日向の温度
くるくるベレー帽を指先に回しながら、仕事をさぼると言うのはどうしてこんなに楽しいのだろうと、キャゼルヌが聞いたらその場で宇宙に生身で放り出されそうなことをヤンは考えている。上機嫌を振りまきながら、執務室に戻る足取りはまだ軽く、ドアが見える辺りへ来れば途端に背中におもりでも載せられたようになるのだろうけれど、今はまだ口笛でも出そうに、ヤンは軽々通路を進んでいた。
「これはこれは、今日はご機嫌うるわしく。」
低い艶のある声が、ヤンの足取りに合わせて、歌うように前方から飛んで来た。
ヤンが、どこにいてもその場の壁に溶け込んでいないも同然の存在になるのとは対照的に、この男は千人人が集まる場でも、まるで輪郭に光でも注ぎ込んだように華やかに目立つ。長身のせいか、まろやかな殺気とでも言いたいような、どこか鋭い目つきとまとう空気のせいか。
ヤンは足を止めて、彼が自分に近づいて来るのを待った。ベレー帽はまだ、指先でくるくる回っている。
「君に会うと、今が仕事中だってことをいやでも思い出すよ、シェーンコップ少将。」
上機嫌の端が少し折れて、ヤンの声が低まった。
「残念ながら、階級が上がれば上がるだけ私的な時間が縁遠くなりますな、司令官閣下。」
見掛けによらず勤勉さはきちんと持ち合わせているこの部下は、上官の前と言うのにポケットに両手を差し入れたまま、もちろん敬礼なぞする気配もない。
その方がありがたいと思いながら、ヤンは指先にぶら下がったベレー帽を、そろそろかぶって仕事のモードに切り替えるかと、たった今まで上がっていた口辺を下げる。
「思索のベンチで日向ぼっこでしたか。」
言いながら、突然シェーンコップがヤンの頭に掌を乗せた。
「え、何だい。」
「髪が、あたたかいので。」
ヤンといる時は、なぜか距離の近いシェーンコップは、場合によっては上官侮辱罪と喚かれそうな狎れ狎れしい仕草で、そのあたたかいと言うヤンの髪を撫でる。
思索のベンチにいたのは事実だ。そして、風のないあたたかい日差しを、存分に浴びていたのも事実だった。
色の濃いヤンの髪は、日向の熱を集めて、ベンチを離れてもすぐにはぬるみもせず、シェーンコップは奇妙に気持ち良さそうに目を細めて、ぬくぬくと掌にそのぬくみを味わっている。
子どもじゃあるまいし、としばらく経ってからやっと思いついて、ヤンは軽く肩をすくめてシェーンコップの手から逃れようとした。
年上の部下は、苦笑を刷いてやっと手を引くと、失礼しましたと口先だけで無礼──と思っているはずもない──を詫びる。
「たまには、その明晰な脳を、日向で休ませるのもいいでしょう。」
ふと穏やかに言うのに、ヤンは唇を尖らせて、
「どうせ首から下は役立たずだ。脳ミソだけホルマリン漬けにして、残りは宇宙に放り出したくなるね。」
本来は、キャゼルヌ辺りへ向かって吐きたい毒を、今は目の前のシェーンコップへ向かってぶつける。そんなヤンへ視線を当てたまま、シェーンコップがわずかに頭を傾ける。そうやって、ヤンと目線の高さをさり気なく合わせてから、
「私にとっては、貴方の首から上も首から下も、どちらも大切ですがね。」
ひと呼吸分、シェーンコップは黙ってヤンを見つめ、それから、ではと軽く手を振って傍を通り抜けてゆく。
遠ざかる足音を振り向かずに聞いて、ヤンは、昔父親があんな風に頭を撫でてくれたことをなぜか思い出していた。
顔だけは知っている士官が、ヤンへ向かって敬礼しながら通り過ぎる。敬礼を返す素振りで、手の中にずっと握りしめていたベレー帽を、さっきシェーンコップが掌を乗せた辺りへ乗せ、位置を定めている風に見せ掛けながら、上げた腕の陰に、なぜか赤らむ頬を隠す。
触れた自分の髪が確かにまだあたたかく、それ以上に、ヤンの頬が今熱い。