Why...
リモコン操作を間違えてしまったのか、いきなりテープデッキが動きを止め、代わりにラジオの電源が入ってしまった。
テープをまた再生しようとした時、ステレオから、よく知った声が流れ始めた。
Why・・・青空はいつも Why・・・たそがれてゆくの
Why・・・流れゆく雲に Why・・・さよならと言うの
まあいいか。嫌いな声ではない。足元のリモコンを放り投げて、空になった掌を、髪をかき上げるために持ち上げてから、そうと気付く。長かった髪を、久しぶりにばっさりと切ってしまっていることに。
上げた掌のやり場に困って、それにひとりで照れた後、照れ隠しにひとつ笑って、それから煙草の手を伸ばして、自分のしていることのちぐはぐさを、全部ごまかしてしまおうとする。
最初の一服は肺には入れず、煙を舌先で追い出した。
ひどく虚ろな気分で、ラジオに合わせて、元基は歌った。細い声で、小さく。
溶けた飴のように床に寝そべり、自堕落な姿勢で、元基はしばらくの間、歌に没頭する。目を閉じて、細々と流れる音の中に、ひたり込んで。
Why・・・見つめ合う恋は Why・・・離されてゆくの
Why・・・求め合うごとに Why・・・壊されてゆくの
裸足は、あんまり好きじゃない。Neilはそう言った。元基の爪先を両手で包んで、Neilがそう言った。
甲高のくせに、ひどく肉の薄い、元基の足。いつもほとんど素足でいるせいなのか、爪先は、何の歪みも見せずにのびのびしているように見える。
親指から小指へ、なだらかに下る線。親指からかかとに、まっすぐ落ちる線。痛々しいほど白い膚に、青く血管が走る。
元基の手足は、まるで赤ん坊みたいだ。Neilが笑った。元基の隅々を確かめながら、Neilは笑った。
何か言って 教えて 昨日囁いたわけ
なぜか言って 涙が あふれるのは なぜ
ラジオが歌う。元基も歌った。
Neilが長々とソファに横たわっていた時、元基は裸足で傍にいた。Neilも素足でいた。
幅はそう広くない、大きな足。裸足の習慣のないせいで、靴の形に添ってしまった、その形。元基のとは少し違う、その形。足裏を重ねると、元基のそれは、Neilのの影に隠れてしまった。
くすぐったいよ、元基。
Neilがそう言ったので、確か元基はいたずらっ気を起こし、Neilの膝下をわざわざ抱え込んで、くすぐってやった。
そう、はっきり憶えている。
Neilはここにはいない。元基の傍に、もうNeilはいない。
呼吸を止めて、唇を開いて、元基は、煙草の煙が勝手に外へ漂い出てゆくのを見ている。
元基は、Neilの足の指を噛んだ。確か、人指し指と中指、そして小さな小指も。手指のそれよりはるかにきゃしゃな爪は、きりきりと歯を立てると、柔らかく歪んでしまった。きっと指先を噛み切ってしまうと、元基は思った。
丸い、足の指先、そこにひっそりと並んだ小さな爪、掌にひんやりと冷たい甲。すべてを、憶えている。
Why・・・明日からの恋は Why・・・終わらせてゆくの
Why・・・いつまでも夜に Why・・・残されてゆくの
声がかすれたわけを、元基は知らなかった。知りたくなかった。知らずに元基は歌った。
何か言って 好きなら 昨日輝いた瞳
なぜか言って あなたに 逢いたいのは なぜ
声が消えた。オルゴールめいた音だけが、曲の終わりに向かい始める。
どうして、出逢ったのかな。惚れて、一緒に暮らした。いやになったわけじゃなくて、でもダメになって、別れなきゃならなかった。傍にいない。一緒にいられない------どうして。
元基はようやく、自分が泣いていることに気付いた。
今は素足でいるけれど、明日には多分、この両足は、きゅくつな革靴に包まれてしまう。
靴なんか、履きたくない。履きたいなんて、思ったこともない。
足の形が美しいとか醜いとか、考えたこともなかったのに-------耳の奥で、Neilの声がした。
眠い、と呟いて、元基は煙草を消した。
Neilの夢を見るだろう。元基の爪先にくちづける、Neilの夢を見るだろう。
ラジオから流れる次の曲を、元基はもう、聴こうとも歌おうともしなかった。
戻る