村井茂×村井布美枝
茂がその花に気づいたのは、2月のとある昼下がりだった。 仕事のスケジュール用に使っている、商店街でもらったカレンダー。 1月31日は、この間ロールキャベツで祝った結婚記念日。黒で丸がしてある。 だが、今日の日付には、赤で花丸がしてあるのだ。 (結婚記念日より大事な日なんてあったかな?) いぶかしく思いながら仕事机に目をやると、牛乳瓶にナズナがさしてある。 (そういえば、去年もこれが飾ってあったな。結婚してすぐのころだ。 フミエに自転車を買ってやって、深大寺までサイクリングに行ったら、 そこにも咲いておったっけ。あいつ、子供のようによろこんどったな。 婚礼からしばらくは、締め切りに追われて相手してやれんかったから、 あれから仲良うなったな。・・・待てよ、そういえば、あの日の夜・・・。) 「ふーむ、そういうことなら、期待に応えんといけんな。」 フミエはその日、忙しかった。そうじをしてナズナを飾り、自転車を ピカピカにみがいた。昼食がすむと、商店街に買い物に行った。 今日はフミエにとって結婚記念日より大事な日だった。 1年前、2回しか会ったことのない茂と結婚式を挙げ、調布のこの家に 来たものの、勝手もわからず、茂は仕事仕事でろくに話もしてくれず、 寂しい思いをしていた。そんなある日、茂が自転車を買ってきてくれて、 深大寺に連れて行ってくれたのだ。早春の日差しの中、水の音を聞きながら、 茂と初めていろいろな話をした。二人の距離がぐっとちぢまった。 そして、その夜・・・。 「今日はお仕事で忙しいけん、私の心の中でだけお祝いしよう。」 茂は覚えていないかもしれなかった。わざわざ説明するのも恥ずかしい。 あの日の思い出は、フミエの宝物だった。 その日の夕食は、1年前と同じ、野菜たっぷりの鍋だった。あの日とちがって 今日は、二人っきりの差し向かい。締め切りも近いというのに、なぜか 茂はゆっくり味わうように食べている。しっとりとした時間が流れた。 デザートは、コーヒーと、茂に教えてもらったカステラの切れはしだ。 「おっ。コーヒーにカステラか。サービスがええのお。」 コーヒーの湯気の向こう側に見える茂の目が、やさしく微笑んだ。 茂は仕事に戻り、フミエは布団を敷いて寝支度をしていた。 フスマが開いて、茂が入ってきた。抱きすくめられ、口づけされる。 そのまま抱き倒されて、フミエはもがいた。 「あ、あなた、お仕事は?」 「後ですればええ。それより、今日はこういう日なんだろ?」 「こ、こういう日って・・・?」 「あー、だからっ、お前と初めてこうなった日だ!」 (覚えてくれとったんだ・・・。) 茂と深く唇をむすび合わせながら、フミエはうれしい気持ちで胸が いっぱいになった。 深い口づけとやさしい愛撫にとろけていると、茂がゆっくりと押し入ってきた。 いつもは意地悪に焦らしたり、激しく責めてフミエを啼かせたりする 茂なのに、今日は初めての時のようにやさしかった。 「初めの頃は、こげな風におっかなびっくり抱いとったなあ。お前が あんまりおぼこなもんだけん。それが今では堂々としたもんだ。 大きな声は出すし、自分から腰をf・・・むぐぐっ。」 フミエが両手で茂の口をふさいだ。その手のひらを茂がぺロッとなめる。 「ひゃっ。」 フミエが思わず手をひっこめた。ふたりは顔を見合わせて笑った。 フミエは心から満たされ、大きな波に身をまかせていった。 その後、茂は仕事に戻った。茂の胸で眠りたかったが、締め切り間近 となればしかたもない。 茂のにおいがする布団に顔を寄せる。茂にいとおしまれた身体のあちこちの 部分に触れてみる。今しがたの記憶がよみがえり、胸がどきどきした。 「今日もええ日だったな・・・。」 フミエの心の中の宝物が、またひとつ増えた。 SS一覧に戻る メインページに戻る |