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2014年

ある朝のこと * 1/29

 珍しく混んではいない電車の中で、カバンを膝へ乗せながら椅子に腰を下ろし、そうだ今はまだ学生たちは冬休み中なのだと思い出す。
 それでも席は大体埋まる程度の車内をちょっと上目に見渡してから、私はカバンの中から本を取り出した。
 ちょっと慌てて出て来て、適当に本棚から取り出して来た本は、それでも充分興味をそそる──もう何度読み返したかは分からないのに──内容だったから、私はいつものようにわくわくと表紙を開き、目次を無視して早速中身へ読み進む。
 電車が止まり、人たちが立ち上がって降り、新しい人たちが乗り込んで来て、わずかずつ車内は混み始めていた。いつの間にか、隙間のあった私の隣りには誰かが坐っていて、本に夢中な私はそれが誰かを特に見ることもせず、胸元へしっかりとカバンを抱え込んで、目の前のページに熱中している。
 競馬好きの主人公が、怪しげな競馬予想紙の会社へ勤め、馬と馬主についての情報を集めているうちに八百長疑惑へ突き当たりどうのこうの、疑惑の面子の中には若い美しい女性がいて、当然ながら若い男である主人公はその女性とどうのこうの、結局八百長の仕掛け人である某馬主と彼女はどうのこうの、あらすじはすっかり覚えているのに、作家の、奇妙に情熱のこもった文章のせいかどうか、何度読んでも初めてのように面白くて仕方がない。
 私は馬にも競馬にも興味はなく、美しい男女の恋愛にも当然縁はない。読書は、非日常を覗けるから面白いのだ。自分とは無関係のフィクションの世界を覗き見しながら、今私は、ヒロインと肩を並べて馬主席にいる主人公と同じ目線で、レースの行方を追っている。
 このレースはどの馬が1位になるんだったかと、思いながら、アナウンサーがわけのわからないカタカナの名前を羅列して、馬がどんな順位でどんな風に走っているかと説明しているページを、ちょっと瞬きしながら読み進み、ページをめくったところで、何度読んでも決して馬の名前を、今回もやはり私は覚えてはいなかった。
 どの馬が1位になっても、話の筋にはあまり関係ない──大事なのは、馬の持ち主の方だから──ので、私は自分の記憶力にあまり落胆もせずに、さっさと話を読み進む。
 ヒロインが勝ち、彼女に便乗して馬券を買った主人公も勝ち、じゃあふたりで祝杯でもと彼が誘ったところで、彼女の愛人と目される某馬主が彼らに声を掛ける。
 ──これはこれはお珍しいところで。
 小説の中では、成り上がり後の投資先として馬を買ったにしては、見た目はそれなりに上品な中年男性だと描写されるこの馬主を、私は見知った俳優の誰かに当てはめて想像しながら、馬主と言うのは一体どんな人種なのだろうと読む間に考えている。
 主人公の方は、いつか大金を掴んでやると、やたらとぎらぎら野心に燃える青年として描かれているが、正直なところ、話の筋はともかく、この主人公は私の好みではない。競馬で大金を稼ぐと言うまったく持って非現実的な考えは、ネットで本を買う時にクレジットカードを使うのすら躊躇する小心な私にはまったく理解の埒外だ。
 勝った馬券でいくら懐ろに入る、と言う会話を3人がしている。私の何ヶ月か分の給料の話だ。現実の話ではないから、嫉妬もない。誰かが私の目の前で同じ話をしたら、私はきっと、その金額で何冊読みたい本が買えるかと換算するだろう。買うなら、この同じ作家の本を、本屋の棚の端から端まで一気に買ってみたいものだ。
 そんな大金が一度に手に入るなら──濡れ手に粟、と言うのはこういうことを言うのだろう──競馬もいいかもしれないと、勝った馬券を現金に変え、上着の胸ポケットに入れてしっかりとボタンを掛ける主人公が、家に帰るまでスリに気をつけなければと内心考えたところで、私は思わず平たい自分の胸へ掌を置いてしまった。
 馬主の男性が、何か意味ありげに青年を食事に誘う。もちろんヒロインの女性も一緒だ。彼女は3人をいやがって、その場から立ち去ろうとしている。
 そこで、車内アナウンスが、次の駅が私の降りる駅であることを告げた。
 私は続きを惜しみながら本を閉じようとして、しおりが見つからないことに気づいた。慌てて出て来たせいで、いつも読む本には必ず掛けるカバーを今日は忘れて来てしまっている。どうしようかと一瞬考えた後で、とにかく何か薄いもの、ティッシュか何かを挟んでおこうと、私はごそごそと上着のポケットを探るために腕を動かす。
 その拍子に、右隣りの男性の肘をつついてしまった。
 「あ、すいません。」
 私は彼に向かって軽く頭を下げ、右側にそれ以上近づかないように気をつけながら必死で右側のポケットへ手を差し入れようとする。電車はすでにスピードを落とし、停まる準備に掛かっていた。
 その時、その右隣りの男性──ごく普通のサラリーマンで、私の父よりはずっと若く見えた──が、
 「よかったら、どうぞ。」
と、いつの間にどこから取り出したのか、差し出されたのは買った本の間によく挟まれている薄いしおりだった。出版社の名前や、同じ会社から出ている本の宣伝などが印刷されたあれだ。
 え、と私の右手は宙に浮いて戸惑い、その私に向かって彼は邪気なく微笑み、
 「買った本に2枚入ってたんです。」
 ほんとうかどうか、そんな風に言う。もう電車は、降車駅のホームの端へ入っていた。
 「あ、すいません、ありがとうございます。」
 私はもう立ち上がらなくてはならず、断るのも何だか悪い気がして、彼の手からそれを受け取り、慌てて自分の本の間に挟んだ。本をカバンに入れる暇はなく、私はもう一度右隣りの彼に向かって軽く頭を下げ、停車直前の揺れに気をつけながら手にした本を落とさないように、するりと人たちの間を抜けて出口へ向かった。
 あまり乗る人のない駅で、ホームから電車の中へ振り返ると、人たちの間から右隣りの彼の顔がわずかに見える。向こうもこちらを見ていたのか、ひと呼吸の間目が合って、どちらからともなく浅く会釈をし合って、私は何となく去ってゆく電車をその場で見送っている。
 歩き出す前に、手にしていたままの本をカバンの中へ入れようとして、ふと思いついてもらったしおりを本の間に眺めてみた。しおりに印刷された出版社はこの本を出した会社で、それを確かめた私は、あの人ももしかするとこの作家のファンなのかもしれないと、少しの間、もう見えなくなった電車の去った先を視線でまた追って、ふと考える。
 カバーを掛けない本は表紙が剥き出しだ。もっと別の場所で、別の出会い方なら、この作家の話をできたかもしれないのにと、まだしおりを眺めながら私は考えていた。
 あの人も、競馬の馬たちの名前を覚えられない方だろうか。
 本の表紙を一度撫でて、私はやっとそれをカバンの中に戻し、いつものように歩き出す。
 余分のしおりを、カバンや机の中に常に入れておくのはいい考えだと、歩きながら思いついた。思いついて、本の入っているカバンを、私は何となく左手で撫でる。
 大金にふくらむようなポケットもない私の胸が、なぜかあたたかい気がした。

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運の悪い日 * 2/1

 雪の降る中バスを待ちながら、手にはさっき買ったばかりのカフェラテが、プラスティックのふたの小さな飲み口からかすかに湯気を立てている。ちっとも美味しくないのが残念だ。
 まるで生の豆でそのまま淹れたような味。我慢して、あたたかいカフェラテであたたまる両手には感謝しながら、私はまたその出来の残念なカフェラテをひと口飲んだ。

 大手のチェーンのコーヒーショップ──ドーナッツショップと言うべきかと、私は少々迷う──なのに、スターバックスへ対抗して始めたエスプレッソ系ドリンクの味がこれでは、普通のコーヒーも恐らく私の期待したものとは違うと、心の中で結論づけて、色々ともうどうでもいいと投げやりになりながら、私は来ないバスを待っている。
 雪はますます激しくなり、私の頭の上にも背負ったカバンにも真っ白に積もって、運動靴の中も少しずつ濡らし始めているから、私はブーツを履いて来なかったことを悔やんでいた。
 こんな日もある。何もかもがうまく行かない。つい増えてしまった買い物の荷物は重く、バスはなぜか遅れていて、待ち時間の寒さしのぎに買ったカフェラテが期待外れで、雪はひどくなる一方だ。

 近辺と比較すると、異様なほど気候の穏やかなこの街で、久しぶりに普通に寒い冬だ。多分街の人たちは、零度になったところでタンクトップで外を歩き出す。去年は、零下10度で文句を言っていたと言うのに。
 零下20度の吹雪の中──零下30度以下の感覚になる──で、人たちは紙コップのコーヒーを片手に煙草を吸う。がたがた震えながら、少しでも風をよけられる場所を探して、屋根や壁のあるところでは基本的に禁煙のここでは、それはほとんど無駄な努力だが。
 雪で視界の利かない日に、ぼうっと赤く光る煙草の火が点々と見えるのは、なかなかシュールな眺めだ。喫煙自体に興味はないが、そこまでして煙草を吸いたいのだと言う気持ちと、凍傷や凍死の危険すら喫煙と引き換えにするその蛮勇に対して、私はひそかな敬意を抱いている。
 煙草を1本吸う間に、紙コップの中のコーヒーは冷め、多分表面に氷の膜が張り始めるだろう。それでも人たちは、吹雪の中で煙草を吸う。

 バスはまだ来ない。影も形もない。私の足元だけを残して、ぐるりと丸く雪が新たに積もり始めている。
 カフェラテはすでにぬるくなって、ゆっくり飲むつもりだったそれを、私はもうほとんど終わらせ掛けていた。
 車はスピードを落とし、利かない視界に、ドライバーたちは明らかにいらいらしている。バスが来ないのは、どこか途中で事故でもあったのかもしれないと考えた。事故などない方がいい。傷つく誰もいない方がいい。
 またカフェラテをひと口飲む。飲んでも飲んでも、この残念な味には慣れない。このカフェラテの出来も、私にとっては事故のようなものだ。
 角を曲がるたびにコーヒーショップのあるこの街で、たまたま買ったカフェラテの出来が残念だと言うのは、ほとんど奇跡に近いような気がして来る。
 これなら自分で淹れるカフェラテの方がよっぽど美味しいと、やって来ないバスへの苛立ちも含めて、私はコーヒーショップに八つ当たりをしている。
 足が冷たい。私はその場で足踏みをした。

 こんな雪の中では本も読めない。どちらにせよ、カフェラテのカップで手が塞がり、本を持つことができない。そのカフェラテは残念な味のまま、もう手の中でとっくに冷えて、もう私の冷たい手をあたためてもくれない。
 時間を見るために取り出した携帯の液晶に、たちまち雪が積もる。私はそれを指先で振り落としながら、濡らさないように気をつけて、やっぱりバスが遅れていることを再び確認する。
 無為に流れてゆく時間をやり過ごすのに、携帯の中に放り込んである音楽を聴くこともできるが、PanteraとボトムズのサントラとSOUL'd OUTとRemy Shandがめちゃくちゃに並んでいるプレイリストを、ヘッドフォンもなしに再生する気にはなれない。
 音楽の代わりに、私はくしゃみをひとつした。

 ついに紙コップが空になった。プラスティックのふたの上には雪がうっすら積もり、唇を近づけると冷たい。カップを持っている指先も、そろそろしびれ始めている。
 カフェラテの出来が残念だったのが業腹で、すぐに紙コップを捨てる気にならず、そんなカフェラテを飲む羽目になってしまった自分の愚を笑うために、まるで罰のように、私は空のカップを持ったまま、雪の中でまだ来ないバスを待っている。
 
 手も唇も爪先もすっかり凍えてしまった頃、やっとバスの姿が見えた。
 定期を取り出す手が、ポケットの中でもたつく。バスの中のあたたかさに、思わずため息をこぼして、その息が白くないことに驚きながら腰を下ろした。
 まだ舌の奥に、あのカフェラテの残念な味が残っている。家に着いたら、自分でカフェラテを淹れて口直しだ。
 携帯を取り出して時間を見る。結局私は雪の中、40分もバスをただ待っていたことになる。本も読めなかったし、音楽も聞けなかった。暇つぶしはただ、行き交う車と降る雪を眺めることだけだった。
 カフェラテが期待外れで、うだうだ考えていたのは案外といい時間つぶしだったと思いながら、それでも多分もう二度とあそこではカフェラテなんか買わないと心に誓って、帰ってカフェラテを淹れながら、どのCDを聞こう──爆風スランプかRiverdogsかI Mother Earthか──かと考え始める。
 外では読めなかった本を開いて、淹れたばかりのカフェラテを、あたたかな部屋の中で飲もう。まだ降り続ける雪を窓の外に眺めて、かじまない指先で本のページを繰る。

 運の悪い日だった。でもきっと、これから淹れるカフェラテは、それほど残念なことにはならないはずだ。
 あの残念なカフェラテの味をもう一度思い出して、わたしはまたくしゃみをする。
 カフェラテの前に、熱いシャワーを浴びた方がいいかもしれない。ついでに、今日背負い込んだ悪運も全部洗い流してしまおうか。
 くしゃみがもうひとつ。走るバスの窓の外は真っ白だ。カフェラテのミルクは少し熱めにしようと、その白さを眺めて思った。

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現実逃避 * 2/9

 少し特殊な内容のものを書いている。分からないことばかりで、調べたところで自分で体感できることではなく、使うのはひたすらに想像力だ。考えるたびに脳が引き絞られる。耳の後ろが痛い。
 気楽に引き受けて、こちらの楽観と怠惰を見通している相手だから、すでに過ぎている締め切りを数日伸ばしてもらい、ふたつ目の締め切りが、次にやって来る締め切りと重なることに気づいて、今私の頭の中は嵐のど真ん中だ。
 頭痛がほんものになりつつある。

 それでも何とか書き進める。10文字書いて15文字消す。消した途端、前に書いたところが気になり始めて、つい読み返して書き直す。こちらも5字書いたら7字消すと言う具合に、進んでいるようで後退ばかりだ。結局ちっとも進まない。
 消えたら困るから保存だけはこまめにやる。そうして、途中で、消した前の方が良かったと思った時のために、バージョン違いをいくつも保存してしまう。結局どれも同じに見えて使わないのが目に見えているのに。
 いくつもいくつも並ぶ、微妙に名前の違った文章の、開いて眺めても違いは分からず、読み返すだけ時間の無駄だ。
 こうして新たな締め切りがどんどん近づいて来る。自分の愚かさを嘆くのは現実逃避でしかない。

 売る文章などではない。好きに書いているだけのものだ。
 遊びに頭を痛めて、それでも求められていると言う一点に望みを賭けて、相手を落胆させる未来に、すでに自分に失望している。
 頭の中にすでに映像が出来上がっていて、それを文章に直す手が進まない時と、映像がまったくきちんと浮かばない時と、苦しいのは後者の方だが、出来上がりの程度を信用できないのはどちらの場合も同じだ。
 書き上げて、相手に喜んでもらえるだろうかと思う以前に、そもそも読んでもらえるのだろうかと、そう思い始めると手が止まる。自分だけが読むためではなく、こんなものをと事前に言われて書くのは、目の前にその人がいる分、苦痛が増える。
 それでも、書き上がった時の達成感が味わいたくて、私はひたすら書き続ける。

 学校で習った作文以外に、文章を書く勉強などしたことがなく、書くのが楽しいと思ったこともなかった──苦痛ではなかった──のに、何か吐き出せとそう言われた時に、私は当然のように文章を書くことを選んでいた。
 あの瞬間のことを、今も私は憶えている。
 あの時なぜ、私は書くことを選んだのだろう。紙を探し、ペンを揃え、下手くそではあってもそれなりに読めはする手書きの文字を必死に並べて、私は無邪気に、ひたすら吐き出し続けた。
 吐き出すことが目の前で形になる、そのことが楽しくて、私はただひたすら、目の前の紙を書き文字で埋め続けた。

 書き文字が印字に代わり、印刷された字は書き文字よりも文章をマシに見せ、それが良かったのかどうか、今も時折私は考える。一体私の吐き出すこれらは、何かしら価値のあるものなのだろうか。自分の時間を使い、キーボードを打ち続けると言う作業で体を使い、ほとんど嵩のない脳を無駄に絞り、私は吐き出し続けているが、これはそうする価値のあるものなのだろうか。
 あるのかと問われれば、知らないと私は答えるしかない。ないと答えてしまうのは、あまりにも真実過ぎて、そこまで私は暴力的に正直にはなれない。
 私は、自分に嘘をつき続けている。

 吐き出すものに意味などない。私はきっと、吐き出すと言うこの行為そのものに取り憑かれているのだ。吐き出した後のことなど知らない。私はただ吐き出したくて吐き出しているだけなのだから、吐き出した後の吐き出したそのもののことなどどうでもいいのだ。
 それなのに、ほんの時折、何かの穴埋めだろう文章を求められて、それは多分、私は量を吐き出すだけなら確実に与えられた時間内にやり遂げるだろうと、ただそれだけで私へお鉢が回って来るだけのことなのだが、うっかり自惚れてしまう私は、ない脳みそを絞って、いつもなら好き勝手に書き散らせるあれこれを脇へ追いやり、求められている何か、私の中には存在しないだろう何かを吐き出そうと必死になる。
 ないそれを吐き出せるはずもないのに、私は何とかそれを見つけて吐き出そうと、愚かに必死になる。

 頭の中で予想している3分の2ほどを何とか書き進めて、頭痛のあまり私は手を止め、今は現実逃避の真っ最中だ。
 書き上げる。それだけは何とか果たす。吐き出した後のことは知らない。私の責任ではない。終わってしまえば、私はきっとそれを、まるで他人の書いたもののように読んで、楽しみさえするのだろう。
 現実逃避に脳は使わない。ただ指先の動くまま、筋の通らない何か文章のようなものを、私はただ吐き出す。吐き出して、形にして、形になっているかどうかも定かではないまま、私は丸を着けてそれを終わらせる。
 脳の中にある何かを、考えもせずにただ垂れ流す。勝手に動く指先を私の目が追い、文字を脳へ送り込んで、ああ私はこんなことを頭の中に抱えているのかと確認する。
 頭痛は少なくとも、ひどくはならずにそこで止まっている。

 さて、少しずつ悪化する私の、この締め切りを守らない悪癖を、今回はどの辺りで食い止められるだろう。
 明日にはと、頭の中でささやきが聞こえるが、頭痛の合間のその声をもちろん信用などできない。
 今日はもう諦めてしまっている。引き絞る脳などもう残っていない。頭痛が治まることだけを望んで、私は、怠惰な夜の眠りへそろそろ向かう予定だ。
 ベッドで読む本へすでに心は向かい、そうすればますます、自分の吐き出すそれが無価値なことを思い知る。
 とは言え、今抱えているこれは、誰かへ手渡す代物なのだから、誰かが価値を見出してくれることをただ祈るしかない。
 自分の書いたものを客観的に眺めることなど不可能なのだから、価値などはなから求めず、無価値と決め込んでしまった方がいい。下手に自惚れると、必ず痛い目に遭う。自惚れは、それが真実ではないからこそ自惚れなのだ。

 夢の中で書き継ぐだろう続きを、目覚めた後に見つけることができたらいいのにと、私の現実逃避もそろそろ危険な域へ達し始めている。
 頭痛で眠れなくなってしまう前に、今日は諦めて寝てしまおう。夢に見る続きを、夢のノートにでも書き記して、それが目覚めた後にどこかで見つかることを祈りながら、さて今の私はもう夢の中なのかもしれない。

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小さな楽しみ * 3/23

 私はほんとうに、始終飲むもののことばかり考えているようだ。
 棚の中に紅茶がたくさんあると安心する。自分で買ったものも人から貰ったものも、どの順番で使うかと、考えている時の私の顔は、きっと見れたものではないだろう。
 どこででも紅茶が葉で買えると言うわけではないので、すべて切れしまった時のために、ごく普通のティーバッグも箱で買って置いてあったのだが、それが近頃空になってしまった。次の箱を買って来るかどうか、まだ悩んでいる。

 紅茶を葉で買える店は大体把握していて、街の中心地、地中海の食料を主に扱う店には、他では見たことがないニルギリやウバやダージリンやケニアの葉が置いてある。スコティッシュ・ブレックファストを、私はその店で初めて見掛けた。
 気兼ねなく使う葉は、中近東系の食料品店で買うのだが、この手の店は入れ替わりが激しく、この間までそこにあった店がもうないと言うことも珍しくない。おかげでこの紅茶の葉を、私はアラビア語の使える友人知人たちに空箱を見せ、どこかの店で見掛けたことはないかとしつこく尋ね歩く羽目になったことも何度かあった。
 そのために、この葉の空箱を、私はいつまでも捨てることができないのだ。

 実家へ寄る機会がある時は、真っ先に紅茶を買い込む。
 気に入った店があり、そこではコーヒーの方が主な売り物なのだが、紅茶もひっそりと扱っている。ティーバッグと葉の両方を、カバンの隙間を見繕いながら、できるだけ沢山買う。家族は呆れている。
 不思議なことだが、この街で手に入れた紅茶は、実家に持ち帰ると水の質が違うせいかまったく違う味になる。実家付近で手に入れた紅茶は、どこでどんな風に淹れてもいつも変わらず美味しい。
 実家ではコーヒーしか飲まないのだが、普段の私はほとんど紅茶しか飲まない。紅茶は、いくら飲んでも飽きない。
 私にとっては、紅茶はいわば米の主食のようなもので、コーヒー(エスプレッソ系の)はちょっと特別なご馳走らしい。週に3度以上カフェラテを淹れると、途端に紅茶が恋しくなる。

 ティーバッグは、淹れた後にそのまま捨てればいいが、葉を使う時は後始末が少々面倒だ。以前はティーポットを使っていたこともあったが、一度にひとり分しか淹れなくなってから、マグカップしか使わなくなった。
 茶漉しに葉を入れて、そこに湯を注ぐと言うやり方は好きでなく、何かいい方法はないかと探して、Tea infuserと言う、湯の中に直接沈める茶漉しのことを知った。
 簡単に言えば金属製のティーバッグのようなもので、よくある茶漉しの小さなサイズをふたつ合わせたような形をしていて、スプーンのように持ち手がついていたり、長い鎖がついていたりする。
 使う葉の量によって大きさも選べるのだが、普通に店では見つからず、ネットで買おうとすると輸入する羽目になりかねず、ある時ふたつみっつ先の街で偶然見つけ、思わず複数買い込んでしまった。
 その後しばらくはこの茶漉しを使っていたが、これが意外と消耗が激しく、年に数度新しくすることになり、金属製だから形はしっかりしているのに合わせ目がゆるんで来てそこから葉がこぼれるようになると、もうだめだと新しいのを下ろすのに、ひどく心が痛むようになった。

 そうして結局、いわゆるお茶パックとやらを使い始めてしまった。
 これを、私は堕落と感じたのだが、前述の茶漉しよりもずっと簡単に店で見つかると言うことは、紅茶を葉で飲むのに面倒はいやだとか、形のきちんとした道具をもう使えないと捨てるのは気が進まないとか、そう感じるのは私だけではないと言う証拠だと思って、以来ずっとお茶パックとやらを使い続けている。
 葉を、スプーンですくって、開いた不織布の袋の中に入れる。包みの中の葉は、私がスプーンですくうたびに量が減り、保管用の缶の中には新しいティーバッグが増えてゆく。私はそのちまちまとした作業を、喜びとともにやる。
 葉はすくうたびにいい香りを立てて、目の前で減って行く葉は、つまり次に新しい紅茶を買う時期が近くなると言うことを示している。
 次はどんな葉を買うかと、考えながら私は、小さな袋に葉を詰めてゆく。私はこの作業が大好きだ。

 紅茶を保管している棚がいっぱいだと、心底幸せになる。そしてそこから少しずつ箱や包みが減り隙間が多くなって来ると、不安になると同時に、また新しい葉やティーバッグを買って来れると、別に幸せの感覚が湧いて来る。
 こんな風に書いていると、私はまるで、ちょっと危険な中毒患者のようだ。
 飲み物を持たずに外出すると、必ず不安になる。喉が渇いたらどうしよう、紅茶を飲みたくなったらどうしよう。ドーナッツショップが、角ごとにあるこの街でそんな不安は滑稽なのだが、どの店で紅茶を買っても、自分で淹れた紅茶の方が絶対に美味しい──と感じる──に違いないと信じている私には、カバンの中に、自分で淹れた紅茶の入った水筒がない状態は、まるで上着も手袋もなく零下20度の外へ出て行くような、そんな愚かで不安な気分でしかない。

 冬の間、バス停で寒さに足踏みしながら、カバンから取り出した水筒を開けて、そこからふわっと上がって来る湯気に目を細めて、淹れたばかりの熱い紅茶をそっとすすることは、私のささやかな幸せだった。それは、寒くて長い──今年は特に──冬に対する、私のささやかな抵抗でもあった。
 牛乳をたっぷり入れた熱い紅茶が、冷たい空気を吸ってそこも凍えている口の中からゆっくりと喉を通り落ちて、胃の入り口から私の体全部を温めてくれる。
 胃のぬくもりは裏側から背中へ伝わり、私はそうしてやっと寒さの中で背を伸ばし、まだやって来ないバスを、いらいらせずに待つ。
 本を読むには手袋が邪魔で、バスを待つ時間を、私は水筒の飲み口から立つ湯気の勢いを眺めて過ごすのだ。

 ウバもニルギリも使い切ってしまった。ダージリンの葉が残っている。ダージリンの香りが大好きな私は、まだもったいなくて封が開けられない。このまま使い始めるか、別の葉を買って来て後に回すか、楽しく苦しく悩んでいる最中だ。
 お気に入りの店が、ディンブラを扱わなくなってしまった。どこか他で見つかるだろうか。
 ほうじ茶ラテと言うものがあると聞いて、飲んでみたくて仕方がない。
 チャイのために、しょうがを買って来なければならないから、週末の買い物リストに忘れずに入れておこう。

 しばらくの間、日記のように毎日何か書いていたのだが、8割が何か飲み物の話だった。我ながら呆れて、それでも私は飽きもせず紅茶やコーヒーのことを考えている。書く時には、もちろん傍らに飲み物が必要だ。
 明日の朝はチャイにしようか、それとも普通の紅茶にしようか、私はきっと夢の中でも何を飲むか悩むのだろう。

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私はパンツ * 8/27

 2センチくらいある幅広の腰回りの白いゴムは、私を履いていた主(ぬし)の体の線に馴染んでところどころ伸びている。グレーの地は、何度も水をくぐってくったりよれよれだ。ボクサーパンツと呼ばれる私の、前の主は、私を着けるに正しく男だった。きちんとそれ用に作られた機能を、私を履いて、男である前主(まえぬし)は正しく使用していた。
 私の今の主は女性だ。この女(ひと)は、私の前の主と極めて親密な関係にあり、どれだけ親密だったかと言うと、前主と彼女がふたりきりで何やら忙しい間に、彼女のレースがひらひらした下着と私が、こっそり逢瀬──とあえて言おう──を重ねていたくらいだ。
 ある頃から、私は彼女の下着とまったく逢えなくなり、前主の体温の上昇は、怒りや憤りと言ったような感情によるものになり、そしてある日、私は彼の体から離れてどこかへ放り込まれたきり、しばらくの間日の目を見ることもできなくなった。
 まだ残ってたの。
 久しぶりに、天井から降る明るさを浴びて、私は思わず目──もちろんこの女には見えない──を細めた。以前はたまに私を握ったり掴んだりしていた彼女の手指が、私に、どこか恐る恐ると言う風に触れて、そっと掌の上に取り上げる。
 彼女は、かすかに怒りを含んだような表情を瞳に浮かべて、私からちらりと視線をずらして床の方を見た。そこには、洗濯機の中で一緒によく水流に揉まれた主のシャツたちが何枚がいて、彼女は私とそのシャツたちを交互に眺めて、ひとつ小さくため息をこぼす。
 彼女は私を、元いた場所へ放り、それからシャツをまとめて取り上げると、どすどすけっこうな足音を立ててどこかへ消え、私は一体何がどうなっているのかと、ひとり訝しがるしかなかった。
 すぐに戻って来た彼女──シャツたちはどうなったのか、彼女は空手だった──は、またひとつため息をつき、しばらく私を眺めた後、不意に立ち上がって私をまた取り上げ、自分の下腹辺りへ広げた私をあてがう。
 ま、いっか。
 彼女のつぶやきの後、私は彼女のパジャマや部屋着の入っている引き出しに、きちんと畳んでしまわれ、彼女がひとりでひたすらだらだらしたい時に履かれる、どんな扱いも気兼ねのない、よれよれの短パンとなって生まれ変わった。
 私の腰回りのゴムは、当然ながら新しい主となったこの女の細い腰にはうまくまつわりつかず、本体は丸いお尻をきれいには包み込めず、前立て部分はまったく見向きもされなく──前と後ろを見分けるには必要だと、彼女がつぶやいてはいたが──なった。
 私は、男物のボクサーとしての存在意義をこの新しい主に完全に否定され、一時はハサミやその類いの刃物でも見掛けたら、何とか私をもう使用不能なまでにずたずたに切り裂いてくれないか頼もうと、本気で考えてすらいた。
 その頃は、彼女に履かれても彼女の体に馴染むこともせず、だらりとなった腰回りのゴムをいっそう頑固に重くして、わざとずりずり彼女の細い腰からずり落ちて、そのまま脱げ落ちてしまおうとしたものだ。
 へその下までずるずる下がる私を、それでも彼女はそのたび引き上げて、一体何が気に入ったものか、他にも似たような短パンを持っていると言うのに、私を捨てずに彼女は私を履き続ける。
 洗濯機の中で、他の下着やシャツから聞いたことだが、あの時どこかへ消えた前主のシャツたちは、トイレの掃除に使われた後に洗ってももらえずに捨てられてしまったそうだ。洗濯機の中でタオルに絡みつかれたまま、私はぞっとしながらその話を聞いた。
 そうやって無惨に終わりを迎えた他のシャツたちに比べれば、私の成り行きは天国と言ってもいいくらいの扱いで、結局私は、男物のボクサーとしてのプライドを胸の奥深く──そうだ、私たちにだって胸がある──たたんでしまい込んで、この女の部屋着用ショートパンツとして、新たに生きて行くことを受け入れることにした。
 今日も今主(いまぬし)は、どこかから部屋に戻って来て、疲れたと言いながらきっちりと体を包んでいた服をばさばさと脱ぎ捨て、きれいな下着と私とシャツを掴んで風呂場へ行く。私たちはかごの中に放り込まれ、湯気のただよう生暖かい脱衣所で彼女を待ち、彼女がちょっと古い皮膚でも1枚脱ぎ捨てたようなさっぱりした顔で、ほかほかあたたかい体で戻って来て私たちを身に着けると、彼女と一緒に、何となく自分たちも生まれ変わったような気分を味わうのだ。
 この後、私は主に彼女の丸い尻に敷かれ、押し潰されてもひと言も文句を言わずに、彼女のこの丸い尻を、彼女のショーツと一緒に包み込んで、風呂上がりの体温が下がらないようにできるだけ尽力する。
 今日の彼女のショーツは──パンツと呼んだら以前怒られたことがある──、綿100%の、へその上までしっかり覆うヤツだ。色こそピンクで小花の散る可愛らしい見掛けだが、口が達者で自分の役目──彼女の細い腰と丸い尻をしっかりしっかり包み込んで、腰と腿のゴムが彼女のかよわい白い皮膚を傷つけたり締めつけ過ぎたりしないように──に、彼女の身長と同じくらいの自信と誇りを持っていて、私と一緒に彼女の腰回りをあたためておくのが気に入らないらしい。
 男のパンツのくせに。
 ピンクのパン──ではなくて、ショーツがぶつくさ言う。私のこの役割は、私の選んだことではないのだが、ピンクのショーツにはそんなことは知ったことではなく、一致団結して今主のこの女(ひと)の腰回りをあたためておこうと私が思ったところで、ショーツの方には一向に通じない。
 同じ形の、淡いブルーのショーツはもう少し物分かりが良くて、地味で縁の下の力持ちでしかも全然報われないけど、それでもわたしたちって大事な存在よねと、私に話し掛けてくれる。
 このブルーのショーツは今主のお気に入りなのか出番が多く、私とかち合うことも多々あった。だがそのせいでくたびれ方も早く、そろそろお役御免なのではないかと、卵色のショーツがお揃いのブラジャーとひそひそ話し合っていたのを、洗濯かごの中で聞いた私の心境は穏やかではなかった。
 そうか、私もいずれ、今以上にくたくたになって、トイレの掃除にでも使われて、最期に洗ってももらえずに捨てられるのだろう。そう想像することは決して愉快ではなかったが、こうして第2の人生を生きている私には、もうこれ以上第3の人生を想像することはできず、それならそれでもいいと、格別投げやりでもなく考えるのだ。
 それでも、捨てられる前に、どうしても果たしたいことがあった。私は、今主と前主が楽しげに一緒にいた頃時々逢った、とてもきれいな深緑のレースのショーツに、どうしてももう1度逢いたかった。
 レースの繊細な重なりが、私のみっちりと詰まった、そのくせぺらりと頼りない生地を撫で、言われなければそこにあるとは分からない細いゴムの部分が、私の幅広の機能一点張りのゴムの縁をなぞり、人の体に沿わなくても充分に美しい彼女の輪郭を、さらに縁取る細いリボンが、平たく放り出されて抜け殻みたいな私の、立体感を取り戻す手助けをしてくれる。
 私は深緑の彼女が好きだった。我々はあまりに違い過ぎて、私の気持ちはきっと思い上がりも甚だしかったろう。それでも私は、彼女の、くしゃりと丸まって床にあってもその美しさの一向に損なわれないのに深く憧れ、いつだって洗剤の香りの爽やかな彼女の、ちょっと乱暴に扱えばすぐに引き裂かれてしまいそうな華奢なつくりの、生地の複雑な織りのざらりとした感触が私の上に重なるのに、至上の幸福を味わったものだ。
 ピンクやブルーや卵色や薄紫の、生地面積の大きいショーツたちと共に今主の腰回りを包み込む間に深緑のレースのショーツの彼女を恋いながら、同時に私は、深緑のレースの君と、2度と再び逢うことはないだろうと心の底では知っていた。
 今の私は、今主がひとりきり、完全にリラックスするために履かれる部屋着用の短パンだ。そんな私が、彼女が特別な時にだけ履く深緑のレースの君と一緒に履かれるなどと言うことは有り得ない。
 洗濯かごの中でさえ、私たちはもう再会することはないだろう。深緑の君には、特別の引き出しと特別の洗剤と特別の洗われ方と特別の干し場と、そして特別の機会こそが相応しいのだ。
 今の私は、ただの部屋着のよれよれショートパンツだ。私が下着のままなら、前主に履かれているままなら、深緑のレースの君と再び相見えるチャンスもあったろう。彼と彼女が会わなくなってしまった今、私の恋も一緒に終わったのだ。
 洗われて干され、乾いてから丁寧にたたまれ、パジャマや私と同じ程度にくたびれたシャツと一緒の引き出しにしまわれながら、私はひそかに振り仰いで、深緑の君のいる引き出しはどれだろうかと、狭まる視界の中に必死に探す。私の声が届くはずもないのに、レースの君が私の声を覚えているかどうかも確かではないのに、私は諦めきれずに、特別の君との再会を夢見ている。
 そうして私は、今主が新たに親密な時間を過ごす人を見つけて深緑のレースの君を身に着ける時が来たら、きっと消し去りたい記憶のひとつとして、彼女が私を真っ先にここから出して捨てるだろうことを知っている。
 今主は、まだ前主を完全に忘れてはいない。私が深緑の君を決して忘れられないように、彼女も彼を忘れてはいないのだ。
 彼女が私を履き続けているのは、私が彼の皮膚に直に触れていたからだ。彼女がそうして彼に触れたように、私も近々と、彼に触れていたもののひとつだからだ。
 私の特別の君が直に触れた彼女の丸い尻を、ショーツを隔てて私も包み込む。私が、直には触れられないこの尻は、深緑の君に近々と触れていたのだ。私に直に重なるこのショーツ──感触は、似ても似つかないが──が、深緑の君だったらと想像しながら、私はもう遥かに遠いレースの君の記憶に、心を寄り添わせてゆく。
 引き出しの中の闇の底で、パジャマのボタンに尻の下辺りを押されながら、私はどうか深緑の君の夢が見れますようにと祈る。夢の中で、せめて、彼女に逢えますようにと祈る。今主が時々、前主の夢を見て、どこかなごんだ表情で目を覚ますのと同じように、私も明日の朝、晴れ晴れと目覚めますようにと、引き出しの中で祈る。
 今ではすっかり今主の腰や尻の丸みに馴染んだ私の体は、実は深緑のレースの君と輪郭が似つつあるのだが、もちろん私はそんなことには気づかない。
 気づかなくていい。私にとって深緑の君は、永遠に特別で、永遠に私とまるきり違うパンツなのだから。彼女はほんとうに、特別なパンツなのだから。私の愛する、特別の中の特別の、素敵なパンツなのだから。


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あなたの色 * 11/5

 あなたを大事な人と思った時に、世界はひと色色を増やした。私の世界は、そうやって味気なさから抜け出してゆく。
 色を増やした私の世界は、永遠にそうやってあるのだと、私は信じていた。

 世界がまた色を失う。あなたを失って、世界が色を失くしてしまう。私の味気ない世界が戻って来る。そして私は、失った色を取り戻す術を知らず、あなたが私に与えてくれたあの色が、あなたなしで取り戻せるのかどうかを知らない。
 あなたが染めた私の世界が、色を失って、今は灰色ですらない、ただのもやもやとした影のように見える。奥行きのない、平たいぺらぺらとしたものらしきものがふらふらと動いて、眺めていると息苦しくて、私は辛うじてまだ残る他の色へ目を移し、やっとひと息つく。
 けれどどこを見たところで、あなたの色はない。

 あなたが不意に消えた。何の前触れもなく、さようならと言う間もなく、私が知ったのは、あなたがもうどこにもいないのだと言う事実だけで、そう知った瞬間に私の視界から失われた色を、私は頭の中で思い浮かべて、その色を鮮明に覚えていられるのは、一体いつまでだろうかと、今もまだあなたがもうどこにもいないと言うことが信じられずに、世界にあなたの色を探している。

 世界はたやすく色を変える。様々な理由で、世界の色は変わり続けている。空に掛かる虹は永遠にそこにあるわけではなく、雨の後に澄んだ空気が、いつまでも澄んままであるわけでもない。
 私の目に映る世界の色は、私の気分でも色を変えるのだし、疲れている日には、何もかもが薄ぼんやりと灰色がかっていても仕方がない。
 あなたの色を欠いた世界に、私は否応なしに慣れては行くだろう。生きるとはそういうことだ。私たちは失い続け、喪うために生きている。失くしたものを恋い、懐かしがり、改めて得たものを、また失うことに恐怖しながら生きている。
 そうして私は、あなたの色を喪った。

 あなたはまたいつか、ここへ戻って来るだろうか。別の色を携えて、その時はもう、あなたはあなたと言う存在ではなく、それでもあなたは、いつかここへ戻って来るだろうか。
 色を持たない私の、濃淡の際さえ曖昧な私の世界に、あなたが与えてくれた色はまた失われて、私は再び自分の世界の味気なさを思い知っている。
 あなたの持つあなたの色を、私はまたいつか取り戻す時があるだろうか。あなた以外の別の誰かが、あの色をまた、私の世界に与えてくれるだろうか。

 あなたの色を恋いながら、私はそれはあなたの色だから恋しいのだと言うことを知っている。
 他の誰かが、私に与えてくれるかもしれないあなたのそれと同じ色が、私の世界を同じように染めてくれるのかどうか、私には分からない。
 あれはあなたの色だった。あなただけの色だった。そのあなたの色が、私はとても好きだった。

 あなたは、私の世界を春にし、夏にし、秋にし、そして今、私の世界は冬になった。この冬は、しばらく終わらないだろう。あなたの色なしに、春はひどく遠い。
 夜が恐ろしいのは、多分色が見えないからだ。動く影すら見分けもつかない、まったくの闇色が、私はきっと恐ろしいのだ。
 冬の夜に、私はあなたのことを考える。あなたの色のことを思い出す。朝までの長い時間、春までの気の遠くなるような間、私は、必死であなたの色のことを考えて、空っぽの自分の胸を満たそうとする。
 色のない、あなたの気配のない世界は、ひどく虚ろだ。

 春はいつ来るだろう。あなたの色を欠いて、私の世界に、再び春はやって来るだろうか。
 冬の白さが、じきすべてを埋め尽くす。私はその冷たさに怯えて、闇の隅っこにうずくまる。
 あなたがどこにもいないことに、馴れるのはいつだろう。うぞうぞうごめく灰色に満ちた視界に、馴れるのは一体いつだろう。

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11月の短文s

手が冷たい / 料理で凍えた手を淹れた紅茶で温める。 (11/14)

骨になればずっと一緒にいられる。 (11/21)

涙で汚れた顔を洗いながら、また泣く。 (11/25)

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