RR視点、シェーンコップ×女性ヤン

魔女のまじない (番外編)

 式もやらないし、特別なことは何もしないと言う上官ふたりの結婚祝いに、ローゼンリッターからは酒の詰め合わせと言うまったく変わり映えのしない──けれど魔女ことヤンがいちばん喜んだ──贈り物を済ませて、そうしてニュースの直後の熱狂は落ち着いたものの、やはり浮かれた様子の隠せないシェーンコップへ、隊員たちは戸惑いをまだ消せずにいる。
 結婚てそんなにいいものか。
 その手のものからいちばん縁遠いと思われていたふたりがくっついたのだから、成り立ちに様々噂はつきまとうのは避けようもない。シェーンコップ自身は何とでも言えと言ういつもの不遜の態度、ヤンは馬耳東風と言った風に、このくらいの神経の太さがあっての指揮官と言う立場なのかもと、ローゼンリッター現連隊長のリンツは、自分は案外繊細な人間だからなと、言っても誰も信じてはくれないことを、胸の中でひとりごちる。
 ざわめきが、ひそかに部隊の中をさざめかせ、恋人にプロポーズするタイミングを窺っていたり、やっと真剣に恋人を作る気になったり、シェーンコップとヤンが結婚したのなら、ローゼンリッターも安泰と思って間違いないと皆思うせいかどうか──リンツも、実は真っ先にそれを思った──、やっと己れの人生に安定と言うものを見出だせるのだと言う歓喜が、ゆっくりと部隊の中を満たしているのがはっきりと分かる。
 安定イコール結婚と言うのも安直ではあるけれど、命だけの話ではなく、明日も知れない身では、伴侶どころか恋人を作るのさえためらわれるのは仕方がない。シェーンコップとヤンによって生み出されたローゼンリッターと言う立場の安定は、ふたりの結婚によってほぼ永続を約束されたと、隊員たちが期待するのは無理からぬ話ではあった。
 そしてそんな喜びの空気の中、浮かない顔をしたブルームハルトが、やっと自分が何となく鬱ぎ込んでいる理由を掴めたものかどうか、その景気の悪いツラを下げてリンツのところへやって来て、先輩、と情けない声で訊く。
 「閣下がずっと提督のことを好きだったって、なんでオレ気づかなかったんですかね。」
 結婚のニュースを聞いた時に、リンツは平然とそうかとうなずき、自分は驚きでうろたえた恥ずかしさが忘れられないらしく、悄然とリンツの前に腰を下ろして、シェーンコップの直近の部下として、シェーンコップのことなら何でも知っていると思っていた自分の浅はかさが今も許せないようだった。
 「他人のプライバシーにうるさく首を突っ込まない分、自分も突っ込ませない人だからな。何もかもオレたちに打ち明けなきゃならんわけでもないだろう。」
 それはそうですけど、とブルームハルトがまだ納得できない顔で唇を突き出す。
 ちょっと気になる誰かがいると言うのと、夜も眠れないほど誰かに恋い焦がれると言うのは、まったく話が違う。前者なら、酒の肴にもできるけれど、後者をそう気安く口にはしにくいのは当然だ。結婚まではと言い暮らすブルームハルトは、それが守れる程度に、まだ誰かに対して、死んだ方がましと思うような恋を感じた経験がないのかもしれない。
 自分だって、体中の血液を搾り取られたような気持ちになったことくらいはあると、コーヒーの手元へ視線を移して、リンツは考える。誰にも言ったことはない。シェーンコップには気づかれていたかもしれない。けれどその時隊長だったシェーンコップは、それについてリンツに何か問おうとはしなかった。今もそのシェーンコップの態度に、リンツは深く感謝している。
 「なんで先輩、閣下が、結婚するほど本気だって知ってたんですか。」
 またその話か、とリンツはちょっとうんざりした。
 恋をするのと、結婚を決めるのはまた別の話だ。シェーンコップが、ヤンと結婚へ踏み切ったきっかけまでは知らない。ヤンがそれにYesと答えた理由も、気軽に訊けるような立場ではない。ふたりにはふたりにしか分からないことがあるのだと、踏み込まないでいることができないのは、ブルームハルトの稚さかもしれなかった。
 いつまで経っても弟分の顔の変わらない副連隊長に、リンツは、これも長い間変わらない兄貴分の顔つきで、
 「あの人は、自分からは女に近づかないし、触らないんだ。」
 え、とブルームハルトが、そうすると余計に幼く見える仕草で、濃い茶色の瞳を見開いた。まつ毛の長さが際立って、そんなはずもないのに、少女めいた線が目元に走る。
 「黙って立ってりゃ、女の方から寄って来る。それでも滅多と腕の長さ以下には近づかせない。それ以上寄って来ても、自分からは触らない。女が触れてから、やっと肩に腕が回る。そうなったら、ああ今夜の相手はこの女(ひと)か、ってな。」
 「・・・寄って来る女(ひと)全員かと思ってました・・・。」
 ブルームハルトが呆然とつぶやく。
 「そんなわけあるか。まあ、そういう風に見せてたところはあるがな。イゼルローンに来てからは、女が寄って来ると絶対ポケットに両手を入れてたの、気づかなかったのかおまえ。」
 そうでない時は、片手に酒かコーヒー、もう一方の手はリンツの肩へ回して、男同士の話に忙しいと言う振りをした。そうして、滅多と他の女には差し出さない手を、ヤンに向かってはそうしていない時がない風に、触れはしなくても肩の近くへ伸ばし、支えるように背中に添え、女に手を取られれば拒みはしなくても、指を絡め返すことなどせず、そのシェーンコップが、他意はない仕草で、しきりにヤンの指先をつまみ取っては何か言う、ヤンの方はそれが何かと言う気のない素振りで、今目の前にいるブルームハルト以上のヤンの鈍感さに、リンツの方がちょっとやきもきしたことすらあった。
 一体ほんとうに、どうやってYesと言わせたんですか。
 今ブルームハルトの相手をしながら、リンツは考える。好きだの愛してるだの、言ったところで真っ直ぐ受け止めるとも思えないあのヤンに、結婚しようと言ってYesとうなずかせたシェーンコップの、その手管は一体何だったのか。
 未来の自分の役に立つかもしれないから、いつか訊こうと決めながら、あの魔女に、シェーンコップが使ったのは一体どんな魔法だったのかと、その惚れ薬の調合方法を訊いておかなければと、半ばは本気で考えていた。
 正確に、ヤンのどこにシェーンコップが魅かれたのかは、リンツには分からない。
 正体不明の少年めいて、命令する時だけきちんと増す威圧感を除けば、ローゼンリッターの隊員たちに紛れれば頭の先も見えない、まるで野犬の群れに迷い込んだひよこだ。けれど必要な時には、あの宇宙色の瞳を底なしにして、こちらを何とも名状しがたい気分にさせる。ああ、確かに魔女だと、リンツも何度か思った。
 ローゼンリッターなら間違いなく素手で殺せるこの小柄な女性は、けれどそうしていいけど後で知らないよと、何かほんとうにそんな不思議な力が存在するのだと信じさせる力を持っている。呪いの類い、魔術の類い、手のひと振りで、そうして呪術を成就させる。魔女のまじないに、シェーンコップは引きずり込まれたのか。その幸せなまじないに、虜になって、彼のちょっと浮き立つ足取りは周囲に伝播して、他の誰かも踊り出しそうになっている。
 ああ、確かに魔女の力だと、リンツは思う。
 惚れると言うのは、別に相手がいかにも美男美女であるとか、誰にも分かるほど魅力的であるとか、そんなことと必ずしも関係があるとは限らない。絵を描いて、表面に見える美だけが美ではないと思い知っているリンツは、シェーンコップの読み取るヤンの素晴らしさを理解することができはしなくても、何かあるには違いないと感じることはできる。
 リンツなら恐ろしくて触れられない、そんなことなど考えもしない、ヤンのあの頭の中、あるいはもっと直接に魂の中に、シェーンコップは触れられるだけの力があるのかもしれない。シェーンコップだからこそ、そんなことが可能なのかもしれない。ヤンがそれを許すのが、シェーンコップなのかもしれない。
 女たちは、機会さえあればシェーンコップに近づいて、彼に触れようとする。シェーンコップが触れ返すかどうかは、時の運と彼の気まぐれだ。誰も近づけない、誰にも触れさせないヤンへ、シェーンコップは近づき、触れた。ヤンはそれを許した。結局のところ、ただそれだけのことなのかもしれない。
 あのふたりはもう、触れるのは互いだけだと思い決めて、今ではシェーンコップは、このために自分の腕はあるのだと言わんばかりに、ヤンの肩や腰や首に触れて、そのシェーンコップを見上げるヤンの瞳の、黒々とした深みは、あれはもう紙の上に描き出せる色合いではないと、リンツは思う。
 どうかお幸せに。半ば揶揄するように、リンツはひとりごちて、目の前のブルームハルトの髪へ手を伸ばし、ごしごし撫でてやった。
 「何ですか、ガキ扱いはやめて下さいよ。」
 むっとして言い返して来る瞳の色の浅さが、まだ恋を知らない少年のそれであることへ、リンツは安堵とも軽い失望とも見極めのつかない気持ちを抱いて、おまえにも魔女のまじないが必要かもなと、リンツはにやっと笑って見せる。
 いつか大切な人に出逢えるまで、シェーンコップのように、踊るような足取りで走り出したい気持ちになれるまで、生き延びなければと、リンツは思った。

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