居場所3(非エロ)
角松一郎×堤芯子


「僕じゃ、駄目ですか」

そういうことじゃない、と思った。アンタだから駄目で、アンタ以外だからいいなんてそんなことじゃあ、ない。

※※※

芯子は、優を家の近くの公園に呼び出した。
『わかりました。十時に公園ですね』そう確認した電話越しの声は、少し堅かったような気がした。
時刻は午前九時半。芯子は待ち合わせの三十分前から、まだ誰も居ない公園のブランコに腰掛けていた。
年の瀬で、子どもを公園に連れてきて遊ばせる余裕もないのかもしれない。
かと言って子どもだけで遊ばせるには危険なのだろうか。
もう少し早ければ、犬を散歩させる老人なんかも居ないわけではないと思うが、閑散とした公園は、寂しい。

「……」

工藤優。キャリアの若造。舐めた辛酸はまだまだ金田にも角松にも、そして芯子にだって依然として及ばない。
しかし、確かに成長はしていると思う。
会計検査庁に芯子と時期を同じくして入職した優の当時といえば、正義という旗を振り仰ぐのが好きな甘ちゃんだった。
結局自らが掲げた正義に押しつぶされて、泣きべそを掻きながら電話を寄越し、挙げ句の果てには自殺までしようとした。
それが、今は少しだけ懐かしい。
優の掲げる正義という言葉は、あまりに脆く、腐敗しやすい。
それでいて、掲げて直ぐは真っ直ぐで、研ぎ澄まされていて、だから厄介なのだ。一度折れないとわからない。
芯子は優が正義を主張する度に悪態をつき、芯子自身を護ろうとした優の行為に息を吐いたこともある。
もっとも、考え方、価値観の違いと言われればそれまでなのだけれど、やはり芯子は、正義が善であるなんてとてもじゃないけれど言えない。
優はそんな善にならない正義を見て、変わったと思う。
変わりたいと、変わろうと、工藤優が決意したからだ。それがどちらに転ぶかは、これから。

「芯子さん」

後ろからかけられた声。物思いに耽っていた芯子は我に返った。振り向けば私服姿の優が立っている。

「……おーはよん。早かったじゃん、まだ十時じゃないんじゃない?」
「芯子さんをお待たせするわけにはいかないと思ったんですけど……」

芯子さんこそ早かったんですね、と言外に言われ、少し首をすくめた。

「ま、いっつも待たせてるから、偶にはな」

いつも、とは、毎朝、だ。優は芯子が出所してからも、以前と同じように朝迎えに来てくれる。でも、それも、終わり。

「話って、なんですか、ね?」

切り出したのは、優だった。
芯子は、うん、と一つ頷く。

「昨日、うちに来てくれたんだって?」
「はい」
「私用のついで、でしょ?」
「……いいえ、本当は、芯子さんに会いに行きました」

心臓がドキリと高鳴る。ときめきではなくこれは、これは例えるなら、悪戯が見つかった時の罪悪感に似ている。

「……そっか。……なんか、あった?」
「好きな人に会いに行くのに、理由が要りますか?……なんて……」
「……」
「補佐と、居たんですか?」

確信を突かれて、少し返答に詰まった。

「はっきり訊くね」
「芯子さん、回り諄いの嫌いだから」

時と場合に寄るだろう、とは言えない。

「まー、な」
「今日は、返事を聞かせてください」

何の?なんて訊けるわけがない。優が芯子に聞きたい返事なんて、一つだけだ。
そう思って、はたと気付いた。そういえば、自分はなんと断る心算だったのだ?

「……」
「……なんて、意地悪でしたか?」
「え?」
「そんなに断りの文句に悩まなくていいですよ、芯子さん」
「べ、別に……悩んでなんか……」

ものすごく悩んでいた。

「じゃあ、どうぞ」

そんな風に言われると、困る。だって芯子も何故一郎なのかわからないのだ。ただ、一郎の側に自分がいてやらないとなんだか駄目な気がして……否、それも言い訳だ。逃げ、だ。

「……」

大体、優ではいけない理由なんか、一つもない。一つも、ないのだ。
同じように、一郎でなければならない理由だって、一つもない。
でも。
……。
芯子は、すう、と一つ深呼吸をした。

「優君はいつ見ても私服の趣味いいよねえー」
「え?」

唐突な言葉に、優が瞠目する。

「頭のてっぺんから、足の先まで隙がないカンジ」
「芯子さん?」
「詐欺師が最初に金を持ってるか持ってないか判断するとき、相手の靴を見る。……んー、いい靴履いてるね」
「……」

話についていくことのできない優は、ただただ芯子を見つめた。

「アタシが、初めてアイツと会った時、擦り切れたような靴履いててさ、ま、普段なら絶対声掛けたりしなかったんだけど、なーんでかねえ……」
「掛けたんですか?……芯子さんから」

キィ、とブランコが鳴く。
ブランコの上にトンと立てば、優の顔が少し下に見えた。

「……アンタみたいなカオしてたんだ」
「僕……みたいな?」
「一年前のアンタの今にも自殺しそうな、あのカ、オ」
「……」
「思い詰めて、思い詰めて、死にそうですってカオしてたから、話し掛けたんだよねえ……」
「……」

ではそれが、最初から優だったなら、今選ぶのも優だったのか?それはわからない。
あれが優ではなかった、だけ。

「……僕じゃ、駄目なんですか」

そういうことじゃない。アンタだから駄目で、アンタ以外だからいいなんてそんなことじゃあ、ない。
ただ、ね。

「なんか、アタシ、さ」
「はい」
「信じたくないんだけど」
「はい」
「……どーも、惚れてるらしいんだよ、な……角松一郎、に」

趣味が悪いと思う。これだけ自覚しているのだから、端から見ればそれこそ本当に……否、皆まで言うまい。
結局、芯子はどうあってもあっちのパーに惚れている。それが事実だから。

「アンタの方が顔良いし、キャリアだし?優しいし、まあ多分頭だって悪くないんだよな。でも、なんでだろ……な」

微笑んだ芯子は、漕いだブランコからひょいと降りる。

「あっちのパーじゃなきゃ、ダメなんだ、多分」

優だからダメなんじゃあない。優以外なら良いんでもない。運命なんてアホくさいことを言うつもりもない。
ただ、せっかく惚れた相手なら、しっかり、愛してやりたいと思う。

「だから、……うーん、悪い、ね」

イタズラっぽく笑う芯子に、優はうなだれる。

「……ズルいですよ、芯子さん」

そんな風に言われたら、何も言えなくなる。と、優はふてたように呟く。

「詐欺師だからね」
「……」

はぁ、と息を吐いた優の額をピンと弾いて、芯子はうーんと伸びをした。

「隙があったら奪いますって、補佐に伝えておいて下さい」
「……アンタも腹黒くなった、な」

大きめの声音で謂った言葉は、きっと、木陰に隠れているつもりのパーにも伝わっただろう。
がさがさ揺れる茂みを見て、二人は顔を見合わせ、腹を抱えた。






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