DNTシェーンコップ×ヤン、6/1 in ヴァルハラ
* コプヤンさんには「午後は眠気との戦いだ」で始まり、「それだけで充分」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば5ツイート(700字)以上でお願いします。

Wishing you...

 午後は眠気との戦いだ。ヤンは読んでいた本を胸に伏せて、ちょっと起き上がって紅茶を淹れようかどうか、まどろむように考える。
 このまま眠ってしまったら、夕方に目が覚めて夜眠れなくなってしまう。そうなったら、またシェーンコップに怒られる。ヤンはそう考えて、ちょっと唇を尖らせた。
 そのシェーンコップは、今はここにはいず、一体どこにいることやら、ヤンがせっかく淹れた朝のコーヒーも手つかずのままだった。
 コーヒーとは言っても、紅茶ひと筋のヤンのやることだから、粉に湯を注ぐだけのインスタントだから、シェーンコップが飲みたがらないのも無理はない。
 昼にも姿を見せなかったから、結局朝のコーヒーを淹れて出したきり、シェーンコップのためのそのカップはテーブルに放ってある。
 あれも片付けなきゃなあ、ヤンはぼんやり思う。
 明日の朝はどうしようか。シェーンコップは何か食べるだろうか。夕食までには姿を現すか。いや無理だろう。まだ時間が掛かるに決まっている。
 今日はひとりで夕食を済ませた後、再び本を読みながら飲む酒を、シェーンコップのためにも出しておくかとだけ決めた。
 まったく君と来たら、どこで何をしてることやら。
 あまり遅いと、怪我でもしたか、何かトラブルでもあったかと、心配ばかりが募る。容易に連絡は取れないのだし、気をつけて欲しいなと、まるで目の前にいるように、ヤンはシェーンコップに話し掛けていた。
 まったく、褒めて欲しいな、皿を割らずに食器すら洗えないわたしが、君のために、昨日の朝はパンを焼き、バターを塗り、卵を何とか焼いて、ベーコンまでつけて、デザートにと果物まで出したと言うのに。
 今朝は、そのコーヒーだけを淹れ直したのだ。
 きっと君はいない。だからわたしは、あのテーブルを片付けるべきなんだろう。
 何もかも出したままの、手付かずの料理。卵は黄身が、シェーンコップの好みにしてはきっと固過ぎ、パンは少し焦げ過ぎだろう。塗り過ぎたバターが唇をぬるつかせて、慌てて飲んだ紅茶に、脂の輪が広がった。紅茶は渋みが強過ぎて、けれどもう淹れ直す気力など残ってはいなかった。
 君の淹れてくれた紅茶が飲みたいなあ。
 これから立ち上がり、紅茶が欲しいなら自分の手で淹れなければならないヤンは、まるで不在のシェーンコップに当てつけるように、今日は紅茶は我慢してやると、突然唇を尖らせて再び本を取り上げた。
 すっかり冷め切った、2日前の朝食。ぎらついた油の照りももう失せ、あたため直してももう食べたいとは思わない。それでも、シェーンコップならきっと、せっかくあなたが作って下さったのですからと、あの腹の立つほど爽やかな笑みを浮かべて、冷え切った、ヤンの不味い料理に、もう一度火を通しに立つのだろう。
 読もうとした本のページに指を差し入れ、ヤンはやっと現実に戻る。
 嘘だよ、ごめん、シェーンコップ。今日だけじゃない、君の淹れた紅茶を、わたしはずっと我慢するよ。何年でも何十年でも。その間にきっと、わたしの料理の腕も少しはましになるだろう。コーヒーだって上手く淹れられるようになってるかもしれない。君の好みに目玉焼きを焼けるように、練習しておくよ。約束するよ。
 だから、とヤンは続けて考える。
 まるで君がここに、わたしと一緒にいるみたいに振る舞うわたしの愚かさを、許して欲しい。決して現実の君を、ここに一刻も早く呼び寄せようなんて、思いはしないから──。
 ひとりには慣れていたはずだった。読書と紅茶の合間に、気が向けば何か腹に入れ、必要ならシャワーを浴びて眠り、そんな風に自堕落に過ごして来たヤンを、すっかりふたりに慣れさせてしまった、あの男。
 ヤンの舌を、丁寧に淹れた紅茶で散々甘やかし、ヤンが読み終わった本を拾い上げて、本棚の元の位置に戻し、夜にはあたたかな眠りに誘いにやって来る。読書と同じくらい、闇の中でも楽しい時間を過ごせるのだとヤンに教えてくれた、あの男。
 本を読むようにヤンを開いて読み、そして終わればそっと閉じて横たえてくれる。ヤンが本を扱う同じやり方で、ヤンを扱う、あの男。
 君に会いたいと思うことを、許してくれシェーンコップ。思うだけなら、それだけなら──。
 ヤンはやっと起き上がり、本をそこへ置いた。
 テーブルを片付けようとやっと決心して動き出して、それでもまた数日すれば、こんな風に自分とシェーンコップとふたり分の食事を用意してしまい、また同じように後悔するのだと、苦く予感する。
 紅茶の苦みでそれを洗い流すために、ここを片付けたら新しい紅茶を淹れようとヤンは決めた。
 作った──不味い──料理をゴミ箱に捨て、汚れた皿をシンクに置く途中、ヤンはふと足音を聞いた気がした。
 やって来て以来、自分以外の人影など見たこともないここへ、わざわざ訪れる誰がいるとも思えず、それを空耳と思ったヤンは続けて皿洗いに掛かろうとした。
 そして今度ははっきりと、その足音を聞いた。歩幅の広い、ゆったりとした歩き方。体重を感じさせない軽やかさの、けれど時の重みを感じさせる、その気配。
 ヤンは手にしていた皿をがしゃんとそこへ放り投げ、玄関へ走った。
 もうずいぶんとそんな風に激しく急に動いたこともなかったから、手足のてんでばらばらに、互いに絡みそうになるのに閉口しながら、それでも何とか転ばずにドアにたどり着き、ヤンは待たずにそれを開いた。
 軽く見上げる男の、灰褐色の瞳と同じ色の髪、形のいい唇が、ヤンを見てゆっくりと微笑みの形に広がり、優雅に開いて、動いた。
 「申し訳ありません提督、ブランデーをお持ちする暇がありませんで──」
 腕と背中を伸ばし、ヤンは男にしがみついた。
 ブランデーなんかいらない。紅茶も、今はなくてもいい。我慢すると、そう言ったのに。君はまだ、もう百年はここには来ないはずだったじゃないか。
 ここでは思うことがすべて伝わるものなのかどうか、ヤンを長い腕の中に抱き返して、男はさらに深く微笑む。
 「あなたがいないと、退屈過ぎましてね。それに、あなたもきっと、美味い紅茶を飲みたいと思っているに違いないと思いましたので。」
 紅茶ではない。ブランデーではない。そんなものではない。
 明日の朝にはこの男がまた幻のようにかき消えてしまうのを恐れるように、ヤンは男の体に巻いた腕の輪を縮め、思うこと、言うこととは裏腹に、どこにも行くなと全身が告げている。
 会いたかったと、ぱくぱくと唇だけが動く。
 汚れた皿を洗って、それから紅茶とコーヒーを淹れよう。インスタントで申し訳ないと思いながら、この男はきっと、美味くはないそのコーヒーを笑って飲んでくれるだろうと思った。
 シェーンコップ、とやっと絞り出したヤンの声に、ヤンを呼び返した声が確かにそこにあった。
 ブランデーなんかいらない、それだけで充分だ。わたしが欲しいのは、もうずっと──。

戻る