無題・森岡サイド(非エロ)
番外編


一度だけ、絵里子とキスをしたことがある。

あの日は例によって広報のマスコットをやらされて、ただ若干部活ノリの様なものも
出てきたのか俺たちは3人とも真っ直ぐは帰りたくない気分だった。
海でも見るか、そんな話になった。
車は俺が出すことになり、途中のコンビニでビールやらチーズやらを買い込んで、
絵里子は助手席で上機嫌だった。野立も後ろのシートから時々身を乗り出して冗談を言う。
俺もアルコールが飲めないのはつまらなかったがよく笑った。

そうこうしているうちに海に着き、俺たちは革靴やハイヒールを脱いで砂浜に降りた。
砂はまだ昼間の熱を持っていたが辺りはすっかり暮れていて、少し離れた場所では
大学生くらいのグループが花火をしていた。ロケット花火の光が空を短く切り、
楽しそうな笑い声は途切れることがない。俺たちは夜の浜風に黙ってうたれていた。
その時、ふいに叫び声がした。正確に言うとそれほど大げさな声ではなかったし、
もっとハッキリ言えば暴漢に襲われた際に出る類の響きではなかった。だが悲しいかな
3人とも職業柄聞こえてしまったものをやり過ごす事はできない。
特に絵里子は顕著で、俺と野立が声をかける前に既に駆け出していた。
俺たちも目を合わせ「やれやれ」といった風情で絵里子の後を追いかけた。

現場(といっていいのか)に着くと案の定ハタチそこそこといった若い女の子が転倒したというだけの事だった。
ただ骨折とはいかないまでも軽い捻挫はしているようで、自力で歩くのは難しそうだった。

「このへんに住んでるの?」

絵里子が聞く。

「すぐそこのパーキングに車とめてて…」

連れの友人たちも女子ばかりで、いきなり現れた長身で美形揃い(俺含む)の大人たちに少し戸惑っているようだった。

「オッケーじゃあここは俺にまかせて!お姫様だっこしちゃうけど問題ないよね?」

いつもの調子で野立が躍り出る。とてつもなく軽い、だがどこか憎めないその雰囲気に女の子達の緊張はふっと解けたらしく、
きゃあきゃあ言いながら「宜しくお願いしまーす」と野立を取り囲んだ。
野立は俺と絵里子に(ちょっと行ってくるわ)と目で合図をして女の子を抱えて歩き出した。おそらく一回り近くは年下であろう
女の子達がぞろぞろと着いていく。闇にその姿が溶け見えなくなっても賑やかな声が消えることはなく、どうやら質問攻めらしい。

今度は絵里子と笑いあいながら「やれやれ」と顔を合わせた。
絵里子は海に向き直り気持ちよさそうに目を閉じた。

「ほんとに良い気持ち。来て良かったね今日」

俺のほうに顔をむけ微笑んだ。月の光の中で浮び上る絵里子の瞳は俺だけを映していた。

気がついた時には俺はもう右手を絵里子の耳の後ろに伸ばし自分の顔を近づけていた。
絵里子は一瞬肩をこわばらせたが特に抵抗することもなく、俺達は濃厚とまではいかないが短くはない口づけをかわし、俺は唇が離れた後もう一度だけ絵里子の上唇をついばんだ。

絵里子としばし見つめあう。
今言わないと、今なら言える。
俺が口を開きかけたその時絵里子は俺の頬をぎゅうっとつねった。

「いて…っ」「ふふ」

絵里子は鮮やかに笑って俺に背を向けた。

あの時、何かを告げていたら全てが変わっていただろうか。
どうして絵里子が受け入れたのかは分からない。だがあの夜は俺たちはみんな本当に
気分が良くて、恐らく絵里子は俺が何となくああいう気持ちになって、たまたま傍に自分がいて、
そういうノリなんだと解釈したのかもしれない。
何でもいい。あの時どうして手を取って絵里子を連れ出さなかったのか。

「野立が心配するよ」

絵里子はそう騒いだかもしれない。じゃあ何で止めなかったんだ、
もう戻れるかよ。絵里子の眼を見てどうしてそう言わなかったのか。

ほどなく野立が帰ってきて、女の子達に散々メアドをねだられたなどと自慢している。
俺も絵里子もハイハイと聞き流し、また3人で砂浜を歩き出す。
野立に変わった様子はなく俺と絵里子がキスしたことは知らないように見えた。
だが今になると案外見てたのかもしれないとも思う。
次の日絵里子に会っても至って普段どうりだった。気まずい表情も秘密を愛おしむ仕草もない。
俺も何事もなかったかのように接したが、絵里子を捉えた指先や唇の感触を忘れることはできなかった。

その後俺は逃げるように警察を辞めた。

田所からメールが来た。『全員釈放された』…『問題ない』返事を打ち返す。
大丈夫なわけがない。問題アリアリだ。
本当はわかってる。俺はあの頃から一歩も前に進んじゃいないんだ。

「絵里子…」


もう戻れない。


あの日は3人で海に行った。
じゃんけんで負けドライバーになった森岡は初めこそ飲酒ができないのをブツクサ言っていたが、じゃあ私が代わりに飲んであげるから!
などと訳の分からない励まし方をする絵里子に苦笑しながらも楽しそうだった。
海に着いて、そういやスーツなんだよなあと今さらに思う。絵里子は途中で寄ったコンビニでぬかりなくタオルも買っていた。
足洗い場もあるみたいだし裸足になるか。
花火の音を聞きながらまったりしているところに事件発生。だが俺の華麗な解決策が採用され一件落着となった。
女の子達からは次々と質問が飛んでくる。仕事は?彼女は?身長は?野立会で受ける質問に比べれば可愛いもんだなあなどと
思いながら答えていると、突然のカウンターパンチ。

「あの一緒にいたお2人ってつきあってるんですか?」
「…いや同僚だよ。俺達3人同期なの。くされ縁てやつ」
「えーそうなんだ。あたしてっきり2人に気をきかせたのかと思ってた」

だよねー私もーなどと言う声はもはや耳には届かない。ちらっと海の方に目をやるが
2人の姿はここからはもう見えない。今海辺に佇む2人を見たら誰だって恋人か夫婦だと思う
だろうな。そりゃそうだ。だが思われたところでそれは事実ではない。そうは思うが腹立たしい。

「あ、着きました!本当にすみませんでした〜」

おおホントにすぐだったな。
お礼をしたいという女の子達を笑顔でかわし海に向かって歩き出した。と、立ち止まる。
来るときも思ったが、ひょっとしてこっちの角曲がった方が近いんじゃないか?
大体男の方がこういった感覚は優れているらしい。ビンゴ。もう海が見えた。花火の光も
向うに見える。えーとあいつらは…

昔何かの小説で読んだことがある表現、まさかのリアル体験かよ
心臓が…握りつぶされたかと思った。
2人の影が重なっている。表情はよく見えない。ゆっくり顔が離れて…また一瞬重なった。
手足の指先が冷たくなっていくのを感じる。このまま…
このまま置いて行かれるのだろうか。2人は見つめあったままだ。行かせるか…そう思った矢先、
絵里子が森岡の頬にすうっと手を伸ばし、そしてすぐに前を向いた。

(…?)

それきり2人の距離は近づくことも離れることもなかった。
絵里子が拒絶したという感じは受けなかった。どちらかといえば優しい雰囲気だったが
結局のところどういう顛末なのかは分からない。少し気が抜けたがとりあえず浜辺に向かう。
その後も次の日も2人に変わった様子はなかった。
森岡はキスまでしといて気持ちを伝えてないんだろうか?
ああそうだキスしやがったんだよなちくしょう

だがあの日の事を俺は結局聞けなかった。
森岡が退職すると聞いた時も、俺はやっぱり聞けなかった。
森岡が警察の意義や組織の在り方に独自の考えを持っていることは知っていたし
何よりあの頃の森岡は俺や絵里子から離れたがっているように見えた。
ところどころをぼかしながらも退職理由を真剣に話してもくれた。
俺も「そうか」とだけ伝えた。絵里子も何とか納得したようだった。半ベソだったが。


絵里子からメールを見せられる。
…これは花形からじゃない。ああ、そうか。サッチー、きみ森岡の…

ピーピー、お前は俺に劣等感を抱いているらしいがそれは違う。
俺はお前に何度も出し抜かれてる。
今回も、あの日もな。






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