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* 幻影後のいつか。

The Moment

 ぬるりと、腿の内側へ熱が触れた。先端が滑り、目的の場所ではなく腿の付け根辺りへそれ、キリコは思わずすでに引き寄せられている腰を浮かせて、シャッコの方へすりつけるように下から動いた。
 さらにキリコが動こうとするよりも早く、シャッコが今度は確かに躯を寄せて来る。
 馴染んだ熱が、確かな高度と質量を持ってキリコの躯を押し開いて来る。繋がった最初の数瞬、いつも抗うように体がこわばる。そうではなくて、もっと奥へと思うのに、躯は己れではない異物にもっともな反応を返して、シャッコはいつもそれへ眉を軽く寄せて耐えてから、やっとキリコの中へもっと深く繋がって来る。
 シャッコの胸は少し遠く、腕を伸ばしても今は届かない。見下ろされて、脚を開いた無防備な様を、シャッコは一体何を思いながら眺めているのか、キリコは熱の紗の掛かった視線を横流しに、腕を振ってシャッコを手招いた。
 抱き寄せて、抱き寄せられて、シャッコの広い背中へ両腕を回し、キリコは寄せる波へたださらわれてゆく。膝頭が、動くシャッコに合わせて揺れ、押し潰されて開き切った両脚が確かに痛むのに、それよりも繋がった熱の方へ意識を取られて、半開きのキリコの唇から途切れなく漏れる声が、ひどく甘ったるい。
 喉をひっかくような、普段の声よりも少し高く、シャッコの片胸へ鼻先を押し付けて、あごを引いて喉を潰せば声の甘さも塞げるかと思うのに、かえって割れた声がいっそう輪郭を失って、シャッコの耳にとろけて流れ込んでゆく。キリコはそれを知らない。
 揺れる体を支えるためにシャッコにしがみついて、そうして、知らずにキリコの躯は勝手に揺れている。下から、シャッコに合わせて、少しだけ違うリズムで動いている。
 熱が絡み合っているのだけは分かる。自分の内側がどんな風に反応して、シャッコに触れているのかは分からない。シャッコがそれを求め続けるのなら、それはそういうことだとだけ理解して、快とも不快とも自分のことすら見極めないまま、抱き合う安心感のせいだけにしている。
 誰かに、自分の傷つきやすさを明け渡すと言うこと。たとえ一瞬にせよ、仮死の瞬間を互いの掌へ乗せて眺め合うような、これはそんな風なことだ。
 裸の膚をこすり合わせる。爪を立てれば跡が残り、皮膚をえぐれば血も流れる。唇が触れた後には赤い痣ができて、時々自分たちは互いを食み合っているのかもしれないと、キリコは思う。
 歯を立てた肉と皮膚を食いちぎることはせずに、ただ舐めて、それは相手を食べてしまうことの代替なのか。あるいはこうしてシャッコを小さな筋肉の窄まりの中へ食い締めながら、結局は食い殺すことはせずに相手を逃がすことを、ただ繰り返しているだけなのか。
 小さく熱を吐き出す、短い仮死。束の間の、奇妙に穏やかな殺し合い。殺伐とするはずもなく、むしろ互いをいたわりながら触れ合っている。弱さを持ち出し合って、互いの無防備を触れ合わせて、唇の間で呼吸すら分け合って、殺し合いにも思えるこれが、同時に命をひとつに融け合わせているようにも見える。
 皮膚に隔てられた互いの魂。皮膚と肉を切り裂いたところで、掌に乗せてほらと見せられる、形のあるものでもなく、それでもこうして熱を分け合う時には、確かに相手の魂の在り処へたどり着いているのだと、そう感じる瞬間がある。
 キリコは腕を伸ばし、シャッコの腿の裏側へ触れた。そこをいっそう近く引き寄せるようにして、熱く繋がった躯をさらに深く寄せて、シャッコの脚の筋肉が自分の指先を押し返すのに、お返しのように、内側でシャッコをもっと強く締め付けた。
 シャッコの眉がはっきりと寄ったのが見え、それと一緒に自分の喉が裂けたのを感じた。
 わざと、シャッコの腿へ爪を立てた。躯が外れてゆくのをまだすぐには許さずに、キリコは自分の爪の跡がシャッコの膚の上へ残るように、人差し指の先へ力を入れた。
 せめて数日、自分がそれを見るたびにシャッコと交わした熱の、その熱さを思い出せるように、キリコはシャッコの体へしるしを残したかった。
 キリコだけが触れられる、そして触れたいと思う、シャッコの体だった。その内側へ包まれた魂の、銀色がかった光へふと目を細め、キリコはようやくシャッコから手と躯を外し、それからシャッコの頭を抱き寄せる。
 シャッコはキリコを壊さず、キリコはシャッコを殺さず、求め合うのは仮死を与え与えられる、その瞬間だけだ。互いだけが与えられる、その瞬間だった。
 まだ汗に滑るシャッコの肩の、浅くつるりと抉れた傷跡を、キリコは指先に探る。もっと違う形で残したかった、自分の跡だった。それへ額を寄せて、自分の背中を抱くシャッコの腕の中へ収まりながら、キリコはわずかに反らした背の根元に、シャッコが注いだ熱の名残りを感じている。
 それが、キリコの中のシャッコの跡だった。皮膚の上の傷よりもさらに素早く消え去るその痕跡を、せめて夢の中へ連れて行けるように、シャッコの長い足へ足首を絡みつかせて、キリコはふたつの体の間へ熱を含んだ空気を閉じ込める。
 瞬きをしたまぶたへ、シャッコの唇が、わずかな熱を置いて去って行った。

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