I Know Somethin (Bout You)

 Layneはいつも、ひどい欠落感を自分に感じる。
 Layneを産んだ女の母親が、よく幼いLayneを膝に抱いて、人は、あちこち欠けたまま生まれてきて、そして自分の破片を、ひとつひとつ探しながら生きるのだと、繰り返しLayneに語りかけた。
 でもおばあちゃん、じゃあ、はへんが、ひとつもみつからなかったらどうするの?
 いつもLayneは、半ば恐怖に駆られて、そう訊いた。
 彼女は優しく微笑んで──あの頃のLayneは、彼女のその笑顔の中にだけ、希望を見出すことができた──、小さな孫の頭をなでる。
 おりこうさんのLayne、大丈夫、もういっぱい見つけてるから。おかあさん、おとうさん、両方のおじいちゃんとおばあちゃん、それから・・・そう言って彼女は、Layneを取り巻く人々を、片端から上げてゆく。
 その、Layneの破片たちは、いくつかはすでに逝き、またあるいは、Layneを拒絶し、去って行った。
 でもね、おばあちゃん、みつけても、もしなくしちゃったらどうなるの?
 幼いLayneが、その時思いつかなかった問い。すでに子どもでないLayneが、今さら疑問に思ったところで、その答えを知っているかもしれない彼女は、とうの昔に天に召されている。
 Layneは舌を打った。
 「とっとと、殺せよ。」
 薬を使うと、いつも知らずに吐き出す台詞。
 意識を拡散させ、そしてゆっくりと狭め、自身も滅多に覗かない深層をゆっくりと掘り起こすこの類いの薬は、否応なしに、Layneの自己破滅の願望を暴き出す。Layneの秘かな願望。自身に対する、憎しみ。
 できるならすべてに、自分を生かそうとする、世の中すべてに、よけいなおせっかいだと、唾を吐きかけてやりたかった。
 Layneはすべてを憎み、すべてはLayneを憎んで──いや、誰もLayneを憎まない。憎まない代わりに、愛さない。ただ無関心に、軽蔑さえせず、道の端に転がった、やせ細った犬の死体を眺める時のように、歪めた視線を一瞬投げ、そしてLayneの苦しみには何の関心も払わずに、ただ通り過ぎてゆく。
 一方通行の憎悪は、いつもLayneを傷つけた。当然の成り行きで、Layneは酒と薬を親友に選んだ。
 孤独はいつも、Layneの日常だった。
 世間がLayneの母親と呼ぶ女は、いつだってLayneを産んだ事実さえ忘れたがっていたし、数年前に、Layneと彼女を繋いでいた絆を、彼女は病気を理由に、あっさりと葬り去ってしまった。
 医者に見せられた、ドス黒い肉の塊。Layneの故郷だった、もう死んでしまった器官。その中に丸まっていた自分の姿を回想して、そしてLayneは、子宮と呼ばれていたその死んだ器官とともに、自分も葬り去られるのだと自覚した。
 周囲が自分を異端視するほどに、Layne自身にその自覚はなく、母親にはっきりと捨てられた事実が、一層Layneを不可解に混乱させた。
 何が足りない? 何がいらない?
 誰も何も言わず、ただ黙って、憐れみの視線でLayneを遠巻きにする。
 孤独が過ぎると、今度は淋しいとさえ思えなくなる。
 Layneの破片は、どこにもなかった。探す努力は、無駄に思えた。もうとっくに、Layneはひとりの人生を諦めで満たしてしまっている。
 体の奥深くを探り、肌と汗と体液を、けじめもなく混じり合わせる行為──人が愛と呼ぶそんな行為の中で、けれどLayneは、女と混じり合う感覚を持つことはなかった。
 戻れる子宮が欲しかった。自分の体を粉々にして、それが、今のLayneにとっては死を意味することであっても、女の体の中に還って、再び胎児に戻りたかった。
 けれどもう、Layneは子宮に戻れず、代わりに、自分の分身の存在によって、父親という、無用の長物に貶められることになる。
 いいかげんにしてちょうだい、子どもの始末もできないくせに女と寝るなんて10年早いわ。あたしみたいに、お腹が空っぽの女と寝ればいいでしょ。気狂いのタネなんか撒き散らさないでよ、あんたひとりでたくさんよ。
 母親だった女は、ひどく美しい女だったけれど、Layneをそうやって罵った時の彼女は、ひどく醜悪だった。
 罵られながらLayneは、彼女を犯したいと思った。そうすれば、救われるような気がした。
 ひでえ気分だ。
 Layneは頭を抱え込んだ。ちっとも良くならない。これなら、生まれて初めての、へたくそなマスターベーションの方がはるかにましだ。
 女はLayneを満たさない。そう気付いてから、Layneは手当たり次第に女と寝るのをやめた。
 何人、形にもならない自分の子ども──実の処、父親なんて知れたもんじゃんねえ、とLayneは思っている──を殺したのか、数えるのも億劫だった。
 Layneの真正面のドアが、ゆっくりと開いた。
 四角く切り取られた光の中に、細い、儚げな人形が浮かぶ。
 すうっと、きれいな音を立てて、背筋の脇に水が流れるのを、Layneは感じた。
 天使だ──Layneは、立ち上がろうとして床に崩れ、這いずって、その人影の足元にすり寄った。
 「おいおいおいおい、冗談だろ、なんてザマだよ、生きてるか?」
 人影は、Layneの肩に手を伸ばし、しゃがみ込んだ。
 「来ねえから──ポケットに残ってたヤツ、やった。ひでえしろモンだ、小麦粉か砂糖のまがいモンだぜ。死にそうだ。」
 「それだけ喋れりゃ上等だ。」
 そう言って天使は──Jerryは、Layneの汗で冷えた体を、壁際のベッドに運んでやった。
 ベッドの上で体を丸め、子宮の中の胎児の形で苦痛をやり過ごそうとしているLayneの傍で、髪をすき、額から頬、頬から首筋を、いたわるように丹念に、Jerryは撫でる。Layneは目を閉じたまま、時折、空っぽの胃から這い上がる胃液に、喉を鳴らして呻く。
 「ったく、やるならやるで、まともなヤツにしろよ。いちいち死にかけててどうすんだよ、おまえ。次ん時は、オレは売人探して来てやるから、いいかげん、あの黒ん坊連中と手ェ切れ。あんなタチ悪い連中と関わり合ってると、おまえ、死ぬぞ、そのうち。」
 こんなに喋るのは、動揺している証拠だ。冷静になろうとして、けれどまだこんなLayneに馴染めず、Jerryは、口の悪さで事の重大さをごまかそうとしている。
 答える代わりにLayneは、額をシーツにこすりつけて、また呻いた。
 「コークもH(ヘロイン)も、もういらねえ。それより──」
と、LayneはJerryの手首をつかんだ。
 「頼むから・・・やってくれよ、頼むから・・・。」
瞳の光が弱いのに、Jerryは気付いている。薬のせいなのか、Layneはひどく気弱になっていると、Jerryは知っている。
 「そしたら──よくなるのか?」
 ああ、多分、とLayneはJerryの手を引き寄せながら答えた。
 一瞬の間の後、Jerryは、頬に落ちかかる髪をかき上げ、そしてゆっくりと、上半身をLayneの上に倒した。
 いつも、ここから始まる。
 Layneは頭の中で、ひとつふたつと数を数える。そして、Jerryの顔を見ずにすむように、喉を反らして顎を突き上げた。
 ラリった時にLayneに、Jerryはまず逆らわない。正常でないLayneが恐ろしいわけではなく、ただJerryは優しいだけだった。
 初めて、女と間違えたふりをしてJerryに手を伸ばした時、拒絶が抵抗か、それともその両方を期待していたLayneを、Jerryは拒まなかった。
 Layneが強いた行為には、そのきれいな眉をあからさまに歪めたけれど、それでも結局、いたずらっ子に手を焼く母親のような表情で、今と同じように、促されるまま、Layneの上に顔を伏せた。
 Jerry自身の知らない、Jerryの奥深くを、Layneは知っている。口の中と同じくらい、熱く湿ったJerryのその中を、Layneは知っている。
 丸くふくらんだ乳房のない、Jerryの平らな薄い胸は、ぴったりとすきまもなくLayneの胸に重なったし、いつもそうすると、Layneの腹に当たるJerryの器官を、愛らしいとさえLayneは思う。
 女の体をあれほど醜悪だと感じるくせに、Layneにぴったりと添うJerryの体は、ひとつ残ったパズルのピースのように、Layneには自然に感じられた。
 Jerryが手の甲で唇を拭い、Layneに背を向けて、服を脱ぎ始める。
 いつの間にか、薄いゴムの膜に覆われてしまった、みすぼらしい自分の器官。何の役にも立たない、自分の器官。Layneはそれを、虚ろに見つめる。
 「Your──gold key don't fit my crapper」
 不意に、Layneは唄った。"I Know Somethin"の、一節。
 「口の方がいいのか?」
 Jerryが、Layneをまたいで、上から訊いた。Layneはだるく首を振った。肩をすくめて見せた後、用心深く自分と躯を繋げるJerryの手元を、Layneはじっと見ていた。
 骨ばったJerryの膝から、細い腿に指先を滑らせ、Layneは、ゆるい瞬きを繰り返す。
 子宮を持てない男は、きっと死ぬまで不完全なのだ。そしてその欠落感ゆえに、女を──子宮を憎み、そして、2度と戻れない子宮を、憎む同じ強さで恋しく思う。
 子宮を持たないJerryが、子宮に拒まれたLayneを、女のやり方で、今受け入れている。
 おかしな巡り合わせだ、とLayneは心の中でひとりごちた。
 Jerryが、ステージで時折見せる、他人の発情を促す表情で、骨が折れるかと思うほど首と背を反らした。
 不意にLayneは体を起こし、Jerryの胸を抱き寄せた。
 Jerryが驚いて体の動きを止め、Layneの肩を押し戻そうとする。
 「何だよ、いきなり。」
 Jerryの声が険しく尖る。
 躯を繋げたままで痛むのか、JerryはLayneの両腕の輪の中で、抗うように体をねじった。
 Layneが、Jerryの中で萎えてゆく。Jerryは腰をずらして、Layneから躯を外した。
 Layneは泣いていた。
 薬のせいなのか、祖母のことを思い出したからなのか、それとも別の理由があるのか、Layneにもわかりかねた。Jerryのせいだと、ふと思う。
 Jerryは何も言わず、Layneの頭を、自分の胸に抱き寄せた。
 「Jerry・・・」
 喉を詰まらせて、Layneは、自分を抱きしめる情人の名を呼んだ。
 頬に当たるJerryの、柔らかな髪の、その1本1本が、針か細いナイフならいいとLayneは思う。
 「殺せよ、頼むから。生まれたくて生まれてきたわけじゃねえ。どうせ、あの女も誰も、泣きゃしねぇんだ。」
 Jerryの両腕が、強くLayneの首に巻きついた。
 抱きしめて欲しかったのは、今までのどの女でもなく、そしてJerryでもない。たったひとりの、両腕を、遠い記憶を頼りに、Layneは脳裏に手繰り寄せる。
 Jerryの平たい胸に、Layneは額をこすりつけながら、止まらない涙を持て余している。
 脳裏に浮かんだ女の体、そして顔。その幻に向かって、ママ、とLayneは小さく呟いた。

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