村井茂×村井布美枝
![]() 「はぁあ…」 時は既に昼下がり。 またも遅くまで仕事に根をつめ、死屍累々といった風情で眠り込んだ夫の姿に、 布美枝は仁王立ちして向き合った。 いくら疲れてはいても、このまま眠らせてしまえば朝夕逆転の生活が続いてしまう。 この寝坊之介、改め、寝坊之進茂左衛門を起こすのは至難の業ではあったが、 今の布美枝にはとっておきの必殺技がある。 折よく、二階の中森は外出中で、驚かせてしまう心配もない。 「……よぅし…っ」 布美枝はスッと息を吸いこんだ。 「シゲーサンッ!」 「!!」 効果覿面とはこのことだろう。義母の口真似は本当によく効く。 茂は上掛けを抱き締めたまま、びくりっと飛び起きた。 「…あー……驚いた。イカルの奇襲かと思うたぞ……」 「ふふっ。もー昼過ぎですよ? 食事にしましょ」 悪戯な布美枝の笑顔を見上げ、茂は安心したようにまた横になってしまった。 「あっ。二度寝はいけんですよ」 「……先に食っとればええだろぉが……」 「もうこげん時間ですよ?」 「うるさい、布団を引っ張るな…っ」 「いけんよっ。ほら、もう目も冴えちょるのでしょう?」 「……」 いくら布美枝が喜んで笑うからといって、 身ぶり口ぶりまで添えて、イカル話をしてやった茂が迂闊だった。 まさかこんなに器用に口真似するほどになるとは…。 「……だらずが…」 「ほら、ほら。えーえ天気ですよ〜」 窓から差し込む陽の光さえも疎ましいと、茂は抱えた布団で顔を覆った。 「ああっ、ほら。もう〜」 「うぅぅ……うるしゃあわ!」 引っ張り負けて奪われた布団の代わりに、布美枝の腕を引く。 「やっ…」 布団の取り合いには負けたが、その腕で抱きすくめれば布美枝も打つ手がない。 「ふふっ…一勝一敗の五分だ」 「は、離してくださいっ。もぉお…起きんといけんですよ」 「あんたも昼寝したらええが…」 「そげにのんびりともしとられませんっ。私は私で、忙し…い……?」 じたばたと身を捩る布美枝を逃さぬよう組み込んでいるうちに、 肩腕、両足ではさみ技に持ち込んだ茂の、奇妙な感触が腿を擦る。 「!!!」 硬直した布美枝を見て、茂は勝ち取ったりとばかりに満足げだった。 「……ふふっ…ようやく諦めたか…。ふわぁあ。あんたも寝たらええ…」 「寝…っ。そ、そげなこと…、こげん真っ昼間に…」 「うん?」 おかしな様子に気付いて覗き込めば、布美枝の真っ赤な顔。 「??」 最初は、まだこんなことに照れとるのか…と不思議に思ったが、 もぞもぞと身を引こうとする様子を見て、茂も下半身の違和感に気付く。 「おぉ…。そういうことか」 「…っ」 「いや、いや。コレはそういうコトではなぁぞ」 「……はい?」 「直に治まる」 男とはそうしたものだ、と頷かれても、布美枝にはそんな生理現象は分からない。 言えば、茂がどれほど疲労困憊で眠りに落ちたかも知られてしまうから、 心配をかけぬようじっと口を噤んだ。 「……ぁ…。前も、こんなこと……ありました、ね?」 「…んー…?」 黙ったままでいてはまたすぐ眠りついてしまう。布美枝は慌てて話しかけた。 「まだここへ来たばかりの頃…。ふふっ、あなた、寝とぼけてて…」 「おー…。そんなこともあった…、ような? なかった…ような……」 覚えとらん、と一蹴しようとした途端、急激に思い出した。 鮮明に夢の記憶が降ってくる。 (あんなこと…まだ、覚えとったのかぁ) 締切に追われて忙しくて……というのは今も変わらないが、 急に生活を変えることもうまくできず、構ってやれず寂しい想いをさせてしまった頃。 「あの時は食事で釣れましたけど、今日は…そげに奮発してないですし…」 「……」 襖の向こうで、慣れぬ土地での生活に途惑う新妻に何もしてやれなかった。 正直、夫婦として生活していくことの意味など、考えてもいなかった頃のことだ。 「私…びっくりしたんですよ? ほんまに凄い力で…振りほどけないし。 中森さんには…見られるし……」 「……ん? そういやぁ…今日も静かにしとるな」 ちらり目を上げて二階の様子をうかがうと、 「今日は朝から出版社まわりに出られましたよ」 「お…おぉ……。そげ…か」 布美枝にとっては単なる状況説明だったが、迂闊な言葉に茂の眠気が覚めていく。 「中森さんも頑張っとってですよ。ね、あなたも腹ごしらえして……」 「ほうだ……。約束を果たさんといけんな?」 「? 今日、何か約束があったんですか?」 それなら尚更早く起きないと…、と身を起こしたものの、すぐにその右腕に絡め取られてしまう 。 「あん時はあげに聞きたがっとったのに、もう忘れたのか? ……忘れっぽいんじゃの」 茂に言われたくはないと、布美枝は頬を膨らました。 「忘れてなぁですよ…っ。えーっと…えっと…」 初めてしっかりと間近で見た茂の寝顔、名指しで呼ばれた寝言…… そんなことばかりにひとつひとつ引っかかって、 なかなか核心の「約束」というものが思い出せない。 懸命に思い出そうとする隙をみて、茂はそっと腰に手を回した。 「ん…っと……」 「思い出せんのだろう?」 耳元で囁くふりをして首筋に唇を寄せる。 布美枝はまだ暢気に約束事が何かを考えていて、茂の豹変に気付かない。 「うーん…。ヒント! ヒントをください。必ず思い出しますけん」 「時間切れじゃ」 「ええー…厳しいなぁ……。って、……えっ!?」 気付けばスカートのホックが外されて、緩んだ腰元に茂の手が伸びていた。 「あっ…な……何しとるんですかっ。……いつの間に…っ」 「おかしなことを思い出させるからだ」 「おかしな…こと? あっ! 分かりました、おかしな夢、見たって言うちょってでしたよね?」 より深く探る手から逃れるよう、左右に身を捩じって交わしながら、 布美枝は勝ち誇ったようににんまりと微笑んだ。 「どんな夢だったか……。もう、知りたくはなぁか?」 「知りたい。教えてごしない」 茂は上機嫌でふふんと笑い、間を開けて逃れようとした布美枝を近付けるため、 チョイチョイと小さく手招いた。 布美枝が耳を傾けると、内緒話でもするようにそっと耳元で囁く。 「あれはな?」 茂がごしょごしょと夢の内容を語るうちに、 最初はうんうんと頷いていた布美枝の顔色が変わっていく。 「はぁあ?」 「…それで……な?」 愉快そうに語り続ける茂とは裏腹に、布美枝は愕然と口を開いたまま、 その頬はみるみるうちに真っ赤に染まっていった。 「ああっ、も…もう、ええですっ」 「……何じゃ。こっからが面白いのに」 「何が面白いのですか…っ。そげな……」 あんな無邪気な寝顔をして、そんな淫らな夢の中にいたとは。 本当にこの人の頭の中は計り知れない。 「まあええわ。夢より現実の方がずっとええ…」 「ひゃっ…な、何し……」 咎める言葉は重なった唇に掻き消される。 寝起きの胸板は酷く熱くて、布美枝は蕩けるように力を失った。 充分に潤った唇が離れると、思わず熱い吐息がもれる。 「……そういうコトではないと…言うちょったのにぃ……」 「今はもうそういうコトになったのだ。世は日進月歩だ。仕方がない」 服越しに当たる、仕方のない状況に陥ったソレの感触に、 布美枝は閉じた唇を歪ませる。 旦那が求めるのであれば、抗うすべはない。 組み敷かれて覆いかぶさってきて、真昼の明るさの中、 布美枝は欲情した表情をはっきりと目の当たりにした。 この人のことをもっと知りたいと、どんな顔も見つめていきたいと、 そう思ってはいたけれど… 「……やっ…」 熱っぽい視線を受ければ恥じらいに耐えきれず、布美枝は身を強張らせていた。 頑なに顔を手で覆ったまま委縮した布美枝を見降ろして、 これではあまりに不憫だと思い、頭まですっぽりと布団を掛けた……が。 互いに長身な二人の足は布団の裾から出てしまっていた。 「……これなら、ちぃっとはええだろう?」 茂の気遣いに、布美枝の硬直は少しづつ緩和していく。 「あ…。でも……」 「何だ」 まだ何か不満なのかと、不機嫌に問いかけると、 「ん?」 「……しわに…なりますけん……」 布美枝は自ら身を捩って服を脱ぎ下ろした。 「…おぉ……。あの夢ん中でも、そうしてあんたから誘……」 「もう…っ、その話は……よしてごしない…」 大胆にも茂の服まで手を掛けて、脱がすように促すと、 茂は思わず笑いを漏らして「そげだな」と、布美枝の首筋に顔を埋めた。 狭い仕事部屋の中。 炬燵でも置いたようにこんもり盛りあがった布団がもぞもぞと蠢く。 噛み殺しきれぬくぐもった甘い声が毀れれば、蠢きは激しさを増した。 覆い切れぬ四本の足は重なり合い、絡み合い、やがて白い足の爪先が捩れる。 ぴたりと止まった布団が崩れ落ち、膨らみは大きく呼吸するように上下した。 「……はぁ…」 ばさりと布団を捲りあげて顔を出した茂は、眩しい日差しに眉を顰める。 「さすがにこれは……息苦しいわ…。おい、大丈夫か?」 布団からこっそり顔半分だけ出した布美枝と目が合ったが、 「…知りません…」 と、弱々しく呟いて、またその顔は布団の中に消えてしまった。 茂はぽりぽりと汗ばんだ鎖骨を掻き、潜り込んだままの布団を優しく叩いた。 「腹が減った。昼寝なら後にしてくれ」 「……っ」 豪快に笑いながら、茂は漸く起き上がって行った。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |