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印象

* 即興小説 / 制限時間30分 / 2094字 / お題:裏切りの「えいっ!」 *

 何をしていると言う風でもないのに、ゴダンが何やら忙しそうに、手元にうつむき込んで、広い肩が大きく動いていた。
 ああ、武器の手入れかと、オイルの匂いに気がついてキリコは思った。自分のも、そろそろ全部解体して、部品まで磨く頃合いだと、ゴダンの広い背中の片隅にまるでメモでもするように考えてから、けれど今は面倒くさいと、腰の銃には手を伸ばさない。
 ザキは自己流の手入れの仕方で、見ていると幾つか直した方がいいことがあるようにキリコには見えて、どのタイミングでどうやって言えばいいかと、時々思い出したように考える。
 バーコフは、その手の作業が好きではないのかどうか、手入れをしている場に行き会ったことがない。
 コチャックはこれは癇症に、毎回小さな部品まで丁寧に敷いた布の上に並べて、それは武器と言うよりもまるで大事な玩具か何かのように、ちょっと取り憑かれたような目つきでネジの凹凸にじっと見入るのが、少しばかり不気味に見える。
 それでも、武器の手入れをきちんとするのはいいことだ。作戦中に傍で暴発でもされたら、自分も巻き添えを食う。
 結局可愛いのは自分かと、数瞬嫌気が差したのを、キリコは誰にも見せずに首を振って打ち消した。
 後ろにいたキリコの気配に気づいて、ゴダンが肩越しに振り返って来る。
 「なに見てやがる。」
 太いあごの、常に不機嫌そうに見える唇を大きく歪めて、
 「別に。」
と返すキリコに、へっとさらに肩まで揺すって見せた。
 手入れの手つきは、けれどそれとは裏腹に、奇妙に丁寧で平穏だった。これはもしかすると、ゴダンにとっては心を落ち着けるための、そんな風な動作なのかもしれない。
 誰に対しても粗暴さを隠さず、上官に対してさえ口の悪さを控えないゴダンの、自分の武器に対する愛着の様は、なぜか今キリコの心の中に、不思議な優しさを湧かせた。
 そうしてそれが、何もかもを乱暴に扱うゴダンの、ほんとうにわずかな刹那に、瞬きのようにあるとも定かではない恐ろしいほどの静けさで自分に触れる時と、よく似た手つきだと、キリコは突然気づいてしまった。
 大事にされていると、思ったわけではない。乱暴者のかすかな優しさは、過剰に受け止められてしまうだけのことだ。それでも、コチャックを見れば青筋立てて殴り掛かり、ザキを見れば意地の悪さをさらけ出すこの男の、自分に対する奇妙な親愛のような、そんなものを初めて感じて、キリコは無表情に戸惑っていた。
 皮膚を触れ合わせた同士にだけ湧く、それは不思議な親しみの感情なのかもしれない。気持ちよりも体を先に近づけて、そうして離れた後に、皮膚に触れる空気の冷たさに、相手の体のぬくもりを恋しがるような、それは気持ちと名づけるにはあまりにも即物的で、それでも人恋しさを埋められるなら、人は意外と手段を選ばないものだ。
 人恋しさと、思ってからキリコは、あれは処理ではなかったのかと、また自分の内心に戸惑う。少なくとも、ゴダンにとってはそのはずだ。では、自分は?
 キリコはふと自分の腰の銃に手をやり、その硬さと冷たさを、触れるゴダンの体と比べた。これに比べればずっと温かく、少なくとも生身の柔らかさはある、ゴダンの体。自分は、ゴダンをどう扱っていて、それをゴダンはどう感じているのだろうかと、そのまま考え続ける。
 大事な銃の手入れをすると同じ程度には、ゴダンを傷つけまいと努力しているのだろうかと、初めて考えていた。わざわざ傷つけているつもりはないし、そうであったところで、キリコに自覚はない。
 処理だと言い切るゴダンの、あの獰猛な瞳にちらつく光の、あれはもしかして何か別の意味があるのかと、キリコは思いながらまだ銃に触れている。
 キリコをぞんざいに扱いながら、痛みを与えることにためらいのないあの仕草の、けれど手指の恐ろしく優しく動く時の、あれはこの男の、傷つきやすい魂の存在のあかしなのかもしれない。
 肩肘張った姿を、単なる虚勢と理解すれば、ゴダンと言う男の浅薄に見える心の内が、案外細かな襞の多い、繊細なそれに思えて来る。それを、キリコは軽蔑したりはしなかった。
 「まだ見てんのか。」
 突然、銃を置いてゴダンが立ち上がる。キリコへずかずかと近寄り、手入れ用のオイルのついている手で、ぐいとあごを掴んで来た。
 「なにか、オレに言いたいことがありそうだな。」
 キリコは、静かな目でただゴダンを見上げた。
 「何もない・・・別に。」
 ふんとそれを鼻先であしらって、銃に触れていた穏やかさはどこへ置いて来たのか、そこからキリコの肩を押した手はいつもの乱暴さだった。
 そうやって扱われる常の、けれど今は裏切られたと言う風に感じることはなく、キリコはゴダンの、ひっそりと身内に抱いているだろう小さく光る玉のような脆弱な心の在り様を、自分の掌に乗せてありありと眺めたような気がした。
 襟元を掴まれ、引き寄せられても逃げずに、キリコは部屋の外の足音を気にしながらも、ゴダンの手を拒まない。
 腰の銃が、壁に当たって、固い音を立てた。

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