Flirtation



 生クリームの塗りたくられたケーキには、確かにさくらんぼが乗っていたし、切って現れた中のスポンジの間にも、薄く切ったさくらんぼが挟まれていた。けれどそこにも、見ただけで胸焼けのしそうな真っ白なクリームが、たっぷりと塗られていた。
 さくらんぼは、正気を失うほど大好物だ。甘すぎるだろうケーキは、できれば見なかったことにしたい。
 ひと切れ、少しばかり慎ましい大きさで目の前に差し出された白いケーキを、花京院は苦笑して見下ろした。
 どうしてわざわざ、ケーキなんか丸ごとで買って来たんだろう。花京院がさくらんぼに目がないからと言って、甘すぎるホールケーキはあんまりだ。
 承太郎の好意の表れとわかるから、言葉にはせず、けれどフォークで小さく切り取ったケーキは、舌に乗れば溶ける端から口の中をべたべたにしてくる。甘い、とうっかり唇が形を作った。
 食べ物を粗末にするのに、まったく気は進まなかったけれど、上に乗ったさくらんぼをじっくり味わってから、スポンジを覆っている生クリームを、フォークでこそげ取る。甘くて、濃厚な匂いが鼻先に立つ。甘いものは好きだけれど、甘すぎるのは苦手だ。生クリームも、実は好みではない。まだ白くまだらに染まっているスポンジも、きちんと層ごとに分けて、余分なクリームを、さくらんぼのスライスを避けて、皿の上によけた。
 花京院のそんな手元を、承太郎がじっと見ている。隠しているつもりだろうけれど、どこか咎めるような色を瞳に浮かべて、それが、せっかく買って来たのにという苛立ちのせいなのか、単に食べ物を粗末に扱うことに対する真っ当な憤りなのか、きっと両方だろうなと思いながら、花京院は罪悪感を隠すために、ただひたすらに、白く皿の隅に盛り上がる生クリームの小さな山を見下ろしている。
 唇の端についたクリームを、舌先で舐め取った時に、承太郎が、もう我慢できないとでも言うように花京院に視線を当てたまま、静かに椅子から立ち上がって、テーブルの向こう側からこちらにやって来た。
 舌先では舐め切れずに、わずかに残っていた生クリームの残骸を、承太郎の親指が、わざと頬へ向かって拭う。拭うというよりは塗り広げるようなその指の動きを下目に追って、花京院は、精一杯喉を伸ばして承太郎を見上げていた。
 こんなところで、とか、明るすぎる、とか、いやだと言える理由はいくらでも思いつけたけれど、椅子から引き上げられて、床に押しつけられたのに逆らわなかったのは、承太郎の買って来たさくらんぼのケーキの生クリームを無駄にしたという、承太郎に対する引け目のせいだ。
 テーブルの下辺りにふたりの足先が入り込んで、むやみに動けばテーブルの脚を蹴る。そうすると、テーブルの上に置き捨てられた皿やフォークが、かちゃかちゃと音を立てる。その合間に、ふたりの唇と舌が、濡れた音を立てていた。
 舌は、砂糖の味にまみれて、そこにさくらんぼの匂いを探すのは困難を極めた。
 こんな場所にふさわしく、忙(せわ)しく躯を合わせるなら、必要なだけ膚を剥き出しにすればいい。それなのに承太郎は、時間を掛けて花京院の服を全部脱がせると、自分も全裸になって、硬い床の上に横たわった。
 ここは明るすぎる。せめてベッドへ行けるなら、カーテンを閉めて、夕方になりかけの遅い午後くらいの気分になれるのにと、花京院は心の中で舌を打つ。あるいは、深い海を覗き込んだ時くらいの暗さは、あってしかるべきだ。
 エジプトへ向かう途中で漂流した海は、ほんとうに底のない色をしていて、あれは承太郎の瞳の色にそっくりだったと、今は額の触れる近さにあるその目を、花京院はこっそり盗み見た。
 こんなことを考えているのも、剥き出しにされた躯を、承太郎の目の前に晒していることを、思い出さないためだ。
 承太郎の目の前で裸になって萎縮しないなんて、不可能だ。何もかもが肉厚の、骨の太さをそこに表す承太郎の体に、いまだ感じるかすかな劣等感のようなものを消せずに、そして、自分たちがしていることへの羞恥心も消せずに、床と承太郎の胸に挟まれて、花京院は、小さく声を立てた。
 いつものように、向かい合って坐る形になると、承太郎の腰を挟んでいっそう大きく脚を開いて、花京院は承太郎の肩にあごを乗せる。そうして、片腕だけで互いを抱いて、空いた方の手で、互いの背中や腰の辺りを撫でる。また唇を重ねながら、両手で腿の内側をなぞった。
 自分に触れて欲しくて、先に承太郎に触れる。ゆっくりと手応えを返してくるのに、指の腹に力を込めて応えて、花京院は、承太郎の首筋を舐めた。
 花京院を片腕で抱いたまま、承太郎がどこか、上へ向かって空いた方の腕を伸ばした。何をしているのかと、頭の隅でちらりと思ったけれど、深くは考えない。それよりも、今は承太郎の熱さに夢中だ。
 ぬるりと、鎖骨の辺りに何かが触れた。体温よりも低くて、皮膚よりももっとなめらかで柔らかいそれは、下目に見れば真っ白に、今は狭くなっている視界を覆い、皮膚の上に承太郎の指の跡を残して盛り上がっている。花京院の、常よりも高い体温に溶けかけている、さっきの生クリームだ。
 承太郎が、それを、舌先を伸ばして、少しだけ舐め取って見せた。
 赤い舌の先に乗った白いクリームが、やけに淫靡に見えた。
 それを正しく誘いと受け取って、花京院は、承太郎に向かって自分の舌を伸ばす。舌の先だけを触れ合わせて、口づけよりも、まるでクリームを奪い合うことが目的のように、その甘さを互いの舌の上と裏に塗り広げて、そうして、重なる胸元でも、クリームが白く広がっている。
 唾液で薄まった甘味が、口の中に広がって、花京院は、自分の口の中も承太郎の口の中も、何度も舐めた。そうして、すっかりクリームが互いの喉の奥におさまってしまうと、今度は承太郎の胸を舐める。甘くてべたべたするくせに、硬い承太郎の筋肉に、食べるつもりのように歯を立てる。
 いつの間にか、承太郎の手に、またクリームが乗っていた。
 かすかにさくらんぼの香りのするそれを、承太郎は花京院の唇の上に塗りつける。そうして、まだたっぷりとクリームにまみれた承太郎の手が、花京院の背骨のつけ根を滑って行った。
 クリームが完全に溶けてしまうまで、唇はじかには重ならない。一緒に、クリームを舐め取りながら、唇を探り合う。溶けたクリームは、ふたりの口元とあごの近くまで、白く汚した。
 花京院がそれに夢中になっている合間に、承太郎は、そろりと指を奥へ滑らせた。体温を正確に表すそこへ触れると、すぐにクリームが溶ける。味覚があるのが舌の上だけだというのはとても残念だと、承太郎の手を助けるように、そこに膝立ちになっている花京院を、少しの間上目に盗み見る。
 花京院は、まだクリームの残った唇を軽く噛んで、食べ物をおもちゃにするのは感心しないなと、視線にこめたつもりだけれど、それがどこまで承太郎に伝わっているものか、もう声が出せずに、クリームのせいでなめらかに深くなる承太郎の指に、肩の辺りを震わせるだけで精一杯だ。
 そんなふうに触れられれば、じきに全身から吹き出す汗も、砂糖のように甘ったるくなるような気がして、いつもよりも湿った音のする承太郎の指に、内側の粘膜が、いつもよりも強く絡みつこうとしていることに、花京院は気づかない。
 花京院の中に沈めた指はそのまま、もう一方の手で、承太郎がまたクリームをそこへ塗りたくる。
 承太郎の買って来たケーキを、ちゃんと食べなかった罰だと、なぜだかそんなふうに思って、粘膜から直に味わう甘さに、花京院は酔っ払い始めていた。
 あまりにもなめらかに侵入されて、それがいつの間にか物足りなくなっていて、指の数は増えているはずなのに、それを数える余裕もなく、花京院は、承太郎のみぞおちの辺りに下腹を押しつけるように腰を揺すって、先を促した。
 早く、とかすれた声で言うと、なにを、と承太郎が意地悪く返してくる。
 「・・・我慢比べは、君の方が損だと思うぞ承太郎。」
 それは、花京院の強がりでもあったし、また正しい言い方でもあった。
 入って来た時と同じほどのなめらかさで、承太郎の束ねた指が去って、すっと腿の裏側を、冷たい空気が撫でてゆく。承太郎の腕が、そう花京院の躯の形を整えるよりも先に、花京院は床に横たわって、承太郎の前に大きく脚を開いていた。
 溶けたクリームで、体中がべたべただ。まだ白く残ったクリームの跡を目で追いながら、承太郎は、花京院の脚をもっと大きく開かせて、躯を繋げる前に、また掌に取ったクリームを、花京院のそこへ塗った。
 「・・・もう、いらないじゃないか・・・。」
 そんなものは必要ないほど、承太郎を欲しがって躯が開いていると自覚して、あまりに濃くただよう甘い匂いに、花京院はふっと眉を寄せる。
 承太郎が、厚い下唇の端を噛んで、もう息を弾ませている花京院に向かって、苦笑のように目を細めた。
 唇を湿すために動いた承太郎の唇には、もうクリームの残骸もない。けれど、近く寄った呼吸に、また濃い匂いが立つ。
 今だけは、なぜか羞恥もなく、べたべたに汚れた躯を開いて、待ちかねたように承太郎を引き寄せる。躯を繋げた辺りで、濡れた音が聞こえた。
 下肢が痺れた。あまりにも突然深く入り込まれて、内臓を突き破られそうな勢いに息を飲んで、承太郎を飲み込んでいるなめらかさが、自分のせいではなく、中で溶けたクリームのせいだと、そう思いながら、承太郎を引き寄せる腕に力を込める。
 胸を重ねて、もっと深く---きっとこれ以上は無理だろうけれど---繋がろうと、互いに躯を寄せて、噛みついた首筋で声が尖る。花京院は、乱れているのは自分ではないのだと思い込もうと、目を閉じた。
 奇妙な形に足を曲げ、伸ばし、時折反り返る爪先にまで、承太郎のせいの痺れが走る。
 限界まで満たされて、一体どこまでが自分で、どこからが承太郎なのか、もう定かですらない。ぴたりと重なって、こすれ合っている下腹の間に、花京院はそっと手を伸ばした。
 その気配に気づいたのか、承太郎も、そこに手を伸ばしてくる。花京院の掌に重なった承太郎の手は、まだクリームで汚れていて、花京院の指の間に、ぬるりと、長い指が入り込んでくる。
 ふたりで一緒に、無言のまま握り込んだそれは、花京院の中の承太郎のそれと同じほど存在を示していて、それを恥じる気持ちは今は湧かないまま、花京院は、中で動く承太郎に合わせて、自分の手を動かし始めた。
 熱と、溶けたクリームが絡む。ふたりの指も、ぬるぬると滑って、絡む。
 熱いのは、もう躯の内側だけではなく、もっとわかりやすく、ふたりの手の中で、花京院が跳ねた。
 承太郎も、息を止めて、全身を震わせて、花京院の膚の上で、溶けたクリームに、色味の違う白が交じる。
 滑るように躯を外した承太郎の背を、花京院は逃がさずに抱いた。
 まだ、下腹の辺りに掌を重ねて、ぬるつく指先で、わざと承太郎に触れる。
 「・・・べとべとだ。」
 どこが、とは言わずに、わざと不満そうに、承太郎の耳にささやいた。
 「洗ってやる。」
 短く、素っ気なく、承太郎が言った。
 「全部?」
 「全部。」
 べたべたなのは、膚の上だけではなかった。
 まだ、承太郎の熱さ---と自分の熱---に痺れている下肢をだらしなく投げ出して、花京院は、それでも名残り惜しげに、承太郎を自分の上に抱き寄せている。
 承太郎のぶ厚い肩越しに、テーブルの上が見えた。クリームだけ残っていたはずの皿は、いつの間にか空になっている。クリームの甘さを思い出して、花京院は自分の唇を舐めた。そうして、味覚のないはずの躯の奥にも、同じ味が広がるのを感じて、同じようにべたついている承太郎の胸の辺りに、汚れた自分の掌を当てた。


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