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絵チャにてネタ拾い。ややネタばれ注意。お題拝借 / 30の感情に関する一文字の御題1@6倍数の御題

 あのぎらつく目。キリコが視界に入るたびに、急激に瞳孔が縮小して、そしてまるでそこで人格が入れ替わったとでも言うように、すっとザキの上に1枚かぶさる、殺意と言う膜。それが、どこか身に着かない、大きさの合わない服のように、ザキの生来のものではないのだとキリコは気づいていたけれど、まるで無理矢理移植された皮膚のように、色や質感の微妙に違うそれが、ザキの全身を覆う。
 本来のザキはその膜──あるいは、もう1枚の皮膚──の下で、自由にならない自分の体に驚きながら、必死に素の自分に戻ろうともがいている。キリコには、自分を睨みつけるザキが、そんな風に見えた。
 不意をついて距離を詰めれば、一瞬視線が追いつかず、視界がそれた途端に、あの殺意の膜は一瞬で消える。殺され掛けるのには慣れている。けれど自分を殺そうとする誰かと行動を共にし、寝起きまで常に一緒と言うのは、さすがにキリコも慣れないことだった。
 いつもなら誰かが傍に一緒にいる。ゴダンか、バーコフか、コチャック。ザキがおかしくなっても誰かが止めに入るだろうと、あまり深刻に考える必要もない。今は珍しくキリコはザキとふたりきり、他のベッドはすべて空で、他全員を忌々しいと思っている分隊全員、どこへ行くとも何をするとも誰にも一言も言わず、こんな風に姿を消す方が、きっと顔を突き合わせて結果手の出る喧嘩になるよりはずっとましなのだろう。
 目を覚まして最初、ザキしかいないことに気づいて、キリコは自分もさっさとどこかへ行こうと考えた。またあの睨む目に出会って、ザキがおかしくなれば、自分だけでザキを押さえつけて正気に戻すのがただひたすらに面倒くさい。ナイフか銃を出されれば、さらにもっと面倒なことになる。
 ザキも同じことを考えていたのか、ベッドを区切る短いカーテンの間からちらりとだけキリコを見て、ザキを見ていたキリコと目が合った瞬間、ざっと緊張が、横になったその薄い背に走る。まずい、とキリコは思って、その瞬間にはもうベッドから足を下ろしていた。
 AT格納庫にでも行こう。機械に触れていれば、とにかく自分は落ち着ける。
 ザキには声を掛けず、キリコは部屋を出た。
 おまえを見るとおかしくなるんだ。ザキ自身には覚えのないらしい、キリコに対する強烈な悪意を、それならおれを見るなと素っ気なく切り捨てる気にはなぜかならず、それぞれが、不協和音のように寄せ集められた分隊の中のひとりになってみれば、ザキの視線に今は悪意以外のものが混じるのをキリコは感じないでもなかった。
 とは言え、悪意も含めたその複雑な視線を、真っ直ぐ素直に受け入れられるほどキリコ自身は寛容でもなく懐ろも深くなく、何よりそんな余裕はない。
 相手が悪かったな。薄暗いAT格納庫の入り口で足を止め、人気のない分寒気もひどいこの場所で、キリコは深くも考えずにシャツ1枚で来てしまったことを、今になって後悔する。ザキのことを考えながら、他のことから心がそれていた証拠だ。ザキの視線に出会うたび、キリコは落ち着かない気分になる。投げやりにもなれず、優しく受け入れる気などもちろんなく、かと言って真面目に対処する気にもなれない、ただひたすら、あの視線の意味それ自体理解し難く、放っておくしかないと、そう結論づけるしかなかった。
 自分のATのコックピットへ上がるつもりで、キリコはやっと格納庫の中へ足を踏み入れた。
 降着ポーズで置かれた、他のマシンの前を通り、いちばん奥へある自分のそれへ近づいた時、後ろから軽い足音が走ってこちらへやって来る。今では分隊以外誰もいないこの基地では、聞き分けに耳をそばだてる必要さえない、明らかに誰よりも体重の軽い、飛ぶようなその足音は確かにザキのものだった。
 「キリコ!」
 声変わりのまだ終了しない、語尾がしょっちゅうかすれる声。その声の割れ方は、キリコ自身まだ記憶に新しく、ザキがキリコを落ち着かない気分にさせる理由のひとつだ。戦歴は比べものにならなくても、2歳差が、この年頃には思った以上の差があるのだとしても、現実的にはザキもキリコも、少年と言う同じ区分に入るのだ。自分たちよりも10以上上の男たちに囲まれれば、余計に自分たちの幼さが一緒に際立つ。ザキのその幼さは、ほとんどそのままキリコ自身の幼さも見せつける。普段は意識しないそれが、自分の目の前に突き出されるような感覚に、キリコは無自覚に苛立ってもいる。
 面倒くさい。コックピットを見上げていた顔を、思わず爪先へ落として、キリコは見えないように、聞こえないように、小さくため息をこぼした。
 「何か用か。」
 近づいて来るザキの方は見ずに、キリコは素っ気なく訊いた。
 「別に。」
 針のように、意味もなく尖った声が答える。
 だったら部屋へ戻ればいい。そう言いたいのを、キリコはただ飲み込んだ。
 横顔に突き刺さる、ザキの視線。正面から向き合うよりは激しさはやややわらいで、それでもキリコの視線を引きつけるに充分な烈しさがある。瞳だけを動かして、キリコは思わずザキの方を見た。見て、そして、瞳が向き合った瞬間に、ザキの瞳孔がまたひと回り小さくなるのを、薄暗い格納庫の中でもきちんと見分けてから、自分がそうしたことを後悔する。
 ザキの唇が震えた。向こうもシャツ1枚だ。腰の銃のホルスターは空なことを素早く見て取って、隠していてもせいぜいがナイフかと、キリコは身構えながらやっとザキの方へ体を向けた。
 握りしめた拳は、振り上げたり、何か武器になるものを取り上げたりしないようにか、爪が食い込み白くなっている。思ったより小さな、骨の形ばかりの目立つその手と手首を数秒見つめてから、キリコは不意にやるせない気持ちに襲われて、いっそここで気の済むまで殴り合いでもやって、せめて素手では絶対にかなわないことを体に思い知らせてやるべきかと、たかが2歳違いを、天と地ほどの違いのように感じながら、足を前へ踏み出すべきかどうか迷っていた。
 驚くほどすべてが幼いザキが、なぜ自分たちと一緒にいるのか、ザキ自身も抱いているはずのその疑問が、この悪意の他に、ザキが自分へこうやって向かって来る原因でもある。
 自分の方が、あらゆることに経験は上だと、普段はない傲慢さをわざわざ掘り返して、キリコはやっとザキへ一歩近づいた。
 キリコに視線を据えて、ザキが身構える姿勢になる。飛び掛るためか、逆にそれを押し留めるためか、勝手に動き出す体を意識して、ザキがその場に打ち込まれた杭のように全身を固くしたのに向かって、キリコは静かに下から腕を伸ばす。ごく自然に、ゆるく開いた掌をザキの方へ向け、指先を内側に90度に折った手首は外側に、右の掌をそうして、ザキの顔の近くへ差し出してから、まずは視界を遮った。
 空いている左手は、これもそっとザキの腕を掴み、逃げられないようにしてから、今度は完全に右掌をザキの目の上へ重ねる。鼻先が触れ、頬骨が触れ、まつ毛の先が指の腹をくすぐる。視界を塞いだ途端に、ザキの体から力が抜け、支えを失ったように右肩が落ちる。
 「おれを見るな。」
 静かに、けれど充分に威圧感は込めて、キリコは足元を這うような声で言った。
 キリコに向かって、首を真後ろに折るようにあごを上げたザキの、目元だけが見えないその顔は、見慣れたいつものそれとは逆だった。ヘルメットをかぶった、見えるなら目元だけの姿が隠れ、今までほとんど見たことのない目の前のザキに、顔の上半分を隠すと、人はこんな風に無防備に見えるのかと驚きながら、その通り無防備に、自分の目の前にふらりといるザキの右腕をつかんだ手に、キリコは自然に力を込めていた。
 「キリコ・・・。」
 不安げな声で、唇がかすかに動く。語尾がまた、かすれて割れていた。
 掌の下で、心細さを隠せずに、ザキが瞬きを繰り返している。キリコの掌が作った闇の中で、それでも指の間から薄く入るかすかな光に目を凝らすようにザキの眼球が動くのが、キリコにもはっきりと伝わっていた。
 「オレだけ見えねえのは不公平だ。」
 憎まれ口の、けれどいつもの気の強さはやや失せて、言いながらザキも、手探りで目の前のキリコへ向かって手を伸ばして来る。両手が、腕から肩に触れ、そこから首筋をたどり、頬を包むように伸びて、ようやく目元へ届く。キリコはじっとそれを避けず、ザキの両の手の指先が、きれいに揃って自分の両目を覆うに任せた。
 まるで何かの遊びのように、ふたりでそうして目を隠し合って、互いに見えているのは互いの掌だけだ。けれど、そうして失せた距離が、珍しく殺伐とした空気なしにふたりを近づけ、見上げ、見下ろして、偶然別の何かを思わせる姿勢を取っていると、ふたりはまだ気づかない。
 ザキの指先の感触に、キリコは幼い記憶を手繰り寄せている。自分の目元を不意に覆う、誰かの小さな指先。
 だーれだ。
 歌うようにささやく声。耳元に近づく呼吸。背中に重なる体温。ただひたすらに甘いだけの、子ども同士の匂い。こちらの目を傷つけたりはしないように、思いやりを込めて、戯れるために自分の顔にそっと乗る小さな掌。自分の顔の傍で揺れる空気と、声の調子にこもる、口当たりの良い馴れ馴れしさ。自分の目を覆うその手に、キリコは自分の幼い掌を重ねた。一緒に立つ笑い声。あの手。ATの操縦桿になど、届くはずもなかった、幼い手。
 「キリコ・・・?」
 触れた掌から、まるでキリコの心の動きが伝わるとでも言うように、窺うようにザキの声が呼ぶ。はっと我に返って、けれどまだザキの目から手を離せず、戸惑ったふた拍の間に、ザキの指先が先にキリコの目元から外れて行った。
 「キリコ?」
 見えないせいの迷いか、見下ろすザキはぎらぎらしさも失せて、ただひたすら子どものように見えた。あの強烈な視線がなければ、今見えるのは薄く開いた唇ばかりだ。
 ザキの唇へ目を当ててからようやく、キリコは、こうして見上げられて見下ろしている今の自分たちが、殺し合いを避けようとしているふたりではなく、まるで逆の親しさを示そうとしている間柄のように見えることに気づいて、喉がひりつくような、痛みにも似た渇きを覚えた。
 その渇きの感覚に驚いた一瞬後に、そう感じたことを警戒するキリコの心のどこかが、ザキを今すぐ離せと叫んだ。そして、その警告の声とは逆に、手はザキの目元から滑って外れた途端、キリコの両腕はザキをその中に抱き寄せていた。
 「・・・キリコ・・・。」
 決してこうすべきではないと言う自分の判断に、体が逆らう。理由はわからず、まだひりつくような渇きは消えないまま、それは背骨の奥の方で小さな疼きに変わりつつあった。
 目を合わせないためだ。そう言い訳できないわけではなかった。ザキの小さな頭を自分の胸元にもっと近く抱き寄せ、そこに自分のあごを乗せる。ザキの腕が散々ためらった後にキリコの背中に回り、そうして、腕の細さはともかくも、腰に下ろさなければ回り切らないザキの腕の長さの足りなさ加減が、キリコの胸をまたひどく疼かせた。
 様々な理由と原因の重なった、幼いだけの抱擁に落ち着きながら、しんと静かに冷え切った格納庫の薄闇の中で、ふたりはそうして抱き合っている。親を見失った幼い獣が、身を寄せ合って過ごす夜のような、あらゆることが優しさだけに繋がって行き着く、殺し方は知っていても愛し方はまだ知らない幼いふたりの、これが今は精一杯だった。

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