シェーンコップ×ヤン、6/1以降。
* みの字のコプヤンさんには「指先が触れた」で始まり、「私は独りで泣くのです」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以上でお願いします。

Living Dead

 指先が触れた。あの時確かにあたたかい貴方に触れて、かすめるように重ねた唇が少し乾いていて、疲れていますねと自分にも向けて言うと、そうだねとあの黒い瞳が少し艶を失くして、ぼそりと答えた。
 戻って来るのだと決め込んで、それがいつものことだったから、深く考えもせずに交わした言葉だった。それだけだった。
 言葉で人を殺す貴方と、戦斧で人を殺す私と、遊びのように言葉を投げつけ合って、互いがそんなことでは死ぬはずもないと常に確認し合うように、時にはそれは辛辣さを増して、受け止める貴方はいつも苦笑いを浮かべて。
 慰撫のために貴方に触れる私と、私に触れる貴方と、慰めているつもりで慰められていたのだと、もう触れられなくなって悟る。誰かを抱きしめたいのは、自分が抱きしめられたいからだと、知ったのはいつだったろう、言ったのは誰だったろう。
 少なくとも表面は、常に凪いだ水面のような、けれどその底に絶えない小さな炎を抱えて、貴方のその熱さに魅かれたのかどうか、今空の腕の中がひどく寒い。
 ひとりはこんなに現実味がなく、うそ寒いものだったか。腕の中を通り過ぎてゆく風の音さえ聞こえるようで、酒の減りのあまりに遅いのに、そう言えば自分は酒が別に好きなわけでもなかったのだと、今になって思い出している。
 置いたままのグラスの中身が、朝までそのままだ。
 貴方が戻って来ないと言うのなら、私がそこへゆくしかないのだろう。それだけが貴方に会う術なら、私は血の匂いに酔っ払いながら、笑って貴方の許へ駆けてゆくのだろう。
 酒を飲んでも、血の匂いがする。貴方が溺れるようにひたって死んだ、貴方の血。血まみれの死体など珍しくもないのに、そこに青白い貴方の死に顔を見ることなど、想像したこともなかった。
 150まで生きると放言したそこに、当たり前のように貴方を加えて、自分は貴方の後ろを歩き続けるのだと決め込んでいたことに、何の根拠もなかったのだ。なぜ気づかなかったのだろう。今日と言う日はたやすく消え失せると思い知っていて、なぜそれが、貴方や私へも至り得ると考えなかったのか。考えても、そうと知っていても、知らない振りをしていたのか。貴方を失うと思うだけで全身を這い回る苦痛に、耐え切れなかったからなのか。
 貴方を失った私。あるいは、私を失った貴方。
 貴方のために、死ぬわけには行かないが、貴方のため以外に死にたくはなかった。それでは私はもう、永遠に死ねないことになるが、私の中で貴方はまだ生きていて、私が、例えばちょっとした物忘れの体で貴方が死んだことを忘れてしまった振りをするなら、私は貴方のために死ぬために生き続けることができる。
 貴方のために死ぬためだけの私の生が、するりと意味を喪い、なるほど、貴方が私と言う人間の意義そのものだったのだと、減らない酒を眺めて、私は考え続けている。
 貴方を言う人を知らなかった30年を、一体どう生きていたのか、私はもう思い出せず、恐らく思い出す必要もなく、けれど貴方を喪ったこれからの時間を、一体どう生きていいものか、目的も意味もない生は死とさして変わらないのだと、今ただ呼吸をしながら考えている。
 悲しいではなく淋しいではなく、怒りと感じるならそれはほとんど自分に向かうもので、貴方がいれば、毒と皮肉をぶつけ合って、そのうち自分の中で固まるはずのあれこれが、どろどろとただ腹の奥にたまって、形も成せずに横たわっている。私の皮膚の中は、すでに人の形すら失くして、何か不定形の化け物のようになっている。
 貴方が私を人間にし、その形を保たせ、私に魂やら生やら意味やらと言うものを与えて、そうして与えっ放しで去ってゆく。貴方のいない私はまた、姿形の定かではない化け物へ変わり、懐かしい、馴染み深いはずのその姿を、私は見たくはないのだった。
 後100年、貴方なしで、私は生きられるだろうか。化け物の姿で、私は生きたいと望んでいるのだろうか。
 化け物の私は、かろうじて人間の言葉──貴方の、言葉──を使いながら、貴方を想い、貴方を恋い、この世にない貴方の姿を求めている。
 呼吸。体温。鼓動。感情の見えにくい闇色の瞳、私はそこに映り込んで、そこに露わになる私の本性を見、化け物の自分をもう笑い飛ばすことができずに、人間の貴方の足元へ膝を折った。
 貴方は私を剥き出しにして、皮膚の下の醜悪さを引きずり出し、そうして、私を抱きしめた。
 体温。鼓動。呼吸。ひとのそれ。貴方のそれ。私を慰撫した、それ。
 鼓動。呼吸。体温。貴方に与えられたそれ。化け物の私が得たそれ。
 酒の酔いに、人の姿がほどけてゆく。坐ったソファに残る、不思議な色の染み。それが私だったと誰も見分けずに、私はそうしてこの世から消えてゆく。貴方の残した血の染みそっくりの形に、私もただの染みになって、消え失せたこの世からあなたの許へ飛んでゆく。
 そう願って、今はまだ叶わず、私はただ酒を飲み、酔い、酒の熱さに貴方のぬくもりを思い出しながら、今残せる染みは、涙の跡だけだと思いつく。貴方がいないこの世で、貴方なしにすっかり干乾びてしまった私の中に、一滴の涙も残っていないのに、乾いたままの私の頬には確かに流れる何かがあった。
 それは見えない血なのだと、指先に確かめながら、自分の血のぬくみに、最後に触れた貴方の指先のあたたかさを思い出している。
 そうして、私は、ひとりで泣くのです。血の涙を流して、泣くのです。

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