優しいその呼びかけ
村井茂×村井布美枝


「フミエ」
「はい。どげしましたか?」

この人と所帯を持ってどれだけの月日が流れただろう。
まだふたりの生活は日が浅いけれど、その呼び声ひとつで大抵のことは予想できる。
きっと何か手伝う作業ができたのだろう。
仕事に没頭する真剣な声色に、布美枝は仕事部屋の戸を開く。

「フミエ」
「はい…。どげ…しました、か…?」

決まりの悪い口調。何か小遣いの無心をしているのだろうと察する。
フミエが口を尖らせて上目遣いにじっと見据えても、
目を反らして後ろ首を掻いたまま、そっと右掌を上向ける。
フミエはひとつ当てこすりに吐息を漏らして、ガマ口を開くしかなかった。

「フミエ」
「はい。どげしました?」

ふと見上げた窓の外。巡る季節を彩る景色から、何か見つけたのだろうか。
こんなにぶ厚い牛乳瓶眼鏡をかけるほどの視覚だというのに、
この人の視点はいつも面白いものは逃さない。
布美枝は家事もそこそこに、跳ねるような足取りで茂の背に擦り寄った。

フミエ、フミエ、フミエ…。

大抵は「おい」とか「あの」などと呼びかけられることが多かったが、
その名を呼ばれる時は大なり小なり事件が起きる。
それはフミエにとっては心躍らせることが多くて、呼ばれる度にいつも
自然と笑みが浮かんだけれど……

「…ふみえ…」

夕食の片づけを終える背中越し。
そっと呼びかけられたその声色には、鮮やかにカラー絵を塗りたくる時の
パレッドのように、複雑な色が混じっていた。

「はい?」

ちょっこし意地悪して、忙しいふりをしてみせる。
充分に拭き終えた皿をもう一度手に取って、拭い始めた。
振り返らない布美枝に、茂は続きを言えない。
そうっと振り返ると、手の腹で擦り落ちた眼鏡を上げる横顔。
のんびり屋の割には即断即決の茂らしくもない。
大きな背を丸めて気まずそうに耳を掻く姿はどこか可愛らしくさえある。

「どげしました?」
「あ…ああ。おぉ…」

首を傾げても茂の次の言葉はその唇で留まったまま。
フミエは小さく微笑んで、また背を向けた。

「湯が冷めますよ。寝巻持っていきますけぇ、ひと風呂浴びてきて下さい」

途端に茂の顔が上がったのが、背中越しでも分かった。

「お、おぉ。そうじゃな…。風呂浴びてくる」
「はい、はい」
「お前も早く片付け終わらせて、すぐ後に入るがええよ」
「はい、はい」
「な?」

念押すように問いかけられ、布美枝はもう振り返れなかった。
今でもまだ、こんなふうに顔を真っ赤にしているのを見られるのが恥ずかしかった。

夜ともなれば肌寒い。
もうこんな季節だというのに、やはりここは東の京なのだと感じる。
居間に戻って洗い髪を手ぬぐいで乾かしていると、襖が開いた。

「上がったか」
「はい。いーいお湯でした」
「そんなところで座わっとったら湯ざめするぞ。ほれ、信長公。寝床を温めておきましたぞ」
「だんだん。けど…まだ髪が濡れちょりますけん…」
「ええから。ここを開けておくと風が入っていけん」

先に湯を浴びた茂の方こそ湯ざめでもしそうなのか、ぶるりと背を震わせる。

「はい、はい。……私はアンカ代わりの猫…の代わりですかいね……」

布美枝の小さな独り言は、静かな夜の中、茂の耳にも届いてしまったらしい。
襖を閉じて振り返った途端、布美枝の目の前ににゅっと首を伸ばした。

「代わりではないよ」
「ひゃっ。は…はあ。聞こえとったんですか……」

手ぬぐい越しに布美枝の髪に触れる。

「ふみえ」

また、あの声色だ。
布美枝は濡れた髪を頬に滑らせて、少しでも頬の火照りをごまかそうと俯いた。

「……こんなに大きなアンカはないわい。たとえ猫でも」
「ま。酷い…」
「いや待てよ…。長きを生きた猫又なら…」

空を漂う茂の瞳。またすぐ仕事モードに切り替わってしまう。
けれどふと目を戻せばそこには恥じらう新妻のむずがったような顔があって、
その瞳に吸い寄せられるようにそっと額を寄せた。

「……何か、思いつかれたのではないですか…?」
「ん。仕事は明日でええ」

風呂上がりのしっとりとした肌。
肌寒さのせいだけではないのだろう、幽かに震えたフミエの肩を撫でる。
ペンダコだらけの武骨な手なのに、その動きは意外なほど優しい。
布美枝は照れ隠しにすっと横向いて座り直し、手ぬぐいの先で長い髪を挟んだ。

「ここのところ徹夜続きですけんね。ゆっくり…休んだ方がええですよ」
「…そげだな…」
「明日はあさげを遅らせますから、いいだけゆっくり…休んでください」
「…そげだな…」

早寝を促す言葉とは裏腹に、期待を秘めて高鳴る鼓動が聞こえたりはしないだろうか。
大事なことは上の空なくせして、こんなところばっかりは地獄耳だから…
片側に髪を寄せて手ぬぐいで擦り合わせた時、無防備に晒されたうなじに茂の手が伸びた。

「ふみえ」

知らんふりをしていた布美枝も、優しいその呼びかけを無視することはできない。

「……はい」

俯かせていた視線を上げると、茂はどこか無邪気に微笑んでいた。

いくら触れて確かめても、不思議でならない。女の体は不思議なことばかりだ。
どうして、何のためにこんなに柔らかいのだろう?
同じようなもんを食っているのに、どうしてこんなに滑らかな肌なんだろう?
同じ石鹸、同じ湯船に漬かったはずなのに、妙に甘い香りがして、
いくら嗅いでも嗅ぎ足りない。

横座りのままその首筋に顔を埋めて、寝巻越しの腿、尻に手を伸ばす。
ちろりと舌を伸ばせば、フミエの肢体がびくりと震え、
茂を抱き寄せた腕に力がこもる。
潜り込むように首筋からたもとに頬を滑らせ、後ろ手に帯を解く。
着やせするその胸の突起に張り付いた浴衣地は、いくら顎を左右にうねらせても
執拗に張り付いたまま。
茂が焦れて布美枝の名を呼ぶと、以前教えた通り従順にそっと浴衣を開いた。
舌を滑らせた突起が硬くとがり始めていたのは、
肌寒さのせいか、それとも…?
頼りないほど危うい柔らかさの乳房に吸いつくと、頭の上から布美枝の噛み殺した
吐息が下りた。

「……っ」

母乳が出ているわけでもないのに、酷く甘く感じる。
柔らかな乳房を夢中になって吸いついてしまう。
やがて掻き抱いていたフミエの腕が縋るように強く強く茂の肩に沈み、
執拗に吸いついていた胸は、不規則に浅い息を繰り返し出した。

「……寒いか?」

布美枝はきゅっと唇を縫い縛ったまま、首を左右に振るう。
むしろ熱いのです…とは言えず、切なげに眉を八の字にしていた。

スタンドライトだけの薄暗い室内。
茂は布美枝がどんな顔をしているのか気になり、にゅっと首を伸ばしたが……

「?」

左肩に妙な突っかかりを感じ、引き止められるように視線を落とす。
よくよく見ればだらりと下りた左袖を布美枝が必死に掴んでいて、毛糸も伸び伸びだ。
そんなに耐えるほど、だったのだろうか。
不意に頬を合わせると、しっとりとした布美枝の柔らかな頬は酷く熱く火照っていた。
思わず茂の口端が上がる。

「お前はいつまでもベイビィちゃんなんじゃの」
「……っ」

かかかっと朗らかに笑い出し、セーターを脱ぎ捨てる。

「な…何がおかしいんですかっ」
「ははっ。お互い、花も恥じらう若人っちゅうわけでもないじゃろ?」
「でも…」
「好ければそう言うてくれなきゃわからんけん」
「……」
「えぇならえぇ、いやならいやと、教えてくれ」

そんなこと言われたって…と尖らせた唇が覆われる。
口づけを交わすうちに布美枝は段々と現実感を失っていくように思えた。
やがて崩れ落ちるようにその身を覆い被されて、なにも考えられなくなってしまう。

「……ぁ」

離れた唇から吐息交じりの甘い声が落ち、布美枝は我を取り戻して手の甲を宛がう。

……上には中森がいるのだ。
いくら夜更けとはいえ徹夜も常の漫画家。起きていないとも限らない。

「ん…っ」

武骨な指先が蕩け出した花芯をまさぐり出す。
興味深いのか研究熱心なのか…。感触を確かめるように繰り返される執拗な愛撫に、
布美枝は手を食んで身をしならせるしかなかった。
不意に茂の眼鏡の縁が少ない光を反射して輪郭を浮き彫りにしては、消える。
どこか冷静に観察されているような気がして、ますます眉根を寄せた。

「……っ!」

びくくんと身をしならせても、指の蠢きは止まない。
布美枝は喉元にぐっと声を押し殺して、硬直した身で必死に首を左右に振った。

「? どげした?」
「……っっ」

茂はちらりと布団の中を覗き込んだが、辺りが暗すぎて己の手の先は見えない。
けれどその感触を確かめるように水音が鳴り、

「おぉ…よく濡れちょる…」
「! な……っ、そ…そげなこと…」

布美枝が耐えきれず力任せに茂の肩を抱き寄せると、バランスを崩してその身の上に重なった。
上下する胸の上、布美枝の噛み殺した声が届く。

「そげなこと……言わんで、ください…っ」
「だけん、ちゃんとせんと。あんたが痛い思いを…」
「言わんでください…っ」

あまりに必死に抱きついているので、茂は不思議そうな顔つきのまましばらくじっとしていた。
息を整える間、ふたりの間に沈黙がおりる。
布美枝は、初めての時にあまりに驚いて痛みを堪え切れなかったことを、
茂がまだ覚えていることが恥ずかしくて、忘れて欲しくて、
ぐるぐる回って混乱気味にぎゅっと目を伏せ口を開いた。

「好えです…から……」
「ん?」
「痛くなんて…ありません。ちゃんと、好えです…」

言ってしまってから、これではまるでよがっているように思われると、
ますます顔を赤くした。

「ほぉー…そうか」
「あ、あの…。そう…じゃなくて……。だから…」
「だら。ごちゃごちゃ言うのを聞くほど、こっちも余裕はないわ…」

内ももをなする茂の手の合図は、充分に教えこまされている。
茂に不便がないよう、協力するのは女房の務めだと日々思ってはいるが、
自ら待ち受けるように膝を割り、両足を広げるのはいつまでも慣れない。

「ほれ。ちゃんとせんと…おかしな処へ暴発してはいけん」
「…はいぃ…」

身を震わせながら膝が開かれる。
幾度体を重ねてもいつまでも恥じらいを捨て切れない姿に、
茂は照れ隠しに告げる戯言も失った。
角度を上げた高まりが熱い肉襞に滑り込んでいく。
まさに極楽浄土の感触に、茂は喉元を引き攣らせて早腰を打った。

「んっ…んぅ……、んん…っ」

押し殺し切れぬ喘ぎが鼻から漏れ、布美枝は無意識に縋るものを求めて、
茂の腰に手を回した。

「わっ」

がくんとバランスを崩し、肩肘で身を支えると、より密着したせいで
茂の下腹が布美枝の恥骨を擦り立てた。

「ああっ!」

思わず上げた声に「いけん!」とばかりに、茂の右腕が布美枝の頭を回り、
その唇を重ねて口を塞いだ。

「んっ…んん、ん……っっ」

抑えられても身をよじっていた布美枝の肢体から、急にふっと力が抜け落ちる。
やがて茂も限界を迎え、息を詰めて昂りを吐き出した。






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