Ramsey×Dos Santos - 3つの恋のお題

死にそうに幸せ

 別に、Brock Lesnarを特に好きと言うわけではなかった。ただ、嫌う理由がないから、特別彼に対してよそよそしい態度を取る理由がなく、Juniorは元々、滅多と他人を嫌いだと思わない。誰に対しても、ごく自然に笑顔を向けるのが当然のことと思っている。
 けれどLesnarは、次の試合でタイトルへの挑戦権を奪い合うことになるJuniorに、ことさら愛想良く振る舞う必要はないし、むしろ俺はおまえが嫌いだと言う態度を、カメラの前でも隠さない。
 Danaはそれを苦笑して眺めて、そしてJuniorとLesnarを平等に扱いながら、けれど主には言葉が理由で、どうしても言葉数はLesnarに向かっての方が多くなる。
 自分側のコーチは、あまり深く考えずにブラジル人ばかりになった。だから、練習に関する場ではあまり疎外感を味わったりはしないのだけれど、誰にでも親しみを表すブラジル人のやり方は、アメリカ人ばかりいる──特に、Lesnarのようなタイプ──場では、明らかに場違いだと言う視線を浴びる。
 彼らは、男同士で抱き合ったりキスし合ったり頭を撫で合ったりしない。そういう振る舞いは、忌まわしい同性愛者間だけの表現と忌み嫌われている──特に、Lesnarのようなタイプの男たちに──ようで、とりあえずは控えた方がいいのかと少しばかり悩んだ後で、Juniorはすっぱり考えを変えた。
 ブラジル人だから、何となく馴染めないと思うなら、もう馴染もうと思わずに、好きに振る舞えばいい。自分の師匠に当たるNogueiraだって、あくまでブラジル人らしく振る舞って、自分のチームをまとめていたのだから、自分にそれができないわけはないと、Juniorは思った。
 自分にとって相手が、とても大事で親わしい存在だと真っ直ぐに表して、悪いことはひとつもないと思う。自分よりも年上の、けれどまるで弟のような自チームの選手たちを、Juniorは自分がそうNogueiraに扱われたように扱う。褒めて、抱きしめて、頭を撫でて、良くやったと繰り返し言う。真実、彼らはとても良くやっている。勝っても負けても、彼らはいつだって一瞬も手を抜かず、自分たちの精一杯で戦っている。
 それを認めて、彼らの自信になるように返してやるのが、コーチのいちばん大事な役目なのだと、JuniorはNogueiraを通して学んだ。
 Juniorの親愛の表現を、明らかに戸惑いばかりで受け入れている選手も大勢いたけれど、慣れるうち、彼ら自身も、それは別におかしなことではないのだと思い始めたらしく、殴り合うからこそ、その後で、抱き合って親愛と敬意ををわかりやすく示すことが必要なのだと、きちんと理解したらしかった。
 チームが順調に勝ち進むうち、自分のやり方は正しいのだと、Juniorは確信を深めて行った。


 恐らく、全員Welterの選手ばかりの自チームで、コーチのJuniorはHeavy Weightと言う、体格差のせいもあったのだろう、Juniorが両腕を伸ばすと、明らかに逃げ腰になる選手が何人もいた。
 大人になってから、男同士で抱き合うことに慣れていない彼らは、他の男に触れる時は攻撃する時される時と思い込んでいる──無理もない、彼らはUFCの選手を目指しているのだから──ので、Juniorにも殴られるか絞め上げられると思ってか、体が自然に防御の体勢を取る。それ自体は、厳しい練習の結果として、別におかしなことではないけれど、練習ではない時には、あくまで普通の人間として気持ちをきちんと切り替えることも、格闘技の選手としては大事なことだった。いつもいつも戦闘モードでいると、他人と自分を不必要に傷つけかねない。
 元々はLight Weightだと言うRamsey Nijemは、その切り替えが妙に上手い選手だった。まるでスイッチでもあるように、練習の間と終わった時とで、ぱちりと表情が変わる。
 これと言って目立つ選手ではなかった。体格もごく普通、見込みがあると、目を引かれる点は多かったけれど、練習ではそれはあまり明らかではなく、むしろ子どもっぽい振る舞いの方が目立って、常に戦闘モードでピリピリしている選手の間では、
 「あいつはふざけ過ぎで選手としてのけじめがなさ過ぎる。」
と、特にLesnarのチームの選手には顰蹙を買い気味と言う話だった。
 Lesnar自身も、あいつは本気でやる気があるのかと、ほとんど愚痴のようにRamseyについてこぼしていたと聞いて、Juniorは眉を上げて笑った。
 Juniorは、Ramseyのことが好きだった。練習は、必死ではなく、一生懸命やる。飲み込みが早い分、ほんとうに理解しているのかと危ぶむ空気があったけれど、実際にやらせてみれば、見事に何でもこなした。絞め技や関節技は、多分チーム一巧みだ。それなのに、目立たない。だから誰も、選手としての彼を目の敵にして妬まない。だからRamseyは、のびのびと練習して、どんどん伸びてゆく。
 これは生まれつきの素質だ。妬みや僻みを受けても、Ramseyは多分柳に風と受け流すだろう。それに囚われて、手足を縮めて自分を殺すことはしない。こればかりは、個人の性格だった。どれだけ格闘技の技術に優れていても、それを生かせなければ意味がない。
 Juniorに対しても、萎縮する様子もなく、Juniorの過剰な──アメリカ的水準では──親愛表現に辟易した様子もなく、むしろJuniorが抱きしめれば、ためらわずに頬にキスし返して来るような、時折Juniorの方がたじろぐことさえある。
 彼といると、Juniorは素でいられた。それは多分、Ramseyも同じだったろう。
 特に重い期待を込めて彼を自分のチームに選んだわけではなかったけれど、そうなってみれば、ふたりでこっそりと、Lesnarのチームでなくて良かったと小さく笑い合う。
 たかがペディキュアで目くじらを立てるLesnarのチームで、Ramseyが今と同じほどのびのびと練習できたとも思えなかった。
 自分の方が、Ramseyにとっては良いコーチだと、Juniorは口には出さずに思う。自画自賛だったけれど、それは確信だった。
 自分が多分、Nogueiraにとっては大事な愛弟子のひとりだった──自惚れでは、決してなく──ように、RamseyはJuniorの大事な愛弟子だった。彼だけを贔屓したりしないように気をつけながら、それでも、声に期待がこもるのを止められない。


 スイッチが入った音が、確かに聞こえた。
 技術だけではなく、気迫だとか凄みだとか、練習では絶対に教えられないものを、Ramseyは確かに身にまとって、リングで対峙したCharlieを、試合が始まる前から圧倒していた。
 獣同士が、にらみ合った末に、片方が身を低くし、尻尾を両足の間に巻き込んで負けを認める仕草に似て、引き倒されて首を絞め上げられたCharlieは、2秒とRamseyを待たせなかった。
 あごの下に腕が入った瞬間に、もう試合は終わっていた。2ラウンド目の、ちょうど1分半目だった。
 立ち上がって、Ramseyが吠える。Juniorは真っ先にリングに駆け込んで、Ramseyを抱きしめて抱き上げた。
 誰の判定も必要ない、あまりにも明らかで見事な勝ちだった。自分が、Ramseyに向かって注いだものすべてが、そこにあった。
 そこにいたすべての人間を黙らせ、Ramseyは彼らの目の前で、自分が一体誰で何であるか、有無を言わせずに証明した。
 Ramseyが証明したのは、彼自身だけではなかった。Ramseyの強さは、つまりJuniorの強さの証明でもある。Juniorが引き出したRamseyの強さが、Charlieを、そしてLesnarチームを圧倒したのなら、それはつまり、Junior自身が勝った試合も同然だ。
 勝ったのはRamseyだ。Juniorが、Ramseyをそこへ導いたのだ。
 そうして、Ramseyをまだ抱いたまま、Juniorは彼に深く感謝する。自分のやり方が、正しかったことを証明してくれたRamseyに、心の底から感謝している。
 教える相手がいて、腕の上がったことを勝利して見せてくれる選手がいて、そうして初めて、コーチの存在を証明できる。
 Ramseyは、彼自身を証明することによって、Juniorの正しさを示してくれた。格闘技の技術だけではなく、こうやって、触れ合うことと、そうやって示す親愛と敬意の大事さをもだ。
 抱きしめて、頭を撫でる。ついでに、こめかみに何度もキスをした。そうやって繰り返して、この感謝の深さと強さを、Juniorは一生懸命表そうとした。
 Ramseyが、またスイッチを切り替えて、いつものようにへらへら笑っている。ついさっきの見事な勝利などどこ吹く風と言った風情で、グローブを外しながら、マウスピースをはめたままの口をにいっと横に広げて、いたずらの成功した子どもみたいに、Juniorに向かって笑っている。
 Juniorは、自分よりふた回り小柄な愛弟子を、両腕で、できる精一杯の力でもう一度抱きしめた。

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