藤川一男×冴島はるか
「あ…もしもし?」 「緋山先生どうしたの?」 「ちょっと聞きたいことあるんだけど、今大丈夫?」 「う…ん、どうしたの?」 「東都大学の外山教授の息子さんって何か知ってる?末っ子らしいんだけど。」 「何で私に聞くのよ?」 「大学教授の娘だからなんか接点あるかなと思って」 「また合コン?」 「それなら苦労しないわよ!」 「ちょっと待ってて。パパに聞いてみる。」 電話を机に音が聞こえる。 (何か大事になったわね。同期に聞くのは失敗だったかも) 今更後悔しても遅い。 「あ・ごめんごめん。東都大は特に知り合いは居ないけど、名前は聞いたことあるって」 「そ・そう。休み中にごめんね。」 「頑張ってね!」 何を頑張るのかわからないが、とりあえず励まされたので「ええ」とだけ答えて電話を切る。 わかったことは、上に兄と姉がいて末っ子だということ。 上の兄姉は東都大学でそれなりのポジションだということ。 (仕方が無い。) コイツに頼るのはちょっと癪だが、口は堅いもれる事は無いだろう。 アドレス帳で冴島を検索する。 「もしもし?」 仕事と同様に反応が早い。 まだ心の準備が出来ていない。 「あ・冴島今何してる?」 「特に何もしてませんよ。明日からは藤川先生と旅行に行くので荷造りしてますけど」 実はこの二人ヘリに乗ったことで、とりあえず一定の関係にはなったらしい。 ヘリで救助の帰り道をデートと勘違いしていると、近々シニアから雷が落ちるらしい。 (行きは勿論真剣そのもの。帰りに気が抜けるらしい。ザマーミロ) 「東都大学の外山教授の息子さんって何か知ってる?」 「唐突ですね。私親とは看護学校に行ってから口聞いてませんから。」 「お姉さんとかとは口聞いてるんでしょ?」 「まぁマンションの保証人になって貰ったりしてますから・・・」 「あれ?緋山先生に姉が東都大って言いましたっけ?」 「そうなの?」 「ええまぁ…どうかしたんですか?」 冴島の声が大きくなる。 「ココだけの話よ?」 「私そんなに病院の人と仲良く無いから大丈夫ですよ。ご存知でしょ? 一男さんくらいにしか言いませんよ。」 藤川の名前を呼ぶとき一瞬声がデレっとしたのは、もはや気にする必要も無い。 (それが一番心配なのよ。耳に入った瞬間病院中に広まるわ) 「合コンですか?私はもう行きませんよ。」 以前私と白石と冴島で合コンに行ったのだが、それはそれは盛り下がった。 「そんなんじゃないわよ。親に言われて仕方なく会うのよ」 「お見合いですか?頑張ってください。」 「実は夜、姉と藤川先生会わせるんでそのときそれとなく聞いてみますね。」 恋は一直線というところだろうか。展開が速すぎてついていけない。 「べ・別にちょっと気になるだけだからね。」 「分かってますよ。また連絡しますね。」 こんな事になるとは思っても見なかった。 父と母は物凄くノリノリである。 自分の意思とは関係なく話が進んでいくのが面白くない。 よし決めた。悪態をついて向こうから断るように仕向けてやろう。 温室育ちのおぼっちゃんはさぞ驚くことだろう。 「ちょっと会うだけなのよね?」 私が母に確認する。 振袖姿なんて成人式以来である。 (思いきっり正装な気がするんだけど…) まぁ私も27だしそろそろこういうのがあっても良いのかしら… 小学校の頃はもう結婚してるもんだと思ってたしなぁ。 あれから白石からも冴島からも連絡は無かった。 忘れているのか・それとも伝えられないほどひどい人物なのか。 こっちから電話するのも「その気がある」と思われても癪なので電話は出来なかった。 「とにかく愛想良くするのよ。美帆子は笑った顔が可愛いんだから」 「はいはい。」 ニコニコ笑って美味しいもの食べれば良いのだ。 こんな楽なことは無いじゃないか。 母の後ろをついて歩きながら、少し自分が緊張していることに気がつく。 (こんなのオペに比べれば、何てこと無いじゃない。) 私は目を閉じて深呼吸し心拍数を整える。 「こちらになります。」 女将はドアをノックすると私達を案内した。 「どうもはじめまして。本日はどうもありがとうございます。息子の誠二です。」 母に隠れて私にはまだ見えないが、先方はもう到着していたようである。 (キッチリ5分前行動ね。) 「こちらこそありがとうございます。娘の美帆子です。」 母は振り返ると私に挨拶するように目で合図する。 「は・はじめまして…」 私はぎこちなく挨拶する。 「まぁまぁ座ってください。」 掘りごたつに足を伸ばしながら、私は外山さんを見る。 「外山誠二と申します。北洋病院外科心臓外科医をしております。専門は血管外科です。」 スーツの外山さんが丁寧に頭を下げる。 第一印象はなかなか落ち着いた感じの人である。 「緋山美帆子と申します。翔北救命センターでフライトドクターのフェローをやってます。」 「救命ですか。大変でしょう?ウチにも救急車ちょくちょく来ますが・・・」 私が頭を下げると、さっそく質問をしてきた。 (意外とせっかちなのかしら?) 質問に答える方が楽なので助かるは助かるのだが… 「尊敬する人物は?」「座右の銘は?」「結婚相手に望むものは?」「将来の夢は?」 「特技や趣味は?」というありきたりの質問から 「普段の仕事の時間配分?」「夜勤の時間つぶしの方法」 「今までどんなタイプと付き合ってきたか」 などのライフスタイルに関わる質問まで お互いに質問合戦だ。 後半は何だか答えにくいことをお互いに聞きあっていたような気がする。 私の答えは面白みの無い女だと思わせるために、 恵が答えそうな答え方を途中までしていたのだが、それすら面倒になり適当に答えてしまった。 どうやら外山さんは非常に真面目な一方で、自信家な一面もあるようである。 「どうでしょう?後は若い二人で…」 「庭でも歩きましょうか?」 中庭は庭園になっていて歩けるらしい。 「は・はい」 よく考えると病院以外で年上の男性と、二人になるのなんて初めてでは無いだろうか? 「緋山さんはお見合いとか積極的なんですか?まだ若いのに偉いですね。」 「外山さんこそどうなんですか?」 「俺は親父が倒れたっていうから実家に戻ってみれば、大嘘で連れてこられたんだ」 「え?本当ですか?」 「ウチは兄と姉の出来が良かったから褒められた経験もないんで、二度と帰らないつもりだったのに。 小学校のとき90点でも怒られたの今でも覚えてるよ。」 さっきから「私」が「俺」に代わり、喋り方が少し男らしくなっている。 「私も母が勝手にお見合い相手を募集してて・・・」 私が恥ずかしそうに顔を赤らめる。 「1週間謹慎になったんで実家に帰省にして知りました。」 「謹慎って何やったんです?」 「え・・それはその。じゃ教えるから一つ質問してもいいですか?」 「どうぞ」 「何で北洋病院にいるんですか?明真大学に居たんですよね?」 「むかつく講師ぶん殴っちゃったんです。あっという間に干されたね〜」 彼は笑いながら答える。 (前言撤回意外と短気みたい) 「今度は緋山さんの番ですよ?」 「レスキューの制止を無視して治療したからだから、別に誰も傷つけてません」 「いつかは明真に戻るんですか?」 「さぁどうだろう?最初は嫌だったけど、 消化器科の松平とか内科の藤吉とか麻酔医の小高とか面白い奴もいるからなぁ」 外山さんの表情が少し明るくなったような気がする。 「俺は親の跡継ぎでも無いから玉の輿でもないし、断りたかったら断っていいよ。」 「玉の輿って今どき居ませんよ〜」 私は思わず笑ってしまった。 「ここで会ったのも何かの縁だし、明真の設備見学したいときは言ってくれ」 「楽しみに…」 女の人の叫び声がした。 「!!!」 一瞬外山さんの顔が真剣な顔になる。 「外山さん?」 「あ・・・すみません。ここは病院からも近いし何より今日はオフだし。」 「そ・そうですよね。」 医者の職業病だろう。 『誰か来て〜』 先程の家族だろうか?助けを呼んでいる。 ヒュンという風を切る音が耳元で聞こえる。 「外山さん?」 外山さんの姿が無い。 「わ・私も…」 振袖で走りにくいが仕方が無い。 「緋山さんは部屋で待っていてください。」 「私だって医者です。こんな格好でも手伝いくらい出来ます。」 「そしたら俺の鞄持ってきてくれる?中に一通りの道具が入ってるんだ。」 「わかりました。」 二人が声のする方に向かうと、そこには中年の男が一人倒れている。 「俺は医者です。救急車が車で立ち会います。」 『ありがとうございます。』 「聞こえますか?」 彼が手当てを始めるの横を私が走り去る。 私は彼の鞄を取りに部屋へと急ぐ。 (医療道具は肌身離さずか) 部屋では親同士が楽しく談笑している。 (あんた等外に居る私達に聞こえて何で聞こえない?) 入り口に置いてある彼の鞄を探すと急いで部屋を出る。 「道具持って来ました。」 聴診器を外山さんに渡す。 胸に聴診器を当てる彼の顔色が曇る。 「救急車まだか?」 救急車の音はまだ聞こえてこない。 「心臓の音が弱まってる。AED持ってこい」 (何か命令口調で言われてる?こっちが素?) しかし今はそんな事を言っている場合ではない。 「AED有りますか?」 私が丁寧に女将に尋ねる。 あいにくこの店には設置していないようだ。 「どうします?」 慣れた手つきでアンプルを手に取る外山先生に尋ねる。 中には麻酔薬が入っているようである。 「呼吸任せるぞ?」 挿管するとこちらを見る。 (何かかなり上から目線ね。) 「外山さんはどうするんです?」 「開胸して直接心臓マッサージする。」 「え?」 私が思わず聞き返す。 救急車はまだ来ない。 「このまま心臓が停止するのを見ていたら、患者に後遺症が残る。」 私はバッグを押しながら患者の顔を見る。 確かにドンドン顔色が悪くなっている。 しかし自分なら出来るだろうか。この状況でたった一人で。 私が迷っている間に彼は直接心臓をマッサージし始めた。 それから約1分後 救急車の音が聞こえる。 「遅いぞ。早く乗せろ。それから北洋病院に受け入れさせろ。外山だといえばわかる。」 「わかりました。」 救急隊員の一人は救急車に戻る。 私達は急いで患者を救急車へ乗せた。 (ふう…これで終わりね。) 私はバッグを救急隊員に任せると救急車を降りようとしたが、 患者の奥さん?が乗ってきたため降りれない。 「悪かったなぁ。今度埋め合わせするから、振袖汚れないように気をつけてな」 「は…はい」 「ありがとうございます。ありがとうございます。」 奥さんは私の手を取ってお礼を言う。 「全力を尽くします。俺のチームが病院にいる。」 ヘリでこういう現場に慣れているはずだったのに… 私は何も出来なかった。 ただ指示に従っていただけ 悔しさだけが胸を締め付ける。 フェローとして医者として少しは腕を上げたと思っていた。 思い上がりも良い所だった…。 こんなことでフライトドクターになれるのだろうか? 患者は安定しているという電話を外山さんから受けたのはその夜だった。 「着物汚れませんでした?それ以前にお母さんに怒られませんでしたか?」 「ええまぁ多少は…。ただ自分は声に気がつかなかったんでそんなに言われませんでした。」 「それは良かった。良かったら休みの間に病院にでも遊びに来てください。 善田って先生に言えば案内してくれます。」 「お役に立てずすみませんでした。」 「研修中なんでしょ?あれだけ出来れば良いと思うよ。」 (フェローと研修医を誤解しているようだが…。 説明するのも面倒なので止めた。) お見合い前の印象では多少腕はあるけど 結局は論文マニア(白石男版)だろうと思っていたが ぶっきら棒だが腕は確かで、しかも医者一家となると冴島男バージョンと考えるべきだろう。 私的にはもう一度くらい会っても良いとは思っているのだが、 向こうはどう思っているのだろうか? そういえば、さっき病院に遊びに来てくれても良いと言っていたのを思い出す。 こっそり仕事振りを見に行ってみよう。 もしかしたら、たまたま格好よく出来ただけかもしれない。 それに今日は開胸しか見ていない。 医者としての将来性なんてわからないではないか。 「美帆子どこ行くの?何かオシャレしちゃって。」 「え?ちょっと。」 私が鏡の前で服を確認していると母が部屋に入ってきた。 「まぁデート?私と一緒ね。私もお父さんとのお見合いの翌日にはデートに行ったわ。」 「そうなの?」 「内緒よ?だってお父さん話つまらなかったんだもの。」 ふーん。お見合いって重いイメージあったけど、意外とそうでもないのかしら? 母がお見合いの次の日デートに行ったくらいだ。 私達の世代はご飯が相席になってたまたま話したくらいの気で居れば良いだろう。 よくわからない安心感が生まれてきた。 (手土産にお菓子でも買っていこうかしら) かなり大きい病院と聞いている。 看護師はどのくらいいるのだろうか? あくまでコッソリ行くのだから電話して聞くわけにもいかない。 (こういうのは、多いくらいがちょうどいいのよ。) 気前よく一番大きい箱を購入し病院へと向かった。 (大きいわねぇ) 研修医のときの病院の1.5倍はあるのではないだろうか? 私が外科はどこにあるのか探していると、眼鏡をかけた中年の医師が声をかけてきた。 「何かお探しですか?」 「外科ってどこにあるんでしょうか?」 「これから私も行きますので、ご案内しましょう。こちらです。」 「今日はお見舞いか何かですか?」 エスカレータで不意に尋ねられる。 「ちょっと遠い知り合いが居るもので、ところで外科の外山ってどんな先生ですか?」 「あ・院長どうしたんですか?そちらの方は?」 (い・院長…) 女医の言葉に思わず驚く。 「外山先生ならさっき食堂に居ましたよ。私がご案内しますね。」 院長と呼ばれた男はこちらに丁寧にお辞儀すると去っていった。 「貴方も医者なの?」 「ええ・・まぁ翔北救命センターの方で…」 「翔北救命センター…」 チョコレートを口に頬張りながら、首を傾げる。 「環奈元気にしてる?」 (三井先生のことよね??) 「大学時代の同期なのよ。ヘッドハンティングされているはずなんだけど知らない? お互い子供が出来てご無沙汰だけど懐かしいわ。」 彼女はどうやら麻酔医をしていて、三井先生とは昔仲が良かったらしい。 お互いの結婚式にも出席した仲だそうだ。 二人とも離婚していることは、風の噂で知っていたようである。 「外山先生はねぇ…う〜ん。私あんまり接点ないからなぁ。でも手技は抜群ね。」 「そ・そうですか。先程の先生もそうおっしゃってました。」 「ところで貴方いくつ?」 「2〜歳ですけど?」 「若〜い。お肌スベスベ」 この人もしかしてそっちのけがあるのだろうか? 「冗談よ。外科のエースよ、ちょっと性格きついとこあるけどね。」 私の考えが読めたのか笑みを浮かべる。 「そ・そうなんですか…。お仕事中だしやっぱり止めときます。また来るって伝えておいてください」 「あら照れちゃったの?それとも緊張?」 「これ皆さんで食べてください。」 私は早々に引き上げる。 よく考えたら私はどうしたいんだろう? 自分でも分からない。 藤川争奪戦には自分から身を引き。 今度はお見合い相手の素行調査?。 私も白石や冴島のように真剣な恋をしたいのである。 でも結婚はまだ考えられないのである。 それでは駄目なのだろうか? 「おはよう。」 ロッカールームには冴島と白石が居た。 「おはよう。」 「おはようございます。」 「何話してたのよ?珍しいわね。」 「1週間も謹慎したこと無かったものですから、 どんな顔してナースステーションに行こうか迷ってまして。」 「冴島さんはまだ看護師で休んだの一人だからいいよ。」 白石も心配そうな顔をしている。 確かにフェロー全員が謹慎になったということは、 三井先生と森本先生に多大な負担が掛かったことは想像に難しくない。 「とりあえず部長の所に行きましょう。下向いて反省したフリしとけばいいわよ。」 実際悪いことをしたという認識がないのだから、こんな発言をしても仕方がない。 「失礼します。」 院長室に入ると、そこには男性陣の他にシニア二人の姿がある。 「全員揃いましたね。今日はお知らせしなければならないことがあります。 黒田先生がリハビリに専念されるため先日お辞めになられました。」 「黒田先生居なくなってこれからどうなるんだろう?」 「誰よりも多く乗れって言われたんだろ?上を向け」 「黒田が居なくなったってことは、いよいよ最終兵器の時代か?」 「藤川先生は危ないことしないでくださいね。患者救いに言って患者になったら本末転倒ですからね。」 「アンタ相変わらずねぇ、大丈夫、藤川は三井先生にも嫌われてるから」 院長室を出た私達は口々に感想を述べている。 仮にもう一度事故があった場合には、ヘリ反対派が黙っていないだろう。 私達は気持ちを引き締め決意を新たにした。 その日の夜 緋山先生と藤川先生は当直、私と白石先生は気になる患者がいるということで残っていた。 「ところで休み中どうだったの?」 三人が緋山先生の顔をニヤニヤと見る。 「そういえば、柄にも無くお見合いしたんだって?」 藤川先生が緋山先生の肩を小突く。 「からかっちゃ駄目だよ。藤川君。」 「そうですよ。私達も四捨五入するともう30です。崖の上の美帆子って感じなんですから。」 「敢えて四捨五入する意味あるか?」 コソーと緋山先生が席を立とうとするのが見える。 「どこ行くんですか?」 「じゅ・巡回でも行こうかなと。」 「5分前に行ったばっかりじゃない。」 「馬・馬鹿ねぇ!患者さんの状態は常に変化するのよ!」 (からかい過ぎたかしら?) 「でもあんまり患者さん見に行くと、患者さんも不安にならない?」 こういうとき白石先生の素直な性格がうらやましい。 「じゃぁ暇つぶしに聞くけど、白石は休みはどうしてたんだ?」 「え?私? 実家に帰ってお母さんにクリームシチュー作ってもらったり、 藍沢君とお婆ちゃんみに行ったりよ。」 「親子水入らずに気を使いなさいよねぇ。」 緋山先生がハァとため息をつくと腕組する。 「だって藍沢君が…」 白石先生は顔を赤らめて下を向いてしまう。 つま先で地面をグリグリしている。 「そっちはどうだったのよ?」 緋山先生はクイっと椅子を回すと私を見る。 「私は姉と食事したりとか、ちょっと旅行に行ったりとかですよ。 特に何も緋山先生にお話するような愉快なエピソードは無いですね。」 「旅行ってどこどこ?誰と誰と?」 白石先生が二の矢・三の矢とばかりに質問してくる。 私は返答に困ってしまう。 あの事故の夜 藤川先生が眼鏡を拭きながらロッカーからでてくる。 「藤川先生?」 「泣いてるんですか?」 「ほとんど救えなかった…」 彼はポツリポツリと途切れながら呟く。 「普通なら切断する足を切断せずに済ませたんですよね?」 「でも12人も救えなかった。現場に行ったのに…。医者なのに…」 「初めての現場であの大事故でそれだけ出来れば充分です。」 「緋山先生や白石先生だって最初は現場で使い物にならなかったんですよ。」 落ち込む彼を慰める。 「初めてだろうが、5回目だろうがそんなこと患者には関係ないじゃないか。 もし三井が見ていたら、もしかしたら緋山が見ていても助かったかもしれない。 こんなことなら…」 私は思わず彼の頬を平手でバチンと叩く。 眼鏡がコツンと地面に落ち彼の頬が赤くなる。 「今何を言うつもりだったんですか? まさか乗らなきゃ良かったなんて言いませんよね? 一時の気の迷いで滅多なこと言うもんじゃありません! それならどうして俺に行かせろなんてあの場で言ったんですか?」 「お前に俺の気持ちなんてわかるかよ!」 藤川先生にしては珍しく食ってかかる。 「どういう意味ですか?」 「どんなときでも冷静沈着かつ的確。しかも優秀… そんなエリート看護師に何がわかるんだって言ったんだよ。 明日からまた何事も無かったかのようにヘリの乗るんだろ? どうせ腹の中では、無能な俺でなく、私が医者なら救えたとか思ってんだろ?」 彼は私のことをそんな風に見ていたのだ。 確かにフェローが来た当初、白石先生に言ったことがあった。 「私はあんた達より遥かに優秀」と。 でも今はもちろん誰に対しても、そんなことは思っていない。 「黙ってるって事はやっぱり図星なんだな。」 彼は眼鏡を拾うとクルッと向きを変え歩き出した。 (どう言ったら伝わるの?) 嗚咽を抑えられない。 「藤川!」 彼の足がピタッと止まる。 「立ち聞きするつもりは無かったけど、聞こえちゃったから言うけど言いすぎだよ。 確かに現場に僕が行ったら、もっと助けられたかもしれない。」 「やっぱり…」 藤川先生が俯く。 「でもそこに僕はいなくてお前が居た。それが現実だ。 ドクターヘリにたらればは無いんだよ。 黒田先生は今のお前なら大丈夫だと思ったから行かせた。 僕もそう思った。」 「で・でも…」 「今日のことが忘れられないなら忘れなくていい。 救えなかった12人の生きたかった思いを残された家族の悲しみや無念の思いを背負えばいい そしてまた腕を研き知識を増やし、悲しみを減らすためにまた飛べばいい」 森本先生はそういうと去っていった。 そのとき彼は今どんな顔をしていたのだろうか? 去っていく森本先生の背中に何を感じたのだろうか? しばらくして残された彼が 私の方を再び見たときの彼の顔は、いつものひょうきんな藤川先生の顔に戻っていた。 「ご・ごめん。人が死んで傷つかない奴なんていないよな。」 「私の方こそ口下手ですみません。 もっと上手に励ませれば良かったんですけど。」 「ありがとう。止めてくれて。 冴島さんの言うとおり一次の気の迷いでとんでもない事言うところだった。」 「またいつでも言ってください。今度はグーで殴ってあげますから」 私が腕まくりをして腕を回す。 「怖いなぁ。怒らないでよ。」 「医師の精神的ケアも看護師の仕事ですから」 「これからもずーと傍にいてくれる?フライトドクターに成れなくても」 「藤川先生が医者である限り、ず〜と私が支えます。嫌だって言っても離れませんから」 「俺頑張るから、森本先生みたいに強いドクターにいつか成って見せるから」 「待ってます。その日が来るまでだから私以外の人に弱ってるとこ見せたりしちゃ駄目ですよ。」 その日は必ず訪れるだろう。 今はまだ頼りなく小さい藤川先生の背中だが 救命の厳しさとフライトドクターの責務の重さを背負った頼もしいあの背中になる日が。 彼の帰る場所になろう。 どんなときでも優しく包んであげられるようなそんな存在になろう。 私は真夜中の満月にそう誓った。 こうして藤川先生がヘリに乗ったことがきっかけとなり、 なし崩し的に付き合うことになったのである。 ただ職場では内緒にしておこうということに成っている。 緋山先生には気がつかれてしまったけども。 SS一覧に戻る メインページに戻る |