シェーンコップ×ヤン

The Voice

 正面から抱き合う時に見える、シェーンコップのあごの線が、ヤンは好きだった。
 そこから伸びて耳朶へ繋がる線、指の回り切らない首、それを見ながら、揺すぶられて耐えられずに視線が外れる。外れた視線を元に戻そうとして、シェーンコップの動きにつられて体と首がねじれ、顔がよそを向く。ねじれた喉から声が切れ切れに漏れて、その声の大きさに驚くのはいつもヤン自身よりもシェーンコップの方だ。
 素直に応えて来る躯。ヤンが声を殺さなくなったのはいつからだろう。自分の声が大きいと、多分気づいてはいないのだろうとシェーンコップは思う。
 その方がいい。無反応はよりはずっといい。声がなくても、ヤンの躯はいつだって素直だったし、引き出したヤンの反応に引きずられて、最終的に負けるのはシェーンコップにせよ、それは後味の悪い敗退ではないし、銀河の半分を手に入れている男に勝とうと思うほど、シェーンコップも無駄が好きな男ではなかった。
 下でねじれるヤンの、脇腹やみぞおちの線、何か探してさまよう腕、こうやって剥き出しになって動く皮膚の陰影の眺めへ、時々シェーンコップの汗が滴り落ちてゆく。
 上から眺めて、こんな風に印象の変わる男だとは思わなかった。それほど嵩のない軍服を脱ぐと、体の嵩がいっそう減る。細いのではなく薄い、貧相な体つきの、けれど膚の照りの見事さは、剥き出しにしてみないと分からない。眺めても眺めても飽きなかった。
 触れると、そこから掌に溶けて来る。体温はいつでもシェーンコップの方が高かったけれど、それでもこんな時にはきちんと上がるヤン自身の皮膚の温度で、皮膚の下がざわめいているのが、眺めていてもよく分かる。
 躯の内側の波。寄せて、返して来て、近づいてまた遠ざかって、進んでも進んでもたどり着かないヤンの最奥を、シェーンコップはいつものように手探りで目指してゆく。あるのかないのかも分からないそこへ、ヤンに引きずり込まれながら、たどり着いてもう引き返せなくなってもいいと、いつものようにうつつに考えていた。
 ヤンの手がシェーンコップの腰の辺りへ伸びて、背中へ回って滑り上がる。そのまま腕の輪を縮めて抱きしめると、シェーンコップが体を落として来た。胸が重なると、腕を一度ほどき、今度は首へ回す。ほとんどシェーンコップを絞め殺しそうに──絞め殺そうとしているのはそこでだけはなかったと、ヤンは気づいていない──、そうやってシェーンコップを抱き寄せ、耳朶へ息が掛かるのに、ヤンはぎゅっと目を閉じて耐えた。
 自分の両脚の間で、シェーンコップが大きく動くのに、時々喉を反らして呼吸を確保して、繋がる深さに何度も何度も息が止まりそうになる。
 シェーンコップの声が、ヤンの耳元へ流れ込んで来て、意外に大きく響くその声が、普段聞くよりもずっと低く粗く、頭蓋骨と脳の間のわずかな隙間を埋めるように滑り込むと、決してなめらかではない感触で、ヤンの内側を激しくこすり上げて来た。
 皮膚の裏側、内臓の内側、脳の表面、ヤンの、あらゆる部分へ入り込んで、ヤンを包み込みに掛かるシェーンコップの、抗いようもない熱。内側すべてが白っぽく溶け、何もかもが、ヤンの姿さえもう保ちもせずに、シェーンコップへ絡みついてゆく。
 ヤンの首筋を噛んで、シェーンコップが体を浮かせた。ヤンの腕はシェーンコップの腕へ触れながら滑り落ちて、自分を見つめるシェーンコップの灰褐色の瞳に出会うと、ヤンは無意識に淡く笑みを刷いて、後は一瞬も外さずに、その目へ見入る。
 潤みの中で瞳が揺れ、ヤンは開きっ放しで痛み始めた両脚の、けれどそれよりもずっと強い痛みが、今は皮膚の奥の、ほとんど骨に達しそうな深さで引き伸ばされて薄められ、脳のどこかでその苦痛が別のものへ変換されるのに、また喉を裂くように叫んで応えた。
 シェーンコップも上で吠える。その唇へ向かって、ヤンは両手を伸ばした。喉からあごを包み、頬へ指先を伸ばすと、親指だけが唇へ残って、それを強引にシェーンコップの半開きの歯列へ割り込ませると、シェーンコップがヤンの指を噛み、それから舐めた。
 濡れた、柔らかい唇と舌が、ヤンの指に絡む。舌へ乗せ、押し、喉の奥まで、吐き気を催すまで自分の指を全部差し入れてやりたいと思ったのは、加虐ではないようだった。ただ、皮膚の上からは分からない躯の熱の、その根源の一端へ触れたいと言う、ヤンの気持ちの現れだった。
 ヤンを満たし切って、今にもあふれそうなシェーンコップの熱と、それへ絡んで、ヤンは別の熱を生み出し加えて、それはもう加算ではなく乗算ですらなく、ただひとつの結果になって、ヤンとシェーンコップは、どこまでも互いであり自分であり、そしてもう自分ではないものになっている。
 誰だろうと、ヤンが自問するのは自分に対してのような、シェーンコップに対してのような、呼び掛ける名前すら不要になるそんな感覚の中で、それでもシェーンコップが切れ切れにヤンを呼ぶ低めた声が、ヤンをまだ人の存在にとどめていた。
 肺に取り込む酸素と、吐き出す二酸化炭素と、そんなものよりももっと小さく、無意味な存在になりながら、意味があるのは互いに対してだけでいいのだと、シェーンコップの声を聞きながらヤンは思った。
 誰かを求めることで、自分の輪郭が世界の中ではっきりと浮き上がる。空気の中に溶け込み、背景と一体化していた自分に、誰かが自分を求めて呼ぶ名前と言う、色と奥行きを与えられ、ああそうか、わたしはわたしなのだと、そう自覚する。わたしの求める誰か、誰かの求めるわたし、貴方を求める私、私が求める貴方、そうやってふたりは、互いの輪郭へ色を与え、今その輪郭は色も線も混然とひとつになって、握り合った手と指の、そのわずかな色の違いが、薄闇の中でかすかにふたりの隔てを示しているだけだ。
 シェーンコップがヤンを抱き込み、ヤンはシェーンコップの頭を抱え込んで、柔らかな、瞳よりは色の濃い髪へ指先すべてを差し入れて、躯の奥で弾けた熱の衝撃に耐えながら、最後にもう一度、シェーンコップを呼んで叫んだ。
 天井へ届いて跳ね、床のどこかへ降り落ちたその声の響きが消えると、今度はささやくようにシェーンコップがヤンを繰り返し呼び、応えてまたシェーンコップの髪を撫でながら、ヤンはシェーンコップを自分の方へ引き寄せた。
 開いた唇と、差し出した舌。呼び掛ける声は互いの舌の上で重なって、喉の奥へ飲み込まれてゆく。声の響きだけが、舌を慄わせて、音が甘いのだとそうやって知るふたりは、その慄えをいつまでも止めようとはしなかった。

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