* みの字のコプヤンさんには「笑ってください」で始まり、「その目の強さが好きだった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字)以上でお願いします。
微笑みの繭
笑って下さいと、シェーンコップがヤンのあごを持ち上げた。近頃ちっとも楽しそうではありませんな。戦争中に楽しいも何もあるもんか。戦争中だって、楽しいことは見つけられるでしょう。読書は楽しくはないのですか。
笑えと言うくせに、顔つきは厳しいくらいに真剣で、灰褐色の瞳が金色掛かって、ヤンは瞬きもせずに自分を見つめて来るその瞳から、視線を左にずらして逃げた。
本を読むのは大好きだ。一生、本だけ読んで暮らせたらいいと、真剣に考えるくらい、ヤンは本のない生活など考えられなかった。けれどここ数日、本を手に取る時は、本を楽しむためではなく、自分の周囲に見えない柵を張るためだと、不愉快な自覚があった。
本を読んでいれば、大抵の人たちはヤンを放っておいてくれる。よほどの用がない限り、なまけものにせよ、思考機械としてはけっして不良品ではないこの司令官の、ささやかな楽しみの邪魔はすまいと、誰もヤンに話し掛けずに去ってゆく。
本を読んでいる振りで、ヤンは、話し掛けるな近づくな放っておいてくれと、そんな空気を辺りに振りまいて、そうやって世界と自分を隔てる術に本を使う自分に、嫌気が差している。
眉をしかめて字を追っている──読んでいるわけではない──のを、盗み見られたのだろうかと、ヤンはゆっくりと瞳を元の位置に戻して、シェーンコップを見返した。
声を作る。言いくるめる言葉を思いついて、できるだけ不自然にならないように、平たく言った。
「疲れていてね、本を持っているのも、ページをめくるのも重労働なんだよ。」
ヤンの体力のなさは有名だったから、シェーンコップはなるほどと、信じたのか信じた振りなのか、どちらとも取れる表情をわざとらしく浮かべて、ヤンのあごをさらに高く持ち上げた。
「でしたら閣下、小官が書見台を務めましょう。特別に、超過勤務手当は申請しないでおいて差し上げますよ。」
見透かされているのだと、ヤンは思った。読書と言う世界に閉じこもっている振りで、ヤンが世界を拒んでいるのだと、この男は気づいている。
手足を縮めて、まるで丸まって針を突き出す針ねずみのように、ヤンは寄るな触るなと思うのに、この男はそんなことはお構いなしに、ヤンを抱きしめようとして来る。突き立つ針に刺されて、血を流す羽目になるのだとしても。
忌々しいほど爽やかに笑う男に、ヤンは勝てなかった。そして、自分の背を支える胸の、伝わる体温の心地好さを想像して、まるで柔らかな繭に包まれるさなぎの気分になって、ああそれならほんとうに、世界から自分を隔てることができると思った。
目の前に開かれた本。そのページを、ヤンのためにめくる指先。節の高い長い指の優雅に動く様へ、活字ではなく吸い寄せられる自分の視線が、今実際にヤンの瞳を動かしていた。
ヤンがひとりきり、逃げ込んで閉じこもろうとする小さな世界に、この男は強引に入り込んで来る。そしてヤンは、それが決して不快でないのに気づいていた。
ひとり手足を縮めて在るその空間に、ヤンを抱え込んで、一緒にぎゅうぎゅうと窮屈に居坐ろうとするのが、この男の優しさなのだと、言われず伝わるのはなぜなのだろうか。
ヤンはいつの間にか、シェーンコップに向かって微笑んでいた。自分を見つめる、その瞳の強さが好きだった。