「引越しをしようか」
突然、父はそう切り出してきた。何の脈絡も無く。
どうしたんだよ、と俺が聞くと、父は申し訳無さそうな顔でこう言った。
「全てを忘れて、新しい場所で生活しようと思ってな」
その言葉を聞いて俺は「ああ」と心の中で頷いた。
俺たち家族は言わば、普通の家庭とは違う。
父はちゃんと血の繋がった俺の父だ。けど、母と妹は違った。
異母義妹、と言うのだろうか。父は俺の本当の母親と離婚し、別居した。そしてどう言う繋がりで出会ったのかは知らないが、父は今の母と再婚したのだ。
流石に俺は困惑した。そりゃそうだろう。顔も面識も無い、赤の他人が母親になるだけでも驚きなのに、さらには一つしか歳の違わない女の子が妹になるのだ
から。
だからだろうか。家はいつもどことなくギスギスしていた。
義妹(いもうと)であるひかりは俺をさん付けで呼び、俺は今の母親を「母さん」と呼ぶことは出来なかった。
食事や態度もどこか他所他所しく、家はいつも静かだった。
父はそんな家庭をどうにかしたかったのだろう。離婚の傷を忘れ、重い空気である今の家庭を正しかったに違いない。
「引越し場所はどこにするんだ?」と俺が聞くと、父は静かにこう言った。
「雛見沢村なんてどうかな、思うんだが」
――雛見沢村。
あまり聞いたことの無い村の名前だった。父が言うには寒村でどが付くほどの田舎らしい。
昔、ダム工事かなんかで色々問題があったらしいが、まぁ俺には関係の無いことだろう。
正直、父がどうしてその村を新しい生活の場所に選んだのか理解できなかった。だって”村”だぜ?何も無いんだぜ?電気やガスや水道も! まぁ俺のその偏
りも後で改めさせられることになるのだが。
けど、理解出来なかったけど反対しようとは思わなかった。新しい雑誌とか漫画とか、欲しいゲームとかが気になるような趣味は俺は持っていなかったのだ。
母と妹も承諾し、雛見沢村へと引越しした。
正直、村の何も無さには閉口するしかなかった。流石に電気、ガス、水道は通っていたが、コンビニも無ければ映画館も無い。デパートやゲーセンすらも。
こんなところで生活するのかと思うと、正直不安だった。
だけど、見知らぬ土地や家並だろうか、自然と俺たち家族に話題が生まれつつあった。
俺はいつしか自然と「母さん」と呼ぶことが出来、妹も自然と俺を「お兄ちゃん」と呼ぶようになっていった。
満ち足りた日々、と言うのだろうか。父が雛見沢に引っ越そうと決めたのは正しかったのだ。
雛見沢は確かに物としては何も無い。だけど、形無いモノは都会に無いモノがあった。
それは、村人同士の絆だ。
一人が苛められたら村人全員でやり返すその信念は最初は怖いとさえ思ったほどだ。
実際、雛見沢村から少し離れた興宮町でついうっかり不良達のバイクを転倒させてしまい、絡まれていたところを一人の女性が助けに入り、そのまま近所の何
人かも俺を助けに来てくれたほどだからだ。
俺を最初に助けてくれた女性は園崎詩音とだけ名乗るとそのまま帰ってしまったが。
次の日、俺と妹は雛見沢にある学校に登校することとなった。
営林所を間借りして校舎にしたその建物はクラスは一つしか無く、教師も一人、生徒数も20数人で年齢も学年も別々で学校とは言えないくらいバラバラな合
同教室だった。
けれど、引っ越してきたばかりの俺とひかりを、皆は温かく迎えてくれた。
黒板消しをセッティングし、おほほと高笑いをする北条沙都子。
痛いの痛いの飛んでけ、と頭を撫でてきた古手梨花。
どうやらクラスの委員長であり、リーダー格でもある園崎魅音と、その姉であり、町で俺を助けてくれた園崎詩音。
かぁいいものが大好きでちょっと天然なところのある竜宮レナ。
そして、なんだかいつも騒がしくて、口先は達者な前原圭一。
俺は学校に来て僅か一日でこんなにも沢山の友達が出来てしまった。
最初は戸惑った互いの弁当の突付き合いも、今ではすっかり慣れたものだ。
だけど、たった一人だけ、みんなの輪に馴染めない子がいたのだ。
もう1週間経つと言うのに、今だに彼女だけはまだ・・・・・・。
1
その日もいつものように、俺は部活に汗を流していた。
が、それは運動から来る爽やかな汗とは違う、なんつーかこう・・・・・・悪寒じみた冷や汗みたいなものを流している。
――ゴクリと喉が鳴る。
時間は止まっていて無音。否、聴こえるのは互いの鼓動と息遣いのみ。
「緊張」と言う二文字に今この場は支配されていた。
動けばやられる、だが動かなければ進めない。まるで袋小路、葛藤とも呼べる心理。
俺は相手の出方を伺い、ゆっくりと自らの腕をソレに伸ばす――!
「これだぁ!!」
ばっ!と機敏な動作で手にしたソレは・・・・・・。
「げ!ジョーカーかよ!?」
見事に、ジョーカーを引き当ててしまっていた・・・・・。がっくり。
えーと、状況を説明するなら、今部活メンバーでババ抜きをしている。以上。
「くっくっく! まだまだ読みが甘いね浩ちゃん!」
部活メンバーの部長であり、最強と言っても良い魅音が自身の勝利に酔い痴れている。
「くそー!絶対右だと思ったんだけどな・・・。読みすぎたようだ」
「まぁ、浩二の気持ちは理解るぜ。俺も魅音にやられたからな、浩二と同じ状況で」
「でも、浩二はよくやったのです。なでなでなのですよ」
梨花ちゃんが手を俺の頭に乗せて撫で撫でしてくれる。うう、皆と知り合って1週間経つが、流石にこれはまだ慣れない・・・・・・。
「うん、浩二君はよく頑張ったと思うな!」
「ええ、部活メンバーに入れても文句ありませんわ!」
レナと沙都子が互いに俺を賞賛してくれる。うん、悪い気分ではない。
そもそもこうなったのも、魅音が言った言葉から始まったのだ。
「諸君! 会則に則り、部員の諸君に是非を問いたい!!
後原浩二とその妹である後原ひかりを新たな部員として我らの部活動に加えたいのだがいかがだろうか!?」
昼休み。いきなり魅音が俺の肩に手を回してそんなことを言ってきた。
圭一達はなにやら「良いんじゃないか」とか「レナはOKだよ」とか言っているが俺には皆目検討がつかない。
「ちょ、ちょっと。一体何さ部活って?」
俺が説明を求めるとレナが詳しく部活の説明をしてくれた。
どうやら皆で楽しくゲームをして遊ぶようなのだが、普通の遊びとは違う。
・会則第一条:遊びだからなんていういい加減なプレイは許さない。
・会則第二条:勝つためにはあらゆる努力をすることが義務付けられている。
とあるように、割と本気っぽい部活動なのだ。
さらに、この部活には負けられない最悪の結果がある。
それが、「罰ゲーム」。
勝者は敗者に、様々なペナルティを与えることができる。
この場合の勝者とは、ビリ以外の全員である。
俺は最初、どうせ罰ゲームだからってたいしたこと無いだろとタカを括っていたのだが、
『侮るな浩二。魅音が罰ゲームと言えば、村の往来をメイド服姿で帰宅させたりスクール水着を着せられて膝枕させられて扇で煽ったり弟になったりとかもある
んだぞ!!』
と言う、圭一のなんだか実際体験したみたいな罰ゲームの内容になんだか言い様の無い恐怖を感じたのである。
しかも、同じクラス(と言ってもクラスは一つしかないのだが)富田君と岡村君が言うにはかなり濃い罰ゲームらしい。
しかし、魅音が俺を部活に誘ったのも理由がある。
妹である、ひかりのことだ。
雛見沢小学校に転入してきてもう1週間。俺はこのドタバタした交流関係に慣れ、居心地が良いと思うようになっていった。
けれど、ひかりだけはまだこの状況に慣れていなかった。
もともと人見知りする子だが、見知らぬ土地、見知らぬ学校、見知らぬ顔だらけで彼女は終始緊張の連続だった。
クラスの皆が話し掛けたりして積極的に輪に入れようとするのだが、黙ってばかりでなかなか心を開こうとしない。
ひかりが心を許しているのは、兄である俺くらいだ。
クラスはおろか、部活メンバーには俺たちが血の繋がっていない義兄妹とは言っていない。言ったところで彼らには関係の話だし、知ってもらって変に気を使
われても仕方無いからだ。
だからこそ魅音は、未だ疎外感を感じている俺たちとひかりの溝を埋めようとしたのだろう。
それが、部活。
皆で楽しく騒ぎ、笑いあい、親交を深める。実に魅音らしい作戦だ。
けれどひかりは―――
「部活・・・・・・ですか? すいません、私は一人でいる方が落ち着きますから」
と言って、教室の隅に座って本を読んでいたりする。
魅音は負けじとしつこく食い下がるのだが、ひかりは一方的に無視。
嫌っているとかそう言うわけではなく、ただどう接して良いのか、なんと言えばいいのか解らないから黙っているのだろう。
だけどひかりのことをあまり知らない他人からすれば、相手を一方的に嫌って距離を置いている、壁を作っているとも見て取れる。
否、実際壁は作ってあるだろう。多分、恐怖と言う。
けれど魅音は怒ることなく、何度も何度もアタックした。
観念したのか、ひかりは読んでいた本を閉じると、魅音に向き合いこう言った。
「あの・・・わかりました。その・・・あの・・・一回だけ、なら・・・」
緊張を帯びた返事。しかし魅音はそれを気にすることなく、ひかりの手を取り喜んでいた。
「よーし! それじゃ浩二も参加すること、いいね!!」
「え、俺もか!? まぁ別に良いけど」
突然同意を求められて驚く俺だが、断る理由は特に無いので頷いておく。
「よ、よし。俺も男だ。おまえ達には負けない!」
「おお! いいねその闘志! おじさん気に入ったよ!!」
「こりゃ負けられねぇな! 覚悟しやがれ浩二!!」
魅音と圭一が俺にメラメラと闘志を燃やす。
梨花はにぱーと笑ってその場を傍観してるが、静かに燃える炎を俺は見逃さない。
沙都子も見れば目が本気である。
こうして、俺とひかりを入れた7人で部活(しょうぶ)の火蓋が切って落とされた!
2
「げ!ジョーカーかよ!?」
そして、見事惨敗を記したわけである。
ババ抜きは運が勝負だから部活初参加の俺でもなんとかなると思ったのが大間違いだった。
カードにはそれぞれ傷がついていて皆その傷でカードの種類を見抜いていたのだ。当然ジョーカーもお見通し。
その事実は2回戦の時に気付いたのだが、記憶力の悪い俺はカードの傷で種類を覚えるなんて出来っこなかった。
「ひかりは・・・」
俺はふと気になってひかりの様子を見る。丁度沙都子と対峙しているところだ。
ひかりは沙都子の持つ4枚のカードのうち左の端を抜き取った。そして自分の手札を見て揃ったカードを抜いて捨てる。
「どうやら順調のようだな」
「妹思いだね〜。どうひかり? 楽しい?」
魅音はニヤニヤしながら俺を見たあと(俺は当然そっぽを向いた)、ひかりを見てそう訊ねた。
ひかりは「はい」とだけ答えると今度はレナに向く。
「ありゃ、まだ他所他所しいね」
魅音はそんなひかりの仕草に怒ることなく言った。
「やはりさ、もっと皆が楽しくなれるようなことした方が良いんじゃないか? ババ抜きは流石に地味だし」
「うっ! い、いやけどさ・・・・・・圭ちゃん! こうなったら口先の魔術師の出番だよ!」
「は?」
いきなり話を振られて固まった圭一だが、すぐに表情を戻すと少し考えるような顔つきになった。
ここ一週間で俺は前原圭一と言う人物について、少しばかりの見解をしていた。
―― 前原圭一。
俺と同じように都会から雛見沢に引っ越してきた男だ。
性格は少し内向的な俺と違って活発で画家を父に持つためか社交的。
少し鈍感だが明るく誰からも頼られる魅音とは別の意味でのリーダー格だ。
そんな彼が持つ二つ名が「口先の魔術師」。
以下に屈強な漢でも、その巧みな話術の前に平伏すほど。
彼の口先に掛かったものは皆彼を慕ってこう呼んでいる。
―Kと。
さて、そんな我等が前原圭一はどんな考えを口にするのか。
「―――― 綿流し・・・なんてどうだ? ほら、お袋から聞いたんだけどさ、あるんだろ? そう言うお祭り」
「綿流し祭か。流石圭ちゃん、考えたね」
魅音が目を弓に細めてそう言った。それは兎も角なんか聞きなれない単語が出たなぁ。
「綿流し祭・・・ってなんだ?」
「綿流し祭はね、雛見沢村のお祭なんだよ♪」
「へー、お祭かぁ。具体的にはどんなお祭なんだ?」
「えっとね、オヤシロ様って言う神様を祀るお祭なの。色んな屋台が出て楽しいんだよ、だよw」
レナが本当に楽しそうに顔を輝かせながら言うから、さぞかし楽しいお祭なんだろう。しかし、なんだろうオヤシロ様って?
「オヤシロ様・・・・・・」
ひかりは静かにそう呟いていた。目は誰にも合わせようとせず、ただ虚空を見ている。正確には梨花の後ろを見ているようだが。
「どうした、ひかり?」
「・・・・・・なんでも無いよ、お兄ちゃん」
「そう・・・か?」
「うん」
ひかりがなんでも無いと言うのならそうなのだろう。俺はそれ以上は詮索しないようにした。
「で、どうする? 綿流し祭、行ってみるか?」
ひかりが綿流し祭に参加すれば、今よりはもっと心が開けると思ったからだ。
ひかりは少しの間思案した後、呟くように言う。
「お兄ちゃんが・・・・・・行くなら」
「おっけー! それじゃ待ち合わせは古手神社ね。 と、浩ちゃんとひかりは場所まだ知らなかったね。家の前で待ってて。私とレナと圭ちゃんで迎えに行くか
ら」
「次々と決めていくなぁ。ま、文句はないけど。それで綿流し祭っていつなんだ?」
「6月19日なのですよ」
梨花がいつもと違う静かな口調でそう答えた。
「それじゃ、6月19日の夕方6時に行くから期待してなよ!」
「勿論。楽しみにしてるよ!」
綿流し祭か。祭りは前住んでいた町でもあったけど、この村のお祭はどんな感じなんだろう。今から楽しみになってきたぜ!
現在、6月12日。
綿流し祭まで、あと7日。
結局、罰ゲームは最後までカードの傷を覚えられなかった俺の負けとなった。
ひかりは記憶力が良いのかカードの傷を数分で覚え、トップとはいかないまでもそれなりの功績を残していた。
因みに罰ゲームは最初と言うことで服に寄せ書きみたいなコメントを書かされた。
魅音は
”入部、歓迎する!”
レナは
”楽しかったよ。もっともっと楽しもうね♪”
沙都子は
”ざまーみろ、ですわ!”
梨花は
”もっと頑張りましょうです。にぱ〜☆”
圭一は
”なかなか楽しめたぜ!”
いや、不覚にもじーんときてしまったわけで。
ひかりにも書く権利はあったのだが、彼女は首を振って断った。
「これ見たら、父さんと母さん驚くだろうな」
俺はシャツの裾を引っ張りながら言う。ひかりはクスっと笑い、「そうだね」と言った。
しかし、次の瞬間少し俯きながら続けた。
「ごめんね、お兄ちゃん。その、私・・・」
「あー、気にするな。すぐ仲良くなれって言っても無理だし。ひかりはひかりのペースでやればいいよ」
「でも。もう1週間なのにまだ誰とも・・・」
「だから焦る必要は無いって。人見知りは仕方ないし、こう言うのはその・・・きっかけが必要なんだと思う」
俺はひかりの頭をなでながら言う。ひかりはきょとんとした顔で
「きっかけ?」
「そう、きっかけだ。俺とひかりだって、最初はギクシャクしてただろ? けど、雛見沢に引っ越してきて、少しずつ打ち解けるようになって、今ではお互い意
識せずに、自然と話せてる」
「うん、そうだね」
ひかりは頭を撫でられている恥ずかしさからか、出会った頃の恥ずかしさからか、頬を朱に染めていた。
俺も少し恥ずかしいが、恥ずかしさを通り越して話を続ける。
「だから、皆と、部活メンバーと仲良くなるきっかけが『綿流し祭』なんだと思う。
ひかりは祭のような人が沢山いる場所は苦手かも知れないけど・・・・・・その、皆と仲良くなるには必要なんだと思うんだ」
「お兄ちゃん・・・・・・」
「ひかりはさ・・・部活メンバーの人達嫌いか?」
「嫌いじゃないよ。ただ、どう接すればいいか解らないだけ」
ひかりは少し困ったような顔でそう言った。
「まぁ確かになぁ。割かし濃い人ばっかだし」
「うん、けど着物着た子、誰なのかな?」
「え?」
着物を着た子?
なんだ、ひかりは何を言っているんだ?
「ねぇ、お兄ちゃんはどう思う? なんか皆気付いてなかったみたいだけど」
「え、いや悪いひかり。なんだって?」
「だから、いたでしょ? 着物・・・と言うか巫女服っぽい服着た女の子」
ひかりは、何を言っているんだろう?
ドクドクと、心臓の鼓動が跳ね上がる。
雛見沢の学校は生徒数が20人あまりの1クラスで構成されている。しかも、巫女服などという目立つ格好の子がいれば、厭でも目につくはずなのだ。
なのにひかりは「それ」を視たと言う。
ありえない、いるはずの無い人物を、視たと言う。
「ひかり、何を言っているんだ?」
だから、そんな言葉が出るのは当然。至極当然だ。
「お兄ちゃんには見えないの・・・? 梨花ちゃんの後ろにずっと立って見ていたんだけど」
―― ずっと立って見ていた? ――
「悪い、ひかり。ほんとにそんな子いたのか・・・?」
冗談だと、言って欲しかった。
「見間違いじゃないのか?」
ごめんねーと謝れば、許してあげようと思った。
けれど、どの質問にも、彼女は首を縦には振らなかった。