* みの字のコプヤンさんには「いわゆる奇跡だったのです」で始まり、「明日はきっと優しくなれる」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば2ツイート(280字程度)でお願いします。
まだ名のない
「いわゆる奇跡だったのです、貴方と言う人と巡り逢えたのは。」シェーンコップが、いつもの芝居掛かった言い方をする。けれどヤンは、声の底に真摯さをきちんと聞き取って、笑い飛ばしたりせずに、伸ばした指先でシェーンコップの柔らかな髪を撫でた。
そうじゃない、奇跡なんかじゃないんだ。わたしが、そう仕組んだんだ。
思うことは胸の奥に隠しておく。まるで、イゼルローン攻略の時にまるきり初めて会ったみたいな顔をして、ほんとうのところはそうではなかった。ヤンは、そのずっと以前にシェーンコップに会っていた。シェーンコップは覚えてなどいないだろう。あの時ヤンに向けた視線に、今そこにこもる熱などなく、あったはずもなく、それでもヤンは、今触れるシェーンコップの髪の柔らかさに、出会ったその日のことを鮮やかに思い出している。
あの日は、風が強かった。襟元からスカーフさえ引きずり出されそうに、目に入る砂埃を避けようと、目の前に手をかざして、だから視界は半分遮られ、前から誰がやって来るのか、ヤンにははっきりとは見えていなかった。
無機質な、色味のないビルディングを背に、長身の男が、長い手足を美しく動かしながら歩いている。前に据えられた視線には一体何が映っているのか、どちらかと言えば喜びや笑いよりは、怒りや憤りと言った感情を思い起こさせる、硬い線の顔立ち。ただしそれは、すれ違いざまヤンが思わず足を止めるほど美しかった。
きちんと整えているはずの髪は、元々がぼさぼさのヤンの髪ほどではなくても風に乱れて、前髪は、男のなだらかな額を撫でている。灰褐色の髪と瞳の色の釣り合いと、光を浴びてそれがところどころ輝く様が、ぼってりと乗せた色でぶ厚く塗られた油絵のように、豪奢な額縁にも負けない迫力で、ヤンの視界に迫って来る。
きれいだと、ヤンは砂埃のせいではなく、目を細める。
立ち止まった隙に、風がヤンのベレー帽をさらって行った。
空に舞ったベレー帽に、その美しい男は恐ろしい素早さで反応し、ヤンの後ろ、腕半分ほどの距離で、吹き飛ばされたそれを掴んで止める。
その動きすら、ため息の出るほど美しかった。
男は無言でヤンにベレー帽を差し出し、ヤンは、男にそんな近さに立たれてやっと我に返ってベレー帽を受け取った。
胸を反らして尊大に見える仕草が、どこか優雅だとヤンは思った。
男はちらりとヤンの襟章に視線を滑らせたけれど、階級を確かめられるほどの長さだったのかどうか、あるいはこれから准将の辞令を受けにゆくヤンの、どう見ても大佐には見えない外見に、さっさとそんな必要もあるまいと思った──後に、誰に対してもそんな態度だと知った──のか、敬礼などはせずにすぐに肩を回した。
ヤンも、どうもと小さく言うのが精一杯で、追い風に背中を押されなくても、男は広い歩幅でどんどん遠ざかってゆく。ヤンはその、軍服の上からもで分かる肩のぶ厚い背に向かって、もう一度どうもと、聞こえないのを承知で言った。
ヤンからはよく見えなかった襟章で、階級は結局分からず、その時左腕にあったローゼンリッターの腕章も、ヤンは見落としてしまっていた。
灰褐色の髪と瞳の、狼のような、恐ろしく美しい男と、そう描写して、後にそれがローゼンリッターの13代目連隊長ワルター・フォン・シェーンコップと、ヤンは知る。
あの日生まれたそのかすかな繋がりを、手繰り寄せたのはヤンだ。
あの日の風が、あんなに強くなければ、シェーンコップはヤンを見もせずただ通り過ぎたろう。シェーンコップがあんな風に、凶暴さと優美さを不遜でくるんだような空気をまとって自分の傍らに立たなければ、ヤンは彼を見覚えはしなかったろう。あの出逢いがなければ、イゼルローンは落とせなかったろう。落とせない方が良かったのかもしれないと、時折思うにせよ。
ああ、そうか、あの日吹いた風は、確かに奇跡だ。
ヤンは内心でだけ笑った。
今では、ヤンが置き忘れたり落としてしまったりしたベレー帽は、必ずシェーンコップが取り上げてヤンの頭に乗せてくれる。美しい、親しげな微笑みを浮かべて。
明日はきっと優しくなれる、今日よりもっと優しくなれるだろう。
あの日伝わらなかったありがとうを言うために、ヤンはそっとシェーンコップを抱き寄せて、前髪の間に見えるなめらかな額に唇を寄せて行った。