シェーンコップ×ヤン
* コプヤンさんには「たった5文字が言えなかった」で始まり、「僕も君も終わり方を知らない」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以上でお願いします。

薔薇ともぐら

 きれいだね、たった5文字が言えなかった。それが、男相手に適切な言い方なのかどうか分からなかったし、自分に言われて果たして喜ぶのかどうかも分からなかったからだ。
 ヤンがそう思うのは、心底本音だった。見てくれがいいと言うのも、ここまで来ると神々しい。シェーンコップを見るたび、ヤンはそう思う。
 独裁者になれと、恐ろしく形良く動くその唇に思わず見惚れて、ヤンはその時、君の方がむしろそれは向いてるんじゃと思った。思って、口にはしなかった。
 少年の頃、人はヤンを本の虫と呼んだ。本棚の谷間に、じっと動かずにいる、まさにヤンは虫だった。
 もう少し先で、自意識と言うものが芽生えると、いや自分は虫と言うよりももぐらだと思い始めて、地上よりは地下をもぐって下へ下へ進み、一生日の目を見ずに済んでもいいやとひそかに思っていた。
 もぐり込む地下にエサ──本──がある限り、地上に出る用などない。暗いところでじっと本を読んで過ごす、それ以上を、ヤンは望んだことなどなかった。そうして今は、太陽の光も良いものだと、シェーンコップを見ながら思う。
 いるだけで、その場が明るさを増す。自身が太陽のように光をふりまいて、そして姿形はまるで大輪の薔薇の花束のように、色も艶も瑞々しさにあふれて、抱えるそれにせよ手渡されるそれにせよ、幸福そうな笑顔を生み出さすにはいない、その鮮やかな彩り。
 きれいだなあと、ヤンは思う。
 薔薇には棘があっても、その美しさなら痛みもわずかな流血も意識には上(のぼ)らず、むしろその美しさにとらわれて、棘による苦痛など存在すら曖昧になる。
 他人の目を喜ばせる存在だと、シェーンコップ自身はこれ以上ないほど自覚して、望まれる通りに手足を伸び伸びと動かし、美しい人間には美しい人間の義務があるのだと、その、最後まで形の良い指先がヤンに教えて来る。
 面倒だね。ええ、その通りですとも。そう視線を交わしても、シェーンコップの美しい笑顔は微塵も揺るがず、そんな時に、ヤンはこの男の腕っぷしの強さよりも何よりも、その内面の強靭さに舌を巻くのだった。
 自分ならきっと耐えられない。美しいと称賛される代わりに、四六時中視線に晒されて、常に美しい存在であることを期待され、それに応え続ける強さなど、自分にはない。耐える気も、応える気もない。自分は黙って抱えた本に、じっとうつむき込んでいる方がいい。
 きれいだなあ。またヤンは思った。
 美しいと言うことは、それ自体が強さであり、そしてそれは別の種類の靭(つよ)さを要求するものだと、ヤンはシェーンコップに出会って初めて知った。
 ざくっと、投げ出すように大輪の薔薇の花束が、ヤンの足元へ坐り込んで来る。ヤンの足を抱え込むように、ヤンの膝の間に無遠慮に這い込んで来る。
 疲れた風に、目元を薄黒くにじませて、少し老けて見えるこんな眺めすら美しさは変わらない男だ。ヤンはシェーンコップの、瞳とお揃いの灰褐色の髪を撫でた。
 「昔、子どもの頃に読んだ詩に、ひまわりに恋をした雑草と言うのがあってね──。」
 別のことを言うつもりで開いた唇から、自分でも思い掛けないことが流れ出た。
 「詩ですか。」
 ヤンの膝に顔を埋めて、額をこすりつけるようにしながら、ちゃんと相槌は打って来る。ヤンは、柔らかな髪を撫でる手を止めない。結局手の動きに合わせて、ゆっくりとまた唇を動かし始めた。
 「わたしより少し年上の少女の書いたものだったんだ。彼女は戦争で死んで、彼女の両親が死後に日記や何やら、彼女の書いたものを記念にまとめて公表したと言うような話だったと思う。」
 ヤンはシェーンコップから視線を外し、自分の目の前の、どことも知れない辺りを見て、少しぼんやりした声で話を続ける。
 「わたしはその頃、特に詩と言うものには興味はなくて・・・でもなぜだか、その詩が妙に印章に残ってね。別に誰かを好きだったとか、そんなはずもないんだが──ひまわりは太陽の方ばかり向いて、下にいる雑草なんか目にも入らない、でも地下でもしかしたら雑草とひまわりの根は触れ合ってるのかもしれない、そんな内容だった。別に、詩として文章として、それほど素晴らしいものでもなかったと思う。でもどうしてだろうな、わたしはずっと、その雑草とひまわりのことが忘れられなかったんだ。」
 シェーンコップにはきっと、雑草が何でひまわりが何か、伝わっているだろう。ヤンはシェーンコップの髪を梳いた手を、うなじに置いて動かさなかった。シェーンコップがゆっくりと瞬きしたのが、筋肉の震えで、ごくかすかに伝わって来る。
 わたしはもぐらで、太陽の光は知らないし、薔薇なら、根っこに触れるのがせいぜいだね。わたしが土の下で君にそうして触れて、君は気づくだろうか。
 その、本以外に興味のないもぐらが、ほんの時折、地上に出てみたいと言う気まぐれを起こす。太陽の陽射しを浴びてみたい、薔薇の、根だけではなく、高く伸びた茎と鋭い棘と、血よりも濃い赤の花弁の艶やかな重なりを、この目で見てみたい。太陽を見たら死ぬことになっているのだとしても、紙に印刷された文字が描く世界以外の、美しいものを、直に眺めてみたい。
 本の虫のもぐらには、身に過ぎた希(ねが)いだろうか。
 君みたいなきれいなひとに、わたしがこんな風に触れてもいいんだろうか。
 激務で疲れているに違いない、年上の部下の固く凝った首筋の、ぶ厚く広い肩へ続く筋肉へそっと親指を押し付けて、ヤンは、その激務には美しいことも含まれるのだと考える。
 手抜きばかりの自分の人生の、その分を背負い込んだように、シェーンコップが自分の膝に疲れも露わにもたれるのを、ヤンは咎めもしない。
 この美しい男に出会って、様々変わったことがある。変えられてしまったことがある。そうとは気づかずに、息の掛かる距離に在ることをこの男に許して、こんなまぶしい光をこんな真近で見たら盲いてしまうと、思うもぐらはすっかり地上に出てしまっていた。
 薔薇は一体、下を向いて何を思うのか。地面と同じ色のもぐらを見下ろして、まさか土の感触を羨ましいと思うはずもない。それとも、薔薇はそこから1歩も動けないけれど、もぐらは少なくとも行きたいところへ自由に行けると、そんな風に思うのだろうか。
 隣りの芝は青く見えるものですよと、帝国からやって来た美しい男は笑う。影の差すその笑みの、微笑み方すら完璧に美しいのに、ヤンはもう呆れながら、ああそういうものだねと、うなずくしかないのだった。
 始めた後で、わたしも君も終わり方を知らない。
 終わらせたくないのは自分だけだろうかと、もぐらの気持ちで思いながら、薔薇の花びらを崩さず触れるように、ヤンはシェーンコップに触れ続けている。

戻る