ヒゲのひと(非エロ)
村井茂×村井布美枝


「ほんと…別人みたいでしたねぇ…」

川の字で寝床につき、寝ついた藍子にうちわ風をあてながら、
布美枝が呟いた。

「ン? ああー…あのアシスタントか」
「はい」
「仙人のような顔つきがいいだろう。腕も確かだ」

自らスカウトして見つけてきたことを誇らしげに鼻息を荒げるが、
布美枝はまだぼんやりとした顔つきで首を傾げている。

「仙人…というか……」
「何だ? ごぼうか? タロイモか?」
「うふふ。髪を整えたら随分男前が上がっちょってでしたよね」

まるでテレビの人みたい…と呟いた布美枝に、無論他意はなかった。
が。

(何を上の空な顔つきをしとるんだ…うちのは)

無意識にちょちょいと前髪を分けてみる。
授賞式のごとくじっと見つめたまま首を傾げた布美枝は、
それに気付いてそっと手を伸ばした。

「お父ちゃん」
「お…おぉ」

やっと、目の前の”いい男”に気付いたかと、胸を反らした…が。
伸ばされた布美枝の手はそっと茂の額から前髪を払い、
寝ついた藍子の代わりに今度は茂にうちら風を送った。

「今夜も暑いですねぇ…。髪が汗で張り付いちょってですよ?」

「……む」

扇ぎ寄せられた風に顔をしかめて、ひとつ大きな息をついた。

「……何じゃ…。こういう髪型が好きだというわけではないのか…」
「はい?」
「何でもない!」

ぷいっと背を向けてしまった茂を見て、布美枝はまた首を傾げた。

「お父ちゃん?」
「もううちわはええっ。お前ぁもさっさと寝いっ」
「はあ…。何…へそを曲げちょってだろーか…」

明かりを落としてちらりみれば、眼鏡を外すのも忘れてムスッと口を噤んでいる。

(いくら急務だったとはいえ…。若い男連中を家に入れるのは早まっただろうか…)

ぎゅっと目を閉じたまま、ブルブルッと首を横に振る。

(いや、そげん余計な心配はいらん。まさかうちのに限って…間男をつくるなどと…)

ますます顔をしかめていると、頭の上からくすくすっと布美枝の笑い声が聞こえた。
「……ン?」

「ふふっ…お父ちゃん、なしてそげん百面相しとるの? 可笑しくて…寝られんよ」
「ああ? だらっ、そいなら見んがええだろーが…。どーせテレビの人のような男前な
 面でもないけん…」

「へ?」
枕の横でおひざしていた布美枝は、茂の眼鏡を取ってそっと顔を寄せた。

「……お父ちゃんはどこへもいかんでね」
「ああ?」
「テレビくんみたぁに…。テレビの中だの別の世界だの…いかんで、ね?」

「何を…言うとるのだ。お前が……」

ぐっと唇を噛み締めて見上げる瞳は、薄明かりの中でも潤んで光を集めている。
胆の据わったことを言うと思えば、すぐそんな繊細さも見せるから、
茂は吸い寄せられるように身を起して、布美枝を胸元に引き寄せてしまう。

「……藍子じゃあるまいし。何を子供みたぁなこと言うとるんだ」
「……ほんとですねえ……」
「俺はこの家を気に入っとるんだぞ? 裏に墓場もあるし…静かだし……。
 ここにはいい風が吹いとるんだ」

茂だけには見える不思議な風が、このあばら屋には吹いている。

「すんません……。私も…子供みたぁなこと…言いません、から。だから……」

胸元から顔を上げた布美枝は、ぺろりと舌を見せた。

「お父ちゃんも、子供みたぁに、ヤキモチ妬かんでください、ね?」
「あ?」

抱き寄せたままの布美枝の肩は、まだ震えている。
それは、泣き声を押し殺していたのではなく、込み上げる笑いを押し殺していたのだ。

(やられた……)

梳いた髪は日中の縛りで流れるようにうねっていて、豊かな黒髪が揺れる。

「だらっ。だ、誰がヤキモチなぞ…」
「そーですよね? 妬いてなんかしませんよね?」
「当たり前だっ!」
「はい、はい。だから、そげんヘソ曲げる必要だって、なぁですものね?」

「お…おぉ」

またもしてやられた…と口ごもる茂に、布美枝は駄目押しにひとつ頬に口づけて、
「おやすみなさい、あなた♪」と、優しく囁いた。






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