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懇ろ

 内腿の薄い皮膚に先端をぬるりと滑らせてから、シャッコはキリコの体を裏返した。脇腹の辺りから滴り落ちた汗がキリコの肋骨の浅い溝を滑ってゆくのを見て、無我夢中な自分の様を、不意にキリコに見られているのに耐えられなくなった。
 キリコを見ている時に、自分も見られているのだと言うことを、時々忘れてしまう。焦点のぼやけた瞳に、それでも自分の姿は映っているのだろうし、どんな時よりも心の奥底どころか、体の内側まで全部晒したように、自分の知らない自分をキリコに見られていることに、まれにシャッコは耐えられなくなる。
 それはきっとキリコも同じだろうと思って、それでも自分の羞恥心をどこかへ追いやって忘れてしまうことはできずに、シャッコはキリコの背中を眺め下ろした後で、膝を立てるように促して、キリコの腰を引き寄せた。
 滑るそれに手を添えて、キリコに気遣いながら躯を繋げる。どれだけ慣らしても繰り返しても、締め上げられるような感覚は消えず、必ずキリコが喉の奥でつぶれた声を噛み殺す。今はシーツに吸い込まれたその声に、余計にそそられて、シャッコは頭の片隅でそんな自分を恥じながら、止められずにキリコの中へそのまま押し入った。
 熱と湿り、摩擦を助けるには十分ではなく、そのくせ熱さはふたりを、少なくともシャッコを煽り続けるだけだ。包み込まれて、行き着く果てのなさそうな最奥へ導かれて、直に触れる粘膜がどれほど自分に寄り添って来ても、キリコを壊してしまえる己れへの、一抹の不安は消えない。
 今も、できるだけキリコに体の重みを掛けないようにしながらも、躯を繋げているそれだけでキリコには十二分の負荷だろうと、シャッコはちらりと繋がるそこを見やって思う。
 それでも、時々反り返るキリコの背中のうねり方や、全身の皮膚の染まり方で、そして何より、内側の応え方で、シャッコが今感じている程度にはキリコにもこれは快らしいと、それを直に尋ねる勇気はまだない。
 キリコに嘘をつかれるのも嫌だったし、正直に、おまえがそうしたいと言うから付き合っているだけだと、生真面目に答えられるのも嫌だった。
 触れたいと、そう思う誰かと触れ合えるそれだけで十分ではあった。それでも、躯を繋げてこれ以上ないほど何もかもを近寄せて、自分の存在が、こんな風に受け入れられ許されていると思うのは、手放しがたい快の感覚だった。キリコの寄せる眉根に苦痛を読み取っても、キリコが心配するなと言えば、重なった膚を即座に引き剥がす気持ちは失せる。キリコの表情を注意深く読み取りながら、キリコの内側を探って、眉の間が開く瞬間を見つけながら、昨日よりも今日、今日よりも明日、そうして触れられる位置の、少しずつ深まってゆくのに、誰かのことを"知る"と言うのは、こんなことも含まれるのだと、シャッコは我が身に思い知っている。
 シャッコの皮膚が、キリコを学んで、知ろうとしている。キリコの皮膚が、シャッコを知って、あらゆる感触を刻み込んでゆく。どんな傷もほとんど消え失せ、わずかにうっすら残るだけのキリコの体へ、シャッコは自分の傷だらけの体を重ねて、そうして今は、皮膚の上だけではなく、止まらずに熱をあふれさせる粘膜へ、互い同士を刻んでいる。
 シャッコの下で好きには動けない代わりに、キリコが腕を上へ伸ばした。何か掴むためか、指先がしわだらけのシーツの上を滑り、もう片方の手もその後を追う。
 そこから別の場所へ移ろうとしたキリコの手を、シャッコは素早く自分の掌の下にとらえた。指先の間に、強引に自分の指を滑り込ませた後で、キリコの両手首をひとまとめに片手に握り込んで、そのままシーツの上に縫い止めた。
 キリコの動きを封じる意図はなかった。ただ、そうできるからそうしただけだった。もがいたキリコは他意なく体をうねらせて、さらに近く腰の辺りをシャッコへ添わせて来る。躯全部が、シャッコの方へ近づいて来た。シャッコの喉が、思わず鳴る。応じて、キリコもひずんだ声を立てた。
 躯が、一緒に揺れる。互いの律動を読み取って、互いのために動く。シャッコの動きに応えようとして、キリコはシーツから膝を浮かせる不安定な姿勢になった。シャッコはキリコの腹の辺りへ片手を添えて、体を支えた。
 声と呼吸、皮膚の滑る音、そして粘膜のこすれる音、シャッコの汗が、キリコの背に滴る音も混じる、無様で猥雑な物音たちが、ベッドの上で途切れず騒々しい。
 シャッコの掌の中で、キリコの手首と手が動く。指が折れて曲がり、また伸びて、躯と同じほど雄弁に、今内側で起こっていることを伝えて来る。
 シャッコのもう一方の手は、もっと下へ滑らせて、キリコのそれに触れていた。輪郭が細かく波打ち、すでにぬるぬるとシャッコの指先にも触れ、シャッコよりも少し早く、キリコは達しそうになっていた。
 力を込めずに握り込んで、自分の動きに合わせて、シャッコはそれを撫で上げて、そしてこすり上げた。粘膜のうねりと、どこかで繋がっているように、キリコの声が躯の内側を慄わせ、皮膚を震わせ、シャッコの掌の中でそれも短く跳ねた。
 膝と一緒に、胸がシーツへ落ちる。ずるりと躯が外れ掛け、粘膜の引きずり出される感覚に、瞳の焦点は合わないまま、キリコが思わず高く声を投げた。
 シャッコは、自分の下へキリコを覆い隠し押し潰すようにしながら、またキリコの奥へ躯を押し込んだ。
 喉だけ伸ばして、もう声を殺せずに、キリコはシャッコが動くたびに喘ぐ。大きく開いた唇から、時々伸びた舌先が覗く。まるでえずくように喉を震わせて、シャッコは自分がひどくキリコを痛めつけているような錯覚に陥りながら、その罰のように、キリコの開いた唇へ自分の指先を差し込み、噛みつけとでも言うように歯列をぐるりとなぞる。
 こぼれた唾液がシーツを湿らせ、同じ唾液がシャッコの指と手を濡らす。シャッコはじきにキリコの口から指を抜き取り、それから起こした自分の体の上へ、キリコを抱え上げた。
 膝に乗せ、背中を抱き寄せる形に、下から揺するとキリコの躯が大きく跳ねる。それを抱いて押さえて、果てる直前に、シャッコはまたキリコの唇を割ってそこへ指先を差し込んだ。
 声が漏れるたび、舌が震える。その震えが、唾液に濡れた指に伝わる。シャッコはもう一度キリコの歯列をなぞって、それから、斜め下に見えるキリコの耳朶に噛みついた。
 どんな傷も、ほとんど残らないキリコに、自分の痕を残したいと、そう思わなかったと言ったら嘘になる。けれどそれよりも、同じようにキリコにも自分の指を噛めと、そう促すために、シャッコはぎりぎりとキリコの耳に歯を立て続けた。
 ようやく、キリコの舌が引き、代わりに歯列が食い込む。シャッコの長い指の半ばに、噛み切る強さでキリコは歯を立てた。
 どちらにも、歯型がついた。躯を外した後で、名残りを惜しむためにゆるく互いの体に腕を巻いて、ふたりは歯の跡に触れ、明日には消えるそれを、何かのしるしのように飽かず撫で続けた。
 揃いの跡を残して、互いに晒した、剥き出しの姿はぼんやりと互いの瞳の中に残って、それでも眠るために目を閉じれば何もかもがそこで消え失せる。明日までは残るかもしれない互いを噛んだ跡だけが、何が起こったのかを憶えている。
 冷える空気の中で、ぬくもりを手繰り寄せて、引き寄せたシャッコの肩に残るえぐれた傷跡に、キリコの指先が偶然触れた。どこかいとおしむ仕草で、キリコはそこへ指を触れさせたまま眠った。
 キリコより少し遅れて、さっき噛んだキリコの耳朶の傍へ自分の手を寄せ、形の違う歯型を並べてしばらく見比べた後でようやく眠りに落ちるシャッコの口元に、ごく淡く浮かんだ笑みは消えないままだった。

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