無題・絵里子サイド(非エロ)
番外編


「俺がその名前だったんだぞ…お前が獲ったんだ」
「ああ…すまなかった」

2人の会話を聞きながらあの日の事を思い出していた。
私は何も分かっていなかったのかもしれない。


あの日は3人で海へ行った。
真っ黒に沈む大きな海もそばに2人がいるから怖くなかった。
野立が負傷した女の子を駐車場まで送っていく。たいしたことがなくて良かった。
潮の匂いも波の音もすべてが心地よくて私は少し浮かれた表情だったと思う。
森岡に同意をもとめて振り返る。目が合って…それから私を見つめたまま彼は
ポケットからゆっくり手を出した。
あれ?これって…そう思う間もなく口を塞がれた。
激しくはないけれど情熱的なキスだった。最後に軽くあてられた唇は優しくて
ピーピーらしかった。

あの頃はしょっちゅう3人で遊んでいたけれど野立とも森岡ともそういった雰囲気
になった事は一度もなかった。2人が私を守ってくれていた事を素直に感謝することは
できなかったが本当はいつも凄く嬉しかった。男社会の警察でこんな友情を持てた
ことをずっと大切にするつもりだった。
けれど森岡にキスをされた時、びっくりするより他に何か別の暖かい感情が私の中に
溢れていた。拒む気持ちは起こらず、このまま森岡とつきあうことになるのかななどと
ぼんやりと考えていた。
唇が離れ見つめあった。森岡の口からは今にも言葉がこぼれ落ちそうだった

ぎゅうっ

森岡のほっぺたを軽くつねり私は笑いながら前を向いた。

照れ隠し、とはまた違う。もちろんそれもあったがあの日は3人で海へ来ていた。
本来野立もいる場所で野立に関係のない2人の約束をすることは何だか申し訳ない気
がした。もちろんそれを知っても野立はいつもの調子でからかい、そしてきっと応援
してくれるだろう。ただ何となくルール違反のように思えた。
森岡もきっと察してくれるだろう。後日ちゃんと2人きりのときに伝えてくれるに
違いない。そんなことを考えてにまにましていると野立が帰ってきた。
いつもと変わらない3人のやり取り。やっぱり森岡も分かってくれてる。
そう思っていた。

次の日もできるだけ普通でいようと心掛けた。
森岡は意外とナイーブなとこがある。だからこそ昨日は大胆で私としても
しびれてしまったのだが、彼のペースで進めてくれればいい。そう思っていた。
だが何日経っても森岡からは何のアプローチもなかった。
不安や淋しい気持ちよりも、何だか拍子抜けしてしまった。

私の勘違いだったかな…
あの日は森岡はシラフだったはずだけど…
冗談であんなキスできる?

あの日ごまかしたのは私の方だし今さらあの時のことを切り出す事はためらわれた。
相変わらず3人で飲みに行ったり仕事で衝突したり月日だけは流れていった。

その間には私に彼がいたこともあったし、森岡も恋人がいた時期があったと思う。
野立は相変わらずの遊びようだったが、昔よりずっと私の身近になった気がする。
はっきり何がとは言えないが、いつでもどんな時でも野立は私の事を見逃さない。
緩くだが確実に縛られ決して離してはくれない気すらする。野立との間には相変わらず
何もなかったがその関係を手放すことは私にはもう考えられなくなっていた。
反対に森岡は少しずつ私たちから遠ざかっていくように思えた。
警察を辞めると言われた時は久しぶりにあの日のことも思い出して何だか
泣けてきてしまった。
森岡は少し困ったように笑っていたが、野立が「そうか」と言った時は一瞬厳しい
眼差しを向けていた。ただその目の奥の光もすぐに消して「じゃあな」と言って
立ち上がった。



ピーピー、あの時私があなたの方を向いたままだったら、…
今、あなたを撃たずにすんだのかな。






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