* コプヤンさんには「届きそうで届かない何かがあった」で始まり、「だから、もう少しだけ」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字)以上でお願いします。
君の紅茶
届きそうで届かない何かがあった。もう少しなのにな、とヤンは思う。何かと言うのが分からないのに、もう少しで届くと、そう確かに思う。困ったなあと、届かない手を引き戻して、あちこち跳ねる髪をかき混ぜた。何かもやもやと、胸の辺りにわだかまるものを、何と判別できずにヤンは少し苛立った。
朝目覚めてから、何かが足りないと心のどこかがざわめき続けていて、何だろうそれは一体何だろうと考え続けて、もう少しで答えに届きそうなのに、それは濃い霧の向こうにいるままだ。
何だろう、とまたヤンは考える。
ユリアンの紅茶は、いつもと変わらず美味かった。目覚めが悪いのはいつのことだから関係ない。十分寝たはずなのに疲れが取れないのもいつものことだ。
紅茶を飲みながら、美味いと思いながら、これで仕事になぞ行かずにすめば最高なのにと、考えていたのも毎朝のことだ。
そうだ、美味い紅茶を飲みながら、読み掛けの本を開いて、仕事のことなぞ考えずに過ごす1日。目覚める前に見ていた夢はそんなものではなかったか。空になった紅茶のカップを下げながら、お代わりはいかがですかと訊いたのは、けれどあれはユリアンではなかった。
わたしなんかに紅茶を淹れてくれるのはユリアンくらいだ。他に一体誰が──。
そこまで考えてから、自分に紅茶を淹れるのを厭わないと言う意味ではなく、自分が好む紅茶を淹れてくれると、確信できる人物、と言う意味だと、ヤンは気づく。
気づいてから、はっと顔を上げた。気配を感じた通りに、足を止めたその前に、その確信できると思った、夢の中の人物がいた。
「おはようございます閣下、今日は遅刻ではないようですな。」
唇の片端だけ上げて、相変わらず朝から皮肉な言い回しがやって来る。ヤンはそれに不機嫌な表情を返せずに、代わりに、頬を赤くした。
まるで、今朝ユリアンが差し出してくれた紅茶のような、赤み。
閣下、とヤンが予想通りの反応をしないのに少し驚いてか、目の前の人物が怪訝そうにヤンを見やる。ヤンは慌てて顔を背け、
「わ──わたしだってたまには、朝ちゃんと起きるさ。」
朝見ていた夢で、すでに会っているその人物をまともには見られず、ヤンはベレー帽を押さえた腕の陰に顔を隠し、くるりと彼に背を向けた。
君の淹れてくれた紅茶が飲んでみたいと、夢の中で自分はそう言ったのだったか。
ああ、そうか。そうなのか。
あれはただの夢だ。けれど夢を思い出し反芻し、あれこれ考えるヤンは現実だ。ああそうか、とまたヤンは思った。
彼から遠ざかって行きながら、早めた足元へ落ちたベレー帽のせいで、ヤンは一度足を止めた。追っては来ない彼の足音を確かめてから、ゆっくりと拾い上げたベレー帽を頭の上に乗せる。乗せながらまた、腕の陰にまだ赤い顔を隠した。
ああ、そうか、そうなのか、自分はそうだったのか。何だと考えていたのは、このことだった。自分に足りないと思ったのは、彼だった。ああそうなのか、とヤンは赤い頬のまま思った。
シェーンコップ。
まるで噛みしめるように、口の中でだけ彼の名を呼んで、またヤンは歩き出す。
もう少し、放っておいてくれ。自分の中へ向かって、懇願するように思った。もう少し、知らん振りをさせてくれ。どうせ一方的に想って終わるなら、自覚するのはもう少し先でいい。
シェーンコップが淹れてくれた、夢の中の紅茶の香りを思い出しながら、ヤンの頬の赤みはいっそう濃くなる。
好きなのだと、知っても、辛いだけだ。行き着く先のない想いを抱え込んで、苦しむだけだ。だからもう少しだけ、紅茶の香りを楽しんでいるだけの振りをしていたい。
欲しいのは紅茶だけだ。それだけだ。だから、だから、もう少しだけ──。