Lost Boys
「おい、どうしたんだこんなところで。」ヤンは思わず通路の真ん中で、"それ"に向かってしゃがみ込んでいた。
ヤンの声に反応して、上下の平たい円の顔──と言っていいのだろうか──の部分が持ち上がる。人間の背丈の半分もない、腿の半ばへやっと届くその高さへ目線を合わせて、ヤンはもう一度同じことを口にした。
これは修理用のロボットだ。そこそこ人間に似せて作られた、ずんぐりした体。艦橋など、艦隊の重要な場所へ配備され、攻撃等による破損があればただちに修理に掛かる。空気の漏れを真っ先に塞ぎ、人命がそれ以上損なわれることのないように、無表情に作業を行うロボットだった。
それが1体きり、こんなところにぽつんといて、ここからいちばん近い倉庫はどこだったかと、ヤンは頭を巡らせる。
顔に見えるように、目と口──小さな表示用のディスプレイ──が置かれているから、つい人間のように話し掛けてしまうのだけれど、会話のできるようには作られてはいないのだから、返答があるはずもなかった。
「迷子かい?」
ひとり言になるのも構わず、ヤンは子どもにでも話し掛けるようにして、ずらりと並んでいればそれなりに圧倒もされるのに、1体きりだと大きさのせいかどうか、妙に心細そうに見える修理ロボットの、平たい頭へ思わず撫でる手を伸ばしそうになるのを止める。
初めて会った時のユリアンのようだと、心の片隅で思って、このまま捨て置けない気分になった。
迷子かと、思ったのは案外と本気だったのだけれど、コンピューターで完全に制御されているはずのロボットが、1体だけふらふらと迷い出すはずもない。そうなるとこれは内部ソフトウェアの不具合か、それともコンピューター側のソフトウェアの問題だろうか。
その辺りのことにはとんと疎いヤンは、ともかくも修理ロボが1体、倉庫から抜け出していると知らせなければと、思いながらやっと立ち上がる。しかし、知らせると言って、これはどこの管轄だろうか、それに目を離したすきに、別のところへ行ってさらに行方不明になるのではと、また頭を巡らせながらベレー帽を押さえた時、通路の向こう側、はるか向こうの角を折れて、誰かがこちらへ走って来るのが見えた。
ヤンの上着と同じ色の、けれど型の違うつなぎの作業服。明らかに整備の人間と分かるその男が、ヤンの上着の袖の線を目にした途端、慌てて足をゆるめ、一度きちんと立ち止まってから敬礼をして来た。
ヤンも男の方を向いて敬礼を返し、2秒も掛からずに腕を下ろすと、男が困ったと言う表情を浮かべてヤンの傍へやって来る。
「どうかしたのかな。」
ヤンの声の穏やかさ──無色の、感情の読めない声──に、男は一応ほっとしたように頬の辺りの線をゆるめ、
「いえ、あの、脱走、でして。」
「脱走?」
ロボットへ腕を伸ばしながら男が言うのに、ヤンはうっかり目を見開いた。
男は、ヤンの若い見た目を隠さず不審がっている。そんな表情には慣れ切ったヤンは、だからと言ってわざわざありもしない威厳を示す手間は省き、相変わらずのどかな様子で、男に説明の続きを求めた。
「修理用のロボットは、2体ひと組で動くようにしてあるのですが、その片割れとのリンクがうまく行きませんで、リンクしていない自分の相棒を探して、倉庫を抜け出てしまったと言うわけでして。」
ヤンの見た目につられてかどうか、男の口調はやや軽く、ヤンもそれを聞き咎めるような素振りは見せず、再び脱走ロボットを見下ろして、
「脱走なんて、わたしたちがやったら即刻軍法会議だなあ。」
あくまでのんびり言うと、整備士らしい男は、自分のミスを責められはしないと理解したのか、
「では、倉庫へ戻しますので。」
「うん、ご苦労さま。」
彼が再び敬礼したのに、ヤンもまた短い敬礼を返して、今度は最後の半秒は、少し体をかがめてロボットの方へ、ちょっと反らし気味の掌を向けて見せた。
ロボットは、ヤンの動きへ反応して顔を持ち上げ、ほんとうに子どものように、顔の部分を軽く傾ける。
「ほら、行くぞ。」
整備士の方も、まるで迷子の我が子を見つけた親のように、こっちだとロボットの頭を押して、今来た通路を向こうへ戻ってゆく。
その、見た目の違う背をふたつ、ヤンは何だか微笑ましい気持ちで見送った。
リンクした2体ひと組、片割れを求めて迷い出る1体、その奇妙に人間くさいロボットの行動へ、ヤンは思わず苦笑いをこぼしていた。
シェーンコップを前にして、そのすぐ後ろを肩を並べて歩いていたリンツとブルームハルトの、ブルームハルトの方が不意に後ろを振り向き、じーじーと機械音を立てて自分たちを追って来た、その小さな機械を見下ろす。
「おい、おまえ、なんだ。」
そうして口にする同盟共通語の、かすかな帝国語の響きが、同じようにリンツの唇からも漏れ、
「どうしたブルームハルト。」
後ろを来る部下ふたりの声に、シェーンコップが足を止める。
「なんだ、どうした。」
鋭くはない、けれど威圧感の消せない声を肩越しに投げて、振り向いたシェーンコップは、こちらに背を向けて通路の床にしゃがみ込んでいるブルームハルトを、不思議そうに見下ろす。
「修理用のロボットですよ。なんで俺たちについて来るんだか。」
ブルームハルトがそうして膝を折って、やっと目線の高さの同じになる、丸の、上下が平たい頭のロボットは、ブルームハルトが自分と少し系統の違う姿をしているのは認知できるのか、こちらに訴えるような可愛らしい仕草で頭をかしげて来る。
子どもくらいの背丈に、申し訳程度についた手足、迷子と言う言い方がぴったりの姿に、シェーンコップは顔だけ振り向けていた肩と背中を大きく回し、つかつかとロボットの向こうに回る。
「認識番号はどこだ。」
背中のどこかにそれがあるのではないかと、シェーンコップは、あごの髭を撫でているブルームハルトと向き合う形にそこに膝を折って、あれこれ金属片の組み合わされたロボットの、繋ぎ目はあってもつるりとした表面全体へ素早く目を走らせた。
「さあ。」
ブルームハルトが軽くあごを振り、リンツもロボットの傍へやって来てふたりに参加すると、長い体を半分に折って、ロボットの頭の上へ目を凝らした。
「こちらもにないようですね。」
リンツを斜めに見上げて、シェーンコップはちょっと品のない舌打ちをした。
「まったく、隊を離れてひとりになって、何かあったらどうする。」
ロボットに向かって、まるで新入りの隊員にでも言い聞かせるような声を出して、
「倉庫はどこか分かるか。」
シェーンコップは立ち上がりながら、リンツへ訊いた。リンツは首を振り、
「分かりません。ドックへ行けば、誰か整備の人間が見つかるかもしれませんが。」
「そうだな、それがいちばん確実そうだな。」
そうして、まだロボットの前へしゃがみ込んでいるブルームハルトへ、
「ブルームハルト、貴官、このロボットをドックへ連れて行って、誰か分かる人間に渡してやれ。ちゃんと自分の倉庫に帰れるようにな。」
「──はい。」
訓練中も作戦中も、ローゼンリッター連隊長として鬼の貌(かお)ばかり見せるシェーンコップの、時折覗かせる人間味が、こんな修理ロボットにまで向くのを、部下であるふたりはちょっと可笑しく思って、けれど彼ら自身も、いつの間にかそんなシェーンコップへきちんと感化されて、まったく同じような態度を見せているのだと言う自覚はない。
ブルームハルトは立ち上がりながらロボットの頭へ手を伸ばし、そこを撫でるようにしながら、
「ほら、行くぞ。一緒に来い。」
いかつい顔の、優しい目だけを今はさらに柔和にする。ロボットはブルームハルトの手招きに従って、機械音を立てながら向きを変えて、そちらに歩いてゆく。
「倉庫に戻ったら、中身をそっくり入れ替えられるかもな。」
ロボットが去る背中を見送ってから本来の進行方向へ爪先を向けて、ぼそりとシェーンコップがつぶやく。その響きに、不可解な感傷を聞き取って、リンツは、
「制御用コンピューターの方の不具合なら、ロボット側は何もされないかもしれません。」
単なる可能性を、この上官を慰めるためのように、そっと口にする。
しばらく経ってから、低めた声が、
「そうか、そうだな・・・。」
行くぞと言われて、リンツは再び連隊長の背を追って歩き出した。
ヤンは、ローゼンリッターたちのこのやり取りの、一部始終をすぐ上の通路から眺めていた。
あの脱走ロボットが、ヤンが以前見掛けたロボットと同じ個体かどうかは分からない。
帝国からも同盟からも裏切り者の走狗呼ばわりの彼らの、はぐれたロボットへの扱いが、ヤンがすでに彼らに対して抱いている親密感をさらに強めて、部下を無駄死にさせたくはないと言うシェーンコップの優しさが、きちんと本音から出たものなのだと確認できたように、ヤンは彼らを信じた自分の正しさを思って、そこでひとり、ただ静かに微笑んでいた。
迷子の修理ロボットが無事倉庫に帰れるように願いながら、もう見えないブルームハルトとロボットの背中を向こうに追い、そしてそこから逆方向へ進むシェーンコップの、リンツに隠れて見えない、イゼルローン攻略の立役者の驕りなど微塵も見えない背中を、ヤンはじっと見送っている。
ヤンはユリアンを思い出したけれど、彼らはあのロボットに、何を、誰を思い浮かべたのだろう。いつか訊いてみたいが、素直に答えてくれるだろうかと、思うヤンの口元から淡い微笑が消えない。