遠まわしすぎる優しさ
藍沢耕作×冴島はるか


5度目…そう、5回目。
ぼんやりと天井を見ながら数えずに回数がわかった。
藍沢が、自分の部屋に来た回数…

はるかは寝返りをして狭いシングルベッドに一緒に寝ている藍沢の寝顔を見る。
そして時計へ何気なく目をやると始発が動いている時間になっていた
蒼白い空が、カーテンの隙間から見えた…

「藍沢先生、そろそろ行かないと…。着替えに帰るんですよね?」

肩を軽く叩いて言うと浅い眠りから起きた藍沢が「うん」と頷いた。
気だるそうにベッドから出るとそのままシャワーを浴びに風呂場へと入る
起き上がると、はるかはベッドの下に散乱している服の中から下着を見つけて身に着ける。
ついでに藍沢の下着と服を畳んで、脱衣所にそっと置いてやった

「冴島は今日は…?」
「日勤だから朝から行きます。もう少し、仮眠しますけど…」
「じゃ、俺が早く帰らないと眠れないな」

タオルで体を拭きながら藍沢が話す。いつものように淡々とした口調と態度。
そして丁寧に畳まれた服を着ていく、その様子を横目で見ながら嫌味な口調ではるかが言う

「こうしてうちに来なければ、まっすぐ帰ればお互いもっと睡眠取れるんでしょうね」
「そうだな。」

ベルトを留めながら藍沢が短く返事をする。そして続けて

「だけど…無駄な時間じゃないと思う」

遠まわしすぎる優しさ…いつも彼はそうだ。みんなが思っているような
無感情で冷徹な人間じゃない…私はわかる、とはるかは密かに心の中で繰り返した。

「私も…そう思います」

はるかの答えを聞くと、藍沢は軽く手を挙げて「おやすみ」と言うと
早朝の外へと出て行った。
5回目の朝…。1回目の朝は、病院内だったんだっけ…。まだ体温が残るベッドに入ると
はるかは反芻するように思い出した

冷たい言葉を投げ、別れた彼の携帯から久しぶりにPHSに着信があった。
相手は彼の母親…様態が急変したという知らせだった
もう恋人ではない、というのは母親も知っていた様子だが、一応知らせてくれたらしい。
もう…意識はないという言葉に別れた彼といえ、目の前が暗くなった。
そして自分が浴びせた自分の正直で残酷な気持ちと言葉を…悔やむ。
夜中の人気も疎らの病院内を早歩きで進み、エレベーターを降りると
既に堪えていた涙が零れてしまう。誰にも見られたくない…一刻も早く、どこかへ…
処置室…外来処置室ならこの時間誰もいない…そう思い部屋のドアを開けた
――しかしそこには、藍沢が座っていた。
もう、ボロボロと涙が止まらない状態のまま立ち尽くす。

「冴島…?」
「…失礼、しました…」

先客に一言を涙声でやっと言って早く立ち去ろうとすると、手首を掴まれた
驚いて振り向くと、藍沢が愛想なしのままで

「いいよ。俺、本読んでただけだから。」

処置室のベッドの上には老人介護や認知症に関する書籍が数冊あるのが見える。
そして藍沢の顔へと視線を移すと…目が赤いように思えた

「藍沢先生…?」

感づかれた、と咄嗟に藍沢は本を重ねデスクに置きながら

「もう行くから、使っていいよ」

逃げるように部屋から出ようとする背中に、発作的に縋り付いた――
壊れた感情…止まらない涙…どうしようもない孤独感、自己嫌悪感…
押しつぶされそうだった。

「少しだけ…少しだけでいいんです…一緒にいてください…」

ドアノブにかけていた手を離すと、藍沢はそのまま立って背中を貸してやった。
はるかは声を殺しながらも泣き続けた。少し…落ち着いてきただろうか
やっと握り締めていた藍沢の術衣を離し、一歩後ろに下がると
いつもの事務的な口調を涙声のままに

「ありがとうございました。つきあわせてしまって、申し訳ありません…」
「俺も…さっきまで、冴島と同じ事、してたから…」

やっぱり、泣いてたんだ。あの藍沢先生が…
認知症の書籍に視線を移しながら驚いた顔をする。

「自分が一番大事だけど…それを貫き通すって、すごく意思が必要で辛い時もあるよな…」

自分の指先を弄りながら見つめて、藍沢が呟いた。
はるかは、そんな彼に自分の分身を見ているような感じになる
―似たもの同士―勝手にそんな言葉が頭に浮かぶ。そして彼の右手を取り
はるかは両手え包み込む。そして手の甲に唇を押し当てると藍沢が「冴島?」と問いかけてきた。
もう…衝動でしかない。彼を…私を…紛らわせたたい…
そのまま彼に抱きついた、体を離そうとする藍沢に顔をあげてはるかが言う

「あと10分だけ…一緒にいてくれませんか…」

本来当直ではない藍沢は自主的に居残っていただけだった。
正確には自宅に戻っても眠れないだろうという予想からだったのだが…
「いいよ」と短く答えると同時に冴島が抱きついてきた。
今だけこの時間だけ、誰かに縋り現実から逃げたい…そんな感情が、伝わってきた。
至近距離で見詰め合うとまだ涙で濡れている目で藍沢に言う

「勝手に思いました…藍沢先生も、同じなのかもって…」

やはり数分前までの涙を感づかれてしまったんだ、と藍沢は思った。何も答えずにいると
冴島がゆっくりしゃがみこみ、膝をつく。そして藍沢のズボンに手をかけた

「え…何…」
「10分だけ一緒にいてください」

事務的な口調で返ってきた言葉と行動に驚いていると「座って」と指示をされてしまう。
処置用のベッドに軽く押されたので、そのまま藍沢は座る、冴島が下着をずらす。
そして何も言わずに藍沢のそれを口に含んだ。突拍子もない行動と展開に藍沢は
驚きはすぐに収まり彼女に従う事にしてみる…それは「衝動」だったんだろうか…
丁寧にしゃぶりついていると口の中で熱を帯びて成長していくそれは、いつのまにか
根元までは口に含めないくらいになっていた。はるかは夢中でしゃぶりつく、そして
手を根元に添えると舌だけで根元から先まで、アイスのようにゆっくりと舐めて見せる。
視線を上へ…藍沢の顔へと向けると、両手を後ろについて見た事のない藍沢の顔…
満足そうに、そのままはるかは再びできるだけ奥まで口に含んだ。
微かに聞こえる息遣い…頭を上下に動かすと、口の中で血管がひくっとする感触がわかる。
このまま一人だけなんて、ずるい…そっと口を離すと、立ち上がりはるかは自分のズボンを脱いだ
そして下着も脱ぐと、上の術衣は着たままで、藍沢に跨り彼の上半身を押して倒す。

「冴島…?」
「もうちょっと…だけですから…」

そう言うとさっきまで丁寧に舐めまわしたそれを自分の入り口に宛てる…そしてゆっくりと
体重をかけて、そのまま腰を落とす。自分の中が満たされていく独特の感覚に表情が歪む。
藍沢の肩を両腕で上半身の体重をかけて押さえつけたまま、自分の中を満たしていく。

膝を使い上下に動き、もっと奥、もっと奥と欲しがる衝動のままに動き続けた
少しずつ上がる呼吸…藍沢も自分と同じように、快楽に表情をくしゃっとしている。
お互い、呼吸に吐息という短い声が混ざるようになってきた。

「藍沢先生…っ声、気をつけ、て…壁薄いですから…」

そういいつつも意地悪で、今度は腰を前後にグラインドさせ擦り付けるように動かす。
さっきよりも深く挿入されて、藍沢ははるかの腰を掴む。しかし制止する手ではなく添える手だった。
クリトリスが擦り付けられる刺激と深い挿入の刺激…頭の中で何がか少しずつ粉になっていくような
満たされ続ける感覚に夢中になる。

「冴島っ、もう、俺…」
「もう少しで、私もですから…」

我慢させるような事を言うと藍沢の指が自分の腰に食い込んでくる
…我慢してくれてるんだ、腰の動きを早めるとすぐに追いつき始める。

「イキ、ますっ…あっ…」

我慢できず少し大きい甘い声で言うと、体の中心を快楽が貫いて全身が小刻みに震える。
背中を反らせて硬直する…飛んだ、そんな感覚の絶頂の中で少し、酔う…
――やっと、戻ってくると無意識に止まっていた早い呼吸を吹き返す。藍沢の顔を見下げると
彼も同じように浅く早く呼吸をしていた。

「中で…」
「大丈夫です、今日は」

中で出してしまった、といいかけた藍沢に再び事務的に答えるとゆっくりと自分を満たしていたものを
抜いてベッドの上に中腰の状態…満たされていた場所から、混ざり合った白いものがどろっと出てくる
そんな卑猥な光景を藍沢は眺めながら手を伸ばしティッシュで押さえる。

「藍沢先生…ありがとうございました…」

藍沢の頬に、軽く口付けると藍沢もまた、はるかの頬に軽く口付けた。
気づけば朝の4時…窓のブラインドの隙間は、蒼白い空が見えていた

その日の夜に、自分から再び声をかけたのだ。
「お暇でしたら、また時間を少し貸してくれませんか?」と。
そして自宅へと藍沢を連れて行くと、また自分を満たす時間を過ごした
藍沢は少し躊躇う様子もあったが強引に、はるかが行動をしたら、そうなった。
すると毎日…どちらかが当直じゃない日ははるかの部屋に藍沢が訪れるというのが
暗黙の了解になっていた。しかし彼は朝方…始発電車が動き始めると
服を着替えに家に帰っていく。決して完全に一泊はしなかった。
もちろん仕事中には仕事以外の会話はない。二人の時間も、あまり会話はなかった。
自分勝手だが、はるかにはそれがありがたかった。

朝のICU回診が終わり、エレベーターに乗っていると連日の寝不足から欠伸が出る。
手を添えてかみ殺しているとエレベーターの扉が開いて、藤川が入ってきた

「お疲れ。何何?疲れてるねぇ〜冴島があくびしちゃうなんて珍しい」

無言でエレベーターの階数表示を見つめていると藤川は暑苦しく続ける

「寝不足?でも昨日夜勤じゃなかったよな。お?もしかしてこれは〜
 昨日、夜遊びでもしちゃった?実は男と朝まで過ごしたとか?」

そこでエレベーターのドアが再び開いて、入ってきたのは藍沢だった。
右隅にはるか、左隅に藍沢、そして真ん中には一人ワクワクとする藤川。
「お疲れ様です」「お疲れ」「藍沢おつかれ!」「…。」
挨拶が一言ずつ済むと、藤川は空気を読まずに楽しそうに続ける

「朝まで過ごす相手か、いいなぁ〜。俺は動脈瘤破裂の仲川さんと朝まで一緒だったからなぁ〜。
…実は朝まで一緒にいた男っていうのは藍沢だったりして〜っ?」

二人を交互に指差し冗談でうひゃうひゃ笑いながら言う藤川に、視線を動かさずに

「藍沢先生、朝までつきあって頂いてありがとうございました。またお願いします」

一瞬、間が空いてから藍沢が「じゃ、また今夜」と答えた。
一番間が空いてたのは藤川…きょとんとした様子で二人を交互に見ると

「ほんと、だったの?…マジで?」

間抜けヅラ、という言葉がぴったりな藤川の顔を睨むように見ながら

「藤川先生は冗談でも信じちゃうんですね。そのうち結婚詐欺にでも合いますよ。
朝まで付き合ってもらったらどうですか?結婚詐欺師に。」

そう言うと冴島はエレベーターから降りていった。
残された藍沢に藤川はひきつった笑顔で

「なんだよ…冗談、かよ。」
「…。」
「いきなりの冴島のフリに藍沢が合わせたのか、そんな所で茶目っ気いらねえよ〜」

肘で藍沢の腕を突くと、無反応のまま藍沢も次の階でエレベーターを降りていった。

急患があったので時間は深夜になったが、その日の夜も藍沢は部屋にきた。
そして再び、お互いを満たすように抱き合うとベッドへとなだれ込む
快楽をひたすら貪りあって、快楽に溺れて…。
…終わって、気だるい浅い眠りの中で、藍沢の胸に耳を宛てて鼓動を聞く…
少し抱き寄せられ、体温を、お互い感じる。
しかし会話らしい会話は、相変らず無い…
もうすぐ6回目の朝がやってくる。寝息をたてる藍沢を見ながら
彼はもうすぐまた帰っていくんだと思うと、初めて切ないような感情が湧いてくる。

「藍沢先生…もうすぐで、電車が」
「もうそんな時間か…」

眠そうに薄目を開くとはるかのほうへ寝返りをうち、彼女をそっと抱きしめた。

「藍沢先生…もう…明日は来ないでください」

はるかは、少し途切れながら言う。彼の胸に顔をうずめたままで行った。
少し、間があった。藍沢は「わかった」と小さく答える
それを聞くとはるかは顔をあげる。涙が、目に浮かんでいた

「なんでそんなに…優しいんですか…。最初から、何も聞かないで、何も言わないで
ただ私につきあってくれて…なんで何も訊かないんですか…」

何も聞かないという優しさが、ありがたくもあり辛くもあった。

「ただ冴島の誘いにつきあっただけじゃないから…俺の、自分の、意思だから」
「私はただ…自分の心の隙間を満たして、全部忘れる時間がほしかっただけなんです…」
「俺も、そうだよ…。全部忘れて、弱い所を吐き出したかった…」

ベッドの中で裸のままで抱き合う。多分今で…最後。

「割り切りすぎてたんですね、私も…藍沢先生も…。
やっぱり…同じでしたね…。私たち…。」

似たもの同士…また、その言葉が頭に浮かんだ。


彼が玄関で靴を履いている。はるかは初めて玄関先まで送った。
「じゃ、また。病院で。」「そうですね」
短い会話。…こちらを藍沢が見つめている。「?」はるかは首を傾げると

「最後に、5秒だけ、俺につきあって」

そっと頬に手を添えて、ゆっくりと唇を重ねてくる――
それは初めて、優しく温かく、ふわりとした、キスで…
ゆっくり離れていく唇…今までと違う、鼓動の高鳴りだった。

「何回もセックスしたのに…1回のキスのほうが…満たされるんですね…」

率直な感想を、柔らかい口調で呟くと背中を向けドアを開けた藍沢が

「…俺も今、同じ事思った。」

それも優しい口調だった、そしてドアが静かに閉まった。
はるかは…はじめて安らかな気持ちで、体温の残るベッドで眠りに落ちていった。






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