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絵チャにて即興。お題拝借@EGREL

「いいえ、結構です」

 虫の好かない奴など、ごまんといる。
 正規軍に所属することなく、戦場を渡り歩く傭兵など、それだけでもう世間のあぶれ者で、ひと癖もふた癖もあるのは容易に想像できる。
 そんな連中の中で、ともかくも彼らをまとめて、戦場で実際に指揮する立場にいる自分を、カン・ユーは、後方の安全な基地内でふんぞり返っている面子よりも上だと、心中密かに思っている。
 カン・ユーが素直に心酔しているのは、実のところゴン・ヌーだけだ。あの義眼が示す通り、戦場で体を張った経験のある彼は、カン・ユーに相応しい上官だった。
 カン・ユーの許へやって来る連中の中には、カン・ユーを毛嫌いする奴らもいる。そういう彼らは、自分に嫉妬しているのだとカン・ユーは思う。力ある上官に恵まれて、カン・ユー自身も指揮官としての能力に恵まれ、それを見て、傭兵しかできないあの連中は、自分に嫉妬しているのだと、カン・ユーは口には出さず──態度には出ているかもしれない──に思っている。
 なのに、とカン・ユーは、最近自分の下へやって来た新顔のあの若僧のことを、また憎々しく考えた。
 喋らず、表情もなく、上官の言うことを素直に聞いているはずのその態度に、ふてぶてしい色が隠し切れず、自分の子どもと言ってもいいほどの青二才に、まるで圧倒されるように感じるのがいっそう忌々しい。
 どこと言って目立つところもないのに、あの髪の色のせいかどうか──なぜか、まとう空気の色が周囲と違うのだと、認めたくはない──、どこにいてもすぐに視界に入って来る。あの姿を見るたびに、カン・ユーはいつも小さく舌を打った。
 作戦中にとっととくたばってしまえ。
 そう思っているがまるで伝わっているように、あの青二才は冷たくカン・ユーを見返して来て、そして何の感想もないまま、顔の向きを変える。
 怯えるでも憤るでも腹を立てるでも、何か表情が浮かぶなら、まだ可愛げがあると言うものだ。それなのにあの男は、だからどうしたと言いたげに、何もかもカン・ユーの頭上に素通りさせて、まるでカン・ユーと言う人間などこの世に存在しないと言う態度だ。
 上官としてのカン・ユーを、嫌うでも媚を売るでも、どちらでもいい、反応さえするなら、カン・ユーにも対処のしようがある。それがない。あの若僧には、それがまったくない。カン・ユーの声と命令が、まるで空から降って来るとでも言うように、カン・ユー自身には何の関心も示さない。
 無関心。カン・ユーが不慣れなものだった。
 どうしていいかわからないから、腹を立てる。腹を立て、心が引っ掛かったまま、あの青二才が気になって仕方がない。そして気になる自分に気づいて、自分自身にもいっそう腹が立つ。
 無理な作戦に参加させて、オレに怒らせたことを後悔させてやる。
 何度も何度も、ひとりの時には繰り返し考えていることを、また考えた。
 作戦中にあの青二才が戦死する、あるいは行方不明になる、そう考えるたび、薄い唇の端が曲がる。自分がどれほど卑しい貌(かお)をしているか、カン・ユー自身は知らない。


 煙たがられるのを楽しみにファンタム・クラブへ顔を出すと、すぐさまヴァニラが揉み手でやって来る。
 店の音楽と照明を、警備兵たちに袖の下を掴ませて見逃してもらっているのを、知っているぞと匂わせて以来、この商売の上手いお調子者は、へつらいの笑みを精一杯浮かべて、鼻薬の効かないカン・ユーの機嫌を取ろうといつも必死だ。
 店の中へあまり入れまいと、さり気なく前へ立つヴァニラの肩越しに、カウンター傍のテーブルで食事中のあの若僧──キリコの姿が見えた。
 それを見た瞬間、こめかみの血管が熱くなる。カン・ユーは無言でヴァニラの肩を押しのけ、真っ直ぐキリコのテーブルへ行った。
 向かう間に、何か文句を言える口実はないかと、陰険な目つきで探す。キリコは足音に気づいても顔を向けるでもなく、横顔を見せたまま、サンドイッチにかぶりついていた。
 ひとりでいるテーブルにあるのは、サンドイッチの皿と、コーヒーのカップだけだ。
 ふん、とカン・ユーは眉の端を上げた。
 「ひとりで食事か? 淋しいだろう、オレが付き合ってやろう。」
 部下に優しい上官のオレさま、と言うのは言葉にはせずに、心の中で付け加えておく。
 椅子に手を掛けたところで、キリコが斜めにカン・ユーを見上げて来た。口を動かしながら、いつものあの、表情のない目だ。カン・ユーの神経に障る、あの目つきだ。
 「結構だ。」
 顔の位置を戻しながら、キリコが平たく言う。一瞬、拒絶されたと分からないほど、それは色のない声だった。
 思わず気圧されて、無言の2拍の後で、
 「・・・何だと?」
 精一杯低めた声で凄んだつもりが、語尾が割れて、自分でもよく聞こえなかった。
 キリコは、正面を向いたまままたサンドイッチにかぶりつき、今度はカン・ユーを見ないまま、
 「結構だと言ったんだ。」
 サンドイッチから片手だけ離し、その手でカップを持ち上げる。キリコがひと口すすったコーヒーの香りが、カン・ユーの鼻先にも届いた。
 一瞬で怒りの沸騰点に達する。頬に奥歯の形が浮き上がり、こめかみにはっきりと血管が走った。
 「貴様っ! 上官のありがたい申し出を断る気か! 大体それがオレに対する口の聞き方か!」
 こんな時には全身の筋肉を総動員した、軍隊仕込みの怒号が、店の音楽をすべてかき消す。細い薄い体から出たとも思えないその声に、店全体が、一瞬静まり返った。
 視線がすべて集まり、成り行きを、誰もが黙って見守っていた。ざわめきの戻る一瞬前に、キリコが、ゆっくりと首を回して、カン・ユーを正面に見つめて来る。
 動きの止まった唇は真一文字に結ばれて、けれど不機嫌の表情はなく、瞳の色も、相変わらず涼やかなほど静かだ。そうして、キリコが、丁寧にひと言ひと言、ゆっくりと区切るようにカン・ユーに向かって言った。
 「いいえ、結構です。」
 慇懃無礼の極みのような、機械にしゃべらせたようなその声音に、見守っていた周囲から途端にくすくすと笑い声が漏れ始めた。
 音楽が再び鳴り始め、周囲の笑い声にかぶさり、そこにはあのヴァニラの声さえ混じっている。馬鹿にされたのだと気づいた時には、もうカン・ユーの怒鳴り声さえそれを消せないほど、店の雰囲気はすっかりキリコのものだった。
 赤くなった顔が青くなり、また赤くなって、あしらわれたと言う屈辱をどうやって晴らそうかと、怒りで煮えたぎった頭の中で、まだしぶとく考え続けていた。
 そして、残念ながら現実には愚鈍な人間が表わす反応としては最も陳腐な、相手を殴る、と言う手に出る。
 振り上げたその腕を、けれどキリコは、避ける何の行動にも出ず、サンドイッチを食べ続けていた。
 振り下ろし掛けたところで、その腕を後ろからつかまれ、首に腕が回って来る。
 「その辺にしておいた方がいい。」
 頭上から降って来る声は、カン・ユーには聞き慣れたそれだった。
 自分の部下のクエント人、そして、身動きできないカン・ユーの前に、別の部下が顔を突き出して来る。
 「カン・ユー大尉、アンタの食事には、この俺が付き合ってやるよ。」
 この間営倉から出て来たばかりの、乱暴者のキデーラだ。にやにや笑い掛けられて、この男が苦手なカン・ユーは内心震え上がった。
 腕は放されたけれど、首を軽く締める腕の輪はそのまま、巨漢のシャッコは、さり気なくカン・ユーを後ろへ引きずってテーブルから引き離そうとする。
 そしてキデーラと向かい合う形に、ポタリアまで顔を出して来た。
 自分たちの部下──つまり、このキリコの同僚たちだ──が、揃いも揃ってこの若僧をかばおうとする。しかも、上官である自分の体に手を掛けてまで。しかもだ、このクエント人には特別に、このオレが目を掛けてやっていると言うのに!
 内心で吠えながら、カン・ユーは、こんな騒ぎになっても自分の方をちらとも見ない、まだサンドイッチとコーヒーの食事を続けているキリコに、初めて奇妙な恐怖を感じた。
 こいつは一体何者だ。
 無関心も度が過ぎると、どこかおかしいのではないかと思え始めた。
 その間に、カン・ユーの体はゆっくりと引きずられて、部下3人に囲まれ店の外へ向かって移動させられていた。入り口の近くでヴァニラとすれ違うと、
 「まいどー。」
と、おどけた仕草で、いい気味だと言わんばかりの挨拶をされる。
 「貴様ら! オレに逆らうとどういう目に遭うか!」
 外へ押し出されたところでやっとそう怒鳴ると、ドアを塞ぐ形に立った3人のうち、今まで一言も発しなかったポタリアが、育ちの良さのうかがえる上品な仕草で、カン・ユーの耳元へ顔を近づける。
 「ここでにこやかに去って、部下の無礼に対して懐ろの深いところを見せたらどうです? 株が上がるのは悪いことじゃないでしょう、カン・ユー大尉。」
 大尉、と言う発音に、重みを加えるのを忘れない。ポタリアの冷静な、知性のある声音は、正確にカン・ユーの自尊心をくすぐった。
 「あいつは変わり者だが、AT乗りとしての腕は確かだ。腕の立つ部下は、大事にした方が得策ですよ、大尉。」
 ゴン・ヌーの、腹から張り上げるような声とは違う、静かな、けれど皮膚から直接しみ込んで来るような、親身に聞こえるポタリアの声だった。
 カン・ユーは、ポタリアの言葉を数秒吟味して、上司として部下の言い分は──時には──聞いてやらなければならないこともある、と言う表情をしっかりと浮かべて、ごほん、と静かに咳払いをした。
 「基地に戻るのが遅くなり過ぎんようにな!」
 せいぜい上官としての威厳を保って、カン・ユーはそう言い捨てて3人に背を向けた。
 振り返って、もっとひどい捨て台詞を吐きたい気持ちに耐えながら、そうしてカン・ユーは、またキリコのことを考えている。
 一体あいつは何者だ。
 人間らしさのない、ほんとうに機械のような若僧。血を流す代わりに、あの体にはPR液が流れてても驚かない。半分くらいは本気で、カン・ユーは思った。
 いつかあの面の皮をひっぺがして、本性を見てやる。怖がったり泣いたり、そんな風に惨めな姿をさらさせてやる。
 そうやって考えていられる、今この間が、カン・ユーの長くはない人生のうちでは幸せな方だったのだと、この夜のカン・ユーはまだ知らなかった。
 遠ざかる音楽と人の笑い声を背中に聞きながら、自分に命乞いするキリコの姿を想像して、あの卑しい笑みに唇の端を歪める。現実を理解しない自分が幸せであることを自覚しないことが、この夜のカン・ユーの不幸のすべてだった。

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