Medicine Man
Philが、服を脱いでベッドに入って来るJerryを、目を細めて眺めている。Philはもう、とっくに裸で、腰から下をシーツで覆い、時々爪を弾く指先に視線を移す以外は、ずっとJerryだけを見ていた。
もう、真夜中だ。闇に慣れてしまった目には、明かりはなくても互いの輪郭はきちんと映る
Philの隣に裸で滑り込むと、Philが、Jerryの首の下に腕を差し込んで来る。硬いその腕は、皮膚の下の筋肉の形を、はっきりとJerryのうなじに伝えて来る。
顔を横に向け、間近で、Philと向き合った。
「ヒゲ、伸びたな。」
Philが、もう一方の腕を伸ばして、Jerryの頬と顎を撫でる。
瞳を閉じた時に、Philの両腕が、素早くJerryを抱き寄せ、自分の上に持ち上げるように、Jerryを抱え込む。
上体を反らすと、余計に足が絡んだ。
まだ繋がらないまま、Philがふと体をずらす。Jerryは、思わず声を立てた。
「今日は、ずっとこんなだったんだぜ。」
「知ってるよ。」
髪をかき上げ、Jerryは鼻先で笑って見せた。
人目がなければ、その場で押し倒されていたかもしれない。Jerryにだけわかる、Philの体温の変化を見ただけで悟り、何事かとJerryは思った。
あいさつもそこそこに物陰に引きずり込まれ、危うい接吻を奪われた時には、もうPhilはとっくに昂ぶっていた。
見つかったら大騒ぎだ。まるで、他人にこうして触れることを学んだばかりの少年のようなPhilを、苛立ちを含めて押し返しながら、Jerryは言った。
よくあるこった、そう言ったの、おまえだろ。今さら誰も驚きゃしねえ。性急に、Jerryの肌に触れようとするPhilに、Jerryは素っ気なく返した。まだ、友達失くしたくない。
おまえ、俺よりDarrellの方が大事なのか。まるで見当違いの反応に、Jerryは思わず吹き出した。何か言い返そうとして、悲しいほど真剣な、Philの視線に会う。
それを眺め続けるのが辛くて、Jerryは瞳を閉じてPhilの首に腕を回し、自分から唇を開いた。
来れば、こうなることはわかっていた。一度限りのことにしたかったのは、Jerryの方だけで、相手もそうだと思い込むのは、単なるJerryの、個人的希望に過ぎない
また、別の罠にかかってしまった事実を、Jerryは自嘲とともに受け入れていた。
Philと、キスをする。
10代の初めのような、ぎこちない接吻は、ますますPhilをかき立てる。体でも顔でも本能でもなく、剥き出しになった魂に魅かれてしまったら、傷つくことと知ってはいても、手を伸ばさずにはいられない。
事故的に始まってしまうことは、よくある。Jerryは、少なくとも、望まなかった。ただ、受け入れてしまっただけだった。求めたのはPhilで、そしてそれは、あっさりと受け入れられてしまった。
Philの奥底に、ゆるやかにくすぶっていた炎に、油を注いだのはJerryだった。
そうと、自覚はなかった。流されるままに躯を伸ばし、開き、歪め、やがては去ってしまう獣の激情の時間を、おとなしくやり過ごそうとしていただけだった。
復讐なのかもしれない、とJerryは唐突に思う。
自分を所有し、思うままに扱う、あの、天使の容貌をした悪魔に対する、ささやかな報復なのかもしれない。
切り裂かれ、何度も殺される。甦ると、また押し潰されながら殺されてゆく。じわじわと、真綿で首を絞めるように、苦痛はできるだけ長く、快楽はなるべく短く、Jerryを喰い散らし、骨をしゃぶる。
Jerryの、肉と骨と血管と、筋肉と内臓と器官のすべてを、彼は所有する。傲岸不遜な主人は、Jerryを貶めることにだけに熱中する。
所有されてはいない。人をひとり、完全に縛りつけるのは不可能だと、秘かに嘲笑ってやりたかったのかもしれない。
Philが、Jerryの耳を噛んだ。声が、漏れた。
舌先でJerryのピアスを転がしながら、かちかちと歯も当ててもみる。
じわりと、背骨の奥に熱が滲んだ。また、声が漏れる。さっきよりも、幾分甘く。
普段は髪の奥に隠れた、やや大ぶりの、耳。上の部分が少し尖り、肉付きは、薄い。奇妙な形をした、その流線のすみずみと凹凸を、Philは、くまなくなぞってゆく。裏も表も、すべて。
Jerryの髪をすっかりかき上げ、まるで味わうように、Philはそこから動かない。
Jerryはもう、声を隠さない。背骨が、下から痺れてくる。肩先を震わせてから、JerryはPhilの胸に爪を立てた。
Layneが残した痕は、ようやく消えたばかりだ。歯形と、鬱血と、爪の跡と、縛られてこすれた傷と、いつも、消えるのに1週間はかかる。
酷薄に、Layneは笑う。目の焦点を飛ばしたまま、Jerryを踏みつけ、歪め、押し開き、侵入する。内臓の裏側まで晒すような、そんな目に遭わせながら、Layneは笑い続ける。
Layneは甘い声で囁き、Jerryをそそのかすように、促す。誘い込み、貶め、泥の中を這い回らせ、哀願させる。
Philは、Jerryの掌に唇を滑らせた後、それに自分の掌を重ね、躯の位置を素早く入れ換えた。
沼の底に沈んでゆく。ゆっくりと、確実に。盲いた魚のように、行き着く先もわからず、ただ、漂いに身を任せ、ひんやりと冷たい、泥の底に身を横たえるために、沈んでゆく。
Jerryを傷つけないために---Philは、Jerryに嫌われることを恐怖している---、ゆっくりと、そっと躯を繋げてゆく。
舌の上に残る、Layneの苦さを思い出した。犬のように鼻を鳴らし、舌を伸ばした。その舌先を、Layneが噛んだ。
Layneが好むやり方は、もうすっかり覚えてしまっている。手を使うことができなくても、Jerryは、舌と唇だけでうまくそれをやれる。とても、うまく。
ハニー、そのうち、客でも取らしてやるよ。みんな喜ぶぜ、おまえの舌は最高だってな。全部見ててやる。おまえが、他の奴のをしゃぶるのも、他の奴に突っ込まれてるのも、みんな見ててやる。なあ、ハニー、終わったら、今度は俺の番だ。おまえもう、俺じゃなきゃイカねえもんな。そうだろ? 勝手に他のヤツのでイったら、お仕置きだ。縛って腐らせて、一生使いモンにならなくしてやるよ。うれしいか? 俺だけだ、俺が突っ込んで、イカせてやる。
皮膚の内側が、粟立つような、ぞっとするほど甘い声で、Layneは囁いた。愛を囁かれていると勘違いしそうなほど、甘やかな声。悪魔は、あんな声で、人を誘うのかもしれない。
Jerryは、息を飲んだ。Philの、筋肉のうねりが、躯の内側から押し寄せる。痛みも快感も、限度を越えれば違いはなくなる。同じ質量と質感で、Jerryを包み込みにくる。沼の底が、近い。
Jerryを置き去りにして、Philだけがそこへ辿り着いてしまうだろうことを、Jerryは知っている。
Jerryは決して、そこへは辿り着けない。Layneだけが、あの、灰色の瞳の悪魔だけが、Jerryをそこへ導ける。
Philが伸ばしてきた手を、Jerryは静かに拒絶した。怪訝そうなPhilの表情に気付かない振りをして、Jerryは、Philの首に腕を回し、唇を合わせた。
躯を浮かせ、Philの胸に、自分の胸を沿わせる。
Philの鼓動が、速い。
また、取り残される。夜はまだ長いから、Philは何度も魚になれる。Jerryは両瞳を閉じたまま、水辺にしゃがみこんで、ひとり夜明けを待つしかなかった。
Philの躯が、沼の底の泥の中に沈み込んでゆくのを、Jerryは無表情で見送った。
また自分の内のどこかが、擦り切れてゆくのを感じる。今夜はどこまで擦り切れるだろう。アスファルトに残る血の染みのように、乾いて消えてしまえればいいのに。
「なんで、泣くんだ・・・?」
Philが訊く。Jerryは黙って首を振り、Philの、ざらつく顎に頬をすり寄せる。
昏い虚に、涙が落ちてゆく音を、Jerryは胸の奥に聞いた。