れなくなりそうだから、ポットはやめておくよ。カップで十分だ。」
見掛けより落ち着いた、どちらかと言えば老けたと言ってもいい声で穏やかに言う。その彼の横顔から、美丈夫は一瞬も目を離さない。
ああこれは本物だと、思いながら空のカップを手にカウンターへ戻る。
ウエイターに尊大な態度を取らない客は案外稀だ。彼らはその稀な方の客だと思った。
ちょっと足元の危うそうな子どもがふたり、両親らしい大人ふたりと一緒にやって来る。流行りのスーパーヒーローの姿で、子どもたちはキョロキョロと、似たような仮装の人々を見上げ見回し、とびきりの笑顔を振りまいている。
注文のためにカウンターへやって来た保護者の手をすり抜け、まずひとりが駆け出す。もうひとりがそれに続く、微妙に違う方向へだったから、彼ら追った保護者のひとりは、どちらへ行くかと一瞬迷った。すでに注文を始めている保護者の片割れは、子どもたちの動きを目で追いながらもその場から離れられない。
子どもたちは、途中で再び一緒になって、あのふたりのテーブルへ向かって走って行った。
お菓子かいたずらかと言う、例の台詞を、並んで言うのは黒髪の方へ向かってだ。黒髪の男は、ははと軽く笑って、美丈夫の方へ何やら手を差し出し、美丈夫の方は上着のポケットから取り出した何かをその掌の上に乗せる。子どもたちに手渡したところを見ると、キャンディーか何か、今日のための菓子らしかった。何だ、ちゃんと用意はして来ているのかと、ちょっと意外に思った。
やっと来た保護者が、きちんと礼を言うように子どもたちに促し、本人も彼らに軽く会釈して、子どもたちを連れてテーブルから去る。子どもたちが、去りながら手を振るのに、ふたりもきちんと手を振って応えていた。
いい眺めだと思っていたら、新しい紅茶を出すのが少し遅れそうになった。
新たに運ばれた湯気の立つカップへ、何とも言えないいとおしげな視線を当てたまま、黒髪の男はありがとうと言う。その彼へ、美丈夫はもっといとおしげな視線を投げる。淹れ立ての紅茶になりたいなんて思ったのは生まれて初めてだ。
結局、ケーキの最後のかけらを半分ずつにして、その小さな半分をフォークの先に差し出された黒髪は、一瞬迷った後でそれを食べ、盛大に顔をしかめた。それを見て、最後に残った半分を食べながら、美丈夫はこれまでのどの時よりも美しく笑っていた。
じっと眺めていたわけではなかったけれど、彼らは何となく──無理もないけれど──目立ったのだ。
彼らが去った時、肩を並べはしても手を繋がなかったのが不思議で、思わず店を出るまでじっと見つめてしまった。
この色とりどりの喧騒も、彼らの目には入らないように、彼らは相変わらずお互いだけを見つめて去ってゆく。
テーブルにはきれいに空になった食器が残り、コーヒーカップの傍らには、予想よりずっと多い金額のチップが残されていた。その紙幣の上には、いちご味のキャンディー。あの子どもたちにあげたのと、同じものかもしれない。
ありがたくチップを受け取り、キャンディーは包みから出して口に放り込んだ。ころころ口の中で転がしながら、ハッピーハロウィンと、誰に向かってでもなく、空のカップに向かって言う。
クリスマスかバレンタインに、また戻って来るかなあのふたり。
別に多めのチップに気を良くしたせいではなかったけれど、キャンディーの甘さに目を細めて、眺めのいいあのふたりがまた来るといいなと思った。思いながら、空にしたテーブルへ背を向ける。
ハロウィンは、まだ賑やかに続いていた。