渚の怪談(非エロ)
村井茂×村井布美枝


 安来への里帰りの日程も終わりに近づいたある日、フミエは藍子を連れて
叔母の輝子の家に遊びに行った。叔母が、店の若い衆にオート三輪で迎えに
来させてくれたのだ。
 よく晴れた気持ちのいい日で、フミエは義姉から借りた乳母車に藍子を乗せ、
海岸へ散歩に出た。

「ああ~、やっぱり海はええなあ・・・。」

 松林の日陰に腰かけ、おだやかな海をみつめているうちに、フミエはつい
うとうとと眠ってしまった。

 強烈な磯の香りに目を覚ますと、

「これ・・・女!」

フミエの前に白い着物を着た女が立っている。
髪は長く、ところどころに枝サンゴや貝がら、海草が絡まり、背はすらりと
高い。何より恐ろしいことに、青白いその顔はフミエにそっくりであった。
金縛りにあったように動けないでいるフミエにかまわず、女は語りだした。

「だいぶ落ちぶれておるようじゃが、そなたは私のけん族じゃな。
 それゆえ波長が合って私が見えるのであろう。」

(落ちぶれたなんて、し、失礼な~><)

「わが名はフミ姫。いくさの世に、安来一帯をおさめる飯田家に生まれた。
 幼少の頃よりあらゆる武術にしたしみ、特に櫓をあやつっては漁師にも
 勝ると言われたものじゃ。」

 突然、フミエは自分がフミ姫と一体化し、馬を駆って山野をかけめぐり、
波濤を割って海にこぎ出だすのを感じた。
城とは名ばかりの、堅牢な塀や櫓に囲まれた館。姫とはいえ、いくさとなれば
女たちと兵糧作りに精を出す、そんな生活・・・。

「私は家中の誰よりも背が高く、男勝りなものじゃから、巴御前よ板額よと
 はやされ、二十歳を過ぎても輿入れの話もなく、父上も半ばあきらめて
 おいでじゃった。それをよいことに、乳母の実家の網元の屋敷を根城に、
 舟ざんまいの日々をすごしておった。」

(女のノッポは、苦労しますよね・・・。)

「・・・あの方に出会うたのは、いつものように舟をあやつり、沖にこぎ出した
 時じゃった。転覆した小舟に乗り上げ、気を失っている若者を助け上げ、
 岩屋に運んだが、身なりや持ち物から見て、敵方の隣国の村井家の次男と
 知れたので、身動きできぬよう岩に縛っておいたのじゃ。」

男「う・・・ここは・・・?」
姫「気がついたか?村井のうつけどの。」
男「そういうそなたは、飯田の板額どのじゃな。」
姫「そなた、うつけをよそおって絵を描いておるふりをしながら、地形などを
  さぐっておるとの噂じゃったが・・・。どうやら本物のうつけらしいの。
  風景やら花やら虫の絵ばかり・・・!」

フミ姫は、男が懐に入れていた画帖を放り投げた。
男は、このような状況でも駘蕩とした面持ちで、画帖を大切そうに目で追った。

男「わしは、武張ったことが大嫌いで、こういった絵を描くことが好きじゃ。
  板額も巴も、大そうな美女であったと聞く。ぜひそなたの姿を写したい
  ものじゃと念願しておった。予想にたがわず美しい・・・。生きて戻れた
  ならば、必ず描いてみせよう。」

(わ~、この人、お父ちゃんのご先祖さま?顔だけじゃなくて性格も似とるわ。)

姫「痴れ者め・・・!そもそも板額じゃ鬼女じゃと評判をたてたは、そなたの家中の
  者どもであろう!悪評は近隣諸国に知れわたり、他家と縁組して家の役に
  立つこともかなわなくなったわ。このうえは、いくさがあらば打ち物とって
  加わり、よき死に場所もがなと思うておる。・・・そなたのことは、間者として
  父上にお引渡し申せば、何かにお役立てくださるであろう。」

男は、悲しそうな顔をしてフミ姫をみつめた。

男「そのように美しいのに、なぜ戦場で死にたいなどと申される?女の幸せは、
  もっと他にあるであろう。・・・わが名は茂之介。・・・そなたの名は?」
姫「その方ごときに名乗る名などないわ!かほどの大うつけなれば、村井家でも
  見放しておろう。父上にお渡ししても人質の役ににさえ立たぬかもしれぬ。
  二度とくだらぬ絵など描けぬよう、目玉をくじり取って村井の城下に
  放逐してやろうか?覚悟しておくがよい!」

だが、フミ姫はなぜかそうしなかった。男は以前にかかった瘧(おこり)が
ぶり返して高熱を発し、生死の境をさまよった。姫は男を漁師小屋に移し、
懸命に看病した。

「そしてあの方と私は、いつしか愛し合うようになったのじゃ。ふたりとも
 親兄弟の持て余しもの、似合いの夫婦じゃと笑い合うた日もあった・・・。」

幸せな思い出、フミ姫の感じる愛の歓びが、フミエの身体をも貫いた。
 敵同志でありながら、二人の間にいったん燃え上がった情熱は、もはや
消し去ることなどできなかった。
いくら親に半ば見放されている二人とはいえ、そろそろ家に帰らないとまずい。
茂之介が対岸で合図の灯をともしたら、それを目印にフミ姫が得意の舟で
中海をわたっておちあうことを逢瀬の取り決めとし、二人はいったん別れた。

「暗い中、広い中海をこぎわたるのは危険なことじゃったが、私にとって中海は
 庭のようなものじゃし、あの方に会えると思えば、何もこわいことはなかった。
 けれど、うれしい逢瀬も長うはつづかなんだ。・・・私は身ごもった。あの方に
 それを告げると、『国を捨て、三人で暮らそう。』と言うてくださった・・・。」

 決行の日、合図はなくとも薄闇の中をフミ姫はこぎ出した。暗くなったら
灯をともしてくれる約束だった。嵐が近づいていたが、延期するわけにはいかなかった。
フミ姫には監視がつけられるようになっていた。

「なんとこの私に、縁談が持ち上がっていたのじゃ。相手は新たに同盟を結んだ家の
 嫡男、父御は『巴御前おおいにけっこう。この乱世に強き子を産んでくれる女子は
 願ってもない。』といたく乗り気じゃそうな。もし私が敵方の男の子を
 身ごもっていることが知れれば、ふしだら娘の親不孝者よと成敗されても
 文句は言えぬ。」

決死の思いで舟をこぐフミ姫。しかしあたりがすっかり暗くなっても、約束の灯は
ともらなかった。里の家々の灯もやがて消え、まったく方向がわからなくなった。
嵐が追いついてきた。フミ姫の心を絶望が黒くぬりつぶす。波と激しい雨風が
小さな船をほんろうした。
ついに力つき、フミ姫は荒波の中に放り出された。身をさすように冷たい水、
底知れぬ深い海の恐ろしさ・・・。
愛する男に裏切られたくやしさ、お腹の中の赤子とともに死んでいかねばならぬ
悲しみを、フミエも容赦なく味わわされる。

「くやしや・・・。くちおしや。かくなるうえは怨霊となりてあの男をとり殺し、
 末代までも祟らんと願いしが、あの方を信じたい心がわずかばかり残って
 消えてくれぬゆえ、鬼ともなれず、長の年月、ただ海底をさまよっておった。
 そして今日、そなたと出会うて、顕現することを得たのじゃ。」

愛の歓び、裏切られた悲しみ、死の苦しみを全て体感させられたフミエは、

あがいたが、自由になることはできない。その時、

「さがしたぞ、姫!」

目の前に若い武士が立っていた。長身でなかなかの男ぶりだが、顔は茂とそっくりで
なんとなくのほほんとした感じがした。

姫「・・・お怨みにぞんじます、茂之介どの・・・!なにゆえに、私をたばかって、お腹の
  ややまでも・・・。私が邪魔になったのであれば、あなたの手で殺してくだされば
  よかったものを・・・。」
茂「待て、話を聞け!フミ姫。
  あの日、わしは出奔の準備をととのえ、日没を待っておった。ところが、めのと子の
  浦木克之進にたばかられ、一服盛られて眠らされてしもうたのじゃ。きゃつは
  父の意をうけて、わしを監視するようになっておった。
  翌朝、浜にそなたの遺体があがったと聞いて、止める浦木を切り捨てて駆けつけ、
  わしはそなたのなきがらを抱いて去った。そして初めて出会うたあの岩屋で、
  自害してそなたの後を追うたのじゃ。わしもそなたも、誰に弔われることもなく、
  風雨にさらされて朽ち果て、骨は交じり合って今も散らばったまま・・・。
  魂魄となりて再び相まみえんと、そなたを探しつづけたが、そなたの怨みが
  深すぎるゆえか、はたまた冥府の理(ことわり)か、どうしてもみつけることが
  できなんだ。それがこんにち、こうして相会うことを得たのは、そこな赤子の
  おかげぞ。」

(はっ!藍子・・・!藍子はどうしてる?!)

フミエは思わず我に返ったが、やはり身動きはとれない。しかし、藍子は乳母車の中で
無事に眠っていた。

茂「その娘は、わしとそなたの、両方の血統につらなっておる。すなわち、父なる男は
  わしがけん族、そこなるそなたのけん族の女が母というわけじゃ。・・・その子の
  血の力が、われら二人を引き合わせてくれたのじゃ。
  さあ、長い間待たせたな。いっしょにあの世とやらへまいろう。そして三人で
  幸せに暮らすのじゃ。」
姫「うれしや・・・。長い、長い歳月、あなたに裏切られたと思い込んだまま、私は鬼に
  なるところじゃった。けれど、わずかばかり残ったあなたを信じる心のおかげで、
  罪を犯さないですみました。」

フミエの中から、フミ姫がぬけ出し、茂之介に寄り添った。

姫「わがけん族の女よ・・・。そなたの名は?そして娘御の名はえ?」
フ「私はフミエ。・・・娘は藍子と申します。」
姫「そなた達のおかげで、いとしいお方とまた一緒になることができました。礼を申す。
  我ら二人、藍子の守護霊となりて、末永く守るであろう。では、さらばじゃ。」

「  あ   り   が   と   う  。」

 フミエは、はっと目覚めた。傍らでは藍子がすやすやと眠っている。太陽の位置を
見ると、たいして時間は経っていないらしかった。

(私ったら、あんな夢を見るなんて・・・欲求不満なんだろうか?お父ちゃんと離れて、
 まだ五日やそこらなのに・・・。)

フミ姫として茂之介に抱かれた時の感触がなまなましくよみがえり、フミエはあわてて
それを振り払うように藍子をのぞきこんだ。
藍子の髪に、小さな小さなももいろサンゴがからまっている。フミ姫の髪についていたのと
同じものだ。フミエの笑顔が固まった。
海からの風が急に冷たくなったように感じられ、フミエは急いで叔母の家に帰った。

 翌々日、フミエは調布の我が家に戻った。いつもどおりの茂の顔を見ると、
心の底からほっとした。
おみやげのようかんをつまみながらお茶を飲んでいる茂に、フミエは聞いてみた。

フ「なぁお父ちゃん、あの世ってどんなところなんでしょうか?」
し「ええ所に決まっとる。働かなくても食うには困らんし、いつでもあったかくて
  花が咲き乱れとるんだ。まあ現世では、南方の島がそれに近いな。」

唐突な質問だったが、茂の最も得意とする分野なので、昔描いた絵までひっぱり
出してくわしく解説してくれた。

フ「じゃあ、死んだ後もそこで家族で暮らせるんでしょうか?」
し「・・・お前、妙なことを考えとるんじゃなかろうな。いくら貧乏だからといって・・・。」
フ「いやだ、違いますよ。安来で昔話を聞いたけん。」

フミエはあのことを茂に話そうかと思ったが、もうしばらく自分の胸だけにしまって
おきたい気がして、やめておいた。
その後、フミエはあのももいろサンゴをていねいに真綿にくるんで、おばばの形見の
紅色サンゴのかんざしの箱にしまった。

「フミ姫さま、茂之介さま、しあわせにお暮らしですか?藍子のこと、どうぞ
 末永くおまもりください。」

フミエが手を合わせて祈ると、かすかに磯の香りがした。






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