天才の求める解はただ一つ
湯川学×内海薫


男女の関係になってからもう随分たった。
お互いの人間性が変わったわけではないが、体を重ねた後に再び「刑事」と「准教授」として顔を合わせるのはまだ慣れない。
会うとどうしても「抱かれた」とその時の意識を反芻してしまう。
特に意識してしまうようになったのは「指」だった。

きっかけは何のことはない、「アーチェリーの矢は直進しているようで実は蛇行しながら進む」とか
「その原因は右手を離す時の指と弦が元に戻るときの弓の振動」で「なんとか」という器具がそれを抑えるとか、
いつもの薀蓄を聞きながら、その弓を引き絞り、矢を離す仕草を眺めていた時だった。

(綺麗な指だなぁ)

ふとその指に目を奪われてしまった。
同時に、薫の口から懇願する言葉が出るまで、散々責められた事とその感触を思い出す。

(うう、あの時は…おかしくなっちゃうかと思った…)

そう考えながら薫は、この時点ですでに自分の変調を自覚していた。
顔を見られない。その代わり、その手から――指から目が離せなくなっている。

顔を見ることも出来ない。指から目が離せない。指の記憶が頭と体から離れてくれずに薫をじわじわ苛む。
それでも会わずにいるのは寂しく、仕事後に研究室へ顔を出してはぼんやりするという日々が続いた。

「いったい君は何のためにここへ来ているんだ?
僕に会いに来ているのかと思えばそうでもない――ただぼんやりとしているだけだ」

その疑問は至極真っ当なものだった。
かつての薫なら、それがどれだけ素っ頓狂な答えであったとしてもとりあえず答えていただろう。
しかし、今の彼女にはそれすら期待できないようだ。

「聞こえているのか?」

久しぶりに正面から見た整った顔立ちに、さっきまでとろんとしていた薫の猫のような瞳が見開かれる。
それと同時に耳まで真っ赤になった。

「熱でもあるのか?知恵熱か?」

湯川はあろうことかその手で薫の頬に触れた。その熱は冷たい手で冷やされるどころか増す一方だ。
薫はその熱に浮かされたまま、頬に添えられた手に自らの手を重ね、その指を口元へ運び、誘われるように口に含む。
舌先でつつき、撫でるように舐めあげる方法は、先日湯川が教えたものだ。

「こんなところでしたいとでも言うつもりか?」

愛しそうに指へ舌を這わせる薫に、低い声で愉快そうに湯川が尋ねる。
彼女の表情は普段のきりりとした眼差しからは想像も出来ないほど淫猥で、恥ずかしさに染めた頬が湯川の加虐心を煽った。

「そんな顔をされても此処は研究室だ。君の望む通りにはしかねるな」

少し待っていたまえ。そう言おうとした湯川の口を薫が塞いだ。


その予想外の行動に一瞬意識の空白が生じて、湯川は薫の口から開放された自らの指の行方に気付くのが遅れた。
手は薫の胸に押し当てられていた。濡れた指先を通じて薫の心拍が伝わってくる。
恥かしそうに下を向いて、耳まで赤く染めた薫が発した言葉は、湯川の予測を裏切るものだった。


「しなくて、いいです…せんせ、さわって」

――さっぱり理解できない。説明したまえさもないと(以下略)

湯川の内に生じた疑問を解消するために、薫は自分の思考を洗いざらい吐かされることになった。
へたり込んだ薫に、湯川は淡々と問いかける。

「ほう…つまり、『数時間後の本番よりも今指で触れられたくて仕方がない』と」

「…は、はい」

「確認しよう。今君は、僕のこの指に欲情しているわけだな?」

「欲じょっ…ちが、や、んんっ!!…違いません…その通りです…」

「つまり君は、病理的ではないにせよある程度のフェチズムであるということだ。
過剰なフェチズムでは頻繁に日常生活や社会生活に支障をきたす例が報告されているが、
本能とも言うべき性的欲求よりも性的嗜好の方が優位になるというのは実に興味深い。」

湯川の表情が新しいおもちゃを与えられた子供のような笑顔になる。

「だが」

しかし、その表情は一瞬で奥に潜み、いつものひねくれて、サディスティックな表情が表に出る。

「それでは僕は君の自慰の道具と大して代わらない…気に入らないな。
だから内海君、僕は手を君に貸そう。しかし僕は一切動かすつもりはない。君が、自分で、僕の指を使ってすればいい」

薫は呆然として湯川を見た。しかしいくら見ても意見が変わるはずがなく逆らえるはずもなく、薫はふらふらと立ち上がる。
すでに乱された服がぱさり、ぱさりと床に落とされた。


「下着は取らなくて良いのか?」

言われるままに下着を取る。今からしようとすることを湯川はは全部見透かしている。
知っていても、どうしても止められない薫は、教員用の椅子に腰掛けた湯川の上に跨る様に向かい合うと、その手をとった。
湯川の指に自分の指を添えて、秘部へと差し入れる。

「あ、あぁっ!」

口から零れた明らかな歓喜の嬌声と、すでに十分なほど潤んでいた内部に、薫は俯いたまま顔が上げられない。
しかしそこをサディスティック湯川は見逃さない。

「ああ、言い忘れていた。顔を上げるんだ」

顔を上げると、完璧な微笑を浮かべる天才が、薫の表情を観察していた。
見られている。
その事実を改めて実感した薫の体が敏感に反応し、薫と湯川の指をきつく締め付ける。
それでも薫は、湯川の指で自らの内部を弄び続けた。
やがて自らが生み出す快感に耐えられなくなり、湯川の肩にしがみ付く。
当然、快感を与え続けていた指の動きが止まる。
薫の中に存在し続ける湯川の指に、ひくついた内部の動きが切なさを訴える。

「そんなに僕の指が欲しかったのか?」
「は、はいっ…!」
「でも今動かしているのは君だ。欲しいのは本当に僕か?誰でもいいんじゃないのか?」
「ちが、います」
「これだけ自分で動かして、溢れさせておいて――説得力がないにも程がある」
「せんせ、どうしたら」

信じてくれますか?

薫のその言葉は、ぐちゅぐちゅとした厭らしい音と、突然与えられた、待ちわびた刺激によって口から発せられた喘ぎ声に掻き消された。

「ひぁあ、やっ、あ、せん…せっ!!」

先ほどまでの薫の動きで見抜いた弱点を執拗に攻めると、もう声も出せないほどに湯川に縋り付き、細かい痙攣を繰り返す。
自分の思い通りに薫が乱れるのを満足そうに眺めながら、湯川は耳元で囁いた。

「今夜。」
「…ぅ、あ…?」
「今夜僕の言うとおりにしてもらおうか」

もちろんこの間も乱暴にさえ見える指の動きは休めない。

「何す、る、ひゃ、や、だめっ、イク…っ!」

休めないどころか薫を確実に追い詰めていく。

「今、言っただろう。僕の言うとおりにすればいい。今夜、一晩」
「ひ…やぁあっ!!」

白い体をしなやかに反らせて、薫は意識を失った。

肩で悩ましげに息をするその体に衣服を着せながら、今夜はどうしてやろうかとその頭脳をフル回転させる。
天才の求める解はただ一つ。

「彼女が僕なしではいられない心と体になること」

そこまでの考えられる過程が多ければ多いほど、天才を愉快にさせた。






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