私の中の悟史の存在(非エロ)
藍沢耕作×冴島はるか


目まぐるしく時が回る翔北救命センター。
急患や外来。更にはヘリ要請もあり、東奔西走。
救命スタッフが総動員で患者搬送と治療を行う。

「病院着きましたよ分かりますか」「服切りますねー」
「エコー撮ります」「ライン採った?」
「ヘリあと何分?」「こっち、腕やっちゃってる」

初療室では医師や看護師が体がぶつかりながら動きまわる。
そこに居合わせないのは藍沢、冴島の二人。ヘリ担当だ。
二人は交通事故現場で処置した帰りで搬送中の患者の容体に目を配っていた。
患者に神経を使っているところだが、藍沢の視線が冴島へと移り行く。
もう20秒は凝視している。さすがに視線に気づいたのか、
バイタルの確認していた作業を止めて藍沢を見遣る。冴島の頬には、ガーゼ。

「大丈夫ですから。」
「‥‥」

もうすぐ着陸。パイロットの梶の無線報告に窓を覗くと
ヘリポートと迎えに来た藤川と緋山、看護師の辻の姿も見えた。
着陸。ヘリの扉が勢いよく開かれ藍沢と冴島、患者が出てきた。

「胸を強打してる、一度心肺停止して蘇生。おそらく低酸素脳症だ」

藍沢の患者状態の説明を病院内へと皆でストレッチャーを運びながら。
緋山が患者の目を診、声をかけて意識レベルを確認。辻に指示を送った。
藤川は、手は患者。視線は..冴島にだった。
なんで頬にガーゼを。処置中傷でも負ったか。
「どうしたの?それ。」顎の先で指して問いかける。

「患者の服にガラスの破片が付着してた、暴れるのを抑制してる時それが飛んできた」

藍沢が代わりに答える。
お前という者がいながら!とわざと理不尽に責める藤川に
藍沢先生は関係ない悪くないと冴島は弁護。
彼女に言われては何も言い返せない。
二人の間の空気が気に食わなく、少し口を尖らせた。

オペが必要な患者には執刀医の他に藍沢、藤川が付いた。
特に問題もなく施しが進行し、作業が縫合だけを残して
後はよろしくと任された二人はそそくさと針と糸を手に取った。
藤川はちらりちらりと藍沢を窺い、口を開くタイミングを図って
「冴島大丈夫なの?傷深くなかった?」聞くと「あぁ」とだけ返す。
加えて作業が遅いと辛口をきった。
見えないマスクの裏でまた、藤川は口を尖らせる。
藍沢の脳裏に浮かぶのは、現場で頬から僅かに血を垂らして苦い表情でいる冴島。
本人は大丈夫だとことわっていたが..
術野から目線を逸らした藍沢の黒目を、藤川は見逃さない。
彼の頭の中身を妄想しては嫉妬した。すると藍沢に諭される。

「冴島をものにしたきゃさっさと言えばいいだろ、好きだって」

オペ室ナースもいるのになんということを。
緋山と同じようなことをお前は!
そう言ったら「じゃあずっと竦んでろ」と藍沢に返り討ちにされて。

「お、お前だってなんだ、白石とはやけにくっついてて
 色気づいちゃったりしてんのになんで何も言わないんだよ」
「勘違いも甚だしいな」
「違うのかよ」
「白石は緋山が好きだろう?」
「‥それって大丈夫なの?」
「感情の問題だ、それと同じだ白石に俺が思うのは」
「ふぅん‥じゃあお前が恋愛感情をもつやつは他にいるんだな?」

ピタリと藍沢の縫っていた手が止まる。
どうしたんだよなんだよと藤川が喋りだす前に早くしろと作業を促した。


各患者の治療がほぼ終わり、集中力をほどき救命センターが平安に戻った頃。
もう夕方だ。初療室の床に散らばるガーゼなどの医療廃棄物をトングで拾う冴島。
そこへオペに入っていた藤川が入ってきた。
目が合って、藤川だけが気まずそうにというかやけに緊張した様子で。
冴島は目だけで挨拶をして手を進める。忘れ物を。と藤川は聴診器を取った。
退室しようとした初療室のドア手前で立ち止まり、きびすを返す。

「さっ冴島さん。頬の傷の手当、ちゃんとしとかないと。俺診るから!」
「‥わかりました」

室内奥に居た辻に後を頼んだ冴島は藤川と初療室を出る。
病棟を歩いていると、外来患者や面会に来た人などがちらりと冴島の顔を奇に見てすれ違っていく。
気にして頬のガーゼを隠すように擦った。それに気づいて、彼女より身長が低いのに
胸を張って冴島の真前を歩く藤川。やわらかな視線が自分の背中に注がれていることには気づかない。
会話をしようとしたそんな時、藤川のPHSがけたたましく鳴る。
足止めをしそれに出る‥お呼びだしがあったらしい。
鼻の前に手を添えてごめんと合図を送ると冴島の元を離れ走っていった。
藤川に会釈した冴島の前方には、また顔を奇に見るであろう人達。
そんな嘆息が出そうな状態、そこに混じっていたのは、藍沢だった。

「冴島、ちょっといいか」
「‥‥」

藍沢に連れられて入ったのは備品庫。仮の名は藍沢たちフェローの休憩所。
そこに傷の手当には丁度いい医療品を積んだ医療用カート。
普段これをこんな場所に保管したりしない。藍沢が持ってきたのか。
外来診察室とかに準備してる医療品を使えばいいものを、わざわざ?

「傷、見られるのが嫌なんだろ。」

傷があるのが顔ときたら女はもっと嫌がるらしいな。
言いながらめりめりとガーゼを取る。
せっせとカートを押す藍沢を想像すると、やけに可笑しかった。
予備に置いてあるベッドに座れと促される。手当をしてくれるようだ。
藍沢は消毒液に浸した脱脂綿の一つをピンセットで掴んで、患部に宛がう。
ジン。と滲みることによって不規則にぴくりと揺れる冴島の体。

「痛むか?」
「..悟史は、悟史の痛みや苦しみは、こんなものじゃなかったはずだった」
「‥‥」

今日ヘリ要請で駆けつけた現場で処置し搬送した患者の恋人の名は、『はるか』だった。
安否を心配し恋人の名を虚ろな目で呼び続けながら暴れていた。
「はるかさんは軽傷ですよ。今向かってる救急車で病院に運びますから」
「はるか‥‥はるか‥」
悟史と患者が重なり、胸が張り裂ける思いで暴れる体を冴島は抑えていた。
そんな中での怪我だった。

「引きずってるのか、田沢さんのこと。」
「簡単には、忘れられません。」
「そうだな」

藍沢は手当の最終作業に傷口の大きさに合う絆創膏を貼った。
優秀でミス一つ起こさなかった冴島だったが、医療器具の準備を忘れた時もそうだし、
田沢が亡くなって以来、医師や看護師とのコンタクトが上手く取れていない。
冴島の中にある田沢の存在は良いようにも悪いようにも大きくて。

「幸せになれるといいな。」
「え..」
「田沢さんは自分が死んだあと、お前に望むのは苦しみや痛みを感じてもらうことじゃないだろう。だから。」

幸せ‥‥その二文字を思い浮かべたことがあっただろうか。
悟史が自分に望むのは、哀しみ?それとも。
悟史が思い描いていた幸せを差し置いて、自分だけが幸せになるなんて。
そんなのは許されるのだろうか―――
冴島は藍沢を哀願するように見つめ、こくんと唾を飲み込んだ。

「藍沢先生、どこにでもいい。キスしてくれませんか」
「..は、」
「試したいんです、私の中の悟史の存在。」
「‥‥」

リリリ、リリリ。
冴島の私用携帯電話が鳴った。
ポケットから取り出す、だが彼女はそれに出ようとない。
サブディスプレイには『藤川先生』の文字。「出ないのか?」聞くとうなずいた。
怪我の手当なら、済んでる。藤川は良い人だけれど、心のケアだって信頼している藍沢に願いたい。
強く優しい人物であることは、一緒に仕事している中でよく知っているから。
藍沢は顔には出さないが内心戸惑っていた。心配していたのは事実だが、恋人でもない
好きかどうかも分からない女にキスしてと頼まれるなんてこの突拍子もない展開で予想だにしていない。

冴島の着信音が止んだ。
ここで冴島自らキスをするようなことをしたら..
男である自分は気持ちと体が別物になりそうだ。
冴島は立ち上がり、藍沢の鎖骨あたりの肩口に手を添えると踵を少し上げて唇を重ねた。
目を瞑ると獣のような気配を、香りを感じた。
軽い口づけからしっとりと舌を絡ませる濃厚なものになっていく。
冴島の上がっていた踵は床に戻り、つま先が上がりそうになっていた。

冴島の携帯が再び鳴る。たぶん、藤川。
藤川が今のこの状況を知ったら、どう思うだろうか。
これも治療の一貫だなんて弁解しても怒りを通り越して呆れて話を斬るだろう。
藤川に申し訳ないと思って藍沢は眉を寄せながら、いつの間にか受け身になる。
一回りとまではいかないが年上と付き合っていただけあって、経験値の高い女からのキスに魅了されて。
着信音が止んだのを合図に理性が吹っ飛べば、冴島の首筋に唇を落として朱い痕をつけた。
「あっ‥」冴島の吐息混じりの甘い声。壁際に体を押さえつけて時間がとまったように見つめあい、
彼女の肌に浮き出たキスマークに触れる。冴島の女らしい綺麗な手が、藍沢の手が離れるように促した。
そのひんやりした手が、藍沢の自制心を引き戻す。
我に帰ったのごとく二歩後ずさりをして距離を取った。
自分は今..何をしようとしている。

「‥ごめん」
「、いえ。」

少し乱れた呼吸と着衣を直すと、冴島は頭を下げた。

「私の方こそ失礼しました。でも、ありがとうございます。
 今だけ、悟史を忘れることができた。
 存在は決して消えないし、消すつもりはないですけど。
 いつか、幸せになりたいです。」

ほろりと零れた冴島の涙を、絆創膏を撫でるように拭った。
冴島を抱きしめることはまだできない。
悟史の存在が大きすぎて、奪うには準備が備わっていない。
ただ分かったのは、幸せになってほしいというより、幸せにしてやりたい。
そんな自分の冴島への想いだけだった。

「怪我の手当も、ありがとうございました。‥カート持っていきます。」

冴島は去っていく。
ガラガラと彼女が押すカートのメッキ音が聴こえなくなるまで、
見えないカーテンの向こう側にある背中を見つめていた藍沢だった。






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