シェーンコップ×ヤン
* みの字のコプヤンさんには「知らない方が幸せなことだってある」で始まり、「あの頃の自分を許せる気がした」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば7ツイート(980字)以内でお願いします。

The Second One

 知らない方が幸せなことだってある。例えば、大切な人を得た後で喪う辛さ。あんなことは一度でたくさんだと思っていた。
 背骨と内臓を一緒くたに絞り上げられて、ねじれた肺には呼吸が届かず、このまま窒息死するのだと言う苦しさの奥に、そうすれば、失くした大切な人の元へ行けるかもしれないと思う自分がいる。悪くはない。決して悪くはない。
 痛みは現実でも、そうやって心の奥底へ襲い掛かる空想の死はほんものではない。人は案外簡単に死んで消えてしまうけれど、死と言うものは、待ち構えている時には決して近寄っては来ないものだ。
 もう二度と、あんな思いはしたくないと思っていたのに、性懲りもなくまた、大事な人ができてしまった。
 150まで生きて、やれやれやっとくたばったと言われながら老衰死するのだと豪語する、きっとそれを叶えてしまうに違いない磊落さと不敵さと、そして穏やかな優しさを同居させる、奇妙に美しい男。
 一目惚れだったのだと言ったら、彼は笑うだろうか。恋に馴れず、愛には馴染みのない朴念仁が、こともあろうに女たらしと評判の、元異邦人に、五感のすべてを奪われてても足も出ないありさまだ。
 笑い話にもならない。
 あの恋はもう、始まりもせずに終わった。生きた先で、一緒に死にたいと思った恋だった。
 そして今は、それとは少し違う、恋と呼ぶにはあまりに静かな、そして不思議な激しさを内包して、生き抜いた先で、共に生きたいと思う。150まで、毒舌と皮肉を交わし合いながら、そうして一緒に生きて行きたい。
 屍の山を踏んで、生きたいと思うことが赦されるのかどうか、そう呟いたら、私も人殺しですよと清涼な声が言う。差し出された手は血にまみれ、それを取る手も血まみれだ。流血の海を泳ぐように生き続ける術もあると、その手が告げる。
 最初の恋を忘れたわけでもなく、殺した人の数を見て見ぬ振りをするわけでもなく、何もかもを背負ったまま生きることもできる。
 一緒に生きてくれるのかと、黙って訊いた。喜んでと、灰褐色の瞳が応えた。
 喪うかもしれない未来に怯えても、今この手にある歓喜を手放すことはできず、共に歩くその足の下で粘る流血は決して忘れずに、今は俯かず頭を高く上げてゆく。
 先に逝った背中を遠くに見ながら目をそらさずに、無知と無邪気を言い訳に人殺しになることを選んでしまった、あの頃の自分を許せる気がした。

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