シェーンコップ×ヤン、6/1以降。
* コプヤンのお話は「花なんか別に好きじゃなかった」で始まり「また必ず会えると知っているから」で終わります。

薔薇の君

 花なんか、別に好きじゃなかった。
 花と聞けば、好きな人に贈ると、そんな風に人は想像するのかもしれない。けれどヤンにとって花束は、いつも誰かの死と結びついていた。
 その人の眠る墓に供える花、気に入ってくれるだろうかと思う高揚感はなく、ただ淋しさと哀しさに耐えながら選ぶ、色とりどりの花たち。
 花に罪はない。花はいつだってきれいで、その場を明るくしてくれて、この世に様々の彩りを添えてくれる。それが添えられる場所がたとえ墓石の並ぶ墓地だろうと、花の色の鮮やかさの色褪せることはないのだ。
 残念ながらヤンは緑の手を持たず、水やりや水替えすらうっかり忘れて、大抵の花は寿命の前に枯らしてしまうから、外に出て見掛ける花を愛でるだけにとどめている。
 大量虐殺者であるヤンは、これ以上の死をその手に抱え込む気にはなれなかった。
 もう、人殺しをせずに済むようになっても、ヤンはまだ花に手を出すつもりはなく、まるでそれが現世での贖罪のひとつであるかのように、ただ本を手に、誰とも交わらず、仙人のように静かな暮らしをしていた。
 今いる場所に、自分の目を愉しませてくれる花を置くことは決してせずに、枯らしてしまうと言うのが理由にせよ、それだけではなく、自分の視界が幾つかの濃淡の灰色に塗り潰されていることを、受け入れるべきなのだと心の片隅で思っているからだった。
 灰色の視界の中に鮮やかに甦るのは、血の色だ。
 それは一体誰のものなのか、見知らぬ帝国軍の兵士か、同麺軍のパイロットか、顔見知りの提督か、あるいはただの市井の人々か、それとも、ヤン自身が流したそれなのか。
 ヤンは自分の脚を撫でた。スラックスの上からでも、そこにあると分かる傷跡の貫通孔へ指先を押し当てて、あの日止まらず流れ続けた血の、次第に酸化してどす黒さを増したその色を思い出して、時折する散歩の途中で見掛けた小さな青い花の色を、その記憶に上書きしようとした。
 血の赤。赤い色。真っ赤な薔薇。薔薇のような男。ワルター・フォン・シェーンコップ。
 君は元気だろうか。ヤンは読んでいた本を閉じ、あらぬ方へ視線を移す。
 赤い薔薇の花束を抱えれば、その花が似合うよりも先に、彼自身が花束と同じほど豪奢な、その同じ手で戦斧を振るうなど想像し難い男。
 君は今、どうしてるんだろうな。
 手紙が書ければと、ヤンは半ば本気で思った。
 元気でいるって伝えられるのにな。わたしのことは心配するなって。
 わたしはここで元気だ、シェーンコップ。脚の傷は時々痛むが、基本的にはわたしは、そちらにいた時と変わらずに、元気だよシェーンコップ。
 そう書き送ったら、シェーンコップは何と返事を書いて寄越すだろう。あるいはあの男は筆まめな方ではなく、ヤンの手紙を読みはしても、返事など送っては来ないだろうか。
 来ないかもしれない手紙を、ヤンは待ち続けるのだろう。花の色が移り変わるのを眺めながら、シェーンコップが、返事の代わりにやって来るその日を、ヤンは待ち続けるのだろう。
 50年か100年か、もっとか。
 君はわたしを憶えていてくれるだろうか。わたしは、君を君と見分けられるだろうか。
 すっかり白くなった髪に、薄くなった体、あの長い手足を芝居掛かった仕草で動かすのはきっと変わりなく、胸も背筋も伸びたまま、あの瞳の色も褪せることは決してないだろう。
 大輪の薔薇のように、美しい君。
 柔らかく咲く黄薔薇のように変化したとしても、ああしてふりまく空気は変わるまい。世界の中で、くっきりとした輪郭を持って存在する男。
 ワルター・フォン・シェーンコップ。
 まるで目の前にいて、呼び寄せるように、ヤンはその名を口にした。
 花は特に好きではなく、花の知識はないヤンは、自分の墓に添えられる花は、一体何だろうと想像しながら、再び手の中に本を開いた。
 いつまでも待とう。ここでこうして、君がいつかやって来るのを待とう。その間にきっと、ここにある本をわたしは読み尽くしてしまうだろうが──。
 わずかな苦笑に唇の端を上げて、ヤンはもう本から目を離さない。
 また必ず会えると知っているから、花のような男へ、ヤンは届かない苦笑を送って、あるはずもない薔薇の香りを、空気の中に探している。

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