シェーンコップ×ヤン、それからリンツ。

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 視線を追った先に、司令官が見え、ああまたこの人はあの人を見ているのだと思った。
 横顔を見せて見つめる先の、寝起きには一体どんなことになっているのかと思う、乱れを隠さない黒髪。あれをきちんと撫でつけて、きれいに調えたいと思うのはきっとリンツだけではないのだろう。
 「黒ではなくて、蒼ですねあれは。」
 傍らでリンツがぼそりと言うと、灰褐色の瞳がじろりと動いて、何のことだとそれだけで訊いて来る。
 「下地に青を塗って、それから黒を重ねたら、多分あんな色になります。絵の具がもったなくてできませんがね、今は。」
 きちんと色を塗った絵は保存が大変だ。色鉛筆も、気に入った色ばかりが減って、好きに補充もできない環境では結局線画のスケッチブックばかりがたまってゆく。
 黒髪の司令官が、一緒にいるアッテンボローと一緒に声を上げて笑う。それにつられたように、目の前の上官の唇の端もかすかに上がった。
 「どうして俺にそんなことを言う──?」
 「別に。自分が色と線のことばかり考えていると、他人もそうかと思うだけです。」
 リンツが、自身の見掛けと同じくらい色のない調子で答える。
 あの黒髪は、平面では表し切れないと、見るたびリンツは思う。奥行きの深い、底なしの昏(くら)さ。ただ塗っただけでは絶対に表せるはずもない、あの色味の不思議さ。あの人に限って特に気を使っているとも思えないのに、そういうものなのかどうか、奇妙につややかで、実際に触れてみたいと思わずにいられない。
 目の前の上官は、あの髪を指先に取ったことがあるだろうかと、訊いてみたいとリンツは何度か考えたことをまた思う。実際の手触りを知れば、描く時に様々なことが違って来る。知ることが良いことかどうかは、リンツには分からなかったけれど。
 彼の髪も瞳も、書類には黒か濃い茶と記されているに違いない。実際にはそのどちらとも違う色を、リンツは見掛けるたびに心の中のスケッチブックに描き表そうとするのに、まだうまく行ったことはない。
 この人の目で見たら、描けるのかもしれない。
 もっと別のものを、この上官の目を通して見たいと思ったこともあった。
 彼の見ている世界に加わった色のことを、リンツ以外の誰かも気づいているだろうか。その色自身の黒髪の司令官は、見つめられている視線の強さにも一向に気づいている風もない。
 イゼルローンに来る以前に盗み見で描いた美丈夫の上官の素描を、今頭の中で描き取っている彼と比べたら、きっと目が違うとリンツは思った。強いばかりの光を放っていた瞳に、今は何か別のものが加わって、それを何とはっきりとは捉えることもできず、だから自分は永遠に下手の横好きなのだろうと、自然に指先が鉛筆を持つ形になっていることに、リンツ自身は気づかない。
 司令官が、そばかすの提督と一緒に去ってゆく。その背を見送って、上官がリンツに行くぞとあごを振る。左側に並んでちらりと上官の横顔を見て、透明な瞳へ一瞬目を凝らした。
 あの黒髪がこの瞳に映ったら、一体どんな色になるのかと、頭の中で絵の具を出しながら思うのはもう反射のようなものだ。
 凶々しい黒と、凶暴な獣の毛色。不吉な構図しか思い浮かばないのに、リンツはなぜか胸の辺りにほのあたたかいものを感じて、直線ばかりの目立つ横顔におぼろな笑みを浮かべた。

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