野立信次郎×大澤絵里子
![]() 特に急ぎの仕事も無く、合コンの予定も無いので、いつものように対策室を覗きにいく。 ガランとした部屋の中、絵里子もちょうど帰る支度をしていて、バタバタと机の上を片付けていた。 タイミングばっちりじゃねえか。ニヤける口元を押さえつつ声を掛ける。 「おーい、飯行くかー?」 「あー、今日さ、時間あんま無いんだー。あたし9時までに家に帰んなきゃなんないのよ。」 「なんで。お前明日休みだろ?せっかく美味いもんでもたらふく食わせてやろうと思ったのに・・・」 「ごめんごめん。見たいテレビがあったのに、予約してくんの忘れたの。だから。」 「・・・なんだよ、俺との時間よりテレビの方が大事ってことかよ・・・」 正直むかついて、絵里子に聞こえないようにぼやく。 男との約束じゃないだけましだけど。 「何あんた。予定無くて寂しいの?ほんとに野立会存亡の危機なんだね。」 絵里子がなんだか嬉しそうにクククッと笑う。 「よし!じゃあさ、家飲みにしようよ。デパ地下でなんか買って・・・あたしおごるから!」 返事もしていないのに、早く早く・・・と急かされて、言われるままに絵里子の後を追った。 「ねぇ、野立どれがいい?」 これとこれと・・・と店員に惣菜を注文する絵里子。 こんな所でこんな風に一緒にいる俺達って、やっぱりカップルに見えるんだろうか。 いや・・・歳格好からしたら、共働きの夫婦ってとこかな・・・。 いつになく、リアルな妄想に身を置いてしまって、変な気分だ。 「野立、野立!」 今度は酒売り場でワインを物色している絵里子が手招きをする。 楽しそうな絵里子の表情に、俺の顔も自然にほころぶ。 絵里子のマンションに来たのは、帰国一週間後の「ガードマン人形持ち去り事件」以来だ。 こいつの家で飲むのなんて、久しぶりだな・・・と思い巡らせていると、 「適当に並べててー」 俺にハンガーをポイッと渡して、絵里子は着替えを手に洗面所に消えた。 俺も背広と靴下も脱いで、ネクタイを外した。 買ってきた食い物をソファの前のテーブルに並べて、ワイングラスを物色していると、 部屋着に着替えた絵里子が、洒落たインテリアに不似合いな、妙に生活観あるスリッパをパタパタ言わせながら戻ってきた。 思わず、グラスを落としそうになる。 化粧を落とした絵里子は、髪を一つに結わえ、いつものキリリとしたスーツを脱いで、ラフなセーターとパンツというスタイル。 口紅の取れた桜色の唇と、透けるような白い頬、首筋の後れ毛、セーターの中で泳ぐ細い身体・・・ いや、別にはじめて見る格好でもないんだけど、かなり久々。 確実に動揺している顔を悟られまいと、目を背ける。 「良かったー!間に合った間に合った。」 絵里子は嬉しそうにリモコンのボタンを押して、お目当てのチャンネルに合わせる。 皿に料理を取り分けている間に、俺はワインの栓を抜いて・・・ グラスをカチンと合わせて乾杯するのもそこそこに、絵里子はテレビに釘付けでガハハ・・と大声で笑っている。 軽いノリのお笑い番組。俺の誘いをバッサリ切ろうとしてまで見たい番組ってこれかよ・・・。 またちょっと凹んだが、飾らない笑顔の絵里子を肴にワインを飲む。 俺に感想を求めたりしない代わりに、笑いのツボに入るとバシバシと叩いてくる。 くるくる変わる表情が、たまらなく可愛い・・・。 「あー、面白かったぁ!・・・来週はちゃんと予約しとかなくっちゃ・・・」 一時間程で番組が終わり、毎週予約かな・・・とかぶつぶつ言いながらリモコンを操作する絵里子。 それも終わり、テレビの電源を落とすと、急に静かになった。 「野立、飲んでる?・・・ハイ」 俺に酒をついでくれて、自分も上機嫌でグラスを傾けゴクゴク飲み干す。 波打つ白い喉元に、目が釘付けになる。 その横顔に誘われるように、俺は絵里子に手を伸ばし・・・頬から首筋をスーッと撫でた。 んっ・・と、くすぐったそうに肩をすくめ、少し驚いた顔で俺を見つめる絵里子。 ハッと我に返って手を引っ込めた。 どうしたんだ、俺。 そんなに飲んでもいないのに、無意識に絵里子に触れるなんて。 それどころか、ふいに漏れた絵里子の声に、体中の血がざわざわと騒ぎ出す。 「何?どした?」 凛々しい眉をしかめて絵里子が尋ねるが、いつもの調子の言葉が出てこない。 焦って絵里子から顔を背け、大きく息をつく。 「あんた、元気ないね。なんか無口だし。・・・あっ、そーんなに合コン出来ないのが悲しいわけ?」 その言葉に少し苛立って、顔を覗き込んでくる絵里子を真っ直ぐに見つめる。 絵里子も急に真顔になって「どした?仕事の事?」と聞いてきた所で・・・何かが弾けて抱きすくめた。 さらに部屋の中が静まり返る。 突き飛ばされるかと思ったのに、絵里子は腕の中で固まってしまったように動かない。 この後の展開なんて、当然考えていない。 でも・・・なぜか引く気になれなかった。 「・・・なぁ。」 「な、何?」 「・・・どうしようか。」 「何を?」 「・・・もう、どうしようもないんだけど。」 「そ、そうなの?」 「・・・解ってるだろ?」 「・・・ちょ、ちょっとだけしか解んない。」 絵里子の声が上ずっている。 俺は腕の力を緩めて、絵里子と向き合った。 出てきたのは、かなりありきたりの台詞。 「俺達・・・そろそろ付き合ってみるってのは、どう?」 「な、何?思いつき?」 「違う。」 「合コンが無くなって寂しいからって、あたしんとこ来るわけ?」 「違うって。前から思ってた。」 「どっ、どうしちゃったの?いつものあんたじゃないみたい・・・」 絵里子の顔が困惑している。何か言わないと・・・と焦る。 「お前、酔うと人恋しいんだろ?ガードマン人形の代わりに、俺でもいいじゃん。」 「何それ。そんな気楽に言わないでよ。」 「男いないと飲みすぎて、また胆石出来るぞ。お前の体のためだ。」 ため息まじりに睨まれた。 女を口説く事に関しては百選練磨・・・のはずなのに、絵里子にはこんな事しか言えない。 真剣になろうとしたとたん、自分でも驚くほど、こいつの前では不器用だ。 「なぁ・・・ダメか?」 「ダメかって・・・マジ?」 「マジ」 「・・・いつから?」 「思い出せないくらい昔。たぶん、研修の時から。」 「嘘っ!だってあんたいっつも可愛い女の子とチャラチャライチャイチャ・・・」 「だって女の子好きだもん、俺。モテるし。」 「はぁ?!」 俺の事で、ちょっとイライラしてるお前見るのも好きだし。 「あたしの事、女の子扱いしてくれたことなんて、無いじゃん!」 「そうだった?あ、して欲しかった?」 そんなこと、露骨に出来るかよ、恥ずかしい。 解るわけないよな・・・これでも色々、お前の為に頑張ってるんだけど。 絵里子の顔が怒っている。 「この前お見合いだって勧めたくせに。」 「あれは・・・うまくいく訳ないと思ったし。」 「失礼ね!あんたさぁ、ほんっとに今あたしのこと口説いてる?」 ついついいつもの調子が出てしまう。でも、これが結構心地いい。 お前に怒られるのも好きなんだよなぁ、俺。 「見合いの事は、反省してる。」 「・・・あん時さぁ、ちょっと焦ってたもんね、あんた」 「バレてた?」 「バレバレ」 「じゃぁ・・・信じてくれる?」 「ど、どうかなぁ・・・」 マジに答えると、うろたえる絵里子。悪くないな、こういうのも。 「あたしだって腹立ったんだから。あの時・・・あんたが平気で見合いなんて勧めるから・・・」 続いて出てきた言葉。ちょっと頑張って言ったって感じの絵里子。 そこにムカついたってことは・・・つまり、あれだよな? 確実に俺の想いの方が大きいとして、少しはこいつも俺の事、男として見てたって事か・・・? なんで俺達がここまでこんな感じで来て、なんで今その先に進もうとしてるのかは解らない。 でも、今がその時なんだと思った。 「絵里子。」 「何?」 「俺はお前が好きだ。ずっと・・・俺にとってお前は特別な女だった。」 「・・・。」 「これからも傍にいたい。恋人としても。」 「・・・。」 「お前は?」 「・・・ごめん、急展開過ぎて、頭が回んない・・・」 絵里子は俯いて首を横に振る。 一生懸命考えようとしている。 職業病だな。俺をプロファイリングしようってのか。 そうだ・・・恋に不器用なのは、こいつも同じなんだよな・・・。 絵里子の頬にそっと手を添えて、こちらを向かせる。 「絵里子、じゃぁ・・・ちょっとの間じっとしてて。嫌だったら突き飛ばしてくれていいから・・・」 野立の真剣な告白に、心臓がバクバク。 一気に酔いが回ったのか、頭がグルグルクラクラして冷静に考えられない。 なんで今日こんな事になった? いつもの感じでいつものように、普通にここまで楽しく過ごしてたんだけど。 あたしのこと、研修の時から好きだったって? あの時も、あの時も・・・そんな風に想ってくれてたってこと? 信じらんない! ・・・野立の事・・・信じられない? そんなこと、考えたこともなかった。 ずっと傍にいて、バカやってた同期。 立場が変わっても、どんなに離れていて会わないでいても、何も変わらなかった。 いくつものピンチを乗り越えるたび、いつも傍にいたのは野立だった。 傍に居てくれてたってこと?・・・私の為に? 野立の手が頬に触れて、目と目が合う。 少し茶色くて、澄んだ瞳。 「絵里子、じゃぁ・・・ちょっとの間じっとしてて。嫌だったら突き飛ばしてくれていいから・・・」 優しく囁かれて、動けなくなる。 諭すように少し笑った野立が、ゆっくりと私抱き寄せた。 後頭部を大きな手が優しく包んで、頬が合わさる。 愛しげに頬摺りされ、ギュッと抱きしめられると、不思議と少し力が抜けた。 野立はもう一度私を見つめて・・・額に、頬に、鼻先に・・・優しいキスをくれる。 こんな野立は初めてで、どうしていいか解らず、言われた通りじっとしている。 しばらく額を合わせていた野立が、両手で頬を包み込むと・・・そっと唇を重ねてきた。 その瞬間、心臓の鼓動は耳に届きそうなほど跳ねているのに、頭の中がスーッと真っ白になった。 食むように優しく動く野立の唇が、私のそれを包み、優しいぬくもりが心の中に沁み込んで来る・・・。 「絵里子・・・」 呼び掛けられて目を開ける。 「怒った?」 ううん、と首を振る。 全然。なんでか、全然。 ・・・わかったよ、野立・・・。 「・・・ちゃんと感じたよ。」 「え?・・・もう?」 「バ、バカ!そうじゃなくて・・・ちゃんと伝わった。野立の気持ち・・・。」 「そう?・・・まだまだこんなもんじゃないんだけど。」 「それに・・・髭がチクチクした。」 「ああ・・・やっぱ嫌か?」 野立は髭をさすって、少し申し訳なさそうにする。 「嫌じゃないよ。解ったんだ、あたし・・・なんであんたが髭触るとイライラしたのか・・・」 いつもどこかで、野立の事、ちゃんと男として見てたのかもしれない。 あまりに付き合いが長すぎて、いろいろありすぎて、考えたこと無かったけど。 ひどいのかな・・・あたし。鈍感すぎた? でも、野立だって、ぜんぜん素直じゃ無かったし! ・・・あたしが浩と付き合った事も・・・どんな風に思ってたんだろう・・・。 頬に手を伸ばし、指で優しく撫でてくれる野立。 ・・・あたしのこと、こんなに想ってくれる男なんて、いないんだろうな・・・。 こんなに理解してくれる人も、こんなに自分らしくいられる人も。 ずっと一緒にいたい。それが答え。 「すぐに答えがでなくてもいいから、考えといてく・・・」 「決めた。あたし、あんたの恋人になる。」 言葉をさえぎって言い切ってやると、野立が驚いた顔で絶句している。 だから照れ隠しに睨みながら言ってやった。 「何よ。自分から言っといて、文句あるの?」 「マジ?」 「マジ!」 背筋を伸ばして大きく頷くのと同時に、ガバッと勢いよく抱きしめられた。 「信じられない」 「もー、今度はあんたがぁ?」 「信じるけど・・・実感湧かない・・・」 さらに息も出来ないほどきつく抱きしめられる。 苦しい・・って言いながら背中を叩くと、ようやく解放された。 「俺にも感じさせろよ、絵里子」 その言い方に少し腹が立って、ちょっと膨れたけど・・・飛びつくように野立の首に手を回して、キスをした。 あたし、浮かれてる。 なんでこんなに嬉しいんだろう。 野立が愛しいって・・・自分の体中から気付かされてるみたい。 伝わってる?・・・野立・・・ 野立のキスは、もうさっきの探るような優しいだけのキスじゃなかった。 野立の舌が私の舌を求め、それに応える。どんどん激しさが増していく。 お互いに息が続かなくなって顔が離れると、自然に笑みがこぼれ、頬や額が重なり・・・また相手を求めて唇が重なる。 野立の手が、もどかしげに背中を擦り・・・私もすがりつくように強く抱きつく。 お互いの息も体温も、さっきより熱く感じる・・・。 「あー、もう、全然足りないんだけど。」 耳元で囁かれる。何が言いたいのかはもう解ってる。 あたしは黙って結わえてある髪を解いた。 「ガードマン人形の代わりに、今夜は一緒に寝てくれませんか?絵里子さん」 野立笑いながらそう言って、また深い深いキスをくれた・・・。 俺は絵里子の恋人になった。 ついさっきまで、お笑い番組に負けてた俺が。 信じられない事だけど、事実、俺達は恋人のキスをしている。 絵里子だぞ、絵里子。 今、俺がキスをしているのは絵里子だ。 何度も確かめるように見つめる。 絵里子が笑っている。 ずっと触れたくても触れられなかった唇。 柔らかくて、いつまででも吸っていたい。 舌を絡ませると、応えてくれる。 もっと、もっとと深くなる。 絵里子の荒い息が耳をくすぐり、俺の興奮を高めていく。 もう限界。 もっと・・・絵里子の全部に触れたい。 「あー、もう、全然足りないんだけど。」 ここまでの急展開。今日、これ以上を望むのは、贅沢なんだろうか。 でも、もう限界なんだよ、絵里子・・・。 絵里子の手が結わえてある髪に伸びて・・・長い髪がパサリと解けた。 甘い香りが鼻をくすぐる。 見た事も無い絵里子が、俺を見つめている。 いいのか?マジで?・・・ちょっと泣きそうなんだけど。 嬉しすぎて、もう笑ってごまかすしかない。 「ガードマン人形の代わりに、今夜は一緒に寝てくれませんか?絵里子さん」 何言ってんだ、俺。何でこんな事しか言えないんだろう。 バカじゃないの・・・と呟いて笑う絵里子に、俺は言葉の代わりにキスで応えた・・・。 絵里子、愛してる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |