シェーンコップ×ヤン、6/1以降
* コプヤンは、朝陽のあたるファーストフード店 が舞台で『ネクタイ』が出てくる暗い話を6ツイート以内で書いてみましょう。(短編創作お題出したー)

宛先のない手紙

 早朝から開いているコーヒーショップの片隅で、シェーンコップはコーヒーを自分の手元に置き、もう1杯の紅茶──カップはひと回り小さい──を向かいの席に置いて、薄い、向こう側の透けるような便箋に、万年筆の先を滑らせていた。
 遠距離の相手に手紙を出す時に使う便箋、合わせて封筒もある。どこの惑星ゆきと言うように、分かりやすいように宛先を記す欄があって、それをちらりと見て、シェーンコップは見た誰にも理解できない苦笑を浮かべた。
 書き出しはいつも同じだ、親愛なるヤン・ウェンリー司令官閣下へ、だ。これを皮肉と取るか、純粋な敬愛表現と取るか、それはヤンが受け取った時にしか分からない。ヤン自身もきっと、受け取った時の気分で、まったく君ってヤツはと、やれやれと言う風にあのあちこち跳ねた黒髪をくしゃくしゃかき回して、それでもきっと読み終わった手紙を封筒に、似合わない丁寧さで戻し、どこか分かるところにまとめておくに違いないのだ。
 手紙の届く間と間に、すでに受け取ったそれらを取り出しては眺め、毎回同じ書き出しの、親愛なる司令官閣下、と言うところでまず苦笑するヤンを思い浮かべて、シェーンコップもそっくりそのままの苦笑をまた口元に刷いた。
 万年筆の滑る合間にふと視線を上げると、目の前の通りに面した大きなガラス窓から、爽やかな朝陽が店の前面いっぱいに差し込んで、その辺りの席に坐ればまぶしくて目も開いていられないほどだ。
 ヤンに、陽射しを背にする席を与えて、ヤンよりずっと色の淡い瞳をしばたたかせるシェーンコップに、
 「席を変わろう、君じゃサングラスが必要だ。」
 あの、宇宙の闇色の瞳が微笑む。光を吸い込んで無にする、あの黒い瞳。あの底なしの昏さに、それでもまれにひらめく光があった。それをもう、シェーンコップは長い間見たことがない。
 あふれる朝陽の中にヤンの姿を思い描いて、シェーンコップはまた便箋にうつむき込んだ。
 お元気ですかと、わざわざ訊くのも妙な話だ。手紙の内容は、たいてい日々あった些細な事柄を詳細に述べる形になり、終わりに近くなると必ず、貴方に会えなくて淋しいと、他の誰にも聞かせたことのない愚痴めいた文面になる。
 一体、どうしていますか、ヤン提督。親愛なる、我が司令官閣下。
 万年筆のインクの黒は、夜の闇の色だ。青のごくかすかにその奥底に沈んだ、決して黒ではない昏さは、ヤンの瞳と髪の色を思わせて、自分の書いた文字を目で追いながら、その字のひとつびとつがヤンの表情に見えて来る。
 何やら考え込んでいる顔、悲しげな顔、淋しげな顔、憂鬱ばかりの顔、笑った顔、微笑んだ顔、呆れた顔、苦渋に満ちた顔、怒った顔、瞬きの長さにすべてを詰め込んだ顔、そして、シェーンコップを見上げる顔。
 この手紙に宛先はない。ヤンへ手紙を送るための宛先を、シェーンコップは知らない。それでもシェーンコップは、こうして日記のように、出さない手紙を書き続ける。ヴァルハラ内ヤン・ウェンリー殿とでも書いて出し続けたら、どこかの誰かがシェーンコップを憐れと思って、1通くらいはヤンに届けてくれるだろうか。もう何十通と書いた内の、1通くらいは。
 むやみに明るい朝のコーヒーショップでしたためる、死者への手紙。生者の繰り言ばかりの、宛先のない手紙。
 私は、不思議なことにまだ生きています。
 そう書いて、終わりの点を打って、シェーンコップはそこで一度手を止めた。
 死んでいる貴方を見たら、その場で死ぬだろうとずっと思っていたんですがね。
 シェーンコップの心臓は動き続けている。呼吸をしながら、肺よりも空っぽの全身に生きていると言う重みは感じられずに、それでも腹も空けば眠くもなる。どれだけ悲しみに打ちひしがれようと、体は勝手に生きようとする。
 シェーンコップの手紙を受け取り、不承不承返事を書く用意をするヤン。ヤンのことだから、便箋をわざわざ手間を掛けて選ぶなどと言うことはしないだろうし、使うペンもきっとそこらに転がっているのを取り上げるだけだろう。
 最初のひと文字を書き始めてから、それが赤いインクのペンだったことに気づくような、そんなヤンのそそっかしさを思い出して、シェーンコップの唇の端が大きく上がる。
 あちこち書き損じたのを、線を引いて消し、いつもならそれは丁寧にタイプされ直して清書となるけれど、そんなことをしてくれる誰かが、今のヤンの傍らにいるとも思えない。あのヤンの、読みにくい字を、全身の震えるほど恋しいと思いながら、知らず万年筆を握る指先に力が入っていた。
 シェーンコップが5通送る間に、ヤンからやっと来る、1通の返事。シェーンコップはそれを繰り返し繰り返し読み返し、一字一句間違えずにそらんじてしまうような、貴方からの手紙なら、肌身離さず持ち歩きますよと、シェーンコップは空に向かって小さくつぶやいた。
 出さないままの手紙を抱えて、シェーンコップはいつかヤンの許へゆくだろう。親愛なる司令官閣下と、言いながら、敬礼しながら、その束をヤンに差し出し、ヤンを呆れさせるのだ。
 そろそろ手紙は終わりに近づいていて、シェーンコップはコーヒーをひと口飲んでから、ヤンのための紅茶のカップへ目を凝らした。
 それから、目の前の、空のままの椅子へ視線を移してから、思いついてするりと自分のスカーフを外す。真っ白で染みひとつないそれを椅子の背にふわりと投げるように掛け、その輝くような白さと陽射しのまぶしさを瞳の中で重ねて、そこへヤンの幻を蘇らせた。
 左手を胸に当てて、それは偶然心臓の上だったけれど、嵩張る軍服の上着に鼓動は隔てられて掌には届かず、シェーンコップは一瞬、自分は今ヤンと一緒に死んでいるのだと、奇妙な明るさで思った。
 そして、ふと左手の指先にその下のネクタイの形を探って、その赤があの日のヤンの流した血の色を思い起こさせた、その瞬間、確かに左手の下で自分の心臓がふた拍跳ねたのを感じて、このまま死んでしまえたら幸せなのにと、らしくもないことを考える。
 いや、死ぬのはもう少し先だ。まだ、この手紙を書き終わっていない。
 ヤンからの、来るはずもない返事を心待ちにしながら、シェーンコップはまた最後に、我が敬愛するヤン・ウェンリー司令官閣下殿と書いて、それを読んでしつこいなあと頭を振るヤンを思い浮かべた。
 ええ、その通りですとも。
 コーヒーを飲み終わり、シェーンコップは少しだらしのない姿勢で、固い簡素な椅子の背にもたれ、ヤンのための目の前の椅子を眺める。自分のスカーフの掛かったそこに、ユリアンの淹れてくれた紅茶が飲みたいなあと文句を言いながら、紙コップを口元へ寄せるヤンを、シェーンコップは見ている。
 また始まる今日と言う日の、まぶたの裏の薄闇にさえ容赦なく侵入して来る明るい陽射しの中に、シェーンコップは影さえ失って飲み込まれそうになっていた。
 そのまぶしさに何度も短い瞬きをしながら、自分はヤンと言う光を失ったのだと、脳裏に再びヤンの笑顔を蘇らせる。
 明るい陽射しのあふれる世界の、けれどもう色のない眺めに、スカーフの白とネクタイの赤──ヤンの血の色──が交互に浮き上がる。
 テーブルの上を片付けようとふと目を落とした、万年筆を握っていた指に残るインクの染みが、まるで梳き通すヤンの黒髪に見えた。
 目の奥の突き刺される痛みは、この暴力的な明るさのせいだと思い込もうとして、もう消えてしまったヤンを探して、シェーンコップの視線は店の中をさまよい続けていた。

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