第1話「それはきっとなんでもない日常」 「わぷっ!?」  白い粉が私の視界を奪う。  けほけほと咽ると、私の頭上に乗っている長方形の物体がぽとん、と床に落ちた。  それは、チョークの粉の付着した黒板消し。  ―――――何故、私の頭から落ちてきたのだろう。  少し記憶を遡る。とは言ってもほんの2〜3秒前だけど。  いや、もっと遡った方がいいか。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、そうか。  私は今日から通う雛見沢分校に転校に来たんだ。  職員室で知恵と言う先生と海江田校長に挨拶を済ませ、教室へ向かっていた。  先に教室に行っていてくださいと知恵先生に言われた時は迷わないか心配だったが、小さい校舎のため、迷うことは無かった。  教室を見つけると私は深く深呼吸をし、ゆっくりと教室のドアを開けた。  そして記憶は戻る。  ドアを開けた瞬間、上からぼふっと何かが落下して私の頭上に見事にHITした訳だ。 「おーっほっほっほ! 大成功ですわねー!!」  ・・・・・・何か、教室の後ろの席の方で小学生くらいの女の子が高笑いをしている。  どうやら、この古典的なトラップを仕掛けた犯人と言った所かな。  私は頭の上のチョークの粉を掃いながら、周りを見渡した。  教室内は、見事に年齢層がバラバラだった。  生徒数は・・・恐らく20数人にも満たないだろう。私と同い歳か近い歳の子は・・・・・・後ろでなにやら手を振っている3人くらいか。 「引っ掛からないとは思ってたけど・・・見事に引っ掛かったねぇ! 流石は沙都子だよ」  恐らく彼女が年長者だろう。長い髪を後ろに束ねた少女がトラップを仕掛けた少女を誉める。  沙都子、と呼ばれた女の子はさも当然のように胸を張った。 「圭一君と同じだね! レナもやられたからちょっと同情しちゃうかな、かな♪」  もう一人、多分私と同じくらいの歳のセミロングの女の子が笑顔で言った。  なんだろう、あまり同情している感じはしないのに、不思議と厭な気持ちにはならなかった。 「はっはっは! お前やレナなんてまだマシだぞ? 俺なんか黒板消しとバケツの2コンボなんだからなぁ!」  この人も多分、私と同じくらいの歳だろう。「レナ」と言う少女が言うには、彼が「圭一君」・・・か。  ちょっと元気すぎる男の子かも知れない。私が前にいた学校は女子高だったから、男の子が新鮮・・・かな。  いや、別に珍しいわけじゃない。あまり交流することが無かったから新鮮、と言う意味。 「なでなで。元気出すのですよ」  ―――突然。女の子が、ぐいっと足と腕を伸ばして私の頭を撫でた。  さらさらした長く真っ黒な髪がとても印象に残った。 「え―――と」  教室に入って最初の第一声がこれかーと心の中でツッコミながらも、私はどうコメントしていいやら解らなかった。  転校と言うのも初めての経験だし、こんな風に初日からいきなり声を掛けられたのも初めての経験だからだ。 「はい皆さん、席についてください。南瀬(みなせ)さんはこちらに」  ガラリとドアが開き、先ほど私が職員室で挨拶した知恵先生が教壇の前に立った。 「は、はい」  私は慌てて教壇の前・・・正確には知恵先生の隣に立つ。 「皆さんに転校生を紹介します。南瀬有栖さんです。皆さん、仲良くしてあげましょう」  知恵先生が私を紹介すると、教室から「は〜い」と元気な声が響いた。 「南瀬さん、自己紹介を」 「わ、解りました」  ――う〜、緊張するなぁ。  こう言うのに慣れているとは言え、緊張するものは緊張するんだし。  やはりと言うかなんと言うか、年齢層が物凄くバラバラだ。  皆こちらを注目し、私の声を待っている。  私は意を決して、口を開いた。勿論、笑顔も忘れずに。 「ただいまご紹介に預かりました、南瀬有栖です。先週雛見沢に引っ越して来ました。どうぞ皆様宜しくお願い致します」  ぺこりと私は頭を下げた。ちょんとスカートの裾を掴んで優雅に礼をする。  やや数秒、時が止まった感じがした。  あちゃ、流石に田舎の学校でやると浮くかなーと半ば後悔した。  けれど徐々にぱちぱち、ぱちぱち、と音が聴こえてくる。  音は次第に大きくなり、それはまるで小さなコンサートホールで始まりの舞台挨拶をした時に聴こえる歓迎の拍手の音に似ている。  否、似ているなんかじゃない。  音は拍手そのものだった。  皆が、私を歓迎してくれているのだ。 「はい、南瀬さんは後ろの席に座ってください。それじゃ委員長号令!」 「起立! 礼! 着席!!」  そうか、あのポニーテールの子がクラス委員長なのか。成る程一番年上だからなぁと私は納得した。  § § §  私は早速、先ほど声を掛けてきた人達からまた声を掛けられていた。  因みに彼女達の名前はクラス委員長でポニーテールなのが園崎魅音。  セミロングでセーラー服の子が、竜宮レナ。  黒板消しのトラップを仕掛けた、ヘアバンドを付けた女の子が北条沙都子。  私の頭を撫でた、長くて綺麗な黒髪の子が、古手梨花。  そして、元気いっぱいな、このグループ唯一の男の子である前原圭一。 「まぁこの学校は年齢層はバラバラだけどさ、仲良くやっていこうよ、有栖♪」  魅音・・・さんがそう言って手を伸ばす。  私は少し途惑いながらも、その手を握った。握手なんてしたの、何年ぶりだろうか。 「はい、宜しくお願いします。えと・・・魅音さん」 「あははは! 魅音でいいよ! それと、敬語はNG、解った?」 「あ・・・はい、解りまし・・・じゃない、解った、魅音」  ならばみんなのことも呼び捨てで良いのだろうか。私がそう疑問に思うと他の皆も呼び捨てで構わないということになった。  あ、だけど・・・。 「圭一君は圭一君・・・でいいかな? 男の子を呼び捨てにするのちょっと抵抗あるから」 「おう、別にどう呼ぼうか構わないぜ」  私がそう言うと、彼は特に気にするまでもなく笑って言った。 「でも、さっきのアリスちゃんの挨拶、可愛らしくて綺麗だったかな・・・かな♪」 「確かに。どこかのお姫様かお嬢様みたいな雰囲気が出ていましたわねぇ」 「本当にお姫様だったりしたりのです。にぱ〜☆」  梨花ちゃんの言葉に、皆は「うそマジ?」と言う顔になった。と言うか一斉に驚いてこっち向かれるとちょっと退くって。  けど、梨花ちゃんの言葉は嘘ではない。それにしても、良く解ったなぁ・・・。 「えっと・・・・・・まぁ『南瀬コーポレーション』って言う会社の社長の孫娘・・・なんだけどね。  あ! でもでも、そんなの関係無しに皆とは普通に仲良くしたいから! えっと、その・・・だから」  私が言葉に困っていると、魅音がぽんと私の肩に手を置いて言う。 「そんなの、私達が気にする訳ないじゃん、ねぇ?」 「そうだよ。だって魅ぃちゃんの家、この村で一番大きいけどレナ達とはそんなの関係無しに仲良くしているもん」 「ああ。家の大きさなんて関係ないぜ! 大事なのは、中身だからな!!」 「圭一さんが珍しく良い事言いますわね。けど、否定はしませんわ」 「にぱ〜☆ 皆仲良しなのですよ〜」 「ありがとう、皆」    私は今まで経験したことが無い、そして多分引越しをしなければ一生経験しなかったであろう気持ちを知った。  それは、「嬉しさ」と「温かさ」。  色んな国や地域の人と交流してきたが、いずれもこんな気持ちを得ることは無かった。  「あの事件」以来、それは尚も続いたことだ。  幼い頃に両親が死に、私は幼いながらも生活をこなして行った。  色んな大人と交流し、色んな大人の汚いところを知って行った。  そして、人間の心の弱さを知った。    御爺様に引っ越しの手伝いをして貰い(理由は特に明かさなかったが、祖父も詮索はしないで私の引越しに強力してくれた)、 私は雛見沢へとやってきた。  雛見沢の大地を踏み締め、祖母が使っていたとされる空家へ向かい、大変だった掃除を終え、新生活をスタートさせた。  そして僅か数週間で、こんなにも温かい気持ちと嬉しさを知った。  この気持ちは、他の田舎の学校で体験出来ただろうか? いやない。  雛見沢だからこそ、ううん、この5人だからこそ、私は「嬉しさ」と「温かさ」を知ったのだ。  学校に来たのは今日が初めてだ。  だけど、僅か半日でこんなに心を満たしてくれる。  私は、雛見沢村でのこれからの生活に心躍らせていた。  ―――――これから一体、どんな楽しいことが待っているのだろう。 TIPS キャラクターデータファイル 氏名:南瀬有栖 年齢:1X歳 性別:女 誕生日:6月23日 住所:XX県XX市 備考:南瀬コーポレーション社長の孫娘であり、次期社長候補。莫大な遺産を親から受け継ぎ、さらに祖父の遺産相続者である。 ピアノ、バレエ、華道、茶道、その他様々な英才教育を受けている。とある理由で県立女子高である「姫宮学園」を中退、 雛見沢村へと引越しをし、雛見沢分校へと転入する。家は現在亡き祖母の屋敷を使用。