パラレルコプヤン。天涯孤独のヤン少年の異種同種恋愛譚。ジェシラプヤン。
* リアル獣姦展開含 *

変化たちの森 8

 プロムの会場の広い駐車場で皆が三々五々、ドレスやタキシード姿でまだあちこちに小さな固まりを作ってその夜の興奮も静まらずに、卒業後のことなど楽しげに話している時だった。
 週末の夜には飲酒運転が増える。駐車場に突然飛び込んで来たのも、そんな1台だった。たまたま駐車場の出入り口、道路に近い辺りにいた数人のグループは突っ込んで来た車を避ける間もなく、駐車の車との間に挟まれた形で、色とりどりのドレスもタキシードも、一瞬で血染めに変わる。
 ほぼ即死だったと言うその数人の中に、ジェシカとラップがいた。
 飲酒の運転手も救急車の到着前に死亡したこの事故は、もちろん大きなニュースになり、プロム終了直後だった、そしていわゆる前途ある若者が数人犠牲になったと言うことが、事件にいっそう悲劇の影を濃く落とし、長い夏休みの始まりに、街中の学生たちとその家族たちが悲嘆に暮れる羽目になった。
 運転手も死亡したために、人々は誰に悲しみをぶつけることもできず、生き残った誰も、運が良かったなどと間違っても口にはできずに、ただ互いの肩を抱き合って、無言で涙にくれるだけだ。
 すでに学校は夏休みに入っていたけれど、誰が言い出したのか、生徒たちは自主的に被害者たちを送るために学校の駐車場へある夜集まり、ささやかに追悼の式を行った。
 校長のシトレを初め、亡くなった生徒たちと関わりのある教師も出席し、そして我が子を失った親たちも、誇らしげに微笑む彼ら彼女らの卒業の写真を手に、その場にひっそりといる。
 ヤンもアッテンボローと一緒に、無言、あるいはすすり泣きの満ちるその場の、いちばん後ろの方でうなだれていた。
 アッテンボローはまだ薄い肩をずっと震わせて、ヤンはその肩をただ抱き寄せ、アッテンボローが時々自分の方へ体の重みを預けて来るのを、黙って受け止めている。
 重苦しい、死んだ生徒たちと一緒に地の底に引きずり込まれそうな空気の中で、ヤンは彼らと自分たちとの差へ思いを巡らせて、人は簡単に消えてしまうんだラップと、以前そう言った自分の言葉を思い出していた。
 苦しまなかったのが幸いだったと、そう言う声を漏れ聞いても、ああそうかと思うだけでヤンの心は凍りついたように微動だにせず、今こうしてアッテンボローの体温を自分の隣りに感じるようには、もうラップもジェシカも自分の傍らにはいてはくれないのだと、まるで自分に言い聞かせるように考え続けるだけだった。
 自分が吸う同じ空気を、ふたりが吸ってはいないと言うことを、事実として受け止めながら、信じ難いとか信じられないとか、そんな冷えた内臓の引き裂かれるような悲しみや苦しみはまだ見つからず、自分の感情が麻痺しているのだと言う自覚もヤンにはまだない。
 会いたいと思ってももう会えないのだと思って、ああそうかと、静かにそう思うだけだった。話をしたいと思っても、もうそれはできない。ジェシカとラップを眺めて、それを頭の中で新たに文章にする作業も、もうできなくなってしまった。
 死ぬと言うのは、時間が凍ってしまうことだ。その誰かはそこへ永遠にとどめられ、そこから先へは進めない。ヤンはひとりで、そこへ背を向けて進んでゆくことになる。
 ジェシカとラップの思い出は、もうこれ以上増えることはない。あまりにも若過ぎる死であり、そしてヤン──もアッテンボロー──も、それを受け止めるにはまだ幼過ぎる。
 3人でまた一緒にと、そう言ったのはたった数週間前だ。ジェシカと同じ大学に、ラップと一緒に行くと、せっかく決めたのに無駄になってしまったと、ヤンはひとりで考え続けている。
 あの家はどうしようとか、荷物はどこかに預けようかとか、いっそ全部処分して空手になってしまってもいいかもしれないとか、あれこれ考えて、ラップと話をするのを楽しみにしていたのに。
 プロムは楽しかったのだろうか。ジェシカとふたり、これ以上ないほど澄ました姿で、いずれ結婚するんだと宣言したその輝くような夜に、断たれてしまったふたりの命。
 おまえを置いて行ったりしないと、ラップは言った。その通りに、ラップはヤンを誘い、また3人でと言った。3人で、一緒に。ジェシカとラップとヤン。いつかはそれに、アッテンボローも加わることになったのかもしれない。今はもう、それも定かではない話だ。
 ジェシカとラップ。ラップとヤン。ジェシカとヤン。そして、ジェシカとラップとヤン。多分誰も知らないままの、3人の繋がり。ヤンだけが取り残されてしまった。
 ああ、まただ、とヤンは思う。みんな、おれを置いて消えてしまう。
 最初は母親だった。それから父親。そして今はジェシカとラップがそのリストに加わり、これから一体、幾つの名前がそこへ足されてゆくのだろう。ヤン自身の名前がそこに載るのは、一体いつなのだろうか。
 いつでもいいよ。いっそ明日でもいい。
 そう思っても、自分で自分を消す手段は思いつけず、思いついたところで実行する気もないことはヤン自身がいちばん良く分かっていて、隣りで泣き続けているアッテンボローへ肩を貸しながら、自分も消えてしまったら、アッテンボローが可哀想だと思う気持ちが先に立って、けれど同時に、自分がいなくなってもアッテンボローには両親と3人の姉たちがいるのだからひとりぼっちになるわけではなし、自分がそれを心配する筋合いはないとも思うのだった。
 校長のシトレは、いつもの重々しい喋り方で、今夜はいっそう声音が重く、死んだ教え子たちを惜しみながら、隠しもせずに何度も目元を押さえる仕草をした。
 彼の、途切れがちになるスピーチが終わっても、まだ皆そこを離れずに、泣く声がさらに高くなる。
 そろそろアッテンボローを連れて帰ろうと、泣き止ませるために髪を撫でていたところに、ラップの写真を胸に抱えた女性が、人混みをかき分けてこちらへやって来るのが見えた。
 彼女は、ラップの写真を見ては声を掛けて来る若者たちへ、悲しみを分け合う表情を丁重に浮かべて見せて、けれど視線はヤンとアッテンボローの方へ据えたまま、引き結んだ口元でこちらへ向かって来た。
 「ヤン・ウェンリー、ダスティ・アッテンボロー?」
 彼女は、確かめるように、ややかすれた声を掛けて来る。左手にはハンカチが握られていた。
 そうです、とヤンがうなずくと、彼女は目を潤ませたまま微笑みを浮かべて、まずはヤンの方へ握手の右手を差し出して来た。
 「ジャン・ロベールの母です。」
 アッテンボローはそう名乗られた途端、ヤンから体を離し、倒れ掛かるように彼女へ向かって細い長い腕を開いた。
 ラップの母親は、死んだ息子よりもわずかに背の高い、けれどまだ細いその体を、抱えたままの額入りの写真を気にしながら抱き寄せ、慰めるように背中を撫でた。
 これが母親と言うものなのかと、ヤンは抱き合うふたりをぼんやり眺めて、ここにも3人でいて、自分はふたりから少し距離を置いてここにいると、そんなことを考えている。
 アッテンボローがやっと離れると、ラップの母親はハンカチで目元を拭い、息子の良い友達でいてくれてありがとうと、ふたりに言った。
 「この学校がとても気に入っていて、あなたたちとも、ジェシカとも離れるのは絶対いやだって言って・・・高校生が親なしでひとりで暮らすなんてって言ってたら、ヤン、あなたのことを持ち出して、あいつはずっと両親なしでやってる、なんて・・・。」
 髪の色はラップそっくりの、けれど顔立ちにはあまり似たところのない彼女が、思い出し思い出しそんな話をしながら、いつの間にか口元の笑みが深くなっている。
 「ひとりになってもヤンと一緒に暮らすからって、あなたに話をしてたのかどうか分からないけど・・・ジャン・ロベールは、迷惑を掛けてなかったかしら。」
 いえ、とヤンは首を振る。ラップと、もっと話をすればよかったと、その時ヤンは思った。ふたりきりになれば、互いに触れ合うことに夢中で、話をしようと思う前に唇を互いに塞ぎ合って、それで増えた思い出もある。同時に、得られなかった記憶もあるに違いないのだと、目の前の彼女へラップを重ねて考える。もう、誤りを修正はできないのだ。
 「ラップ・・・ジャン・ロベールは、どこに埋葬されるんですか。」
 葬式がすでにあったとは聞いてはいないヤンは、黒っぽい服でなら参列できるだろうかと、現実的なことを考えながら訊く。彼女は軽く眉を寄せ、ハンカチで口元を覆った。
 しばらく言い淀んだ後で、彼女は小さなため息をこぼして、再び口を開く。
 「実は・・・離婚が決まっていて、ジャン・ロベールは私の実家の方でお墓を作ることにしたの。」
 え、と思ったヤンより早く、アッテンボローが声を上げる。
 「じゃあ、ラップ先輩の墓参りは──」
 「お墓ができたらもちろん連絡するわ。でもまだしばらくは──。」
 生きていた時の息子のことをできるだけ長く心に留めておきたいと彼女が思っていることは確かだったけれど、同時に、ラップに繋がるすべてに触れるのが今は辛くて仕方がないと、彼女の表情が言っている。死んだ息子たちと歳の変わらない友人たちを目の前にして、彼女の悲しみが深まるだけなのをヤンは悟った。
 離婚と言う彼女自身の大きな変化、そして息子を失った悲嘆、ああ、この人もひとりぼっちになるのだとヤンは思う。
 彼女が、ハンカチを握りしめて、ヤンを見つめて来た。
 「ジャン・ロベールは、いつもあなたのことを話してたの。とてもいい友達だって・・・だから、両親のいないあなたをひとりにしたくないって。あの子、とても優しい子だったの・・・。」
 不意に彼女はラップの写真を、表を自分の胸元へ引き寄せて、かき抱いた。
 そうだ、この人がもうラップを抱きしめられないように、自分もラップを抱きしめることはできないのだとヤンは思った。
 今度はアッテンボローが、さっき自分がそうされたように、彼女の震える肩に手を伸ばして撫でる。そうしながら、アッテンボローも、拭いもせずに涙を流している。
 ヤンは、慰め合うふたりを、相変わらずざわめきもなく静かなままの胸を抱えて、まだ去らずに悲しみ続けている人々の群れと一緒に、何キロも先の風景のように眺めていた。


 アッテンボローを送ってひとり家に戻ったその夜、ヤンは、だらだらと書き続けていた例の物語に決着をつけた。
 ラップに似た主人公と、彼の連れになったジェシカ似の彼女は、恐ろしい魔物に追われて逃げるうちに、その魔物を通りすがりの街へ引き入れてしまう羽目になり、その街とそこに住む人々を守るために、ふたりは逃げずに魔物と戦い、魔物を倒し、そしてふたりは一緒に死んだ。
 街の人々は、街を守った彼と彼女を讃えてりっぱな墓を作り、その墓石に、決して彼らを忘れないように、彼らの物語を短く刻んだ。
 街を守って死んだ勇者のふたり、彼らの死によって救われた、幾つもの命。その年に生まれた子たちは、物心つく頃には勇者の話を親から語られ、同じ話を、今度は自分たちより年下の子たち、あるいは彼ら自身の子どもたちへ語り継ぐ。死んだ彼と彼女は、そうして人々の記憶に残り、その命はとっくに絶えているのだとしても、彼らは別の形で生き続けてゆく。
 徹夜で一気に書き上げ、まだ白紙のページの残る最後の1冊と、すでにいっぱいに書かれた他のノートをすべてまとめて、ヤンは街へ走って中身のすべてをコピーに取った。
 そしてそのまま、まだ早朝、人たちはやっと朝食の準備に掛かる頃、礼儀知らずを承知でヤンはアッテンボローの自宅を訪れる。
 ラップとジェシカのことを知っているアッテンボローの両親は、ヤンの何か切羽詰まった様子にただならぬ気配を読み取ったのか、戸惑いを見せながらすぐにアッテンボローを呼びに行ってくれた。
 昨夜、なかなか眠れなかったのだろう、赤い目の、腫れぼったいまぶたでパジャマ姿のまま出て来たアッテンボローは、ヤンが差し出すコピーの紙の束をぼんやりと受け取り、
 「それはおまえにやるよ。持っててくれたらうれしいけど、捨ててもいい。」
 「え、何ですかこれ?」
 自分と手の中の紙を交互に見るアッテンボローのその問いに答えずに、ヤンはくるりときびすを返して、そのままアッテンボローの家を後にした。
 車に戻りながら、ヤンは微笑んでいた。眠っていないのに頭は冴え返って、世界がすべて白っぽく見える。頭の中が真空で無音で、そこにあった文章の破片すべてを昨夜ノートにぶつけたせいかどうか、爽やかとすら言える軽さは、けれど虚しさなのだとヤンはまだ気づいていない。
 助手席にある数冊のノートを、ちらちら横目に見ながら、まるで何かが待っているように、ヤンは自分の家へ急いだ。
 持ち出したノートを抱えて騒々しく家の中に入り、居間や台所を突っ切って裏口から裏庭へ出る。囲いも何もない、手入れもされていない、土が剥き出しのそこへ、ドアから15歩ほど走り、ヤンは手にしていたノートを投げ出す。
 それからまた家の中へ戻り、ばたばた走り回ってシャベルを手に庭へ出て来ると、ノートの傍へ穴を掘り始めた。
 ちょうど膝まで埋まるくらいの深さになると、ヤンはシャベルを放り出し、再び家の中へ戻った。
 今度は、バケツ1杯の水とマッチと共に戻って来て、バケツを左側に引き寄せると、穴の縁を覗き込むように、そこへ坐り込んだ。
 ノートを、1冊1冊穴に放り込む。1年ほど、だらだらと終わりを決めずに書き続けて、ヤンにとっては物語と言うよりも日記のような、読み返せば書いたその時に自分に何が起こっていたかちゃんと思い出せる、そんな内容のそのノートを、ヤンは最後の1冊を残して全部穴の中に投げ込んだ。
 もう一度、つい数時間前に書き終わった、最後のページを開いて、自分の書いたものを読み返す。
 彼と彼女は死んでしまったが、人々は彼らを忘れず、人々の記憶の中に彼らは生き続ける、彼らは、ほんとうに死んでしまったわけではないのだと、ヤンはそう書いた自分の乱れた字を何度も何度も読んだ。
 ヤンをひとりにしたくないと、ラップが言ったと言う。ヤンを抱きしめて、ヤンのことを好きだと、ラップは言った。一緒に、ジェシカの行く大学へ行こうとラップは言った。3人で一緒にと、ラップはそう言った。
 ひとりぼっちのヤンを抱きしめて、抱きしめられたかったのはラップの方ではなかったのか。ひとりになりたくなかったのは、ラップの方だったではないのか。両親の離婚のことなど何も言わず、これからひとりぼっちになる自分のために、ラップは新しい家族が欲しかったのか。ジェシカとヤン。ラップが選ぼうとした家族が、自分だったのだと、今ならヤンにも分かる。
 ふたりだけでは、家族に少し足らない。だから3人目が必要だった。だから、ラップは、ジェシカと自分のいるところへ、ヤンを手招いていた。
 3人でなければならなかったのだ。ふたりでは足りない。抱き合う腕は多い方がいい、ラップはそう思ったのではなかったか。
 そうして、ラップはヤンを置いて行ってしまった。ヤンをひとりぼっちにしたくないと言ったくせに、ヤンをまたひとりぼっちにして、ジェシカと行ってしまった。
 ふたりでは少し足らないけれど、ひとりではないからいいと、ラップは今ジェシカと一緒にいて、そう思っているだろうか。
 最後の文を書いたページを開いて、ヤンはそこにマッチで火を点けた。火は案外ゆっくりと紙面を舐め、ノートの綴じから次のページへ火が移ったことを確かめると、ヤンはそのノートも穴の中に放り投げた。
 紙が燃える。次々と黒い灰になり、ヤンが書いた文字を火が舐め取り消してゆく。煙が上がり、それに時々むせながら、ヤンは静かに、ノートの火葬を見守っていた。
 真空の頭の中に、重い静けさが満ちて来る。穴を掘るまで確かにあった、爽やかさに似た何かは消え失せ、今は落とした肩に世界すべての重みが掛かって来たように、ヤンはもうここから二度と立ち上がれないような気がしていた。
 ヤンの視界は、煙の白さと灰の黒さに覆われ、他の色は何も見えない。ただ、自分を見つめていたラップの瞳の色と、ラップが見つめていたジェシカの瞳の色と、そのふた色だけを見分けて、ヤンは突然こみ上げて来た嗚咽に耐え切れずに、燃え続けているノートへ向かって、自分にだけ聞こえる声を放つ。
 「ラップ・・・。」
 人は簡単に消えてしまうって、言ったじゃないか。
 ヤンは膝を胸元に引き寄せ、そこに顔を埋めた。今は、抱き寄せてくれる誰も思い浮かべられずに、肩を震わせてヤンは泣いた。
 ひとりで泣きたくなくて、人はひとりぼっちになるのが怖いのかもしれないと思ったけれど、いつも泣く時はひとりぼっちの自分は、きっとひとりが運命なのだとも思う。
 ノートが全部真っ黒になるまで、ヤンはそこに坐り続け、濡れた頬を拭いもせずに無表情に戻ると、穴の中へ丁寧にバケツの水を掛けて、始めた時とは真逆の鈍重な動きで、掘った土で穴を埋めた。
 長い長い空っぽの夏が、今始まったばかりだった。

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