記念日(非エロ)
角松一郎×堤芯子


『堤洋子』になりきるのは思いの外、神経を費やす。

男言葉は使わない。
がに股にならない。
スカートを履いていつも清楚な服装。
振る舞いもそれはそれは女の子らしく。
気付けば部屋のクローゼットの中には、絶対に自分では買わないような洋服やバッグがずらりと並ぶようになった。

それを眺めながら芯子は腕を組む。


「…にしてもこんなぶりぶり、私の柄じゃねぇな」

ターゲットを落とす必要経費ではあっても、やはり自分の趣味ではないもので部屋が埋め尽くされるのは、いささか気が滅入る。

まぁその経費が相殺されるぐらい(むしろそれ以上に)踏んだくってやるつもりだけれど。

ふと部屋の時計に目をやる。
待ち合わせの時間はもうすぐだ。


「やっばい!こんなことしてる時間ない!遅刻すんじゃん!!」

慌てて髪を結って部屋を飛び出す。
階段をドタドタと降りていきながら、左手の薬指に例のものが無いことに気付いた。


「あッ…忘れた!」

階段で急ブレーキをかけて部屋に駆け戻る。
慌てていたからか部屋のドアに豪快に足の小指をぶつけて激痛が走る。

ガンッ!!

「あだ…っ!」


前のめりにベッドに倒れ込み、顔をうずくめる。

「っつう〜、痛ぁ……」

「ちょっと芯子!なにドタドタやってんの!店まで丸聞こえだよ!」

階段下から母の啄子が声を荒げる。


「うっさいなぁー、なんでもないっつーの!!」

くっそう、なんであのターゲットの為にこんな思いまでしなくちゃいけないんだ…。

痛む足の小指に堪えながら窓際に置いた指輪ケースに手を伸ばす。
婚約指輪として渡されたそれを薬指にはめる。
一瞬だけ窓から差し込む光にそれをかざしてから、再び慌てて部屋を飛び出した。

「え、なにこれ」

綺麗にラッピングされた小包を手渡され、芯子は意味がわからずターゲット
――角松一郎を見た。

一郎は芯子の座るソファの横に腰掛け、にっこり笑うと嬉しそうに口を開いた。


「記念日」

「記念…日?」

「そ。俺と洋子が婚約しようって決めてから今日でちょうど1ヶ月」

あ、さいですか。
芯子はあまりの一郎ののめり具合に改めて驚く反面、ちょっぴり胸が痛んだ。

恋愛じみたことを続ける度、この人は傷付いてしまうのに。


「あ、ありがとう…」

開けてみてよ、と一郎に催促されラッピングを丁寧にはがしていく。
可愛いネックレスだった。

「貸して、つけてあげる」

言われるがままにネックレスを手渡して向かい合ったまま距離を縮めた。
一郎の腕が芯子の首の後ろにまわり、少しだけ抱き合うような体勢が続く。


「あれ、なんだこれ。くそっ、うまくいかねぇな」

小さなフック穴を通すのが馴れていない一郎は、そう言いながらネックレスと格闘している。

芯子はそのままじっと一郎の胸の近くでネックレスが付けられるのを待っていた。

伸ばされた一郎の首筋から、少しだけ男の人の汗の匂いがした。
仕事、大変なのかな。
ふとそんな思いが芯子を占めた。
一郎が公務員だというのは聞いていたが詳しい仕事は知らない。

思えばいつもこうして優しくしてくれる。
私に騙されてるなんて思いもしないで。

優しい男。
優しい男なのに、なんで私なんかに引っかかっちゃうの。

貧乏だ、嘘つきだと子供の頃からイジメられ続けてきた芯子にこんなに尽くしてくれる男なんていなかった。
だから勘違いしてしまいそうで嫌なのに。

そんなことじゃ詐欺師としてプライドが許さないのに。

「ついた!」


パッと一郎の腕が離れて芯子は慌てて我に返った。
自分の首もとには可愛らしいペンダント。


なんでこんなに優しいの。
なんでこんな私なんかに優しくするの。

詐欺師として矛盾した思いが胸の中でモヤモヤと広がりはじめ、迂闊にも涙がこみ上げる。

「うん可愛い…って洋子?ちょ、どうした」


芯子が唇を噛みしめて涙目になっている姿に一郎は動揺を隠せない。

「ご、ごめん。ネックレスとか嫌だった?」

慌てて見当違いな謝罪を始める一郎が可笑しくて、少しだけ芯子の心が安らぐ。


「ううん、違うの。…違くて」

優しすぎだよ、と俯いて小声で呟く。
いつもは演技で可愛くぶりっ子するのに、今だけは本心だった。

一郎の手がそっとその芯子の頬に触れた。
つられて顔を上げた芯子の視界で一郎の顔が静かに近付いてきたのが見えたので、ゆっくりと目を瞑った。

次第に一郎の体重が少しだけかかり、ソファに優しく押し倒された。



今日だけはいいか…。



芯子は一郎のクルクルな髪の毛に手をまわす。

大型犬を撫で可愛がるかのように触りながら、一郎の口づけにそっと応えた。




********



次の日。

母、啄子は店先で野菜を品定めする芯子を見つけ不審な眼差しを送る。


「なんだい芯子、珍しく店手伝ってくれるのかと思ったら一丁前にウチの商品にケチつけるってかい」

「ちっげーよ、食材選んでんの!」

うるさいな放っておけよ、と付け足して芯子はニンジン、玉ねぎ、ジャガイモを手に取る。

「食材?なにアンタ、料理も出来ないくせに」

「出来ないんじゃないの、しないだけ!カレーぐらい楽勝だし」

思えば一郎に何かをしてあげたりプレゼントしたことがなかった芯子は、昨日の一件でちょっとだけ、ほんのちょっとだけ優しくして料理でも作ってあげようと改心していたのだ。


「…ふーん」

「…?なんだよ」

「男だね」

「バ…ッ!違うし!な、何言ってんのかーちゃん!!」

「なになに芯子姉ぇ、彼氏できたの?」


店先が騒がしかったからか、奥から妹のみぞれも顔を覗かす。

「そういえば最近芯子姉ぇの服装可愛くなってきてたしね」

「だから違うって言ってんじゃん!」


妙に納得し始める啄子とみぞれに何を言っても無駄だと悟った芯子は、袋に野菜をつめてその場を立ち去る。


「ちょっと芯子!商品なんだからお金置いてきな!」

「なんだよケチくせぇな、帰ってきたら払うよ!」


全く調子が狂う。

ちょっと良いことしようとするとすぐこれだ。
腹立つ。

彼氏?違う違う。
ただのカモ。昨日はほだされかけちゃったけど、私は詐欺師よ?
金をせしめるだけせしめたらハイさよならだ。

そう心の中で言い聞かせて一郎の部屋に向かう途中、一軒のブティックのネクタイディスプレイに目がとまる。

…ネクタイか。

父親のいない芯子にとって男性にネクタイをプレゼントをするなんて経験のない事だった。

ふらっと店内に入り色とりどりのネクタイを見て回る。淡い紺地にうすくブルーのストライプが入ったネクタイに目がとまった。

一郎に似合いそうだな。
そう思った瞬間、女性店員が芯子に声を掛けてきた。


「恋人にプレゼントですか?」

「ち、違いますッ!」

思わず手にしていたそのネクタイを放り投げて、とっさに目に入った黄色地になんの動物だかわからない刺繍が施された、趣味の悪い派手なネクタイをつかみ、こっち下さい!と大声を上げていた。

そうよ私は詐欺師。
好きでもない男に嫌がらせでこんな悪趣味なプレゼントしちゃうんだから!

このネクタイ見てあの人はどんな顔をするかしら。
くくく、とわざとらしく悪い振りをして一郎の部屋へと急ぐ。


まさか一郎が嬉しさのあまり、その悪趣味なネクタイを気にもせずに喜んでくれるなんて思いもせずに。






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