三本の腕
村井茂×村井布美枝


「おい。ラーメン2つ、出前たのんでくれ。」

ある日の昼前、台所にやってきた茂がそう頼んだ。

「お客さんですか?」
「・・・倉田が来とる。ああ、仕事のことだけん、お前は来るな。」
「・・・はい。」

最近の茂はいつもこうだった。仕事場へは来るな、口を出すな、
引っこんどれ、結婚以来、茂を支えてくることに生きがいを見出して
来たフミエは、疎外感を感じずにはいられなかった。

(倉田さんなら、私も会いたいのに・・・。)

倉田は、プロダクション設立当初のアシスタントで、今はプロの漫画家
として自立していた。

(あの頃は、アシスタントさん達とももっと関わりがあって、上京したて
の時は下宿やお布団の面倒みたり、お昼にお味噌汁つくったり・・・。
家族みたいだったのに・・・。)

仕事場への立ち入りを禁じられ、なじみのないアシスタント達は、いつも
〆切りと超過労働に追われ、殺気だっていて、声もかけにくかった。

それでもお茶を入れて丼を下げに行くと、ネーム室で茂と談笑していた
倉田が、パッと立ち上がった。

「奥さん・・・!ごぶさたしとります。」
「倉田さん・・・お元気そうで、よかった。」
「今日は、俺の初めての単行本が出ましたんで、先生と奥さんに真っ先に
お目にかけよう思うて。」

倉田はうれしそうにそう言った。茂は「仕事のことだから来るな。」と
言っていたが、別に仕事の話ではないではないか。
フミエは、またしても茂につまはじきにされた気がして、笑顔もひきつった。

倉田が帰った後、フミエは夕食の買い物に出かけた。

「奥さん!」

喫茶「再開」の前を通りかかった時、出て来た倉田に声をかけられた。

「倉田さん・・・。まだお帰りじゃなかったんですか?」
「つい懐かしゅうて・・・。コーヒー飲んどったんですわ。さっきはたいして
話もできなんださかい、駅まで送ってくれませんか?」

27歳にもなるのに、倉田は相変わらず弟のようにフミエに甘えてみせた。

「奥さんとこないして、商店街歩くのん、初めて水木プロに来た日以来ですわ。
あん時は、西も東もわからん俺のこと、えらいお世話になりました。」
「深沢さんの所で、偶然上京したばかりの倉田さんとお会いしたんでしたね。」
「・・・あの頃はよかったなあ。仕事はどんどん舞い込むし、ポッと出の俺に、
先生は大事な場面をまかしてくれはって、尊敬する小峰さんはおるし、
がぜんやる気が出て、バリバリ描いとった。」
「初めてウチに来て、座ったとたん描きはじめて、腱鞘炎になるほど
描いとられましたよね。」
「給料もらえてプロの仕事が勉強できるだけでもありがたいのに、先生は
作品の指導までしてくれはった・・・。奥さんも何くれと俺らの世話やいて
くれはって。あの味噌汁の味、忘れられまへんわ。」
「・・・ほんとに、あの頃はよかったですね・・・。」

思わずさびしそうにそう言って遠くを見つめていたフミエは、その顔を
倉田がじっとのぞきこむように見ているのに気づいてハッとした。

「・・・奥さん。なんぞ悩んではることでもあるんとちゃいますか?」
「え・・・そげなこと・・・。」
「菅井が言うとりました。近頃、先生と奥さん、ロクに口もきかへん、て。
俺、信じられへんで・・・。ほんま言うたら、奥さんが買い物に来はるの、
待っとったんですわ。」

いつの間にか二人は、商店街のはずれの、人気のない祠の前まで来ていた。
フミエは多くを語らなかったが、倉田は事情通の菅井からいろいろ聞いている
らしく、最近の茂のフミエに対する仕打ちに憤っていた。

「奥さん、俺・・・。奥さんさえイヤやなかったら、俺のところに来て
くれまへんか?俺、昔っから、奥さんのことが・・・好きで・・・好きで。
でも、先生と奥さんの間に割り込んだりでけへんこと、わかっとって・・・。
好きで好きでしかたないけど、泣きのなみだで、あきらめたんや。
こんな若造じゃ頼りないのんは、わかっとるけど、今のままじゃ、
あんまり奥さんがかわいそうや。」
「倉田さん・・・。」

フミエは、若い倉田の燃え上がるような熱情に、圧倒されていた。

倉田がアシスタントをしていた頃、フミエに懸想しているということを、
茂から聞かされた。ひとまわりも歳の違う青年に恋されていると信じられる
ほど、フミエはうぬぼれてはいなかった。だが茂は確信しており、それでも
彼を許し、育てたいと言う。フミエは夫のため、前途ある倉田のため、
半信半疑ながら自重する決意をした。
フミエが喜子を出産して退院するその日、なぜか迎えに来させられた倉田は、
赤子を抱くなり、タクシーの中で泣き出した。フミエが彼の気持ちを
確信したのは、やっとその時になってからだった。

フミエにとって倉田は弟のような存在にほかならなかったが、彼の真摯な想いを
はぐらかすことはできなかった。フミエは正面から彼の想いに向き合った。

「倉田さん、ありがとう・・・。私のこと、そこまで・・・。誰かに、『好きだ。』
って言ってもらうのって、本当に救われるわね。私、そんなことも忘れとった・・・。
倉田さんの気持ち、あの頃、お父ちゃんにそう言われても、正直本気にできなかった。
まさか、若い人がこげなおばさんを・・・ってね。でも、あの時よりもっと
おばさんになっとるのに、そげな風に言うてくれるなんて・・・本当にありがとう。
・・・あのね、お父ちゃんが、たった一度だけ、『マンガをやめる』って言った
ことがあるんですよ。藍子のミルク代にも事欠いて、私が風邪引いても
ハナ紙買うお金もなかった。・・・よっぽど情けないと思うたんでしょうね。
『マンガやめて、ポスター描きにでもなるか。』って。私、『私の腕と合わせて
三本あるけん、一緒にがんばらせて下さい。』って言ったの。
私のこの腕は、その時お父ちゃんにあげたけん、もう離れることはできん。
あの人は私の腕なんてもういらんかも知れないけど、それでもお父ちゃんの
もんだけん・・・。私はどこへも行けないんです。」

倉田はいたましそうにフミエの顔を見ながら話を聞いていたが、やがて自分を
納得させるかのように話し始めた。

「・・・俺らがここでアシスタントしてた頃が、今思えば俺の青春っちゅうか、
会社も始まったばっかりで、ドラマ化にアニメ化、毎日が新鮮で笑いが絶えなくて、
奥さんとそれを共有できとることがうれしかった。・・・そやけど、先生と奥さん
には、それより前の、つらい時代を一緒に生き抜いた年月があったんやな。
・・・俺、奥さんの、先生に尽くして尽くして尽くしぬいとる姿を見て好きに
なったんです。アホやな。そんな恋、つらいだけやのに・・・。」
「お父ちゃんが、倉田さんのこと『火のタマみたいな奴』言うとったけど、
倉田さんは変わらんね。純粋で、一途で・・・。それが倉田さんのええところだけど、
一歩間違えると、大きく道を踏み外すかもしれんって、心配しとった・・・。
一回りも年上のおばさんなんかより、倉田さんにふさわしい相手をみつけて、
早ことお母さんを安心させてあげてごしなさい。」
「俺、奥さんのこと、ずっと好きでおってもええですか?俺のところへ来いなんて
ずうずうしいこと、もう言わへんけど・・・奥さんのこと、これからも心配しとっても、
ええですか?」
「倉田さん・・・。だんだん・・・。」

倉田とはその祠で別れ、フミエは大急ぎで家路に着いた。

その夜。昼間のこともあり、眠れなくて布団の上で輾転反側していたフミエの
ところに、茂がものも言わず入り込んできた。当然のように唇を奪い、身体を
まさぐって、自分の欲望を満たしにかかっってくる。
長年慣れ親しんだ身体は、こんな情緒のない交わりにも自然とうるみ、茂を
受け入れて勝手に喜びの声をあげはじめる。
疲れなんとかというやつか、昼間の冷淡さにもかかわらず、こうして求められる
ことは、珍しいことではなかった。

だが、今夜の茂はちょっと違っていた。
乱暴ではないのに容赦のない責めはいつものことだが、いつになく執拗で、フミエは
声を漏らさぬよう必死でかみ殺していたにも関わらず、のどが嗄れるほど啼かされた。

「お願・・・い・・・。もう・・・終わら・・・せ・・・て。」

フミエの身体の弱いところを知り尽くしている茂に追いつめられ、内側から身体を
焦がすような快感にさいなまれて、哀願を繰り返すフミエの声はかすれ、茂の
劣情をますます煽り立てるだけだった。
茂に翻弄され、混濁する意識の中で、フミエは今日の倉田とのことを思い出していた。
ひとりの男に、心から求められたことが、フミエの心を久しぶりに温めていた。
茂に抱かれながら、他の男のことを思い浮かべる自分を、(悪い女かもしれん・・・。)
と思いながら、フミエは近頃の茂の冷たさ、今夜の交わりの意地悪さに、すこしだけ
復讐できたような気もしていた。

フミエをさんざんに蹂躙し、自分の存在をたっぷりときざみ込んで、ようやく
身体を離した茂は、また衣服を身に着け始めた。

「・・・まだ、お仕事なんですか・・・?」

けだるそうに問うフミエには答えず、立ち去りながらボソッとつぶやいた。

「倉田が来たからって、そわそわするんじゃない。・・・みっともない。」
「?・・・はい・・・。」
「お前はもう、おばさんなんだからな。」
「はい、はい・・・。」

(ほったらかしにしとった縄張りを荒らされそうになって、あわてて取り返しに来た
ガキ大将みたい・・・。)

フミエはなんだかおかしくなった。
甘だるい身体をなんとか起こそうとして、茂の放ったものが自分の内部を下りてくる
感触に、フミエはもう一度身を横たえた。茂が全力で所有権を主張する領土にでも
なった気分だった。
宙空に、さっきまで茂に巻きついていた腕を伸ばしてみる。長い腕は、夜目にも白く
なまめかしく動き、フミエを妖しい気分にさせた。

この腕は、茂を抱きしめ、茂のために料理をし、茂の子供たちを抱き寄せる腕だ。

(・・・何があってもお父ちゃんから離れんけん・・・覚悟しとってごしなさいよ・・・。)

白く長い二本の腕は、今はもうそこにいない茂の幻影を抱きしめた






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