今日のこの日が始まり
しいね×お鈴


この日が来るのは、何年も前から分かっていたんだ。
その話を聞かされたのは一週間前。
にゃんこハウスにお師匠様とセラヴィーさん、
ポピィくんとなるとちゃんといういつものメンバーをわざわざ集めて、
僕の初恋の人・チャチャさんと、バカ犬・リーヤは婚約を発表した。

「チャチャを、オレのお嫁さんにしたいと思うのだ」

しどろもどろな口調で一生懸命に僕達に告げたバカ犬を
幸せそうに頬を染めて見ているチャチャさんの表情が、
もう何があっても僕の失恋が決定したんだと突きつけていた。
認めたくない事実、でももうずっと前から分かりきっていたことだった。
チャチャさんの一番は僕じゃなくて、リーヤなんだってこと。

「さぁ、チャチャ、これが最後の試着ですよ。直すところはないですか?」
「うん、ありがとうセラヴィー先生!素敵なウェディングドレス、ホントにありがとう!」
「チャチャ綺麗なのだー」
「チャー子、ブーケの花は本当にこれでいいのね?作り始めちゃうわよ?」
「うん、どろしーちゃん、綺麗に作ってね!」
「おい、なんか式当日は国王自ら祝いの品持ってくるって言ってるぞ、仕事しろって言ってるのに…」
「平八兄ちゃんが?!すごいのだ!王様になっても平八兄ちゃんは平八兄ちゃんなのだ」

あの婚約発表からわずか10日後に式を挙げることに決定し、
にゃんこハウスのメンバー総出で急ピッチで準備を進めていた。
お師匠様とセラヴィーさんがその驚異的な行動力でもって式の全般を取り仕切り、
バカ犬とポピィくんは仕事の合間を縫って挨拶回りと新居探し、
花嫁のチャチャさんはとにかくどんな式にするか壮大な計画を練っている。
そして僕はというと、旧友たちへの連絡係が主な役割となった。
とにかく知り合いの多い僕ら。
いったいどこでどれだけの人と関わってきたのか考えるだけで気が遠くなる作業だ。

「…チャチャさん、とにかく呼べる人はみんな呼ぶんですよね?」
「うん、もちろん!」
「きゅーちゃんとか、海坊主・海坊子さんとか、殿も呼ぶんですね?」
「居場所分かったのか、しいねちゃん?」

バカ犬がヒョコッと僕の持っているリストを覗き込む。
こいつの屈託のなさは成人しても変わらないらしい。

「まぁこのあたりは居場所の検討がつくから簡単に割り出せたけど…」
「分からない人がいるの?」
「セラヴィーさんの弟さん達は探しようがないですね。魔界ですし」
「いいです、呼ばなくて!あんな恐ろしい怪物どもは!」
「あぁら、次期大魔王のサンダルさん?大切なご家族に弟子の晴れ姿見せてあげなくちゃねぇ」
「…どろしーちゃんのイジワル……」

お師匠様とセラヴィーさんは相変わらず憎まれ口をたたくけど、
実はお師匠様のお腹の中に3ヵ月半になる双子の赤ちゃんがいるらしい。
急に2人の親密さが増したなと思っていた矢先のことで、
最近お師匠様がセラヴィーさんを見る眼がなんだか愛おしげだなと感じていたんだ。
なんだかんだ言って、お師匠様もセラヴィーさんが一番好きなんだよな。

「うらら学園の時のみんなは、絶対みんな呼んでほしいのだ!」
「そうだね、しいねちゃん、みんな来てくれるって?」
「えぇ、マリンさん以外は…あ、そう言えば…」

1人、行方不明になっている子がいる。
この子には絶対来てほしいと2人とも思っているはずだ。

「…実は、お鈴ちゃんが行方不明なんです」

お鈴ちゃんの家を訪ねたのは5日前のこと。
メンバー集めのかなり最初の段階でのことだった。

(というか、チャチャさんも仲良しだったから真っ先に尋ねたのが彼女の家だ)

鈴之助くんが出てくれたけど「姉上は修行中だ」と追い返された。
しつこく通ったが修行中なのは本当らしくて、
しかし“忍の掟”だかで修行の場所を部外者に知らせてはいけないらしい。

「…じゃあ、お鈴ちゃん来られないの?」
「俺の超能力でも見通せないからな、忍者は気配を消せるって本当なんだな」
「なんとかならないのか?しいねちゃん?」

チャチャさんは目に涙を溜めている。無理もない。
僕達の学園生活でなくてはならない大切な友達の1人。
僕だってしばらく会ってないんだ、久しぶりにお鈴ちゃんに会いたい。

「…チャチャさん大丈夫、やっこちゃんに協力してもらうことにしたんです」

魔法薬ばかりでなく謎のアイテムに凝っている彼女ならなんとかなるかも。

「今日やっこちゃんに会ってきます。きっとお鈴ちゃんを連れてきますよ」
「うん、しいねちゃん、お願いね」

初恋の人の結婚式のために…僕はなんて健気なんだろう……。

「あぁ、修行中、じゃあ見つからないわ」

レモンティーを飲み干してやっこちゃんはため息をついた。
やっこちゃんに会うのも久しぶりだ。
あまり道行く女性にいちいち目が行くことがない僕だが、
やっこちゃんは本当に美人になったなと思う。
この喫茶店でも一際目立っているし、僕がいなければ大勢の男が声をかけるだろう。
特定の恋人は作っていないようだけど、どこに行ってもかなりもてるはずだ。

「…どういうことですか?修行ってどこでしてるんです?」

やっこちゃんは身を乗り出して話し始めた。

「“忍の里”って知ってる?忍者はみんな学校に上がる年齢ぐらいまでそこで育つの」
「お鈴ちゃんから聞いたことがあります。そこにいるんですか?」
「十中八九ね。里全体が気配というか、人気を消してるから、水晶玉にも映らないのよ。
 あの子もまじめだからねぇ、一人前になった後もちょくちょく修行で山篭りしてるわよ」

そんなところどうやって探し出せばいいんだろうか。
すると、やっこちゃんはカバンの中から魔法薬を1本取り出した。

「そんな顔しないの!このやっこ印の“スーパー☆シャベルンZ”を使えば問題ナシ!!
 忍者が使う伝書虫に里の場所をしゃべらせちゃえばいいのよ!」
「やっこちゃん!いいんですか?」
「…高いわよ?」
「うっ……」

この子も、相変わらずだった。

お鈴ちゃんの家の側でスズメに化けて、伝書バトならぬ伝書虫を捕まえる。
なるほど伝書バトでは目立ちすぎるから虫の方が好都合だ。
花の蜜の匂いなどを利用して一定経路を往復させられるように仕込んであるようだ。
やはり忍者は侮れない。
やっこちゃんの魔法薬を軽くスプレーすると、虫はしゃべりだした。

「今日モ仕事、蜜集メル、コッチカラ匂イスル」

この声のボリュームなら見失わないだろう。
極小の便箋を足にくくりつけて飛ぶ虫を僕は追っていった。
広い花畑の真ん中に、1ヵ所だけ不自然に見慣れない花が咲いている。
虫はその不自然な花に止まって蜜を採取し始めた。
ここが、この見渡す限り広がる花畑が、忍の里だろうか?
何もない。家も、道も、人のいる気配すらも。
しかし、風の流れだけが不自然だ。風向きが一定じゃなくあちらこちらから吹いている。
懐かしい匂いのする風が一筋だけある。間違いない。この風を追っていこう。
箒にまたがり、その風を追っていくが、明らかに僕から逃げている。

「……お鈴ちゃん…っ!!」

思わず声をかけた、すると、その風が失速しだした。
懐かしい匂いの風の先に、また懐かしい姿が現れた。
吹きすさぶ風に、長く伸びたその髪が揺れる。
かなり小柄ではあるが、充分成人している身体だ。

「…しいねちゃん…?どうしてここに…」
「君を探していたんですよ、お久しぶりお鈴ちゃん」

普段修行をしている花畑から居住用の集落はかなり離れていた。
忍の里を発見されないようにする工夫なのだそうだ。
集落もどう見てもゴーストタウン。
人が住んでいるようには見えないし人の気配もない。
しかし忍者のお鈴ちゃん曰く、ここには200人余りの忍者が生活しているとのこと。
ひっそりと息をつめて生活し、万が一外部の人間が入り込んできても里とは気取られないように、
人が住んでいる気配を一切させずに里を守ってきたのだという。
僕は魔法で気配を消すことにした。

「どうしてここが分かったんですか?」

お茶を出しながら、お鈴ちゃんは僕に尋ねてきたが、僕はありのままを話した。そして、

「ぜひ、チャチャさんとリーヤの結婚式に招待したいと思うんです」
「そうですか、うれしいです!とうとう結婚なさるんですねぇ。
 私も修行中ですけど、数日ぐらいなら抜け出せるよう忍頭に相談してみます!」
「良かった、チャチャさんたちもお鈴ちゃんが来るのを楽しみにしているんですよ」

お鈴ちゃんは、満面の笑みで僕の正面に座った。

「今日ウェディングドレスの最後の試着をしてたんですけどね、
 本当にチャチャさん幸せそうで綺麗でしたよ」
「いいですね、私も早くチャチャさんの花嫁さん姿見たいです!」

本当にお鈴ちゃんもうれしそうだ。
やっこちゃんはここまで喜んではくれなかったし
マリンさんには殴られそうになったし(なんで僕が?)、
普通に喜んでくれる存在にホッとした。

しばらく、学生時代の思い出話や卒業後の報告をしたりして大分時間が経ってしまった。
気がつくと家の中に赤い夕日が差し込んでいる。
ここのところ連絡係でバタバタしてたし、こんなにのんびりできたのは久しぶりだ。

「やぁ、もう夕方だ。長話してしまいましたね、すみません修行中なのに」
「いえこちらこそ、すみません引き止めてしまったみたいで」

相変わらず遠慮がちに物を言うお鈴ちゃん。

「ぜひきてくださいね、チャチャさんたちの結婚式」
「はい、もちろんです!」
「僕はまだまだ人集めですよ、とにかく僕ら知り合いが多くてなかなか大変なんです」
「そうですねぇ…」

少し、沈黙があった。
さっき話していたときから時たま互いに言葉を発しない時間がある。
居心地が悪いわけではないが、お鈴ちゃんが何か言いかけてやめたのかなと、少し気にかかる。
何か言ったほうがいいのかと言葉を探してしまう。

「…僕もたいがい健気なんですよ」

言って、しまった、と思った。

「……健気、ですか…?」

お鈴ちゃんの表情が曇る。
あぁ、言わなくてもいいことを言った。

「いえ、えぇ、まぁ、なんでもないですよ…
 ……ほら、僕昔チャチャさんのこと、まぁ、初恋の人というか…」

お鈴ちゃんの視線が痛い。バカなことを言った。
僕がしどろもどろになっているのと裏腹に、お鈴ちゃんはジッと僕を見ている。
この無言が痛いけど、なぜか思っていたことを言ってしまおうかと思った。

「…淋しくないといえば嘘ですけど、分かっていたことですから」
「…しいねちゃん…」

お鈴ちゃんを困らせてしまう、もう帰ろうか。

「しいねちゃん、昼間に夕ご飯の下ごしらえをしたんですけど材料切りすぎちゃって。
 …よろしければ召し上がっていきませんか?」

優しく笑うお鈴ちゃん。僕が何を喉の奥に閉じ込めてるのか、きっと知ってるんだ。

「ありがとう、お鈴ちゃん、いただきます。
 ……ごめんね…」
「…いいえ…少し待ってて下さいね、すぐ出来ますから」

赤い夕焼けはいつの間にか無くなり、宵の闇が近づいてきていた。

お鈴ちゃんが作ってくれた簡単な鍋料理を前に、
僕はポツリポツリと話をした。
初めてチャチャさんとリーヤに出会って、2人が僕にとって最初の友達で、
僕はいつもチャチャさんたちについていこうと必死で、
それでも2人の間に入ってくことなんか到底不可能なことで、
チャチャさんの一番はいつもリーヤで、リーヤの一番はいつもチャチャさんで。
とりとめのないことを、とりとめもなく話した。

「…絶対に実ることが無いって分かってて、それでもついていくのに必死で、
 本当に滑稽だったと僕でも思いますよ」
「そんな、そんなことないと私は思います」

お鈴ちゃんは顔を真っ赤にして否定してくれる。
駄目だな、僕はちょっと今この子に甘えてる。

「しいねちゃんみたいに、好きな人が誰か自分じゃない人を好きで、
 それでも止められなくって…おかしくなんかないです!」

本当にいい子だ、お鈴ちゃんは。

「淋しく思うのも、愚痴言いたくなるのも、普通だと思います。
 好きな人が振り向いてくれなかったら…私だって…」

そこまで言ってお鈴ちゃんはハッとして口を噤んだ。
耳まで真っ赤になって俯いてしまった。

「…ごめんなさい、私、明日も修行があるので…」
「お鈴ちゃん…」
「ごめんなさい、もう、ごめんなさい…式には行きますから…」

無理矢理、グイ、と背中を押されてしまった。

トボトボと箒を飛ばす。お鈴ちゃんには悪いことをした。
学生時代からお鈴ちゃんとはよく一緒にいたんだ、
僕だって本当は彼女の気持ちを知ってる。
知ってて、愚痴を言った。本当に悪いことをした。

…謝りたい。でも、何て?
僕の思い上がりじゃあないだろうか?
分からない。分からないけど。
“悪いことをした”って思った時点できっと僕は、彼女に甘えてた。
気持ちを踏みにじった。いい気になってた。
僕がそう思ったから謝るってのも思い上がりかもしれないけど、
僕の背中を押したお鈴ちゃんの表情が見えなかったんだ。
最後に何を思っていたか読み取れなかった。
悲しかったのか、悔しかったのか、恥ずかしかったのか。
僕ばっかりブッチャケて、お鈴ちゃんは独りで何を思う?
もう、ジッとしてられない。フヨフヨ家路についている場合じゃない。
踝を返して、僕は再びお鈴ちゃんの元へ向かった。

もう一度、お鈴ちゃんの家(隠れ家?)を覗いてみた。
明かりは点いていない。人気もない。
気配を消しているだけなのだろうか、
そう考えながら魔法でランプを出し家に入ってみた。
さっきまで細々とついていたはずの囲炉裏の火も落ちている。
また外へ修行に出たのかもしれない。そうなるとどこへ行ったか全く分からないな。
少しだけ周囲を見回って帰ろう。また、明日こよう。
なんとなく、家の裏手へ回ってみた。
ゆっくり見渡してみると、うす汚れた薪の横にお鈴ちゃんがしゃがんでいた。
僕に背を向ける形で、小さな肩を丸めて、膝を抱いている。
大分肌寒い。僕は魔法で大きな毛布を出し、気配を消してお鈴ちゃんに近づいた。

「…お鈴ちゃん」

お鈴ちゃんがハッと僕を見上げる前に、僕はその横に腰を下ろして一緒に毛布に包まった。

「しいねちゃん、どうしたんですか?わ、忘れ物ですか?」

目が赤い。独りで泣いていたんですね。

「えぇ、忘れ物。お鈴ちゃんに『ありがとう』って言うのを忘れてました」

自分でも反吐が出るくらい気障なセリフ。
でもお鈴ちゃんに言ってあげるにはこれが何より自然な気がした。
意識せず、微笑みが自分の底から沸いてくる。
今すごくすごくお鈴ちゃんに優しく接したい気持ちが溢れてくる。

「お鈴ちゃん、泣いてたんですか?」

愚問だな、と自分でも思った。
けど、それを口に出して自分で認識しようと思った。

「…すみません…」
「お鈴ちゃんが謝ることないですよ。僕こそ、ごめんね」
「いいえ………」

虫の鳴き声が静かに胸に響いてくる。

ゆっくり時間が流れる。
いま世界に僕とお鈴ちゃんしかいないかのような錯覚を起こしそうだ。

「…しいねちゃんは、その……」
「うん?」

チラリとお鈴ちゃん見ると目を逸らされてしまった。
まごまごと続きを言おうとしている。

「その、しいねちゃんは……泣かなかったんですか…?」

驚いた。
僕の淡い初恋を知っている人間はごまんといたし、
やっこちゃんやポピィくんや平八さんに慰められたりもしたけど、
そんなことを聞かれたのは初めてだ。
初恋は初恋で、いい思い出で、最初から覚悟はできてた。
チャチャさんたちの婚約宣言から全く暇なんてなかったし、
落ち着いて愚痴を言う時間すらなかったぐらいで。

「…ごめんなさい…!男の人にこんなこと言って、すみません」

また真っ赤になって遠慮しだす。

「お鈴ちゃんは、僕が泣いてると思ったんですか?」
「いえ、そんな…失礼なこと聞いてすみません」
「お鈴ちゃん、気遣ってくれてるんですね、ありがとう」

そっとお鈴ちゃんの片方の手を握った。少し熱い。

「泣く暇なんてなかったってのが正直なところ。
 こんなふうに落ち着けたのだって初めてなんですから。
 お鈴ちゃんのところに来て良かったって思いますよ」
「しいねちゃん…」

子どものころから僕はチャチャさんが大好きで大好きで、
お鈴ちゃんはみんな知ってて僕の気持ちを思いやってくれてて、
それに安心しきって甘えてしまう僕がいて。
そろそろ卒業しなきゃな。
僕が言う筋合いはないけど、お鈴ちゃんにも卒業してもらいたい。
自分の望みを声に出すってこと、してもいいんだよって気づいてほしい。

「…お鈴ちゃん、聞いてくれますか?」
「はい……」

僕は決意しなきゃ。
僕にとって大切なたくさんの人は、僕じゃない誰かと幸せになってく。
チャチャさんも、リーヤも、お師匠様も。
僕を一番に思ってくれる人はこの人たちじゃなかったんだ。
それでいいんだ。僕には、僕の人が他にいるんだよ。

「お鈴ちゃん、もう少しだけ、待っててください。
 あの2人の最高に幸せな姿を目に焼き付けることができたら
 僕は次のステップに進める気がするんです」

僕は、お鈴ちゃんの目をしっかり見ることができる。
お鈴ちゃんも僕を見てくれてる。
これが答え、そう言い切れるようになりたい。
魔法の箒をポンッと出し、お鈴ちゃんの頭上へ移動する。

「今夜はありがとう、お鈴ちゃん。お鍋もごちそうさま。
 チャチャさんたちの結婚式でまた会いましょうね!」
「しいねちゃん!」

毛布に包まってお鈴ちゃんは立ち上がった。でも僕を追ってはこない。

「…また、結婚式で!必ず伺いますと伝えてください!」

明るい笑顔だ、月明かりに映える。
僕は魔法で一輪の白いヒナギクを出してお鈴ちゃんの手元に放った。

花言葉は「無邪気」。

「だいたいねぇ、段取りが悪いのよ、段取りが!」

恐ろしい剣幕でやっこちゃんは受付を仕切る。僕が担当だというのに。
準備もままならない状態で、ついに結婚式当日を迎えたのであった。
新郎リーヤはポピィくんと一緒に大量の招待客に挨拶し、
新婦チャチャさんはお師匠様の手によって花嫁衣裳に身を包んでいる。
セラヴィーさんは全員分の料理を作りながら式の段取りの最終チェック。

(セラヴィーさんには10本ぐらい手があるのではないだろうか?)

そして僕は受付を任されたのだが、やっこちゃんに役目を奪われそうだ。
とにかく滞りなく式を進めていかなくては。
2人が幸せに満たされて、夫婦として歩んでいくこの日を、なんとしても大成功裏に収める。
僕も変われるかもしれないこの日を、ずっと待っていたんだ。

「おぉ、しいねちゃんとやっこちゃんが受付とはなぁ!」

懐かしい顔が続々集まってくる。うらら学園の先生とみんなだ。

「ラスカル先生!みんな〜!!」

やっこちゃんは実際受付担当じゃないから気楽なものだ。
久しぶりに会えた人にフラフラ近寄って話していき、
満足するとまた受付を仕切り始める。

「やっこちゃん、すっかり大人の女じゃないか!」
「やだぁ、ラスカル先生ったら!当然じゃな〜い!」
「しいねちゃんもホントに大きくなりやがって、
 世界一の魔法使いになるのも時間の問題じゃないか?」

忙しく旧友たちの受付をする僕を、ラスカル先生はしっかり見つけてくれた。

「うらら学園のみんなで待ち合わせして来てくれたんですか?」
「おう、せっかくだからな!」

ひょいっとまやちょん先生がラスカル先生の横から身を乗り出す。
片手でラスカル先生似の男の子を引いている。

「あ!アメデオくん!大きくなりましたね!」
「来年幼稚園だからなぁ!そうだ、待ち合わせといえばな、1人連絡がつかん奴がいるんだ」

僕とやっこちゃんは顔を見合わせた。心当たりが一致したようだ。

「「…お鈴ちゃん?」」

と、2人声をそろえた次の瞬間、元クラスメイトの1人が叫んだ。

「あ!お鈴ちゃんだ!」

辺り中が一箇所に注目した。そこに彼女がいるんだ。
小柄な彼女はみんなに紛れてここから見えない。

「お鈴ちゃん!」
「うわぁ、久しぶり〜」
「すごい、こんなちっちゃかったのに、綺麗になったのね」

みんな大騒ぎだ。僕だけじゃなく、みんな彼女に会ってなかったんだな。
声が近づいてくる。受付しに来るんだ。

「受付?こっちだよ」

誰かが彼女のために道を空ける。やっと姿が見えた。

「…こんにちは、お鈴ちゃん。来てくれたんですね」
「もちろんです…!」

淡い黄色と桜色の振袖に、真っ白い帯。髪に白いヒナギクを挿してくれていた。
ごく薄く紅を注しているその控えめさに目を奪われそうになった。
丁寧に記帳する筆の運びからさえも目が離せない。
やっこちゃんが何か言いたそうだが、放っておこう。

とりあえず、式は大成功だった、と言っておこう。
チャチャさんの箒の2人乗りで入場する演出で派手に壁に激突するとか、
乾杯の前にリーヤが料理を大半平らげてしまうとか、
呼んでない人も押し寄せて立ち見どころか箒で飛びながら空中で見ている人が出たりとか、
予想外のことは山のように起きたが、
予想通りに進むなんて誰も思っていなかったから、かえって予想通りだった。
ただ1つ本当に予想外のことは、
マリンさんが開会の時間直前にやってきて会場の端で式を眺め、
閉会直後に誰の目にも留まらないようにサッと帰ったということだった。
受付をしていた僕とやっこちゃんしか気付いていなかったろうけど。
チャチャさんは綺麗で、本当に綺麗で、今までで一番可愛いと思った。
式が終了して、2次会も済んでみんな帰って、さて片付けるかという時に、
チャチャさんとリーヤが準備から携わっていた僕らを集めた。
リーヤらしくもなく、きちんと僕らに御礼を言ってきた。
昨日チャチャさんと練習したのだろう。

「本当に、ありがとうなのだ。絶対チャチャを幸せにしますのだ!」

必死なリーヤと、それを温かく見守るチャチャさん。

「バァカ、『一緒に幸せになります』だろ?バカ犬」

僕がそう言うと、リーヤは顔を上げた。
あぁ、ここが僕の始まりだ。

「リーヤ、目ぇつむれよ」

ポピィくんがギョッとした目でこっちを見た。構うもんか。
リーヤも分かっているみたいだ。目をつむって歯を食いしばった。
思いっきりリーヤを殴る、つもりだった。
でもやめた。失恋だけど始まりなんだ。
僕は代わりにチャチャさんの手の甲にキスした。

「チャチャさん、たくさんたくさん幸せになってくださいね。
 あなた達の幸せを一番に願ってるのは僕だってこと、忘れないで」

チャチャさんはビックリしているけど、しっかり心に刻んでくれてるようだ。
チャチャさんだってもう子どもじゃないんだ、
僕の言いたいことも分かってくれているに違いない。

「皆さん、悪いですけど、僕これから用事があるんで。
 片付けのほうよろしくお願いしますね!」

僕は箒を出し浮かび上がった。
みんな目を丸くしているけど、もういいんだ。
がんばったね、卒業おめでとう、僕。

僕は真っ直ぐお鈴ちゃんの忍の里へ向かった。
早くお鈴ちゃんに会いたい。声を聞きたい。
失恋した日だというのに、こんなに清々しい気持ちは初めてだ。
家が見えた。戸の前に降り立って、帽子を脱いで呼吸を整える。

「ごめんください」

戸を開けるとお鈴ちゃんは丁度着替えを終えた様子だった。

「しいねちゃん、こんにちは。お片づけは済んだんですか?」

陰ってきた日が優しくお鈴ちゃんの笑顔を照らす。

「みんなに押し付けてきちゃいました」
「えぇっ!?あの惨状を…」
「もういいんですよ、お鈴ちゃん」

靴を脱いでお鈴ちゃんの側に向かう。お鈴ちゃんは待っててくれる。

「いいんです…」

そう言いながら、僕はお鈴ちゃんを抱きしめた。
お鈴ちゃんも僕を抱き返してくれた。

「お鈴ちゃん、ありがとう…」
「…はい」

お鈴ちゃんの返事には、もう遠慮も否定も感じられなかった。

お鈴ちゃんは夕飯に質素な煮魚とご飯・お味噌汁・お新香を2人分用意していた。

「…今日はしいねちゃんが来てくれるんじゃないかって思ってたんです」

少し照れた笑顔。また愛おしさが込み上げる。
身を乗り出してちゃぶ台の向こうにいるお鈴ちゃんの頭を撫でた。

「ヒナギク、髪に挿してきてくれてましたね」
「…はい」

俯いて、少しお鈴ちゃんは涙目になっているようだった。

「…ありがとうございます、しいねちゃん」

そのまま親指でお鈴ちゃんの目尻を拭う。やっぱり少し濡れていた。
お鈴ちゃんが僕を軽く見上げた。
赤らめた頬に、濡れた瞳で、僕に向かって微笑んでくれた。
チャチャさんがバカ犬を見つめていたのと同じ顔。
たまにお師匠様がセラヴィーさんを見るときと同じ顔だ。
もう、この子を僕の側から離しておきたくない、そう思った。
ずっと僕の隣でその笑顔を見せていて欲しい。

「…お鈴ちゃん、一緒にいましょうか。ずっと」

考える前に、スッとそんな言葉が出た。少し沈黙が流れる。
お鈴ちゃんの頬を包む僕の手をとって、お鈴ちゃんは小さくうなづいた。
こんな日が来るなんて夢にも思っていなかった。
チャチャさんはリーヤのものだって明らかになった日から、
お師匠様とセラヴィーさんが急に親密さを増した日から、
僕のことを一番に思ってくれる人はいないんじゃないかって思ってた。
でも、チャチャさんが僕の世界の中心からスルリと抜け出していってしまう悲しさで
全く周囲を見ていないだけだった。
チャチャさんたちは僕が2人の幸せを誰より願ってることを胸に刻んでくれて、
お師匠様は新しい命を育むことを身をもって教えてくれて、
そして僕にもそれらを一緒に大切に感じてくれる人が側にいる。
この手を離さないでいよう、守っていこう。
拗ねてないで、幸せになるために貪欲になろう、この小さな手と一緒に。

「湯加減はいかがでしたか?しいねちゃん」
「えぇ、丁度良かったですよ、ありがとうございました。先にいただいてしまってすみません」

お互い何も言ってはいないが、これはこのままお鈴ちゃんの部屋に泊まる流れだ。
すでに焚いてあったお風呂をいただいた。

「いいえ、一番風呂は好みませんから。私も入ってきます」

寝巻きを片手に風呂場へお鈴ちゃんは移動した。無駄に緊張する。
正直、いきなりこんなつもりじゃあなかったから、何をどうすればいいのか分からない。
でもただ一緒にいたいって、それしか僕の頭にはない。
お鈴ちゃんがお湯を浴びる音が耳にこだまする。
何か鼻歌を歌っている。懐かしい旋律、子どもの頃どこかで聞いたような温かさを感じる。
カララッと小さな音をたててお鈴ちゃんがあがってきた。

「…いいお湯でしたか?冷めてませんでした?」

彼女のほうを振り返ってハッとした。
肌が赤く艶めいて、結った髪からお湯が滴り落ちて、
この世のものとは思えないぐらい綺麗だと思った。

「はい、まだ温かかったですよ、大丈夫です」

ほんのり微笑む。頭の芯がクラクラしてきた。
お勝手で何かこしらえているお鈴ちゃんのうなじに目が釘付けになる。

「しいねちゃん」
「は、はいっ!」

勢い良く振り返ったお鈴ちゃんにビックリしてしまった。

「…どうしたんですか?」
「な、なな、なんでも、ないです…はい…」

無防備すぎる笑顔に負けそうになる。

「…?…、しいねちゃん、甘酒飲みませんか?今日はお祝いですから」

しっかり2人分、二号徳利だ。前から用意してくれたんだろう。
この子は、僕が何考えてるのか分かってるのかな…
お酒出すなんて、もしかして分かっててやってるのかな…
1人で余計な邪推をしてる間に、テキパキとお鈴ちゃんは甘酒とアラレを用意してくれた。

僕はお酒は強いほうじゃない。
子どもの頃にお酒…妙な双子の魔法使いが作った魔法薬を飲んで以来、
トラウマになっててお酒は飲みつけていないというのが本当のところだが。
なのに、二号徳利の甘酒はものの30分で空になってしまった。
お鈴ちゃんは割と「イケルくち」だったんだ。

「もうなくなっちゃいましたね、しいねちゃん飲んでますか?」
「いえ、お鈴ちゃんが飲みたいだけ飲んでくれればいいですよ、温めてきましょうか?」
「ホントですか?ふふ、嬉しいです」

お酒が入って気が大きくなってるのか、普段のお鈴ちゃんなら僕をお勝手になんて立たせないだろうに。
しゃがみこんで一升瓶を持ち上げた。

「あ、お鈴ちゃん、少ししか残ってませんよ」
「えぇ?そんなー…」

背後からパタパタ近づいてきて、ヒョイッと僕の肩越しに瓶を見る。
甘い香りが僕の鼻をくすぐる。
チラッと横を見ると桃色に染まったお鈴ちゃんの顔があった。
フッと目が合う。

「…今晩の宴会はお開きですねぇ」

残念そうに、でもニッコリ微笑んで心底楽しそうにお鈴ちゃんは言った。
耳鳴りがする。
鼓動が速い、外に聞こえそうだ。
身体が熱いのは甘酒のせい?

「片付けましょっか」

そうつぶやきながら立ち上がったお鈴ちゃんの腕を掴んで引き寄せた。
よろけて尻もちをつきそうになったお鈴ちゃんを両腕で抱きとめる。

「…しいね、ちゃん…?」

骨が折れてしまうのではないかと思うぐらい、強くお鈴ちゃんを抱きしめる。

「…っ…し、ね…ちゃん…少し、緩め…」
「…ごめん…」

お鈴ちゃんの苦しそうな声を無視してさらに腕の力をこめる。
身体中の血液が沸騰しそうだ。

「…お鈴ちゃん…今夜、一緒にいましょう…」

今さらなことをわざわざ聞いた。お鈴ちゃんからの肯定が欲しくて。
お鈴ちゃんは無言で僕の背に手を回し、体重を僕の胸に預けてくれた。
小さい軽い身体を抱き上げて、奥の部屋を目指す。
囲炉裏の火は消えかかっていた。

奥の部屋に小さな布団が一組、さらに奥の部屋に通常サイズの布団が一組敷いてあった。

「…向こうの、奥の部屋に行きましょうか、お鈴ちゃん」

お鈴ちゃんは僕にしがみついたまま無言で小さく頷いた。
一番奥の部屋の(おそらく僕のために敷かれた)布団にお鈴ちゃんを横たえる。
魔法で襖を閉めて行灯に灯を点けた。

「…しいねちゃん……」

不安がお鈴ちゃんの顔を支配している。
僕も、正直不安だ。
一体こういうときって何をどうすればいいのだろう。
自分の思うままに動けばいいのだろうか。

「お鈴ちゃん、キスしていいですか?」

言いながら、お鈴ちゃんの顔の横に手をついた。
みるみるうちに真っ赤になっていく。これ以上は、意地が悪いかな。
困った目で僕を見上げるお鈴ちゃんの頬を撫でて、もう片方の頬に軽くキスした。

「お鈴ちゃん、僕のお鈴ちゃんに、なってください…」

目を閉じて、桃色をしたお鈴ちゃんの唇に口づけた。
甘い。甘酒の香りにまた酔わされる。
もっと味わいたくて、お鈴ちゃんの肩と腰を抱いて深くキスする。

「ん…っ…」
「はぁ…っ、んんっ…」

僕ばかり貪ってるような気がして、でもお鈴ちゃんの身体のこわばりが解けてきた。
僕を受け入れてくれてる?

「…は、ん…」

そっとお鈴ちゃんの浴衣の帯を解いた。透き通る肌が僕の目の前に現れた。
首筋に、胸元に、たくさんキスをする。

「ん、んん、しいね、ちゃん…」
「…んっ…お鈴…ちゃん…」

胸元が肌蹴た浴衣を下まで開いていく。

「…あ…っ…」

小さく抵抗されたがもう止まらない。
自分自身の浴衣を脱ぎながら、片手で目の前のお鈴ちゃんの肌を露わにしてく。

「やっ…見ないで…」

お鈴ちゃんは下に下着を着けてなかった。

「…お鈴…ちゃん…?」
「やっ…違うんです…!忍の、というか、こういった浴衣では…洋服のような下着は…」

驚いたが、聞いたことはある。和服って確か、そういうものだ。

「ごめんごめん、お鈴ちゃん。大丈夫ですよ、恥ずかしがらせてすみません」

気付いたらお鈴ちゃんばかりに恥ずかしい格好をさせていた。
僕も全部浴衣を脱いだ。
肌同士が吸い付くようだ。このまま溶けてしまいそう。
全身でお鈴ちゃんの体温を感じた。
とても落ち着くのと同時に身体中が脈打ってくる不思議な感覚に溺れる。
全身に指を這わせて、下腹部まで手をのばした。

「…っ!!待…って…ください、しいねちゃ…」
「…もう止めません」
「やぁ…っ…」

そこに指を這わせたけど、堅く閉ざされている。
ゆっくり、すべりこませる。かなりキツい。

「んっ…ぅん…」
「…痛いですか?」
「…少…し、すみま、せん…」
「謝らないで、ゆっくりしますから」

少しずつ、繰り返し、胸への刺激と一緒に指の動きを強めていく。
徐々に指が滑らかに動かせるようになってきた。

「お鈴ちゃん、少し濡れてきましたよ…」
「…や…恥ずかしいです…」
「でも、僕を受け入れてくれてる?」

聞いた僕はバカだと思った。でもやっぱり肯定が欲しい。

「……はい…」

蚊が鳴くような声。涙目で僕を見上げる。
一度深くキスして、熱い僕自身をお鈴ちゃんの中に埋めていった。
もう夢中だった。

「はぁっ、ん、んん…っ…」
「あ、あん…しいね…ちゃ、ん、あくっ…」
「は、お鈴ちゃん…くっ…」

止まらない。悪いと思いながら、容赦なくお鈴ちゃんを求めた。
お鈴ちゃんは僕にしがみついて、必死についてきてくれる。
どれぐらい時が経ったか分からないが、もう制御が利かなくなってきた。
欲望のままに自身を打ちつけ続けて、あっという間に僕は果ててしまった。

「………」
「………」

しばらく抱き合っていたが、お鈴ちゃんが覆いかぶさる僕の頭を撫でてくれた。

「お鈴ちゃん、すみません…僕ばっかり…」
「いぃえ、嬉しいです…ありがとうございます…」

僕はお鈴ちゃんに何もしてないのに、お鈴ちゃんは笑ってくれる。

「…お鈴ちゃん、幸せにしますから…」

僕の側から離れていかないで。
それは言えない、けど、きっとずっと僕の奥底から消えることはないだろう。
僕の世界のど真ん中にいたチャチャさんたちが自分の人生を歩んでいって、
置いてけぼりにたってしまったような切なさは、
きっと消えないんだ。
お鈴ちゃんはずっと僕の頭を撫でてくれる。

「はい、私もずっと…しいねちゃんと一緒にいたいです…」

あぁ、僕の不安を、お鈴ちゃんは知ってくれてるんだな。
この子は手放したくないな、手放しちゃいけないな。つくづくそう思う。
あの幼かった日々を思い出にしていく手助けをお願いできるだろうか。
そしていつかみんなで笑い話ができる日がくるだろうか。
その時には、僕もこの子を連れて最高に幸せな姿をチャチャさんたちに見せたい。
何のわだかまりも身構えもなく笑える日がきっと来る、今日のこの日が始まりだ。
そっとお鈴ちゃんにキスして抱きしめる。
この青写真を遠くない未来に実現することを、この小さな小さな手に誓おう。






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