しげーさんの思い出(非エロ)
村井茂×村井布美枝


布美枝が掃除をしていると、棚の上で偶然アルバムを見つけた。

「こげな所にあったんだ」

被っていた埃を払い、ちゃぶ台の上でノスタルジーに浸りながらアルバムを捲る。

「懐かしいなあ‥」

仕事場の襖を開けて茂が出てくる。

「あ、お仕事終わったんですか」
「いや。気分転換にちょっこし散歩行ってくる」
「そげですか」

ふと、アルバムに目が止まる。

「何見ちょるんだ?」
「あ、私が子供の頃の写真です。お掃除してたら見つけて」
「あんたの子供の頃?どれ」

渡されたアルバムをパラパラ見ていると、ふと茂の手が止まる。

それは6、7歳頃の布美枝の姿だろうか。
目の大きな可愛らしい少女が写っていた。
何かを思い出すように、じっとその写真を見つめる茂。

「どげしました?」

妻の声にハッとする。

「いや‥何でもない。ほんじゃ行ってくる」

アルバムを閉じ、玄関先へ向かう。

「行ってらっしゃい」

優しい妻の声に見送られながら、ゆっくりと歩き出した。

「‥あの子‥いや、確かにあの子だ‥でも何であいつがあの子なんだ?分からん」

ぼんやりとした目でカラカラと下駄を鳴らしながら、
茂は少年時代の自分を今一度思い出していた。


「村井!またお前は遅刻しおって!」
「はあ、すんません」
「小学五年生にもなって、ちっとは気を引き締めんか!」
「でも朝飯が旨いですけん」

教室中にドッと笑いが起きる。

「本当に‥お前はどうしようもないな」

先生が呆れ返り片手で頭を抱える。

「もういい!廊下に立っちょれ!」
「はーい‥」

いつものことですっかり慣れっこなのか、開き直った足取りで廊下に向かう。

「全く‥あのだらずもんが‥」

そんな先生の気苦労もどこ吹く風か、茂はいつものように
廊下から窓の外をぼんやり見つめていた。

「来週は隣町の奴らが攻めて来るけんなあ‥何か作戦を練らんと‥」

苦手な算数は0点でも喧嘩に強い茂は、面倒見のいいガキ大将として何人かの子分を従えていた。

放課後。

校門をのんびり出てくる茂の後ろから声がする。

「おーい、ゲゲ待ってくれー」

声の主は、茂の子分兼友人のネコ安だ。

「何だ、ネコ安か」
「そこまで一緒に帰ろう」

田んぼのあぜ道をのんびりと歩く茂とネコ安。
ぽつりとネコ安がつぶやく。

「なあ、ゲゲ」
「何だよ」
「ペロの奴がオレを殴るんだ。仕返ししてくれんか」
「殴られたら殴り返せよ」
「あいつ体も大きいからオレでは力では勝てんよ。頼む」
「そげだなー」
「今度帰りに餅おごるけん」
「餅か。ええよ」
「そげか!大きなゲンコツ一発な」
「よし」

そんな話をしながら歩いていると、2、3人の男子が目に付いた。
誰かを囲んでいるようだ。

「? 何やっちょるんだ」
「ゲゲ、行ってみよう」

2人が近付いてみると、2、3年生位の男子が一人の同じ位の歳の女の子を囲んでいた。
そこでは男子三人組が女の子に詰め寄っていた。

「おいお前、今日先生に告げ口したな」
「大人しい癖に生意気だぞ」
「何とか言ったらどげだ!」

押し黙っていた少女が、小声でおずおずと言う。

「だって‥サヨちゃん困っとったけん‥いっつも掃除手伝ってくれんて」

その声は、今にも泣き出しそうだった。
そこへ茂が割って入って来た。

「おい、やめろ」

体の大きい上級生に、三人組はちょっと怯んでしまう。

「お前ら下級生だろ。男の癖に卑怯でねえか。こげに小さい女の子三人で苛めて」
「い‥苛めとらんわ!」
「只こいつがちょっこし生意気だけん‥」

それでも茂の態度は変わらない。

「そげなこと言うても女の子苛めとることには変わりはないわ。やめんか!」

ネコ安もその間に割り込む。

「そげだ。ゲゲを怒らせると怖いぞ。ゲゲのゲンコツは泣く程痛いぞー」

三人組は顔を見合わせると、逃げるようにその場から立ち去った。

「‥ケガしちょらんか?」

その子の顔を覗き込むと、茂は一瞬ハッとした。
色白で、長い睫毛に少し伏せられた大きい瞳に涙が溢れていたからだ。
茂はその女の子の顔を見て、幼い頃インテリな父が土産にと買ってきてくれた
舶来物のセルロイド人形を思い出した。
そして、その人形のように可愛らしい女の子の顔に正直少し不覚にも見とれてしまった。

「ゲゲ!何ボーッとしちょる」

ネコ安の声にハッとする茂。

「え‥?あ、ああ‥」

女の子の潤んだ瞳が茂を見上げる。

(「そげな目で見んといてくれ‥」)

内心ドキリとしていた茂だったが、とりあえず上級生らしく男らしく平静を装う。

「‥ケガは?」

もう一度優しい声で話しかける。

「‥大丈夫‥」
「そげか」

今にも泣きそうな声だったが、ケガはしていない様だったのでとりあえず安心する。

「何年生?」
「2年」
「家はどっちだ?」
「あっち」
「何だ、オレと同じ方か。途中まで一緒に帰らんか?」

女の子は一瞬考え込んだが、茂の優しいオーラに安心したのか二つ返事をした。

「うん」
「よし、帰ろう」

2人並んで歩き出す。

「おい、ゲゲ!」

ネコ安のことをすっかり忘れていた茂だったが、その声に振り向く。

「ネコ安、お前とはこの道でお別れだ。じゃあな」

何処か仲良さ気に帰る茂と女の子の後ろ姿を、
一人残されたネコ安はポツンといつまでも眺めていた。

2人並んで歩く茂と女の子。
女の子の目にもう涙はない。
今日一日何があったとか、たわいの無い話で盛り上がる。

「あ」
「どげした?」
「‥私の家こっちだから」
「そげか」

女の子の家が近付いて来たようだ。

「ほんなら、さよなら」
「ああ」

仲良くなったせいか、別れに一抹の淋しさのようなものを感じる茂。

「‥あ、そげだ」

何かを思い出したかのように女の子に駆け寄る。

「なあ、ちょっと」
「なあに?」
「そういや聞いちょらんかったけど、名前は?」
「・・・・・」
「そげか」

その子の名前なぞ、今ではとうの昔に忘れてしまった。
一番思い出したいことだというのに。

「お兄ちゃんの名前は?」
「オレは村井茂。皆はゲゲって呼んじょる」
「ゲゲ?」
「うん。茂だからゲゲ」
「ふーん‥‥ゲゲちゃんて呼んでもいい?」

ちゃんなんてガキ大将ぽくない仇名だが、
この子になら何となく呼ばれてもいいかな、という気持ちになる。

「ええよ」
「ほんなら。さよならゲゲちゃん」

その小さい背中を見送る茂。
その背中が見えなくなるまで、茂はそこに立っていた。

数日後。
遊びに出かけた茂。
いつものようにあぜ道を歩いている。

「そげだ。のんのんばあおるかな」

久しぶりに友達のような不思議な婆さんに会いたくなって、家に遊びに行くことにした。

その道中にある神社の境内で、見覚えのある女の子が木の枝で地面に落書きをしていた。

「? あの子だ。何しちょるんだ、一人で」

思わず声をかける。

「おうい。何しちょるんだー」

聞き覚えのある声にパッと振り向く。

「ゲゲちゃん」

女の子の元へと近付くと、何処か淋しげな顔で茂を見つめている。

「こげな所で女の子一人でおったら危ないじゃろが」
「‥うん‥」
「何描いちょったんだ?」

女の子の落書きを覗き込む。
そこには何やら丸い形をした変な生き物が描かれていた。

「これ何だ?」
「‥何かはよく知らんけど、私この前こんなのに追いかけられたの。顔は知らんけど」
「変質者か?」
「ううん。一人で歩いちょったら、後ろから何かに追いかけられたの」
「ふーん‥いや、オレもそげな経験あったなあ」
「ゲゲちゃんも?」
「それはべとべとさんかも知れん」
「べとべとさん‥?」

聞いたことの無い名前に頭を捻る。

「誰か待っちょったのか?」
「ううん。いつも一人で遊んどる」
「こげな所でいつも?」
「‥うん。私あんまり友達おらんから」
「そげか‥」

暫く考えると、何かを思い付き頭を上げる茂。

「そげだ!」
「?」
「今から一緒にのんのんばあの所へ行かんか?」
「のんのんばあ‥?誰、それ?」
「知り合いの婆さんだよ。妖怪のことよーお知っちょる。べとべとさんのことも知っちょるよ」

ちょっと考え込む女の子。

「どげだ?」
「‥うん、行きたい」

大きな瞳を輝かせて茂を見つめる。

「じゃ、決まりだな。行こう」

2人でのんのんばあの家へ向かうことになった。

のんのんばあの家の前。
玄関先で茂が叫ぶ。

「おーい、のんのんばあ!おるかぁ?」

暫くすると、ゴトゴトと音がしてゆっくりと戸が開けられた。

「おや、しげーさんかい。今日は友達も一緒かね」
「こんにちは」

少し恥ずかしそうにのんのんばあを見る女の子。

「ま、上がらんかや。何も無い所だけんど」

そう言って2人を快く迎え入れてくれた。

「サイダーでも飲まんかや」
「気ぃ使わんでええよ」
「ありがとう」

決して広くは無いが、何処か安心出来るのんのんばあの家は、
まるで我が家のような気持ちにさせてくれる。

「のんのんばあ、いつかオレが夜一緒に帰った時、後ろからべとべとさんが付いて来たことあっただろ」
「そげなこともあったなあ」
「この子もこの前べとべとさんに追いかけられたって言っちょった」
「おや、あんたも会ったのかい」

何処か楽しそうに女の子を見つめるのんのんばあ。

「会ったけど‥怖くて夢中で家まで走って帰りました」
「ははは。何も怖がる事ないよ。悪い妖怪じゃないけんね。
そういう時は、『べとべとさん、先へお越し』と言ったらええ」
「先へお越し‥?」
「そげだ。そしたらもう足音は聞こえんようになるけんね。今度やってみなされ」
「のんのんばあは妖怪のことなら何でも知っちょる。
のんのんばあ、他にもこの子に何か話聞かせてやってくれんか」
「おや。やけにしげーさん今日は生き生きしちょるね」
いつもより何処か楽しそうな茂の姿に、何やら自分まで楽しくなって来る。
「そ、そげなこと無いよ」
「あんたも妖気を感じやすいのかも知れんね」

女の子を見つめるのんのんばあ。

「ほんなら次は人形の霊の話でもしようかいねえ」
「うん。聞きたい」

女の子の目が生き生きと輝いているのを見て、茂もちょっぴり嬉しくなる。
その日2人は烏が寝床に帰って行く時間まで、のんのんばあの話を聞いていた。

そんな日が何日か続いていた、学校からのある帰り道のこと。
茂がいつものようにのんびり下校していると、前方にあの女の子がいた。

「おーい」

呼び掛けながら走り寄る。

「ゲゲちゃん」

振り返るその顔はいつも通り可愛らしかったが、
いつも茂に見せるような笑顔は無く、何処か寂しげだった。
何となく不安になる茂。

「‥どげしたんだ。また何かされたんか?」

この子にはいつも笑っていて欲しい。
悲しげな顔など見たくは無かった。

「‥ううん、何もされちょらんよ」
「なら何でそげな顔しちょるんだ」
「・・・・・」
「黙っちょったら解らんよ」

暫くの沈黙の後、女の子が口を開いた。

「‥私、転校するの」
「転校?」
「東京行くの。もうこっちには戻って来れんて、母ちゃんが」
「‥‥‥!」

余りの急な話に、茂はただただ驚くしかなかった。

「‥いつだ?」
「‥明後日‥」
「‥そげか‥」

何処か重い足取りで歩みを進める2人。
2人の間にいつものような会話は無い。
その沈黙を破ったのは、意外なことに女の子の方からだった。

「‥ゲゲちゃん」
「‥ん?」
「私‥ゲゲちゃんやおばあちゃんのこと忘れんよ」
「・・・・・」
「私‥父ちゃんや母ちゃん以外の人とあんなに喋ったこと無かったよ。
あげに優しくされたことも無かったよ。大人し過ぎるけんいっつもからかわれとった‥」
「・・・・・」
「‥だけんいつも一人でお化けの絵描いちょった。
お化けは何も言わんでもすぐに友達になってくれるけん」

この子がいつもそんな気持ちで一人で神社で絵を描いていたのかと思うと、
堪らなく切ない想いが茂の胸を貫いた。

「‥でも、もうええんだ」
「?」
「もう友達はお化けだけでないけん。ゲゲちゃんもおばあちゃんもサヨちゃんも皆友達だけん」

その大きな瞳には涙が溢れていて。

「だけん‥‥‥もう寂しくなんかないけん!」

精一杯の可愛らしい笑顔に、大粒の涙がぽろり、と零れた。
茂の目にも涙が溢れる。

「‥‥ゲゲちゃん‥‥」

最後の声を振り絞って、一番伝えたかった言葉を茂に伝える。


「‥‥‥だんだん‥‥‥」

女の子が東京に行って数日後。
茂はいつものようにのんのんばあの家に遊びに来ていた。
縁側で足をぶらつかせながら遠い目で空を見ている。

「ええ天気じゃなあ、しげーさん」

のんのんばあがいつものようにサイダーを持って来てくれる。

「‥そげだな」
「おやおや。まーだ落ちこんどるんかね、この五年生は」
「‥別に落ちこんどらん」

のんのんばあが茂の隣に来て座る。

「しげーさん、心が重たいかい」
「‥‥ちょっこしな」
「‥前にも言うたじゃろ。人は人の心を貰うけん体も大きいなると」
「・・・・・」
「いろんな人の心を貰ったけん、しげーさんもこげに大きに成長したって」
「‥‥うん」

暫く沈黙が流れる。

「‥‥なあ、のんのんばあ」
「ん?」
「その中にはあの子の心も入っとるか?」
「‥ああ、入っとるよ。それからあの子の体にもしげーさんの心が入っとるよ」
「ホントかなあ」
「のんのんばあが嘘を付いたことがあるか!」
「ははは。分かっちょるよ」

サイダーを2人で分けながら、茂は一気にそれを飲み干した。

夕暮れ。
いつの間にか大分遠くまで散歩に出かけていたらしい。
下駄を引きずりながら、いつもの我が家へ戻って来る茂。

「おう。帰ったぞ」
「お帰りなさい!」

いつもの優しい妻の笑顔に自然とこちらも口元が緩む。

「ん?ええ匂いだな」
「今日はちょっこしご馳走ですよ」
「そげか。珍しいな」
「たまにはいいじゃないですか。手洗ってきて下さいね」
「ああ」

ちゃぶ台に座り、夕飯の準備をする妻の背中を茂はぼんやりと見つめていた。
アルバムで見た布美枝の幼い頃の姿とあの女の子の姿が自然と重なる。
あの子と布美枝が同一人物では無いこと位茂には分かっていた。
第一、年齢が自分と十も離れている妻があの子な訳が無い。

あの子はきっと今は、この東京の何処かで幸せに暮らしているだろう。
今はただそう思いたい。
布美枝の体を見ていると、ふとのんのんばあのあの言葉が頭をよぎる。

(「‥前にも言うたじゃろ。人は人の心を貰うけん体も大きいなると」)

布美枝は生まれて今まで人一倍人の心を貰って生きて来たのだろうか。

「‥だけんあんたの体はこげに大きいのかもしれんな」

茂が苦笑する。

「? 何か言いましたか?」
「いや、何も言うちょらん」

布美枝の笑顔とあの子の笑顔が重なる。
もうあの子には未練など無いが、ふいに思うことがある。
それは、あの子が大きくなったらきっとこんな女房になっているだろうなということ。


「この煮物、旨いな」

そして、こう言うだろう。

「だんだん」

目の前の妻が今日はいつも以上にずっと優しく見えた茂であった。






SS一覧に戻る
メインページに戻る

各作品の著作権は執筆者に属します。
エロパロ&文章創作板まとめモバイル
花よりエロパロ