似て非なる
追って来る敵から奪ったツヴァークに乗り、ふたりは砂漠を渡ることに決めた。シャッコによれば遠くはないとは言え、徒歩ではどれだけ掛かるかわからない。見たことのない、明らかに地上戦用のその小型ATにシャッコが収まるには少々無理があり、キリコが搭乗して、シャッコは足にしがみつく形になる。
乗ってしまうと、周囲や足元が見えづらくなるので、シャッコと会話ができるようにコックピットは開けっ放しのまま、キリコのツヴァークは砂煙を立てて走り出した。
砂漠の日中、陽射しは文字通り射るようだ。ヘルメットがあれば、ゴーグルで目に入る光をやわらげることもできるけれど、ATを奪った時にはそんなことは考えもせず、先を急いでいたから、とにかく走り出すことが先決で、シャッコに比べれば色の淡い自分の瞳を、今は恨むばかりだ。
キリコは、上目に陽射しをにらんで、足元へいるシャッコへ聞こえないように、小さく舌を打った。
そして暑い。夜はあんなに冷えると言うのに、日中のこの暑さは何と言うことだろう。
空気の汚染で人の棲めない、今は砂漠化してしまっているサンサの方が、酸素さえ何とかなればましな暮らしができそうな分、ここよりもずっとマシだと、舌打ちの合間に忌々しく考える。
キリコはすでに、クエントにうんざりし始めていた。
そうして、ここからとっとと去りたいと思う気持ちの裏で、そうしてどこへ行く?と問う声が聞こえる。ロッチナの、あの皮肉笑いの混じった傲慢な声がその問いに重なり、相も変わらず自分は誰かの掌の上で踊らされる、戦争の駒に過ぎないのだと言う、吐き気のするような自覚へたどり着くだけだ。
それから必死に逃げて来たように思うのに、事態はまったく変わらない。
フィアナは以前以上にただの便利な道具扱いで、そのフィアナをきっちりと奪い返すために、自分はまず誰かの軍靴の先に鼻先をこすりつける真似をしなければならない。
キリコとゆくことを選べば、即座に銀河全体がまた戦争を開始する。だからフィアナは、ほんとうに荷物のように、誰かの都合で、自身の意思などあるとさえ思われずに、あちこちへ移動させられるのに、黙って耐えている。
キリコは、フィアナが連れ去られるのを黙って見ているしかない。できることは、その場からフィアナを奪って逃げることだけだ。そしてもう、逃げ場はない。
何もかもうんざりだ。キリコは心の中で吐き捨てた。
戦争も、権力争いも、PSも、キリコの欲したものは何ひとつない。キリコが欲しいのは、ただフィアナだけだった。
ふたりで。どこかへ。誰にも邪魔されない、誰も追って来ない、どこかへ。ふたりきりで。
それは不可能だと、ロッチナが皮肉に口辺を上げる。恐ろしいほど傲岸な彼の表情。
あの男の狡猾さは、キリコが戦場で生き延びるために身に着けた卑怯さとは種類が違う。何かもっと、自分は強大な力に守られているのだと誇示するような、そしてその力は驕りでも幻想でもない、何か確かなものが、ロッチナにはある。キリコは、彼と対峙する羽目になるたび、それを感じる。
フィアナはロッチナの手の中にあり、そして少なくとも、彼自身とキリコのために、ロッチナは確実にフィアナの身の安全は保障するだろう。
ロッチナの手駒として、唯々諾々とではあっても素直に動き続ける限り、フィアナが、どこか、キリコの知らないところへ連れ去られる心配だけはない。
絶対に信頼はできないが、少なくとも信用はできる男だ。
悪意と嫌悪を取り除いて、キリコはただ冷静にロッチナを評価する。
目的のためには手段は選ばない、敵にも味方にもこだわらず、利益と目的のためには平気で掌を返す、それに罪悪感などない。
ようするにあの男と自分は、どこか似通ったところがあるのだ。キリコは考え続けている。
突っ切ってゆく砂漠の風景はどこまでも同じで、どこへ向かっているかも意識に上(のぼ)らなくなる。反射だけでATを操縦しながら、キリコは前方に向かって目を細めた。
ロッチナ。キリコはまたあの傲慢な男のことを考えた。
歩兵として戦争に参加したことはおろか、ATのコックピットを覗き込んだことすらなさそうなあの男は、キリコ同様、フィアナを欲してる。キリコとはまったく違う理由で、フィアナを手に入れようとしている。
フィアナは今ロッチナの手の中にあり、キリコは、この砂漠だらけの星でひとりぼっちだ。
相変わらず戦争の、あってもなくても何も変わらない歯車で、ATに乗り続けている。
武器を背負った棺桶と、揶揄と嫌悪を込めて呼ばれるATに好き好んで乗り、戦争から逃れられず、戦場でしか生きられない。逃げようにも逃げる場所はなく、家と呼べる場所もない。
キリコの生き方は、馬鹿にされても、決して認めてはもらえない。ボトムズ乗りは、戦争の犬ですらない。
それでも、おれにできるのはこれだけだ。
視界がぼやけているのに気づかなかった。操縦桿を握る手に力が入らず、咄嗟にATを止めると、下方からシャッコの声が聞こえた。
「おい、大丈夫か!」
真っ直ぐ進んでいたつもりで、進路を少し外れていたらしかった。シャッコは少し前からそれに気づいて、キリコに声を掛けていたのに、それも聞こえなかったようだ。
止まったツヴァークから離れ、シャッコはコックピットへ、キリコを心配してよじ上(のぼ)る。キリコはそれに気づかずに、コックピットから出ようと、体を外へ乗り出した。
ずるりと、上半身の重みで、体が滑り落ちる。目の前に落ち掛けて来るキリコを、シャッコは反射的に横抱きに受け止めた。
「おい、しっかりしろ。」
キリコにも少々狭いコックピットに、とにかくキリコを引きずり戻し、操縦桿の前に座らせて、シャッコは頬を2、3度軽く叩く。
少しずつ瞳の焦点が合い、目の前にいるのがシャッコと気づくと、やっと正気に戻った表情で、キリコは軽く頭を振った。
「陽に当てられたか。」
目を細め、また頭を振る。頭痛はない。視界がくっきりと鮮やかになり、目の前にいるシャッコのおかげで陽射しは遮られ、キリコは少しの間、その即席の日陰に喉を伸ばした。
「大丈夫だ、砂漠ばかりで気が散った。」
コックピットの中に足だけ入って、シャッコは心配そうにキリコを見下ろしている。
操縦を代わろうと言いたそうに見えたけれど、足にしがみついて移動する方が危険だと思ったのか、シャッコはそれ以上は何も言わなかった。
「大丈夫だ。」
もう一度、シャッコを説得するように、キリコは言った。
シャッコはまだすぐには動かず、キリコの言ったことを確認するようにキリコを眺めて、それから、キリコの頬へ触れた。
「熱はないようだな。」
シャッコの丈高い体が、キリコの方へ倒れて来る。もう一方の手でキリコの前髪を上げて、シャッコは自分の額とキリコの額を合わせた。
環境に、体は慣れてしまうものなのか、陽射しに炙られているのはシャッコも同じはずなのに、シャッコの額はひんやりと冷たく、そしてその体が作る日陰の内側で、キリコはわずかでも息がつける。
クエントは確かに忌々しい場所だけれど、少なくともキリコはひとりきりではなかったし、このクエント人は信頼できるのだと、今さら思い出していた。
シャッコがキリコから離れ、けれどまだコックピットから去らず、まるでキリコのためのように、陽射しを遮ってそこでキリコを見下ろしている。
シャッコに降りろとキリコも言わず、せっかくの日陰を、心ゆくまで味わうことにした。
「おれが倒れてもおまえに運んでもらえるが、おまえが倒れたら、おれには運べないな。」
シャッコの、ほとんど見えない眉がわずかに動く。2拍、何か考えるように、シャッコの顔の上に、薄く表情が走った。
「そうなったら、おまえはおれを置いて行けばいい。おれは傭兵だ。覚悟はいつでもできている。」
いつもの、感情の現れない淡々とした声だ。虚勢を張っているとも、キリコのためだとも、どちらの気持ちもこもっているようには聞こえなかった。
「それが、クエント人の考え方なのか。」
こうやって問い詰めずにはいられない自分は、きっとクエント人には鬱陶しいことだろうと、キリコは思いながら言葉を続けずにはいられなかった。
シャッコがぶ厚い肩をすくめる。コックピットの中で、日陰の輪郭が動く。
「多分な。」
まるであやすよう──あしらうように、ではなく──に、シャッコが軽く言う。
声音の浅さが、シャッコの照れだとキリコにもわかった。
恬淡と、何事にも心を動かされない風のクエント人が、けれどなぜか自分には、奇妙な真摯さを、隠し切れないように覗かせる。
クメンからあっさり去ったと言うシャッコが、なぜキリコの面倒には、一緒に巻き込まれようとするのか。
仲間だとか友達だとか、ゴウトやヴァニラやココナが、なぜか自分に示し続けてくれている親愛の気持ちを、キリコは今、目の前のシャッコから感じている。
これが恐らく、ロッチナと自分を隔てているものなのだと、キリコはふと思う。
おれはひとりではない。
フィアナはここにはいない。けれど、キリコはひとりではなかった。
「行こう。」
日陰を惜しみながら、キリコは短く言った。
「ああ。」
シャッコが、コックピットから足を抜き出し、そこから軽々と地面へ飛び降りる。
ツヴァークを、やや左寄り前方へ向け直し、キリコは操縦桿を握る手に力を込めた。
再び走り出すATが、クエント人の、シャッコの村を目指す。そこに何があるのか、キリコはまだ知らず、これから一体何が起こるのか、あれこれ想像することはたやすかったけれど、キリコはそれを全部心から締め出した。
砂しか見えない砂漠を、ATが走り続ける。前方に注意を据えて、頭の中はすっかり冷え落ち着き、もう、フィアナのことを考えるのもやめた。
ロッチナの嘲笑だけが、耳障りに尾を引いていたけれど、黙れと心の中で切り捨てると、それもいつかきれいさっぱり消えた。
ツヴァークの短躯の下で、砂を噛んで後方に吐き散らしてゆく音だけが聞こえる。生身の視界が狭まり、まるでATのスコープ越しのそれのように丸く切り取られて見える、熱せられた空気が揺れる砂漠の風景を、キリコはただ無表情にねめつける。