湯川学×内海薫
![]() 「…という事実が新たに分かりました。今回の事件の何かヒントになりませんか?」 「確かに、興味深い事象だ。しかしその前に、内海君…。」 「何でしょうか、湯川先生?おかしな点でも?」 「…何故。」 「何故?」 「今なんだ。」 「へ?」 湯川が座っている机の上のスタンド以外灯りのついていないほの暗い研究室の中、湯川は小さくため息を つくと壁にかかっている時計に目をやった。 「あ、もうすぐ日付が変わりますね。」 「報告は別に今日でなくとも明日で良かったんじゃないか?」 「だって、すぐ先生にこの事を知らせたかったんです!」 「ならばいきなり連絡もせずに訪ねて来なくとも、まず電話をするとか、メールをするとか他の方法は思い 付かなかったのか、君は?」 「電話とかメールとかそんなまだるこっしい事するより、会って直接話した方が早いと思って!」 にこにこと笑いながらそう答えた薫に湯川はまたため息をついた。 「こんな夜遅くにやってきて、もし僕がいなかったらどうするつもりだったんだ。」 「そしたら帰りました。でも先生今日の夕方に『明日までに学生のレポートの評価をつけないといけない』 って言ってたじゃないですか。 で来てみたら、他の部屋は真っ暗なのに先生の研究室だけ灯りがついてましたから!」 「第一この時間は正門は閉まっている筈だ。」 「時間外の裏門からの入り方、前に学生さんから聞いて知ってました。」 「校内の駐車場も閉まっていただろう。」 「近くのコインパーキングに停めてきました。」 「……」 「ん?何か??あ、先生コーヒー淹れ直しますね。」 「ああ、頼む。」 湯川は三度目になる深いため息をつくと、かけていた眼鏡を外し両手の指をからめて組むとその顎を乗せた。 そして、少し離れた流しで明かりもつけずにインスタントコーヒーを自分の分も淹れている薫の後ろ姿に話 し掛けた。 「内海君、では君は深夜僕が一人で研究室にいる事を知っていて来た事になる。」 「ああそうですね。そう言う事になりますね。」 「ああ、じゃないだろ。全く君は。」 「すみません、仕事の邪魔をしてしまって。」 「僕が言いたいのはそうじゃなくて…」 「じゃ、何ですか?」 薫は振り返りもせずに湯川に返事をした。 カチャカチャとスプーンでマグカップの中のコーヒーを掻き混ぜる音が人気のない室内に響き渡った。 「僕が言いたいのは……こんな夜更けに若い女が一人で男のところに来るものじゃない、という事だ。」 その途端流しの前から笑い声が上がった。 「やだ、先生!私は刑事ですよ。夜中だろうが何だろうが平気です!」 時間にして10秒程だろうか、思っていることを言いあぐねた様子で湯川が口を開いた。 「……君は何も分かっていない。自分の立場も、そして……僕も男だという事も。」 最後の言葉は薫のすぐ後ろで聞こえた、気がした。 刑事の勘か女の勘か、身に危険を感じて慌てて振り向くと、いつの間にか薫の背後に湯川が立って静かに薫 を見下ろしていた。 「びっくりした。な!なんで、急に…ん!」 次の瞬間、薫は後ろから身動きも出来ない程強く抱きすくめられていた。 急に強く匂い立った湯川の香りと暴れようとしてもビクともしない腕の力に薫はめまいがした。 「や!先生、酔ってるんですか?冗談は止めて下さい!本気で怒りますよ!!」 「僕からアルコールの匂いがするかい?しないだろ。僕はいたって素面だ。」 「イヤ!こんなの、先生じゃない!」 「君は僕の事を何だと思ってるんだ?血の通わないロボットとでも?」 耳元に触れそうなくらい近くに唇を寄せて、先生があのバリトンで囁いた。 先生の吐息が耳にかかり思わず薫は身体をビクンと反応させた。 「君はなかなか感度がいいらしいな……ん?」 ふっと今度は意図的に項に息を吹きかけられ薫は思わず声をあげてしまった。 「あ…ん!」 「そういう反応が男の苛虐心を煽る事を知らないらしいな。」 がっちりと薫の細い腰を捉えていた湯川の腕が緩まりほっとしたのも束の間、湯川の男にしては節くれ だっていない長い指がブラウスの上から薫の腰の辺りを撫で回し出した。 「やめて下さい!せんせっ!…湯川先生!」 「流石に鍛えてるな。細く締まってる。ただ残念な事に折角のアラバスターの肌が恐怖で粟立っている。」 下から上に順にボタンがゆっくりと外され、肌が外気にさらされていくのが分かる。 「ん、ぃや!先生これは立派に犯罪です!」 薫が苦しい息の下、必死にそう絞り出した。 そして湯川が口角を上げていつものアルカイックスマイルを口元に浮かべて言った言葉に薫は凍りついた。 「深夜、男が一人っきりでいると分かっている人気のない大学に自分からやってきて『合意の上』でない、 と誰が信じる?」 「せ、先生?」 暗い窓ガラスに写った自分の姿が見える。ボタンがまた一つ外された。 「しかも君は車をわざわざコインパーキングに停めてきている。報告だけならすぐ済むものを何故だ?」 「そ、それは大学の周りは路上駐車禁止、だ、から。」 「確かにそうだろう…だが人はこう思う。『彼女は報告だけで終わるとは思っていなかった。その後の事を 期待していた』とね。」 「!!」 薫は大きな眼をさらに見開いて湯川の顏を見つめた。 「それに、君は知っているだろう……相手の意にそまない性行為は顔見知りの、彼女にとっては異性と意識 していない相手によるものが、かなりの割合を占めているという統計を。」 また一つボタンが外され生地の薄いキャミソールの下、下着が露になった自分の姿が窓ガラスに写っている。 「言ったろう、内海君?僕も男だ、と。そして君はとても魅力的な女性だ……食べてしまいたいくらい。」 ブラウスの最後のボタンが外された。 「全く君は、無防備過ぎる。それでよく刑事が勤まるものだ。」 呆れたような含み笑いが頭の上からした。 「いつも、どれだけ僕が……我慢してるのか君は知らないだろう。」 「……」 ゆっくりと上着ごとブラウスを肩から滑り落とされ、布が床に落ちる乾いた音がした。 次に後ろで一つに束ねた髪がやはりゆっくりとした動作で解かれ、何度も指ですかれた。そのあまりの優し い動作に、薫は思わず目を瞑った。 「君は非論理的で感情に溺れやすく実に理解しがたい。なのに時として一見飛躍とも見える、物事の核心に 迫る意見を述べる。 こんな滅茶苦茶な人種は初めてだ。」 薫の項に薄い唇を、舌を這わせながら湯川はそう言った。 「最初はそんな君に振り回されて正直腹立たしさを感じていた。困惑し迷惑だと思っていた。 しかし、ある時どうして君という存在にこんなにも気持ちを掻き乱されるのか考察し、理解った。 僕は内海薫という女性に特別な感情を持っている、と。」 「……」 「自分の気持ちに気付いてからは苦しかった。日増しに彼女を独占したい、全てが欲しい、という感情を抑 えるのが辛くなってきたからだ。」 湯川はキャミソールの肩ひもを器用に唇で外しながら両手で背中から薫を抱きすくめる形で胸を下着の上か ら揉みしだいている。 すっかり抵抗を止めた薫の唇から思わず熱い吐息が漏れる。 「……先生は私の事を。」 「ん?」 「…私の事をそんな風に見てたんですか?」 「いけないか?好きな女に欲情して。」 「……」 「君は狡い。無邪気な顏をして僕を翻弄する。」 いつの間にかホックを外されたブラジャーがキャミソールを残して肩から抜かれ、床に滑り落とされた。 「君が研究室にやってきた後、君と現場に行った帰り、君の仕草に甘い香りに、僕は何度も何度も欲情した。」 「ん……」 湯川の指が露になった薫の胸の頂点を刺激している。 「僕がそんな感情を持つ事が可笑しいか?もう枯れてると?確かに若い君からみれば僕はオヤジに分類され て然るべきだろうが。」 そう言って自嘲気味に嗤ったらしいが、背後から抱きすくめられているからは湯川の顔は見えなかった。 「内海君。そういう君だって、僕に欲情した事がないとは言わせない。」 「なっ!?わたしは…」 ふいに湯川に両肩を掴まれくるりと身体を反転させられた。 お互いが向き合う体制にさせられた薫は湯川のいつになく熱っぽい目を見る事が出来ず視線を空に漂わせた。 「欲情、とまではいかないかもしれないが、君は何度か僕の姿に見とれてた事があったのは事実だろ?」 「…気付いてたんですか?」 「当たり前だ。あんな目で見られたら、誰だって気が付く。目は口程にものを言う、特に君は目に力がある。」 右手で頬を撫で、左手で頤に手をかけ上向かせられた。 湯川の薄い茶色の瞳の中に自分が映っているのが不思議で、薫は湯川を見つめ返した。 「君はその時、僕に抱かれる事を想像した事はないか?一度も?」 「そんな事…。」 「全くなかったと?」 「……ありました…2回くらい。その次の日先生の顔が見れませんでした。そんな事もご存知だったんですか?」 「いや。ただ、好きな相手とのより深い接触を望み、それを想像するのは男女問わず正常な脳の働きだ。 現に私は君で…」 「ストップ!待って下さい。もうそれ以上は言わなくて結構です。何だか生々し過ぎて…。」 湯川はまだ話し足りなかった様子でちょっと不満げに口を歪めたが、薫の手首を両方とも捉えるとこう言った。 「内海君。触ってくれないか?」 「え!?」 「触ってくれ。」 「あ……はい。」 掴まれた手を導かれるままにおずおずと湯川の厚い胸板の上に置く。 ピンと糊の利いたシャツ越しに湯川のよく鍛えられた筋肉が掌を通して伝わってくる。 「直接触ってくれないか…ボタンを外してくれ。」 「はい…。」 薫は言われるがままに一つずつゆっくりとYシャツのボタンを下から外していき、最後に一番上のボタンを 外した。すると、また湯川の瞳の中に自分がいるのが見えた。 はだけたシャツの間からそっと直接湯川の胸に手を這わせる。 鍛えられよく締まった筋肉はしなやかでとても美しかった。掌に吸い付くような皮膚の感触に、薫は知らず 知らずのうちに唇を寄せていた。 「随分と可愛い事してくれるんだな。」 身長差のため頭を抱えるように抱きしめながら湯川は薫の耳元にそう囁く。 「どうかな、想像していたのとは?君の期待を裏切ってしまったかな?」 湯川の胸から背に両手を滑らせ、やはり抱きしめる形で薫はただ頭を左右に激しく振った。 「先生、思っていたよりずっとずっと…素敵です。」 湯川の胸に顏を埋めているためくぐもった声で薫が答えた。 「それは良かった。内海君、君も僕の貧困な想像力を遥かに凌駕している――君は、美しい。」 再び頤に手をかけられ上向かされる。 唇が降りてくる。 そう感じて薫は長い睫に縁取られた目を閉じた。 しかし今まさに唇が触れる、その瞬間、湯川が思い出したかのように薫に訊いた。 「そうだ内海君。一つ確認しておきたいことがある。 君がスポーツをする僕に見とれていた時、あれは僕に見とれていたのか?それとも、僕の身体…筋肉だけが 目当てだったのか?それを知りたい。」 薫は閉じていた目を見開くとがばっと顏を上げて湯川に食ってかかった。 「ばっ!何言ってるんですか!あれは湯川先生だからで、身体目当てなんてそんなわけないじゃないですか!!」 そういつもの調子でまくしたてた薫は湯川がいつもの口元だけで笑う悪戯っぽい笑顔を浮かべ、こちらの 反応を楽しんでいる様子に気が付いた。 どうも全くご期待に沿う反応だったらしい。 「や…先生のいじわる。」 恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤にした薫は湯川の手を振り払い横を向いてしまった。 どうやら拗ねたらしい。 「申し訳ない。しかし、君の口からそう聞けて、実に嬉しい。」 「先生なんか嫌い。」 「それは残念。僕は君が好きだ。」 「……」 「好きだよ、内海君。」 「…先生、私も湯川先生の事が好きです。大好きです。」 途端に上から降ってきた、まるで鳥の羽のような触れるだけの優しいキス。 どちらからともなく繰り返されるキスの雨。次第に深く濃密さを増すキスが何度となく繰り返された後、 ようやく開放された薫は思わず深いため息をついた。 そんな初々しい薫の様子を楽しんでいる風情の湯川がこう言った。 「お互いの『合意』が確認出来たところで先に進みたいのだが、異論はないかな?」 「ない…ですよ、せんせ……っきゃ!。」 言い終わる前にフワリと身体が宙に浮いた。 よく見れば、湯川に抱え上げられている。 「先生、やだ、重いから、下ろして!」 「重くはない寧ろ軽い。またちゃんと食事を摂っていないのか?」 「やだ!」 「僕としてはこの体制より奥のソファが好ましいが、君がどうしてもここでというのであればこのまま 立ったまま続けてもいいが、どうする?」 「やだ!ばか!先生の変態!」 「さっきから『やだ』、ばかりだな君は。何が何だかさっぱり分からない。 結局のところ立ったままとソファとどちらがいいんだ?」 「う……ぁ…す。」 「ん?よく聞こえなかったぞ。第三の選択肢として君の車の中という……。」 「ソファです!ソファでお願いします!!」 さも可笑しそうに鼻先でクスクスと笑うと湯川は薫にこう言った。 「分かった。では行こうか。」 しぶしぶ薫も暴れることなく大人しく湯川に『お姫様抱っこ』されたまま部屋の奧にあるソファに運ばれて 行った。 「その恰好じゃ、ソファが少し冷たいかもしれないがすぐ温まる。安心したまえ。」 「……」 「あと、僕としても紳士的に進めたいのはやまやまなんだが、どうも自制が難しそうだ。 少々手荒な振る舞いをするかもしれないが、覚悟してくれたまえ。」 「……」 「二回目以降は優しく出来るよう心がけよう。」 「二回目以降、って先生何回するつもりなんですか?」 「僕の推測では、最低でも三回だ。」 「さ!三回って、先生。そんなの朝になっちゃいますよ!」 「問題ない。 明日――正確には今日の講義は午後からだし、君も今日は非番だと昨日の夕方話していたじゃないか。」 「でも、だからといって三回は、ちょっと多すぎやしませんか?」 「さあ?分からない。多いか少ないかは実際に」 「検証してみないと分からない、んですよね?」 「そうだ…では検証を始める事にしよう、内海君。」 「はい、先生。…お手柔らかにお願いします。」 「約束は出来ない。」 「ん……」 外は木枯の吹く凍てついた夜更けに二人の検証は仲睦まじく続けられた模様。 (数時間後) 「先生…わたし…もうダメ…やだ。」 「また君の『やだ』が始まった。なのに言葉とは裏腹に身体の反応は……実に興味深い。」 「なに冷静に…分析して…人がこんなになってるって言う…のに…ふっ…あっあっ。」 「どうやら僕の事前の予測は塗り変えられそうじゃないか、内海君。」 「先生のばか、もう知らない…。」 湯川はいつものアルカイックスマイルを口元に浮かべると更なる検証に没頭し始めた。 そろそろ外では空が白み始めている。 「先生、そういえば…学生の…採点…んんー!」 「なに、もうほとんど終わっている。これが終わったら一息いれよう。その時にやれば問題ない。」 「ちょ!一息ってまだする気ですか!……てこのド変人!!」 「お褒めに預かり光栄だ。」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |